第2章 選択-4

「はじめまして」

 突如、球体が声を発した。

「え?」

「この空間で話をするのは初めてね」

 ゾクリ……恐れから全身が硬直し動けない。更に追い打ちをかけるように、光を放つ球体は溜息混じりに言葉を落とす。

「あーぁ、たかだかこの世界を捨てて、Another Worldに行くだけの話なのに、何でここまで駄々を捏ねるのか意味不明~。この世界が大事だ大事だって、しつこいったらないわ」

 光の球体は、ハルの存在など然程興味がないのか、独り言のように捲くし立てていく。その声は更に続いた。

「何度も言ったじゃない。子供過ぎたら駄目ってさぁ。ゲーム感覚だと、まぁまぁいい結果を出すんだけどねぇ。少し痛い思いしただけで、戦意喪失しちゃうし。自分の限界が図れなくて、力のコントロールにムラが出ちゃうし……。老人でも駄目。生きてきた年数が長いと、現実を素直に受け入れきれなくて。

 じゃ~どうしようかなって考えた時、あんた達位の大人に目を付けたって訳よ。まぁ、それなりの資質は求められる訳だけど。もうどんだけ言っても、あんた首を縦に振らないしさぁ」

「な、何の話を」

「嘘、あんたそれすら覚えていないの? ふぅ~ん、そうなの。こんなに時間を掛けたのに、無駄だった訳ね? ……全く! 思った以上に時間が掛かったわ。どんなに最悪最低な状況に追い込んでも、何かしら希望や活路を見出したりして……本当に、冗談じゃないわよ」

「状況に追い込んだ?」

 ハルの呟きに、トーンを引き上げる声は、耳障りな程、脳内に響く。

「そう! ワタシ、あんたを絶望から「Another World」に導きたくて!!」

 光の球体はここで堪らないと言わんばかりに、クックックッと含み笑いを落とした。覚えのない記憶だ。しかしその笑い声は、確かに何処かで確かに聞いた気がした。

「ねぇ、毎晩夢見が悪いって結構辛かった? ギャーハハハハハァハハ」

「貴方が……?」

「究極の絶望なんて、中々ならないものなのねぇ。ホーント、時間がかかって仕方なかった」

 この一年、夢の内容は覚えていなくても、いつも嫌な感覚は鮮明に残っていた。目が覚めると、安堵からホッとしたのも一度や二度ではない。

『一年以上も前から、何が起きているの』


「究極の絶望って……えっ!?」

 ハルが、瞬きをした一瞬だ。光の球体は、目と鼻の先に存在していた。ハルは本能で一歩後ずさるが、それは何事もないかのように言葉を繋いでいく。

「Another Worldの扉はね、民を助けたいと思う強い意思か、死にたいと思う程の絶望でしか開かれないの。だから「エンダ」を導く先導者達は、人間が自ら望んで扉を開ける様に説得するのね。

 通常はさぁ、それなりの人格者が選ばれるから、最終的には使命感に燃えて扉を開けるんだけどぉ、私が連れて来るように指示された人間はあんたでしょ? Another Worldでエンダに成って民を助けたいって思う筈もないし。仕方ないから、本来は禁忌とされる「絶望から先導する」方法を試したって訳」

 矢継ぎ早に、聞いた事がない単語が当たり前の様に出てくる。理解の範疇を超えた時、途端に恐怖に襲われた。逃げなきゃ、そう一歩後ずさりをした瞬間、光から鋭く何かが伸びて腕を掴まれた。

「ぃやっ!」

 そのまま今まで味わった事が無い程の力で、グッと吊るし上げられた。余りにも強い力だ。掴まれた手首から血の気が引き、堪らずハルはうなり声を上げた。何とか振り解くべく視線を上げた時、息が止まる程に心臓が跳ねた。

