花火みたいな

クリームカラー

第1話

 あらゆる形状の花火が一気に打ち上がったような星空だった。異国の島へ到着したのは夜遅く。空港からホテルへ向かうバスの外の灯は少ない。湿った空気が不思議と心地よく体にまとわりつく。エンジン音だけがひたすら響く中、小さなバーを通りかかると微かに陽気な音楽が聴こえた。何の不安もなかった。私はただ黒いキャンバスを彩る淡い光の花火に夢中だった。流星は群をなして、幾つも線を引く。そこに留まる光は点滅を繰り返す。私の目では見たいものは追いきれないほど美しい夜だった。


 ホテルに到着しロビーのソファに腰掛けると、花冠を乗せた女性がこちらへ近づいてきた。穏やかな笑顔でおしぼりとウェルカルドリンクを置くと去って行った。一口目で慣れない味のドリンクに戸惑いながら、そのまま一気に流し込んだ。味なんてよくわからなくていい。フライトで疲れた体には、ただ冷たい液体が染み渡る感覚が大事だった。ロビーにはホテルに到着したばかりでスーツケースを携えた人たちが何組かいて賑わっていた。ふと目をやると、その中に私の大好きなモデルのユリカとその夫がいることに気がづいた。フライトの疲れも一気に吹き飛ぶようなときめきだった。興奮を抑えつつ、そのことを隣に座る夫に小声で伝えると、少し驚きつつも、嬉しそうな私の様子を見て良かったねと微笑んだ。


 翌朝はよく晴れていた。小鳥のさえずりが耳に心地よく響く。ホテルの朝食はメニューが豊富で、何度も何度もお皿を手にレストランを歩き回った。その場で焼かれるできたてのオムレツ、たくさんの種類のパン、山盛りに積み上がったフルーツ、本当は全部食べたいくらい。テーブルの向かいには、よく食べる私を見て微笑んでいる夫がいる。


 今日の予定は海でのレジャーだ。夫が今回の旅で一番楽しみにしていた、カヌーツアーに予約をしたのだ。ツアー会社のバスをホテルのロビーで待っていると、隣にユリカ夫妻が現れた。写真で見るよりもずっと華奢でしなやかな身体に自身がプロデュースした、白いレースのマキシワンピースを着ていた。つばの広い帽子がよく似合っている。その横からクッと口角の上がった小さな顔が見えた。うっとりして見つめてしまった自分に気づくと、目をそらした。まさか、ユリカ夫妻も同じカヌーツアーへ出かけるのだろうか。


 バスの後ろの席にユリカ夫妻が座った。後ろからたまに聞こえる透き通った声を気にしながら、海へ到着するまでずっと落ち着かなかった。窓を見ると、歩道に等間隔で植えられたヤシの木が何本も通りすぎてゆく。葉先まで深い緑に染まり、グーンと空を目指して伸びていた。空は青すぎない淡い水色をしていて遠くには白い薄雲がまだらに浮かんでいた。そして見えてきた砂浜は眩しいくらいに真っ白で、遠浅の海はどこまでも光が揺れながら輝いていた。その先には発光しているかのようなブルーが続いている。バスを降りると私たちは引き込まれるように真っ先に見惚れたビーチへと向かった。

「すごーい、こんな綺麗なビーチ見たことないです。カヌー、楽しみですね。」

無邪気なユリカの声は私に向けられたものだった。これ以上ない美しい海を前にユリカに話しかけられるなんて、こんなに最高なシチュエーションがあるだろうか。信じられないほど幸せな時間だと思った。そして、私たち夫妻はこの信じられないほど美しい海を背景に、互いに写真を撮り合った。最後に、私とユリカのツーショットもお願いした。撮った写真を見直すと私の顔は緊張で引きつっていたけど、それでも最高の宝物になりそうだ。美しい海のおかげで、私とユリカはほんのひととき関わることができた。


 そして夫と二人乗りのカヌーへ乗り込んだ。頼り甲斐のある背中を見つめながら、キラキラ揺れながら光る水面を見つめながら、インストラクターさんの片言の日本語を聴きながら、いつになく軽やかな身体に感動しながら、私は目を覚ました。


 部屋の中は真っ暗だ。夕方に眠って、そのまま陽が沈んでしまったようだ。隣の部屋からテレビの音が聞こえる。夫がBGMがわりに流しているのだろう。そうだ、本当の世界ってこんなものだった。そうだった、忘れていた。急速に夢の余韻が冷めていく。


 私は、’’なぜ死にたい気持ちは尊重されないのか’’と夫に泣きながら訴えていた。私が死にたいといえば、夫がダメだとキツく言うだけの不毛な言い合いの中で、夫が微笑むわけもなかった。それが嫌で、私は私の存在に耐えられなくて、泣き疲れて眠った。そしたら皮肉なことに私の脳は、これ以上ない美しい光景を私に見せたのだ。淡い花火のような星空、一点の曇りもない美しさをした空と海、憧れの人との交流、優しい夫の笑顔。恐ろしいほど陳腐な物語でもあるな。


 こんな光景を見せた私の脳の目的な何なのか。私にまだ生きることを期待させたいのか、それとも目の前の現実との落差を思い知らせて私を殺しにかかろうとしてきたのか。私はどちらでもいい。ただ、楽になりたいだけ。

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花火みたいな クリームカラー @ayatsayats

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