第3章 Another world-7

「だからぁ、無理すんなって」

 その日の午後、二人は森の中だった。忠告を聞き入れないハルの付き添いで、元が散策に付き合う羽目になったのだ。森は見た目以上に深く、奥に行けば行く程深い緑に覆われていく。とてもではないが、ハルを一人にしておけない……元は深い溜息を吐いた。

「付き合わせて……」

「悪いって思ってんなら、大人しくしてくれよ。てかさぁ、迷惑や面倒だから言ってんじゃねぇから。今さ、無理して具合が悪いのが長引いたらどうすんの。何度も言うけど、俺達エンダの使命は、獣の脅威から民を救う事なんだよ。俺達はそれだけの為に存在してんの。

 えっと〜だからさ、獣と戦わずして死ぬなんてエンダの恥だぜ。っていうか、まだあんたはエンダじゃないけどさ」

 この数日間、何度となく元は口酸っぱく言葉にしてきた。お陰でエンダが何者なのか、ハルは分かっているつもりだ。しかし未だこの世界を受け入れきれていない。扉を開けた目的が人を襲う獣を倒す事だという、そんな自分が想像も出来ないのだ。

『倒す……って、色んな意味で無理だと思うけど……』

 もとの世界では、生きる為に得る食料も、見知らぬ誰かが殺生したものだ。使命の為に生ある者を殺さなければならない現実がハルに二の足を踏ませる。

『この手で、命を摘むなんて出来るの? うぅん、止まったら駄目。今は進むしかない……』

 そうやって行き場を無くす思考に何度も言い聞かせて、無理やり前向きになろうと足掻いていた。

 

 そんなハルの苦悩を横目で見ると、元は畳み込めるように言葉を繋ぐ。

「俺の話ばっかで申し訳ねーけど、俺がここに来た直後に、自分のレベル以上の獣を狙ったんだよ。そりゃ、倒せればかなりのスキルアップが望める。この世界は獣を倒せば倒す程、自力が上がるからな。皆、躍起さ。いやスキルアップの為に獣を倒している訳じゃないが……。誰も自分達が死ぬなんて思っちゃいねぇから、無理したんだな。命からがら逃げおおせたが、俺以外は回復出来なくて消えちまった。

 いいか、死ななきゃ大丈夫じゃねぇ。体力の限界が来たら突然消えんだ。もとの世界に戻ったなんて言う奴らもいるが、そんな都合のいい話なんて信じられねぇ」

 耳に入る声をどこか遠くに聞きながら、ハルは骸骨の姿を思い浮かべていた。

『……』

「こんな世界で、何も残せずに消滅するなんて俺は嫌だね。俺は五つの海を越えた場所にあるって言われてる、獣が生まれる場所を潰したいんだ。それが出来れば、ここに来た意味もあるってもんだろ?」

 ここまで一気に話した元は、言い過ぎたか? そう反省して、少し間を置いて気遣うように言葉を繋げた。

「死んだら元も子もねぇ。やりたい事も出来ずに消えてもいいのかよ」

 この世界の大気は、どこまでも澄んでいて体の細胞一つ一つに酸素が行き渡る様だった。心地いい、心地いいはずなのに……皮膚が、内臓が、髪の毛一本までもこの世界を拒絶している。体を守る皮膚が一枚剥がされた様な居心地の悪さに、自分がこの世界の住人ではないと思い知らされる。常に襲う胃もたれと吐き気は、少し無理をすると症状が重くなり立つ事すら困難にした。

 

 身体が軋む度に元の言葉を噛みしめるのだ。

『体力の回復が遅れたら、私はこの世界からも消えてしまう。そうしたら、もとの世界に帰れる?』

 骸骨を思い出し、『あり得ないわ』そう自虐的に少し笑った。 殺す為にハルを追いかけて来た骸骨の執拗さを思えば可能性はゼロだ。

『死ねない。私は、まだ死ねない。でもこのままじゃ』

 そう拳を強く握り締めたハルを見下ろし、元は首をゴキゴキと鳴らす。

『こいつは……もたないかもしれねぇなぁ。あまりにも体力が無さ過ぎる。もう少しスキルアップすれば、体力の回復が勝るんだがなぁ』

「でもなぁ、獣と戦っても絶対勝てねぇし」

 元は考えに集中するあまり、思考が口から零れ落ちていた。脳と口が直結しているかのように、大きな独り言をブツブツと呟き始めた。

「んー……始まりの地に行けば、今よりずっと楽になるだろうが、ここからは随分距離があるし、如何せん交通手段がギヴソン(あれ)じゃぁ、着くまでにおっ死んじゃうし。それにあいつ、すげー獣くせーから、もう臭くてそれだけで死んじゃうっていうか。かと言って、行かなきゃ何も始まらねぇし……。あーもう! 何で、洗礼を受けてねぇ奴が、あんな場所で行き倒れていたんだ?」

 ハルは蓄積する疲労感を感じつつ、落とされる言葉に耳を傾けていた。

『優しい人』

 本心からそう思うハルとは対象的に、タロと言えば、ハルの肩にちょこんと乗りながら、あまりにも大きな元の独り言に呆れ気味だ。

「もう少し体力が残っていたら、話は違うんだが……」

 元は頭をガシガシと掻いた。どうやってしても、ハルが始まりの地に足を踏み入れる事が出来る気がしないのだ。

「でも、自分の世界を捨ててこの世界に来たってんのに……。エンダにも成れずに死ぬなんて、あんまりだよなぁ。何とかしてやりてぇんだけど」

 どうにも出来ない状況に、思わず天を仰ぐ。その姿を気配で感じながら、ハルは目を見開き森の先を見ると、また一歩足を踏み出した。

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