手紙

池田蕉陽

第1話 手紙


下り坂を愛車のマウンテンバイクで駆け下りる。

追い風がやってきて、整えてきた髪が崩れてるのを忌々しく思っていると、ある看板が目に入ってくる。


○○病院


お婆ちゃんが入院している所だ。

半年前にお婆ちゃんの体調が急変して病院に運び込まれた。

お婆ちゃんはそのまま入院する形になった。

検査した結果、末期癌ステージ4、余命半年だった。


当時その事実を耳にした誠は激しいめまいに襲われた。


それから誠は毎週日曜日にお見舞いに行く習慣となった。

誠の両親は共に働いており、家ではお婆ちゃんと一緒にいる時間の方が多かったため、いわゆる誠はおばあちゃん子というやつだ。


おじいちゃんは誠が幼稚園に入る前に癌で他界して、あまりどんな人だったかは覚えていない。

お婆ちゃんによると、お爺ちゃんは堅苦しくて真面目な人間だったそうだ


おじいちゃんに続いてお婆ちゃんまで癌になってしまい、遺伝的に誠にもかかるんじゃないかと一瞬思ってたがまだ先のことだ。気にしないようにした。


お婆ちゃんは最初は憔悴しきってたものの、あれから2ヶ月たった今は少し安定してきていた。


マウンテンバイクを駐輪場に停めると、正面玄関に向かった。

自動ドアが開くと同時に病院独特の匂いが鼻を刺激した。


ロビーには老人やら小さな子供が椅子に座っている。

その中に見覚えの人がいるが、特に親しいという訳でもないので、そのままいつもの病室までのルートを歩んだ。


エレベーターの所までいくと、タイミングよく看護婦が1人降りてきた。

すれ違いざまに会釈してきたので、誠も小さく頭を下げた。


エレベーターに乗り込むと、3階のボタンを押して、閉のボタンを押す。


浮遊感を味わっていると、すぐにエレベーターはチンと音と共に開いた。


誠はそのまま、右に、次に左に曲がった突き当たりの所で「311」と書かれた号を確認すると横にドアを開けた。


お婆ちゃんは奥の左のベッドでいつも寝ていた。たまにイヤホンをしてニュースを見ている時もあるが、たいていそうしている。


今日はどうかな


そんなことを思いながら『おばあちゃん』と一声かけ、カーテンを開けるとそこにはお婆ちゃんはいなかった。


お婆ちゃんはいないが、代わりに病院服を着た白髪のお姉さんが窓の外を眺めていた。

白いきめ細かい肌、少し痩せ細っているが、かなりの美人だと中学生の誠でもわかった。


お姉さんはこちらを振り向き、誠は部屋を間違えたと思い、慌てて『ごめんなさい!』と謝った。


お婆ちゃんが病室変わったことを確認していくべきだったと悔いを残しながらカーテンを閉めようとした。


その時、『あっ!まって!』とお姉さんに止められた。


怒られる?


そんな不安を抱いたがすぐにそうではないと気づく。


「お姉さん暇なの、ちょっと相手してくれない?」


お姉さんは素敵な笑みを浮かべて思わずドキッとしたが、すぐに冷静になる。


「相手って...なにをすれば?」


「お話しましょ?」


そう言ってお姉さんは、目の前のパイプ椅子に座るよう促してきた。


知らないお姉さんにそんなことを言われ、断るのもなんだか悪いなと思い、渋々パイプ椅子に腰をかけた。


しかし、座ったのはいいがなにを話せばいいのか。

お互いなにも話さないまま、30秒くらいすぎた。


お姉さんがずっと窓の外を眺めている。


「久しぶりね〜」


「えっ?」


お姉さんが急にそんなことを言うので、思わず変な声が出てしまった。


「あっ違う違う、こっちの話!いや、でもこっちの話でもあるわね...」


お姉さんがよく分からないことを口にしながら顎を手で擦り神妙な顔つきでいると、やがてこっちを向いてずっとニヤニヤしていた。


「な、なんでそんなじっと僕のことを?」


きっと誠の顔は赤くなっているだろう。

そんなことを思っているとお姉さんが返事をした。


「大きくなったなぁ〜って」


その言葉に誠は理解できなかった。


大きくなった?僕が?


