#12 ダイナーにて

 モーテルに備え付けられているダイナーの廃墟で三人は夕食をとった。スヴェトナの料理は奇妙な一品だった。出来上がった代物は一見するとコミカルに描かれた爆弾を思わせた。アリサは料理を手伝っている最中に幾つも質問をしなければならなかった。

 ――これ何の肉だ?

 砂羊クレゾの肝臓。肉じゃなくて内臓だ。

 ただでさえ臭みが強い家畜なのに内臓を使うのか。

 こっちは心臓ハート。そしてタン。あと背肉ロース。さらに玉葱と油脂、香辛料、それとブランカミール。内臓の煮汁も捨てずに使う。

 このゴムみたいな袋状のものは?

 トライプだ。

 ――トランプ?

 トライプ。胃だ。

 胃なんて何に使うんだ?

 みじん切りにした内臓やら何やらをこの中に詰めて蒸すんだよ。

 冗談だろ?

 本気だ。私とツェベック様の領邦では伝統料理だったんだ。他の地域なら口にしないような臓器も工夫を凝らして調理する。使わない部位といえば歯と毛くらいなものだ。骨髄だって栄養たっぷりなんだぞ。


 詰め物をされてパンパンに膨らんだクレゾの胃は人皮で作られた水風船のようだった。それをスヴェトナは各人の皿に取り分けナイフで切れこみを入れた。湯気と共にスパイスと肉の香りが爆発して店の中に充満した。見た目はともかく缶詰よりかは味に期待できそうなのは確かだ。アリサは二人に悟られないようそっと唾を飲みこんだ。


 わざわざ各人の皿に料理を取り分けるんだな。アリサは云った。組合の酒場だとテーブルの中央に大皿が置かれて後は自由に突っつけなんて具合だけど。

 文化の違いだな。ツェベック紳士が答える。進歩的な食卓には専用の食器と道具が並ぶものだ。今やテーブル・マナーなど何の役にも立たないがそれでも形式はなるべく守りたい。なぜなら食卓の作法が洗練されればされるほど我々は“理性”を獲得した唯一ただひとつの動物であることを自覚できるからだ。本能のままに喰い散らかす四つ脚の獣とは違うとね。――さぁ、食前の祈りを捧げよう。


   ◇


 最初のひと口こそ内臓の食感に喉を詰まらせたアリサだったがつまずきはそこまでだった。血抜きと洗浄、浸漬がしっかりしているのか臭みは思ったほど強くない。スパイスは臭みをごまかすためではなく味を引き立てることを目的に使われているようだ。二口、三口と食べ進めるうちにアリサの唇から笑みがこぼれた。

 悪くない。いや悪くないどころか。

 スヴェトナが手を止めて微笑む。――気に入ったか?

 うん。

 そのままでは味が濃すぎるからな。ブランカ酒とのマリアージュが最高だからそれで後味を流しながら食べると好い。

 ツェベックが付け加える。中にはブランカ酒を振りかけて食べる者もいるぞ。

 それはまた粋だな。

 アリサは勧められるままに酒を口にした。いぶす際に用いられる煙のような香りがした。爆弾料理の味の強みにも負けずに己を主張する。

 本当にブランカ酒? 初めて飲むような味だ……。

 原料の発芽したブランカを乾かす際に泥炭ピートを使っているからな。と、ツェベック老。今では泥炭も貴重な燃料だからこれを扱える酒造組合はごく少ない。

 ……値段は聞かないでおくよ。


 食後は紅茶を飲みながらランタンの灯りを頼りにクリベッジをした。親と子を決めて手札を出し合い点数を競うゲームだ。アリサもトランプは何度かやったことがあるがこのゲームは初めてだった。ツェベックはクリベッジ専用の点数ボードまで持っていた。

 ランタン一つの灯りでは足りず蜜蝋で作られた蝋燭ろうそくに火が灯された。とうの昔に光を失ったダイナーに人魂のように浮かんでいる灯火。風の音さえない静かで荒涼とした夜だった。静寂そのものが質量を持っているかのような重々しい夜の沈黙を戦後の世界は湛えている。だがツェベック紳士は昼間と同じような快活さを失わない。


 あの禿鷲たちだが……。点数を示すペグをボードに挿しながら紳士は云う。あれはいつから君に付いてきとるのかね? まさか生まれたときから頭上を飛び交っていたわけでもないだろう。

 父さんの跡を継いでスカベンジャーになってからだから三年くらい前かな。

 アリサは外に視線を配った。真っ暗闇の荒野に猛禽の姿は見えない。星空と月明かりに映し出される影は隆起した地形の稜線くらいなものだった。


 ツェベック老は続いて訊ねる。興味深いことだな。いや気を悪くしたのなら謝るよ。――だが不思議でしょうがないのだ。奴らは判を押したように例外なくスカベンジャーの後を付いて回る。まるでカルガモの雛のようだ。何が目当てなのだ。

 私には分からないし同僚たちも存在に慣れちまったのか理由を知ろうとする奴はいない。だが私たちの往く先々には大抵奴らにとっての餌がある。場合によっては私たち自身が餌になるかあるいは餌を作らざるを得ない状況に追いこまれることもある。それで付いてきた方が得だと判断しているのかもしれない。――まァそのせいで不吉がられているんだけどね。童話の魔女が連れてるカラスみたいなもんさ。

 まるで犬が辿った歴史のようだな。

 犬?

 犬の祖先が狼なのはよく知られているが彼らと人間が友誼を結んだのも元々は人間の食べ残しに狼がありついたのが始まりとされておる。

 食べ残しって、……私は人喰らいの無法者じゃないぞ。

 云い方がまずいが事実奴らはくず鉄拾いの“漁り残し”をついばんでおる。

 …………。


 ――それで一部の賢明な狼は考えた。こいつらに従っていさえすれば少なくとも飯には困らんぞ、と。最初は人間に全くメリットのなかったこの関係も両者の間で同盟が結ばれてからは一変した。狼は鼻が利くし足も速い。獲物の発見にこれほど頼れる相棒もいないだろう。それで人間と永い年月を過ごしているうちに狼はイエイヌとして進化していったと。

 ……つまり?

 ツェベック老はいつの間にかゲームを中断してアリサの瞳を正面から見つめていた。戦前の詩集を読んでいたはずのスヴェトナもこちらに視線を向けている。

 つまりはあの禿鷲たちをそう疎む必要もないということだ。相棒とまではいかないまでも将来は彼らも役に立つときが来るかもしれん。

 犬のように?

 犬のように。

 ……犬と比べてずいぶん可愛げがないな。

 それは否定できんな。

 ツェベックはホホホと笑った。後を継いでスヴェトナが云う。ツェベック様はお前にこう云いたいのだ。あの禿鷲たちは呪いなんかじゃない。カラスみたいな不吉の象徴でもない。ただあんたが好きだから付いてきてるだけだ。気を病むことはないってな。

 あんな奴らに好かれるなんてぞっとしないけどね。

 それも否定できないな。

 スヴェトナも笑っていた。アリサは爪で頬をかきながら答えた。

 ――でもまあ、……ありがと。

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