#22 枷 (3)

 図書館の二階には先客がいた。人間だった。サイドアームの拳銃を構えながらレノは焚き火の前であぐらをかいている男に声をかけた。

 おい爺さん。――生きてるか。

 返事はなかった。

 つま先で膝を小突いて再度呼びかける。――おいジジイ。

 老人は顔を上げた。瞳はどちらも白く濁っており光を喪っていた。

 ……なんだね。ハロルド。お前さんかい?

 ボケてんのか? レノはもう一度つま先で蹴った。あんた誰だ。ここで何してる。


 なんだ。違うのか……。

 老人は顔を戻して焚き火に向き直った。図書館は薄暗く天井が高いため一帯の空間は必要以上に寂寥として感じられた。その中で一人の老人が焚き火に顔を照らされている様はめしいていることと相まって辺境に住まう孤独な鍛冶屋の風情があった。文明が崩壊してから幾つかの職業が復活したが鍛冶職人もそのひとつだった。かつてレイノルズは弟と一緒に町の工房に出かけていってはそうした職人達の仕事ぶりをよく見学したものだった。戦後に生まれた子供にとってはそれもまた大事な娯楽だった。


 レノは拳銃をホルスターに戻した。眉を上げるオズに目配せしてからその場にしゃがんで老人と視線の高さを合わせた。コンクリートブロックを積みあげて作られた即席の囲炉裏には金網が敷かれており見たこともない魚が焼かれていた。レノの腹がぐうっと鳴った。思えば逃げたりするのに必死で食事を忘れていた。

 レノは呼びかけた。……なぁ爺さん。こんなところで何をしてるんだい?

 生活だよ。

 住んでるってことか?

 そうだ。

 老人の声はひどく掠れていて声量も小さいのでレイノルズは前屈みにならなければならなかった。

 ――この火を起こすのに本を燃やしてるのか。

 そうだ。老人は入れ歯の具合でも確かめるかのようにもごもごと口を動かした。本は乾いているからよく燃える。

 ああそうだな。

 ここなら幾らでも燃料が手に入る。

 仰るとおり。

 そこの窓から釣り糸を垂らすんだ。釣りの時間はいくらでもあるからこの老いぼれが暮らしていくだけの食料には困らない。

 なるほど。

 傍の本棚に古めかしい釣り竿が立てかけてあった。レノは半ば水没している街の図書館の窓から老人が釣り糸を垂らして迷いこんだ魚を待ち受けている光景を想像した。街中に水死体みたいな化け物が巣くっていることを除けば悪くない生き方だった。


 レイノルズが想像を巡らせているあいだに老人は次の“燃料”を焚き火に放り込もうとした。オスヴァルドがおいっと声を上げてレノは我に返った。そして老人が今まさに焚書しようとしている本のタイトルを見て大声を上げた。

 ちょ、ちょ、――ちょっと待ってくれ爺さん!

 うん?

 その本を燃やすのは待ってくれ。別のにしてくれよ!

 なぜ?

 俺達はそれを探しに遙々はるばるセントラーダから来たんだ。悪いけどそいつを渡してくれよ。

 それはいかん。

 なんでだ。読まないんならどれを焼いても同じだろ。

 いやこれは読み終えた本だ。

 ――は?

 見なさい。

 老人は別の本を一冊拾って中を開いてみせた。そこには文字がなかった。代わりに固い感触を持った凹凸おうとつがびっしりと並んでいた。ところどころに挿絵もあったが着色はされておらずエンボス加工が施された浮き彫りになっている。レノはオズと顔を見合わせた。それから他の本を手当たり次第に開いたがどれも同じように整然と打たれた凸凹でこぼこが列をなすばかりだった。


 ……なんだこりゃ。

 と、呟いた若いスカベンジャーに対して壮年のくず鉄拾いは答えを返す。

 これは点字図書だ。

 “てんじ”って何だよ。

 知らないのも無理はない。目が見えない奴のために考案された文字だよ。

 俺には前衛的なアートか何かにしか思えないが。

 点の打ち方の規則性によってあらかじめ文字が対応されている。それを指でなぞって読むんだよ。挿絵が浮き彫りになってるのも同じ理由だ。

 すげえな。そこまでして本を読むのかよ。

 ……読まないお前にとってはそこまでしてって話だろうが盲目の人間にとっちゃ耳で聴く以外に与えられた物語への大切なアクセス手段なんだ。戦後になってそもそも点字を打つ技術自体が喪われたから俺も見たのは久しぶりだが。

 レノは曖昧にうなずいた。

 ……まァ、爺さんがわざわざここに住んでる理由が分かったよ。

 老人は重々しくうなずいた。

 ここは、――この領邦で唯一の点字図書館だ。


   ◇


 目的の本を渡そうとしない老人をオズはためらいなく撃とうとした。サイドアームの短機関銃を取り出して銃口を向けたのだ。そのサブマシンガンは普通の成人が持てばそこそこの重量と全長があるはずだったが死神と呼ばれる大男が持つと何の変哲もない工具か何かのように見えた。彼はそれを片手で持っていた。

 レノは即座に彼の右腕をつかみ上げた。銃口から発射された弾丸は老人の耳をかすめ短い悲鳴が上がった。老人は耳を手で押さえてその場にうずくまった。


 オスヴァルドは怪訝そうにレノを見た。

 ――なんだ?

 何も殺す必要はないだろ。

 じゃあ分捕るのか。

 手を合わせて頼めばいいだけだろうが。

 これがいちばん手っ取り早いんだがな。

 依頼を受けたのは俺だ。指示には従ってもらう。

 オズは肩をすくめて銃を腰の固定具に戻した。


 レノは老人に目的の本を譲ってもらえないか交渉した。鼓膜が傷ついたのか彼の返事は曖昧で要領を得なかった。それでもどうにか聞き出したところによれば外にいる化物の親玉を大人しくしてくれれば渡しても好いとのことだった。

 あいつらが街にやってきたおかげで最近は魚がよう釣れんようになってな。と、盲目のおきな。何とか追い払ってもらえんか。

 レノは物資の交換も提案したが老人は首を振るばかりだった。

 溜め息が漏れる。……分かったよ。どうにかする。

 ありがとうな。

 爺さんは、――本が好きなんだな。

 ああ。

 なのに読み終えたとはいえ燃やしちまうのか。

 ――生きるためには仕方ないのだ。街はご覧の通り水浸しで他に燃料がない。だからせめて本の内容を看取ってやってから焼いてやりたい。考えてみるとわしら人間がしていることもその繰り返しなのだな。――無垢な獣を狩る。荘厳な山林をり崩す。美麗な魔鉱石を戦争兵器として擦り減らす。何も変わりゃせんよ。

 そんなもんか。

 ああ。


 オスヴァルドはブロックに腰かけて頬杖をついた姿勢で二人の長々としたやり取りを聞いていた。今にも再び銃を抜きそうだった。

 レイノルズは噛みつくように云う。――仕方ないだろ。そう不満そうにすんなよおっさん。

 お前は厄介事を避ける現実主義者だと思ってたんだがな。どっかの誰かさんを見ているようだ。

 レノはしばし間を空けた。天井を見上げてから疲労のにじむ声で答えた。

 …………とにかく愚痴っていても仕方ないだろ。それにここから脱出するためにはどっちにしろあのデカブツをどうにかしないといけないんだ。

 確かに。


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