#57 雨宿り
こいつで最後かな。
初老のスカベンジャーはそう云って銃口から煙を上げている火器を背負い直した。乾いた血の色をした彼の外套は硝煙とヤニの匂いがした。クロエが何も云えないでいるのを尻目に老スカベンジャーは遺骸の頭からマチェットを引き抜いた。粘り気のある血が細い糸を引いて刃から伝い落ちた。刃に付着した鮮血を老人はじっと見ていたがやがて名残を惜しむかのようにゆっくりと死体の服で
生き残りがいないか確かめてくるよ。それにもうすぐ雨が降る。どちらにしろこの住宅街で一服だな。
わ、わかりました。
すたすたと歩いていく彼の背中にクロエは前かがみになって呼びかけた。
あの、ご遺体はどうすれば。
奴らが処分してくれる。
奴らって、禿鷲?
他に何がいる。
喰わせるんですか。
そうだよ。
それも流儀?
ああ。
ではその後でも構いません。埋葬とお祈りを――。
老人はそこで立ち止まって振り向いた。
つくづく面白いお嬢さんだな。奴さん達は私らを襲ってきたんだぞ。お前さんはそこそこ
クロエは修道服の裾を両手でかき寄せた。継ぎはぎだらけで元の白磁の色彩を喪った拾い物。黙ったまま老人を見返していると彼は肩をすくめた。
ま、とりあえず話は後だ。確認を終えたら中で休憩と洒落込もう。この辺りの雨にはあまり直に触れん方がいい。
どうしてですか。
肌によくない。染みが残るのは嫌だろう。
クロエはうなずいてから三体の物云わぬ骸をかえりみた。ザクロのように弾けた射出口から流れ出る血が重力に従って割れた石畳にゆるゆると川を形作っていった。それらも遠からず雨に紛れて薄らいでしまいかつてこの閑静な住宅街でぶちまけられた血肉と同様にあらゆる痕跡は時間の渦のなかで磨り潰されていくはずだった。老スカベンジャーに付いてきた禿鷲が呻きのような鳴き声を上げ急かされたクロエは目をそらして老人に付き従った。
□
消えた暖炉のそば。埃だらけの椅子に布を敷きその上に座って雨の唄を聴いていた。雨音を除いてはあまりにも静かだった。クロエは首から下げたロザリオを指でいじりながら窓の外を眺めていた。視線を感じて振り返った。老人がロザリオを目を離さずに見ていた。クロエは無意識に大切な装飾品を握りこぶしの中にしまいこんでいた。
すみません。これは報酬としてお渡しすることはできなくて。
知ってるよ。形見の品なんだろう。
なぜそれを――。
今の時代、誰だって何かしらの遺物を受け継いでいるもんさ。何年この仕事をやっていると思うね。
老人は組んでいた脚を戻して前傾の姿勢になった。
それに私が欲しいと思えば話は簡単だ。この場でお前さんを撃てばいい。
クロエは笑った。それもそうですね。そして続けた。話は変わりますが何故ご快諾くださったのですか。
快諾?
巡礼の同行です。私の自分勝手な目的のために。報酬もあまりお支払いできないのに。
たまたま行き先が同じなだけさね。あとはお前さんの度胸に感心もした。いきなり組合の酒場に乗りこんできて開口一番にどなたか旅の同行をお願いしますだなんて。大勢のくず鉄拾いの前でだぞ。気が触れてるんじゃないかと疑ったよ。
クロエは顔を赤らめてうつむいた。スイングドアを両手で力いっぱいに開き一礼してから兵営の点呼よろしく大声で助けを求める自分の姿がありありと思い出された。沈黙はたっぷり十秒は続いた。酒場の主人が間を繋いでくれなかったらそのまま永遠に場は凍りついていたかもしれなかった。
老人は述べる。今でこそお前さんは取り澄ました顔をしちゃいるがあのとき私は確信したね。こいつは面白いことになるぞと。後先考えずに突っ走るなんて新大陸に挑んだ宣教師にふさわしいじゃないか。
クロエは立ち上がって埃だらけの部屋を歩き回った。ブーツが腐った板を踏みしめる
でも名乗り出てくださったのがあなたで好かったです。
なぜかね。ご老体の方が
あなたがあの方とお知り合いだからです。見つけやすくなるかもしれません。
ああ。あの金髪のお嬢さん。
そうです。アリサさん。
もう死んでるかもしれんぞ。なんせあの甘ちょろい性格だ。
不吉なことを云わないでください。きっと今も生きて人知れず誰かを助けているはずです。
それで? 尊敬している人生の先輩にたくましく成長した自分の姿をお見せしたいと? ――殊勝なことさね。
クロエは立ち止まって老くず鉄拾いを睨みつけた。……あなたのその皮肉な物云い、何とかなりませんか。
こればかりはね。ほんとにね。直しようがない。
そうですか。
老人は指の爪先に付いた黒ずんだ血をじっと見つめていた。それから不意に云った。
二十八羽。
なんです?
