透明な視線

篠岡遼佳

その壁を越えて

 ――多分これは、普通だったら凄惨な光景だろう。

 血と体液。バラバラになった人間の身体のパーツが、ビルとビルの隙間いっぱいにはじけ飛んでいる。

 夜風に混じる、死体独特の匂いを嗅ぎながら、僕はもうそれに慣れてしまったことに気付いた。



 彼女は僕の親戚だった。

 白い肌にそばかす、明るい栗色の瞳と髪。その美しい顔立ち。

 だから、彼女は家族からも親類からも虐げられてきた。

 「鬼の子」だと。「不幸を連れてくるもの」だと。

 誰からも避けられ、石を投げられ、暗がりに連れ込まれて。

 しかし、そうされていることを知っていながら、子供の僕は何もできなかった。


 やがて、彼女は本家から、遠縁の僕らのいる土地へと流れ着き、僕の級友となった。 

 彼女は確かに人間離れしていた。容姿も、頭脳も。

 不幸を呼ぶという噂は先行して僕らの学校に広まり、彼女は腫れ物に触るように扱われた。そして、家庭内では暴力を振るわれているままだった。 


 良く覚えているのは、中学二年生の夏。校庭で彼女が言ったこと。

 頬にガーゼを、右手に包帯をしていた。

 太陽に晒された熱い鉄棒を前回りして、そのまま高いところから笑顔で僕に言った。

「全部ぜんぶなくなっちゃえばいい、みんな大嫌いよ。あなたのことだって、好きなんかじゃない」

 そして、彼女は僕を抱きしめた。

 僕にはわかった。

 もう、彼女は言葉と行動が一致しないところまで来ているのだと。



『人間にはあるひとつの壁があって、それを超えると超能力が手に入る』

 そんな噂が立ったのは、その次の夏のことだった。

 普通ではどうしても追いかけられない事件が増えたと週刊誌は報じる。

 それに呼応して、普通でない事件を普通ではない方法で解決することも増えたと。



 僕らは高校生になっていた。

 なぜか彼女は僕との距離を遠くするつもりはないようだった。

 僕の方もそれはわかっていたから、自然と彼女といる時間は増えた。

 彼女は机に頬杖をついて、僕の目を見てまた言う。

「あなたのことは好きなんかじゃない。なくなってしまえばいい。みんな憎い」


 ――そしてついに、彼女はすべてに対して復讐する術を手に入れた。

 彼女も一線を越える順番が来たのだ。


 最初は小さな動物から。

 だんだん人間に近い大きさへ。

 彼女はわかっていながら、そうやって確認するように力の強さをコントロールしていた。


 彼女はそれを使うとき、いつも僕と手を繋ぎたがった。

 僕はぼんやりと、きっとこれも共犯になるんだと思いながら、少し父さんと母さんに頭の中で謝った。

 でも、彼女の望みを叶えない理由にはならなかった。


 高校二年の夏休み。僕らは列車に乗って旅に出た。

 地方にある本家に向かい、順番にその力を行使した。

 乱暴した従兄弟たち、殴り飛ばしていた叔父たち、嫌味を言い食事も与えなかった叔母たち、そして彼女を「鬼の子」と切り捨てた祖父と祖母を。


 腕をねじ切り、出血多量になるまで放っておくときもあれば、顔も見たくないのか、頭を粉々に爆発させるときもあった。首を見えない力で絞め続け、最後になるまで2時間かけたこともあった。

 それは彼女の恨みであり、苦しさであり、怪我の痛みであり、虐げられても生きる辛さであった。

 僕にはわかっていた。それは彼女の望みだった。

 壁を越えるそのとき、最も残虐に殺せる力を、彼女は望んだのだ。


 そして、僕もそれに慣れていった。

 罪ある存在が消えていくことに、どんな感情を持とう?

 彼女が罰していく相手に、どんな行動も意味はない。

 ただのグロテスクな死体に、僕はなんの感想も抱けず、彼女を心配することにつとめた。

 大きな麦藁帽子を彼女にかぶせ、ペットボトルは良く冷やしておくこと。

 彼女に手を引かれて様々な場所に行った。

 夏休みなんだから、二人で楽しむことが大事だと思った。 

 それ以外は二の次だ。

 そして僕らはまた列車に乗って、自分たちの街へ帰った。



 あっという間に事件は表沙汰になるだろう。

 怨恨の線を考えれば、彼女が捕まるのは時間の問題だ。


 ――僕もいずれはきっと殺される。

 手を取り合って逃げ続けても、僕はなんの力も持たない。役に立たない僕はきっと彼女に願うのだ、殺してほしいと。

 けれど、彼女はその手を離してくれるだろうか。

 それとも、僕の手が、彼女のあの細い首を?



 出会ったときから知っていた。

 彼女がどんな存在で、何を連れてくるのか。

 ……それは僕だったのかも知れない。

 彼女ではなく、僕が不幸そのものだったのかも知れない。


 それでも彼女は、一人終わらせるごとに僕を抱きしめる。

 僕はそれに熱いため息で答える。死体の散らばった夏の庭で、あまりの幸せさに。

 僕は彼女を愛している。愛してしまった。

 彼女の持つ、まとわりつくような闇に惹かれたのだ。


 瞳に映るのは君の姿だけ。

 栗色の長い髪が僕の頬をくすぐる。

 見つめ合う彼女の、だけどどこも見ていない透明な視線に、僕はささやかな穏やかさを祈った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

透明な視線 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