#20 枷 (1)

 他の若者達がそうであるようにその若いスカベンジャーも戦後生まれで戦前の思い出はない。字の読み書きも不得手でまとまった一冊の本を読み通したことがなかった。

 それでもスカベンジャーになる前は奇跡的に焼け残った本を棚から取り出しては何ページか頑張って目を通そうとしたことがある。だが駄目だった。理解できなかった。書いてある単語の意味は分かっても内容が頭に入ってこなかった。戦前の価値観で書かれた本は戦後生まれの子供の脳みそでは根本から住んでいる世界が隔たりすぎていて発掘された古文書のように見えたのだ。


 少年時代の彼は本を手に抱えたまま呆然と棚の前で立ち尽くしていた。冷たい本の背表紙がズラリと並ぶその光景は決して開かれることのない鍵のかかった鋼鉄製の扉を連想させた。彼は本を棚に戻してからもしばらくの間、自分でも理解できるものはないかとタイトルを目で追っていた。やがて諦めると棚を軽く蹴っ飛ばしてからその場を離れた。


   ◇


 父と母はその時はまだ健在だった。だが二人は戦前の生活について多くを語らなかった。夕食の席で口にされるのは今この時のことだけだった。

 石のように固いパンをスープでふやかしながら父が口を開く。

 ……配給のこと聞いたか。

 母がうなずく。ええ聞いた。

 食べ盛りの子供が二人いるってのに信じられるか。たった三百グラムじゃ育つものも育たない。こんな状態で冬を越せってのが無茶な話だ。

 空き地で野菜を育てようって話が出てたわよ。近所のみんなで協力して。

 野菜だと。――新鮮な水でさえ手に入れるのがひと苦労なのに。

 でも悪くない話だとは思うわ。

 悪くはないさ。実現するかどうかという問題を脇に置けばね。


 世界がこうなっちゃう前はどんなものを食べていたの、と弟が訊ねたことがある。数年前に彼は弟とまったく同じ内容の質問をしたことがあった。それに対する返答もまた一緒だった。

 ああ、――悪いがその話は今度にしよう。

 父は食事の手を止めずにそう云った。弟は食い下がろうと口を開きかけたが母が食事中にお行儀が悪いわよと理由をつけて制した。


 戦前に住んでいた家から持ち出した品々は総て古ぼけたスーツケースにしまい込んであった。ケースには鍵が付いており埃が積もっていた。両親がそのスーツケースを開けているところを彼は一度も見たことがない。鍵もすでに無くしていたのかもしれない。中を見せてと父に頼んだら不機嫌そうに断られたことを今でも覚えている。


 ある日に弟と連れだって友人の住居へ赴いたことがあった。家の中が妙に広々としていて家具の数が減っていた。話を聞くと前日のうちにテレビやら冷蔵庫やら洗濯機やらといった品々を両親が総て撤去してしまったのだという。

 どうせ使えないものをいつまでも置いといたって仕方がないから、だってさ。

 と、その友人は耳打ちしてきた。

 ――それから父ちゃんも母ちゃんも変な顔してるんだ。機嫌が好いのか悪いのかよく分かんないよ。


   ◇


 二人はバイクから降りて防水シートで覆った。そして荷物を担ぎ各々の散弾槍を手に取った。若者のスカベンジャーは死神と呼ばれる大男の得物をまじまじと見つめた。

 ……もはや怪物だな。それ。

 俺にはこれが必要なんだ。

 メイン・バレルの口径は?

 四十。

 彼は口笛を吹いた。……擲弾てきだん発射筒が二つも付いてんのは何か理由があるのか。重たいだけだろう。

 一つでは足りないからだ。一発目で着弾地点を確認してから二発目で仕留める。

 あんたが“死神”なんて呼ばれる理由がよく分かったよ。

 かかる火の粉を振り払っていただけだ。


 大男は補助バレルに榴弾を装填しながら云った。

 ……そしたら飛んでくる火の粉の数が倍々式に増えていった。それで皆殺しにする羽目になった。

 同胞も何人かったって噂は?

 事実だ。――再生機で映像を残していたから正当防衛で済んだがな。

 ハっ。……まァ俺のことは撃たないでくれると助かるよ。

 安心しろ。ガキは殺さない。

 もうすぐ成人なんだけどな。

 若者は散弾槍に弾倉を叩きこむとコッキングして薬室に初弾を送りこんだ。

 

 バイクを隠したガレージから外に出ながら若いスカベンジャーは云った。

 そうだ忘れてた。名前はレイノルズ。レノルズって発音することもある。縮めてレノでも好い。――あんたは?

 教える必要があるのか。

 呼び合うときに不便だろ。

 死神のスカベンジャーは鼻を鳴らした。……オスヴァルドだ。

 オス……? ああ、オズワルドか。

 そっちの発音ではな。

 長いからオズでいいか?

 好きに呼べばいい。


 レイノルズは頷いた。

 ――いいかオズの親父。図書館で目的の本を見つけたらすぐ帰るぞ。

 オスヴァルドはすぐには答えなかった。煙草に火を点けて美味そうに吸った。それから云った。

 ……依頼者の“教授”が仰るところの“不法占拠者”はどれくらい居るんだ。

 分からないから急いで切り上げるんだろうが。

 ずいぶん行き当たりばったりだな。情報収集くらいしておけ。

 しょうがないだろ。この街はスカベンジャーも滅多に漁りに来ない。その保険としてあんたを雇ったんだ。

 やれやれだな。


 二人は水浸しの都市を歩き始めた。散弾槍は担がずに両手に提げて持ち安全装置も外していた。立ち並ぶ建物はどれもつる性の植物の侵略を受けていた。打ち棄てられた車は水草でタイヤが見えなくなっており遠目だと半ば水没しているようにも見えた。そのため足の踏み場には気をつける必要があった。うっかり排水溝にでも足を踏み入れようものならそのまま重たい装備と共に溺れ死ぬおそれがあった。

 斜め後ろを歩くオズが吸い終えた煙草を携帯灰皿に入れた。死神という異名には相応しくない奇妙に丁寧な仕草だった。

 レノは訊ねた。吸殻なんか取っておいて何に使うんだ?

 どうもしない。依頼を終えるごとに後でまとめて捨ててる。

 何だそりゃ。

 依頼中に吸った本数を確認したいだけだ。

 それもあんたの流儀か。

 ああ。


 二人はバスの残骸の脇を通り抜けようとした。バスの側面に巨大なひっかき傷が無数にあった。まるで巨体の猫が車体で爪を研いだかのような有様だった。オスヴァルドが唾を吐き捨てて爪の痕を指でなぞった。爪のひと筋の太さは死神のスカベンジャーの指と同じくらいだった。中には車体を貫通して完全に切り裂いている痕まである。

 死神は低いが不思議と好く通る声で云った。……この分だとその不法占拠者ってのは人間じゃないかもしれんな。

 人間じゃないなら何だよ。変異生物か。

 その可能性もある。

 マジかよ。

 気をつけろ。どうもこの都市は気に入らない。

 二人に付いてきている禿鷲たちも落ち着かなげに翼を動かしていた。百を超えるはずのオスヴァルドの“連れ”も今回は数十しかいなかった。レノは散弾槍の引き金に指をかけた。なるべく足音を立てないようにして周囲に視線を配りながら歩き始めた。

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