#50 灰塵

 止血のあと麻酔なしの消毒と縫合を経てスヴェトナはすっかり消耗してしまい寝込むことになった。大きな施設につき救急対応室が設けられていたのは幸いだった。サイモン少年のおもちゃ屋から失敬したクジラの大きなぬいぐるみを撃ち抜かれた足の下に挟んで足側高位そくそくこういの姿勢にし毛布を何枚も重ねて体温が逃げないようにした。それでも悪寒を訴えるのでアリサは手を握って傍につき看病した。見かねたトフィーが薬品店の廃墟から使い捨てカイロを持ってきてくれた。


 抗生物質はないわよ、とトフィー。ビタミン剤といっしょに真っ先に持ってかれたから。

 アリサはうなずいた。持ち合わせがあるから大丈夫。ありがとう。

 すまない……。スヴェトナが目を薄く開けて謝ってきた。わたし、ほとんど何も役に立てなかった。

 慣れてないなら誰だってあんな反応になる。

 それが悔しいんだ。ほんとうに情けない。車のヘッドライトに照らされた子犬じゃあるまいし。

 でもあの一発は見事だったじゃないか。おかげであいつ以外は殲滅できた。

 …………。

 とにかく今は休んで。後始末は私がやっとく。

 わかった。


 スヴェトナの目の下には疲労と失血で濃い隈ができていた。そのためただでさえ悪い目つきがより凶悪に見えた。微笑もうとしているのが却って痛々しかった。

 それにしてもアリサ。

 なに。

 あの平手は痛かったぞ。しかも二発も。今だってジンジンしてる。

 アリサは笑った。――冗談を云えるうちはまだ大丈夫だよ。

 何だったら足を撃たれたときより強烈だったぞ。首が九十度曲がるくらい力いっぱい張り飛ばしやがって。

 悪かったよ。私も頭が一杯いっぱいで加減ができなかったんだ。

 ――足の銃創はどうなる。痕がはっきり残りそうか?

 目立つほどにはならないよ。

 そうか。スヴェトナは身じろぎして目を細めた。……トフィーがうらやましい。

 トフィーが自分を指さす。

 わたし?

 この短時間で傷は完全に塞がっているどころか痕さえない。本当に撃たれたのか分からんくらいだ。

 銀髪の少女は腕を組んで答える。――云っとくけど痛覚はちゃんとあるわよ。ほんとうに苦しかったんだから。

 普通は苦しいだけじゃ済まんしあの出血だとショック状態になってもおかしくなかったんだぞ。なのになんでそんな平然と突っ立ってられるんだ。

 これくらい頑丈じゃないと何十年もここで暮らすことなんてできないもの。

 お前、――実は幽霊か?

 失礼ね。

 その力で私の脚も何とかしてくれないかな。

 ごめんなさい。それはできないの。これはあくまでわたしの体質だから。

 わかったよ……。


 スヴェトナは咳き込んだ。気分が悪い、吐き気がする、と訴えた。抗生物質の副作用だった。彼女がどうにか眠りにつくまでアリサは看病を続けた。状態が落ち着くと施設に散らばった遺体の処分のため重い腰を上げた。脚、腰、背中、――全身が痛かった。筋肉が悲鳴を上げていた。紅い外套に付いた埃を払い落としてから溜め息をひとつ吐いて歩き出した。


   □


 墓穴を余分に掘る羽目になった。それは穴というよりもほとんどみぞになった。ひとつ幸いだったのはアリサの敬愛すべき・・・・・隣人のおかげで死体の余分な体積はかなり損なわれるだろうということだった。山積みになった十数体の遺骸を禿鷲が掃除していくさまをアリサはトフィーに見せまいとしたが少女はかたくなに見物したがった。

 これでも一応、アリサより長く生きてるのよ、わたし。

 信じたくない。

 強情ね。

 頑固なのはどっちだよ。

 いいから見せて。見ておかないといけないの。わたしも殺しちゃったから。

 ……分かった。好きにして。


 最初に食べつくされたのはアリサを追い詰めた元軍人らしき男だった。他の犠牲者と違って生焼けになっていないし食べやすいようにスライスされていたからだ。臭いが漂ってきたのでアリサは背嚢はいのうから香油に浸したランプを取り出し火を点けて煙を吸った。それでようやく肩の力を抜くことができた。