『……え、これは骨?』

「言ったでしょ~。あんたが生きている現実を捨ててって。あははははははっは!!」

 光の感情は今や沸点に達したかのように、甲高い高笑い繰り返す。全身を硬く強張らせる姿が滑稽だと言わんばかりだ。侮蔑した声は、尚も饒舌に続く。

「あんた、本当に使えない人間ねぇ。全然覚えていないの?あ~面倒臭い。何で私がこんな奴を……はぁ。だから~あんた達みたいに選ばれた人間は、この世界で死んで、Another Worldでエンダとして生きて行くの! ま、死にたくなった訳ではないみたいだけど…………こんな世界、未練もないでしょ?」

「……そんな」

 ハルが何もかもを受け入れられずにいる中で、更に体がグイッと引き寄せられた。「痛!!」更に腕をねじ上げられ、骸骨の手は今や目前まで迫っていた。そしてまるで自身に言い聞かせるように、言葉を繋げ始めたのだ。

「もう、私は十分待ったわよね? 手回しを重ねて、時間を掛けて色々やってあげたというのに……あんた、まだ頑張る気でいたでしょう? いい加減、許せなくなったわ。私、本当にあんたが嫌い。あの世界で、さっさと、野垂れ死になさい」

 掴まれた手に更に力が籠る。悪意が籠る言葉と声に、ハルの全身から汗がドッと噴出した。自分自身に何が起きているのかは、理解が出来ていない。しかし危険な状況である事は確かで、「死ぬかもしれない」そんな受け入れ難い現実を付き付けられていた。

 

「さぁ、最後に良い事を教えてあげる。扉を開ける為のとっておきの情報をね! ギャハハハ!!」

 悦に入る光とは裏腹に、ハルの心臓は破裂しそうだ。こんな状況にも係らず、光が言った「とっておきの情報」という言葉に心が捕われてしまう。

『聞いてしまったら……もう戻れなくなるような気がする』

「だから~いい加減、あきらめてくんない? あんたに付いているの飽きちゃったわ。この世界での執着が母親だったら、その執着を無くせば……? ギャハハハハハッハハハハ。どう、聞き覚えある?」

 さも愉快だと言わんばかりに、光が声を上げて笑う光景に、目を背ける事が出来ない。

「……え?」


 バン!!

 

 けたたましく開かれたドアの風圧が空気を揺らす。

『今度は何!?』

 ハルが悲痛な想いで振り返ると、颯爽と入ってきたのは、

「沙織!?」

 誰でもない沙織だった。いや、ここは会社だ。誰が会議室に入ってきても、おかしくはない。しかし、こんな不可解な状況に、よもや沙織が現れるとは思ってもいなかった。

「に、逃げて!」

 ハルは無我夢中で沙織に向かって叫んでいた。

『沙織をこんな狂った状況に、巻き込みたくない! 課長の様になってしまったら!』

「何だかおかしいの! だから!」

 そう訴える声にも、沙織は何事もないかのように、ゆっくりと近づいて……そう認識した瞬間、骸骨の手を振りほどいていた。その行動はあまりにも速く、一瞬何が起こったのか判断が出来ない。

「えっ? は? なに? あんたなんなの?」

 室内に甲高い動揺する声が響いた。沙織に手を引かれるままに、扉から抜けようとした時に、

「な! てめぇ! 何者だぁーー!!」

 耳につく怒涛が、割れんばかりに響き渡る。その直後に派生した衝撃波は、二人の髪先を通り過ぎさった。

 揺れる髪に違和感を覚え、思わず振り返った先には……つい先程通り過ぎた場所が音も無く抉られていた。

「は……?」

 

「走れ!」

 沙織の声に反応して、ハルの足は無意識に前に進んだ。中央のエレベーターを目指し、廊下を駆け抜けていく。毎日沢山の人が行き来する通路も、誰一人として姿が見えない。扉の向こうに広がるはずのオフィスにも、人の気配はない。腕を掴む沙織の掌が驚くほどに冷たくて、夢か現実か分からなくなる。

