むかしもの

菜美史郎

第1話 かつぶし

 角をまがるとぷんとかつお節の匂いがした。

 削ったばかりの薄いかけらが機械のすきま

から飛びだしてきては綿雪のように宙を舞う。

 乾物屋の店先。

 ふいにカラコロと音がした。

 「松ちゃん、おはようさん。なんやきょう

も寒そうやな」

 草色の和服のうえに白いかっぽう着を身に

つけた、隣でタバコ屋と駄菓子屋を営んでい

る鈴木つやが、店の中で昆布やするめなど売

り物の点検をしている松本茂夫に声をかけた。

 茂夫はなかなか返事をしない。

 「えらい機嫌がわるいんやなきょうは。返

事もろくにでけへんのか。さては二日酔いや

な。あんまりのみ過ぎるとからだこわしてし

まうで」

 茂夫は彼女に厚手の上着の背中を見せたま

ま、牛のようにのっそり首をまわし、

 「ほっといてんかほんまやかまし。あんた、

おれの嫁はんやないんやろ」

 「そらそうやけどな。これじゃ亡くなった

よし子はんに気の毒やわ。天国でどない思た

はるやろ」

 「いつまでも口の減らんお人や。なにも買

わへんかったらもう帰って。営業妨害になる

で」

 「おおこわ。警察にでも訴えられたらどう

しょ。そりゃそうと、かつお節いつもとおん

なじだけくれへんか」

 「へい、まいどおおきに。よけいなこと言

わんと初めからそれだけ言えばええこっちゃ

のに」

 茂夫は小さなシャベルを左手にもつと、受

け皿に積みあがったわたゆきの山のふもとに

ざっくり突き入れてからゆっくり引きぬいた。

 右手の人さし指にほんの少しつばをつける

とわきにある茶色の紙袋を器用にとりあげた。

 その中にふうっと息を吹きこんでいく。

 さっきすくったかつお節を、ふくらんだ袋

の中に入れ、ぽんと秤の上においた。

 百グラムぴったりだ。

 「まさかじょうずやな、まっちゃん」

 「あたりまえや。何年やってると思うとる」

 ふいにひゅうと北風が店内に入りこみ、ひ

とつかみくらいのかつお節片が大きく宙に舞

った。

 どこから来たのか、二匹の猫が地べたには

いつくばり、盛んに口を動かす。

 「こらおまえたち、そら商売もんやで。食

べるんやったら、お金おいて行きくされ」

 つやは頭にかぶっていた日本てぬぐいを二

つに折りたたんで右手にもつと、三毛猫の尻

をぴしゃりとたたいた。

 だが彼女は引きさがらない。

 ううっとうなっただけだった。

 「ええええ。ほっといたり。かまへんかま

へん。ところで駄菓子屋のほう、きょうもや

るんやろ。こどもが買いに来てわいわい言い

よるし、ええ商売やな」

 「ああなんぼか若がえった気になるわ。か

つお節、つけといてや。うちの宿六のことが

気になるし、わてもう帰るわ」

 そう言って、つやはまた下駄の音を響かせ

て駆けて行った。

 ふいに白いかけらが店先に入りこんだ。

 茂夫は店前の狭い通りにでると、空をあお

いだ。

 いつの間にか灰色の雲のかたまりがあたり

を暗くしていた。

 オーバーコートの襟を立てた、年輩の男の

人が通りすぎて行く。

 このぶんじゃ冬がはよ来よるかしれんなと

茂夫はひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 



 

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