 トフィーも真似して煙を吸う。

 ……好い香りね。なにコレ。

 スカベンジャーなら大抵持ってる死臭避けのお香だよ。気休めだけどないよりはマシ。

 落ち着くわね。

 うん。組合を通してしか入手できない。正直これがないとこんな仕事続けられなかった。

 麻薬の類じゃないでしょうね。

 云いたいことは分かるけど身体に害はないよ。

 それならいいんだけど。


 お香に親しんだあとアリサはシャベルを振るって溝を掘る作業を再開した。トフィーは禿鷲の食事風景をじっと観察し続けていた。何度かそちらを見やったがもう何も云わないことにした。以前にスヴェトナが最後まで見届けられずに手で口をおさえて立ち去ったことを思い出した。アリサは首を振った。別の話をすることにした。

 ……これまで何度も死にそうな目に遭ってきたけどさ、とアリサ。今回ばかりは駄目かと思った。助かったよ。ありがとう。

 どういたしまして。本当なら話し合いで解決したかったわね。

 話し合い? ――向こうがいきなり撃ってきたんだぞ。

 そうね。

 警告もなく。

 ええ。

 腸の一部を吹き飛ばされた癖によくそんなこと云える余裕があるな。

 あなたは憤っているのね。わたしとメイドさんを怪我させてしまって。自分だけがほとんど無傷で。

 冷静な分析はいらないよ。少なくとも今は。

 優しいわねって云ってるのよ。というよりもヤケ・・に近い。あなた、――本当は死にたがってるんじゃないの?

 …………何だって?

 付き合っていて分かったの。あなたは生きたいんじゃなくて“意味のある死”を欲してるのよ。

 ……冷めた考察は不要だっていま云ったよね。

 いいえ云わせてもらうわ。その死にたがりな性向は棄てなさい。でないとますますメイドさんを哀しませることになるわよ。

 

 アリサはシャベルを地面に鋭く突き立ててトフィーを黙らせた。空色の瞳と白銀の瞳、二人の視線が交錯した。アリサが睨み続けていると少女は肩をすくめて禿鷲の観察に戻った。それからしばらくは無言だった。禿鷲達が翼を揺らす音とシャベルの音とが土色の空に溶けるばかりだった。やがて今度はトフィーから話題を変えてきた。


 最後にわたしが殺しちゃった男の人なんだけど。

 輪切りにした?

 ええ。この人、駐車場で落っこちて死んだ女の人の恋人だったみたい。

 四人のうち最初に死んだ人だよね。首の骨を折った。

 うん。

 恋人。

 ええ。

 そうだったのか。

 他の三人もこの人達の親族や友人よ。

 たの? そのペンダントで。

 ついさっき。お墓を掘ってるのを遠くから見張ってたみたい。

 気づかなかったな。

 一週間経っても四人が集落に帰ってこないから心配して様子を見に来たのね。

 家族が殺されたとでも思ったのかな。私達に。

 たぶんそう。

 真偽を確かめもせずに襲ってきたのか。

 その中の一人が云ってたわ。死肉漁りスカベンジャーの女がいる。奴がやったに違いないって。

 …………。

 ――アリサ?

 なに。

 傷ついた?

 慣れてるよ。というかなんでわざわざそんなこと訊くんだ。

 知りたいからよ。好奇心旺盛なの。

 お前ほんとはこの状況を楽しんでるだろ。前にも似たような奴に会った。いけ好かない同業のじいさんで――。


 そこまで話したところでトフィーが壁を作るかのように胸の前へ両手を掲げた。

 ――ごめんなさい。悪気があったわけじゃないの。ただ知りたかっただけ。

 ほんとうに? 悪意はまったくない?

 ……少しはあったかも。


 溝からよじ登ったアリサはトフィーの傍まで速足で近づき後ずさる彼女の肩をつかんで逃げられないようにした。それから親指と人差し指で彼女の撃たれた脇腹を思いきりつまんでみせた。少女は絶叫に近い悲鳴を上げて身をよじった。あまりに痛がるのでアリサはすぐに指を放した。


 ちゃんと痛みはあるんだね。

 ……だからっ、云ったじゃない! まだ回復しきってないのよ。

 それを聞けて安心した。少なくとも幽霊じゃない。

 なに、仕返し?