『何故私と沙織が、こんな状態で、ここにいるんだろう』

「どこに行くの!?」

 沙織は先にエレベーターに乗り込むと、一階のボタンを押した。そして一度チラリと廊下に目を向けると、続けて「閉」のボタンを連打する。

「待て! そのエレベーターは!?」

 無機質な廊下に、光の怒号が響く。声に抑止力があるかの様に、ハルはビクリと身体を震わせた。骸骨の手だけが捕まえんと骨だけの指を広げ、グングンとその距離を縮めてくる。

「ちょ、止まれ!! ふざけんなよ、てめぇ!!」

 伸ばされた手に『捕まってしまう!』恐怖に思わず目を瞑った瞬間、エレベーターの扉が閉じた。体に感じる降下感。状況の変化についていけず息が上がる。

 

「ぁ……」

 問いかけようとしたハルの言葉を遮り、沙織は言葉を繋ぐ。姿かたちは沙織の筈だが、醸し出す雰囲気は全く別物だ。全身から醸し出される威圧感に恐怖が湧き上がってしまう。

「契約は結ばれた。貴方は、もうこの世界に留まる事は出来ない。決めなければならない」

「沙織……? ……貴方、誰?」

 沙織はそこで一度、一息置き言った。

「Another Worldに行くのか……行かないのか」

 ハルは思わず、沙織の腕を握り締めた。掴むその手が大きく震えて居る事に、ハル自身初めて気付く。手だけではない、震える足は立っているのもやっとだった。

「わ、私は何も契約なんて」

 今や心臓は高鳴り、うまく言葉を繋げない。しかし沙織は微動だにせず、ハルに強い視線を向けた。

「そうだろう。 しかしあいつは貴方の置かれた状況を巧みに操り、この狭間の世界に引き込んだ。

 もう時間が無い。手短に言おう。貴方の精神は肉体から引き離され、この狭間の世界のみ存在している。幾分もしない内にこの場所も消滅する。何としても、扉を開ければならない。……貴方のAnother Worldを望む強い意思だけが扉を開ける唯一の方法だ」

「死んだの? 私……」

『元の世界に返して……そう言いたいのに……』

 一切の拒絶を許さない物言いに、それだけが言葉として口から出た。

『滴り落ちる涙は、こんなに熱いのに』

「もう、この世界には戻って来られないの?」

「……その希望だけは捨てるのだ。もう貴方はこの世界の所有物ではない」

 二人の間に沈黙が広がった。暫しの間、エレベーターが降下する階数を目で追う。その間にも、十階を示すランプが付く。

 身体に掛かる浮遊感を感じながらハルは、先程の光の球が発した話を思い返していた。

【もう、私は十分待ったわよね? 手回しを重ねて、時間を掛けて色々やってあげたというのに……】

【だから~いい加減、あきらめてくんない? あんたに付いているの飽きちゃったわ。この世界での執着が母親だったら、その執着を無くせば……? ギャハハハハハッハハハハ。どう、聞き覚えある?】

「あの光……私を絶望に追い込むのに……手回しを重ねたって言っていた……母の事もそう?」

 口にする事すら胸が苦しくなる程の言葉に、ハルの心臓は激しく打ち付けている。この数か月間で、全てが、そう全てが一変した。それが策略によるものだとしたら……ハルの額に汗が流れる。

「可能性はゼロではない」

 感情なく答える声に心臓が驚く程にドクンと跳ねた。直後、母の最後の笑顔が蘇る。

「いつか、その真実に……私は辿りつける?」

「容易な事ではないだろう。しかし歩みを止めなければ、自ずと道は開かれる」

 沙織の言葉を受け、ハルの頬に一筋の涙が流れ落ちた。肌に伝わる感触を心に刻んでスゥッと息を吸う。

「私は、必ず真実に辿り着いて見せる」

 そのハルの言葉に同調するかのように、エレベーターの扉が少しずつ開かれていく。隙間から差し込む光に目を細めながら、もう一度深く息を吸った。

「行くわ、Another Worldに」

 その瞬間、エレベーター内に重厚な音が響き渡る。目を開けて居られない程の光が一気に流れ込むと、扉は完全に開かれた。

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