私に付いてきとる禿鷲の数だ。気がついたらまた一羽増えていた。
禿鷲の数……。
はてさて。あのお嬢さんは何羽になっとるかな。今から楽しみだ。
つまり。どういうことです。
あれから何人殺したのかと気になっとるんだ。ひょっとしたら十人単位で禿鷲の胃袋の中に放り込んどるかもしれん。それを経ても
クロエは口を開きかけて閉じた。形見のロザリオは手のひらに収まったままだった。
□
老体をこき使うとはひどいお嬢さんだ、とぼやきながらシャベルで穴を掘る老人のそばでクロエは禿鷲が死骸を処理していくさまを目をそらさずに見ていた。雨足はすでに細くなり血は洗い流されていた。それでも臭いはこちらまで漂ってきた。クロエは
あの、――もしご遺体を彼らに食べさせずに埋葬したりしたら何か罰則があるんですか?
いんや。
では叱責でも受けるのでしょうか。
老人は鼻で笑ったあと軽い咳をした。……シスターさんは何か勘違いしとるようだが私らは戦前の会社員のように組織にがっちり所属しとるわけじゃない。組合の目指すところは形ばかりの互助。あとは金儲けが目的さ。こんな風習にいちいち口は挟まない。馬鹿らしいと思うかね。
意図するところは何となく分かるつもりです。あの方から、――アリサさんから少しお聞きしました。空に
情緒豊かで大変微笑ましいが私が聞いたのはもっと別の話さね。
別とはどのような。
昔、山積みにした死体をその場で焼却処分したくず鉄拾いがいた。喰わせるのを待つのが面倒になったかあるいはただの気まぐれだったのか理由は分からん。とにかくそいつはその報復として付き従っていた禿鷲どもに生きたまま喰われた。寝ているあいだに目玉をくり抜かれ痛みに飛び起きたときにはもう手遅れよ。
クロエは息を呑んで禿鷲の
……おとぎ話、のようなものでしょうか。
迷信かもしれん。だが私らにとっては真に迫る話さ。少なくとも今じゃ死体処理に火を使うやつはまずおらん。掃除という意味合いならむろん火を使うほうが手っ取り早い。だが世界をこんなにしちまったのもまた火が持つ力なんだ。なのに私らは未だに散弾槍や再生機を持ち出して派手にぶっ放したり宝探しの追跡に使っている。そんなどうしようもない私らの発する言葉と行動のすべてをこいつらはいついかなる時も監視している。呪いのようなものだよ。――知り合いのスカベンジャーはまことしやかにこう云った。禿鷲どもにはあの戦争で死んだ人びとの魂が乗り移っているんだとね。
…………。
死体を埋めたら少し休憩して出発しよう。ここまで来ればセントラーダまであと少しだ。何年ぶりかな。懐かしいね。
□
老スカベンジャーが作業に戻ってからもクロエは彼らの食事風景を見つめ続けていた。ある一羽が冠を上げてこちらをじっと見返した。まるで訴えかける何か大事な言葉でもあるかのように真っ直ぐと。クロエが負けじと視線を受け止めているとやがて彼は
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