 ごめん。無性に腹が立ったんだ。

 わたしの云ったことがことごとく図星だから?

 アリサは眉間に寄ったしわを指の腹でほぐしながら云った。

 ……お前のそういうところだよ。


   □


 骨と皮、あとは炭化した肉ばかりとなった十数の遺体を埋め終えたころには陽が落ちていた。もう全身の筋肉が限界だった。アリサはトフィーに支えられてよろよろと施設への道を歩いて戻った。途中で振り返った。名もない墓標にオーデルの血の夕陽が差し掛けられて長い長い影を大地に縫いつけていた。やがては灰のように分解される命。荒野と灰塵に帰した平原。彼らが気軽に銃をぶっ放さなければあるいは今ごろ食卓を囲めていたかもしれない。それは分からない。


 以前に父親が散弾槍の手入れをしながら横で話していたことを思い出した。昔は銃というものは雨天だと使い物にならなかったという。雷管が発明されてその弱点は克服され弾丸と装薬と起爆剤がひとつにパッケージングされることで人はより簡単に人を殺めることができるようになった。利便性が上がればそれだけ気軽に扱えるようになり戦場での犠牲者はますます増えた。

 これも同じことだ、と父は散弾槍のコアである深紅の魔鉱石を取り出して語った。

 魔鉱石もまた取り扱いの難しい代物だった。下手をすれば街の区画が吹き飛びかねないからだ。術式の研究が進んでより安全に力を解放できるようになると魔鉱兵器の実用化が始まりさらに大規模かつ効率的な殺戮ができるようになった。だが今度の“利便性”は単に人を殺めるだけには終わらなかった。


 いつかお前が散弾槍や再生機を使うようになったら。

 父は云った。

 そのときは心に留めておきなさい。これは本来あってはならなかった代物なんだ、と。


   □


 施設の中に戻りスヴェトナが安眠しているのを確認した。お疲れさまね、とトフィーが労ってくれた。少女の顔をぼんやりと見返しているうちに思い出したことがあった。

 アリサは訊ねた。

 二階の服飾店のディスプレイ。

 ええ。どうしたの?

 あそこに飾られていたあのマネキンはもしかして……。

 見つけちゃったのね。外からは見えないようにしてたんだけど。

 話に出てた双子?

 メイラとリッサね。

 まるで今も生きてるみたいに見えた。あれもトフィーが?

 銀髪の少女はわずかに顔を伏せた。……二人からの最期のお願いだったの。ずっといっしょに。きれいなままでいたいって。

 綺麗なまま……。

 それがどうかした?


 アリサが答えに窮しているとトフィーが顔色を変えた。アリサの顔を見つめているうちに何歩か後ずさりした。手が自然と持ち上がり胸に引き寄せられた。肩がかすかに震えているのが分かった。

 呼吸をひとつ入れてからアリサは打ち明けた。襲撃者から隠れるために店から店へと回ったこと。そこで偶然ふたりを発見したこと。こちらを一網打尽にしようと相手が焼夷榴弾を投げ込んできたこと。

 みなまで云わないうちにトフィーはくるりと向きを変えて走り出した。小柄な身体なのにどこにそんな力があるのかエスカレーターを二段飛ばしで駆け上がった。アリサも痛む足を引きずるようにして後を追った。


 悪態をつきながらアリサが店の前にたどり着いたときにはトフィーはそれら・・・を発見していた。炭化して真っ黒になった塊が二つ、焦げた衣服の残骸といっしょに床に転がっていた。トフィーはその場にうずくまって静かに泣いていた。白銀の瞳から流れて頬を伝う涙の粒は真珠のように光って見えた。

 アリサはそばに腰を下ろして云った。

 “ただの知り合い”じゃなかったの?

 ……今度はあなたがわたしに意地悪を云う番ね。

 傷ついたのはこれでお互い様ってことだ。

 トフィーは嗚咽まじりに笑った。そしてアリサの胸に顔を埋めて泣き続けた。

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