第7話 エピローグ

 ◇◇◇





 十三世紀、イタリアの自治都市ミラノの北、アルプス山麓。秋も深まり、冬の気配が近づいた小さな村に、肉の焼ける匂いと煙が充満していた。

 一人の少女と一人の修道士が、村の広場で磔にされ、火刑に処せられている。

 修道士は既に黒焦げで絶命しており、匂いの元はこの焼死体であった。年の頃十と少しと言った風体の、幼さの残る黒髪の少女は、それを見て恐怖のあまり失禁している。順番が後であるというだけで、数分後の彼女の運命は、修道士と同じなのである。


「なんで、なんでこんな事に――」


 彼女は行き倒れの修道士を助けて介抱し、薬と食事を提供しただけだった。

 問題はその修道士が、南フランスと北イタリアを騒がせて、異端審問による拷問と火刑を続発させた異端、カタリ派だったという事だ。その討伐のためにアルビジョワ十字軍と呼ばれる軍まで派遣されたというのだから穏やかでない。

 だが黒髪の少女は、山の麓の小さな村の、更にその外れにたった一人で孤独に暮らしていたため、それを噂では聞いたことがあっても、詳しい事は知らなかった。

 知らなかった――と言っても、異端審問官には通じなかった。カタリ派をミラノへ手引きする内通者だったのだろうとの嫌疑をかけられ、繰り返し拷問を受け、その苦痛から逃れるために、少女は自分もカタリ派であると嘘の自白をしてしまった。

 その結果が――これである。

 遂に少女の足元に集められた薪に火がつけられる。熱が、爪先から伝わってくる。


「助けて、助けて、神様!」


 少女は助けを求めたが、彼女を火炙りにしている異端審問官こそか神の教えの伝道者であり、彼女の隣で黒焦げになった死体もまた、本来そうである筈だった。

 故にここに神の救いはなく。

 彼女はここで焼け死ぬ運命だった。


「魔女め! 今まで俺たちを騙していたんだ!」


 広場に集まった村人達が、彼女に向かって礫を投げる。その一つが額に当たって、どろりと血が流れた。


「なんて恐ろしい、あたしゃ熱が出た時、あの子から貰った薬を飲んじまったよ……」


 少女の親は昔ながらの薬師であり、森で薬草を集めては村人たちの怪我や病を癒やしていた。両親がなくなって孤児となってからは、彼女がその仕事を引き継いでいた。元来人付き合いがあまり上手くなかった少女は、家に籠もっていることが多く、薬の受け渡しと生活用品や食料の買い出しだけが村人との接点だった。

 そんな彼女を、冗談で口さがなく魔女と呼ぶ者たちは、確かにいた。

 いたが、まさか本物の魔女として石を投げられるとは思ってもみなかった。

 礫は次々に投げられる。

 火の手はどんどん激しくなり、足を曲げて何とか火から逃れようとするが、足首を縛る荒縄が足首に食い込んで血が滲むばかりで、石からも火からも逃れられはしなかった。


(心があるから苦しいんだ、心があるから痛いんだ――)


 少女は運命に絶望し――心を閉ざそうと考えた。

 心を壊し、狂ってしまえば――


 そう思った時。

 突然、足元の薪が爆発したように飛び散り、火は消え去った。


『全ての木々は――我が友なり!』


 村人や審問官の足元から、突然巨大な植物が生えてきたかと思うと、その太いつるが彼等を絡め取り、身動きを封じた。

 すると空から緑色の衣を纏った金髪の少女と、怪鳥に乗った肌の浅黒い白髪の女性が、ほうきに跨って降りてきた。


「間に合わなかった――」


 金髪の少女は悲しそうな顔をしていた。

「姉様、顔を上げてください。生きている者がいます。そっちを早く助けにゃあ」


 肌の浅黒い女性は、何もない空間からナイフを取り出す・・・・と、金髪の少女の方に放って投げた。

 金髪の少女はナイフを受け取ると、目に滲んだ涙を袖で拭ってから、少女の手足を拘束する荒縄を切って彼女を下ろした。


「あ、貴女は――」


 誰、と聞こうとして、体を植物に絡め取られた審問官の声にかき消された。


「お前達はまさか――本物の魔女――ヴァルプルギス!」

「ほ、本当にいたのか!」


 金髪の少女はそれを受けて、じろりと審問官達を睨んだ。


「その通り。これなるは深緑のシルヴィー・アルティオ・ヴァルプルガと、霹靂のカマラ・ラートリ・ヴァルプルガ。我らは絶望の運命をもたらす者を絶望させる者! ここに絶望を殺しに来た!」


 シルヴィーと名乗った少女は高らかに宣言した。


「さあ、カマラ」

「あいよ。ガルダ、行きな」


 カマラと呼ばれた肌の浅黒い女は下さい怪鳥を審問官にけしかけた。怪鳥はその巨大な鉤爪で植物の根ごと審問官達を地面から引っこ抜き、空高く飛んでいった。


「聖坐に帰って貴方達の飼い主に伝えなさい! これ以上の非道は我らヴァルプルギスが許さないと!」


 磔の少女はその光景を、あっけにとられて見ていた。シルヴィーは、彼女の足の火傷に気がつくと、地面から薬草を生やしてそれを火傷に擦り込み始めた。


「痛……」


「ごめんなさい、応急処置です。すぐに水場に運んで冷やさないと」


 シルヴィーはほうきに跨り、少女を後ろに乗せると、ふわりと空に浮かび、まるで矢のように飛んだ。


「わああっ!」

「驚かせてごめんなさい、でもこれが一番早いので……」


 とんでもない事が起こりすぎて、少女には状況が把握できていない。


「審問官に目をつけられてしまったからには、申し訳ありませんがあの村に置いておく訳には行きません。ひとまず、私達が運営する孤児院に身を寄せるとよいでしょう」


 少女は何がなんだかわかない。シルヴィーはじっと少女の目を見つめた。少女は、最初は視線を合わせられずにおどおどしていたが、シルヴィーがずっとそうしているので、とうとう目を合わせずにはいられなくなった。


「貴女、お名前は?」


 少女は反射的に名前を答えた。


「――コルネリア」


 コルネリアと名乗った少女は、後に憧憬の魔女として魔術師の間でその名を知らぬ者はない、魔術工芸品の研究者になるのだが――。


 それはまた、別のお話。

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