誠とこのお姉さんは初対面はずだ。

なので、そんなことを口にするのはおかしい。


もしかして誰かと間違えてる?


「あのー誰かと間違えてませんか?」


「いいえ、間違えてないわ」


え?ならもしかしたら僕が忘れてるだけで会ったことがあるの?


だとしたら申し訳ない。

誠は必死に14年間生きてきた過去を思い返す。

しかし、どんなに思い出してもこんな綺麗な白髪のお姉さんが誠の人生には登場していなかった。


もしかして、まだ僕が小さい時に会ったのかもしれない。だとしたら僕が覚えていなくても無理はない。


それでもこのお姉さんは大きくなった僕を一目で分かったと言うのか。


誠は少し感心した。


「すみません、僕覚えてなくて..どこでお会いしましたか?」


誠がお姉さんのこと忘れていたのにも関わらず、悲しそうな顔一切せず、笑顔が絶えないでいる。


「無理もないか〜10年前以上のことだもんね」


10年前以上、やはりそうか。

だとしたらこのお姉さんは何歳の時に会ったんだ?

今のお姉さんの年齢はどっからどうみても20歳前後でとても若々しい。

それで白髪ということは、なにかの病気の後遺症かなにかだろうか。

若いというのに重い病気にでもかかっているのか。


それを聞くのはあまりにもデリカシーがないと思ったので、その衝動をこらえた。


「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったね」


名前?僕の名前を知らないのか?知り合いじゃない?ならなおさら僕が覚えているわけない。


「野原 誠っていいます」


「誠くんって言うんだね、私の名前は叶(かなえ)」


叶、やはり聞き覚えはない。


「誠くんはお婆ちゃんのお見舞いにきたの?」


なんで知ってるのと一瞬思ったが、さっきカーテンを開ける時お婆ちゃんと口にしていたのを思いだした。


「はい、でも病室変わったこと知らなくて、お婆ちゃんはどちらの部屋に変わったんですか?」


「んー確か2階のー...忘れちゃった!」


叶というお姉さんはベロを出して、照れた素振りをみせた。

そんなあざとい行為も、お姉さんがするとなんか微笑ましかった。


「そうですか、後で自分で確認してきます」


話がひと段落つくと、再び沈黙が訪れる。


叶さんは話をしようと言ったが、いったいこの僕になにを話そうと言うのだ?

ただ、見た事のある子だから引き止めただけなのかもしれない。


「あのー話したいことって?」


誠は沈黙に耐えきれず、口を開けた。


叶は相変わらずずっとニコニコしている。


「まあまあ、そう慌てないで、でもよかったァ〜まだお婆ちゃんと仲良くしてて」


まるで、お婆ちゃんを知ってるかの言い方だ。


「お婆ちゃんのこと知ってるんですか?」


「知ってるよ?優しい人だったなぁ〜後で会いに行こっかなぁ〜」


お姉さんはそう言ってまた窓の外を眺め始めた。


そこになにかあるのかと思い、誠もつられて外を眺める。

しかし、人が座れるくらいの大きな木の枝ががすぐ窓の前にあるだけで、何も無い。

日差しが眩しくて、目が思うように開かない。


「でも、お婆ちゃん後4ヶ月くらいしか余命がないんです。末期癌らしくて。だからせめて毎週はお見舞いに行こうって決めてるんです。」


窓を眺める叶お姉さんにそう告げた。

言うかどうか迷ったが、お婆ちゃんのことを知っているならそうした方がいいだろうと判断した。


「そうなんだね」


叶お姉さんがこっちを振り向き、眉をひそめる。



「あっそうだ!」


叶お姉さんが重い空気を壊すためか、大袈裟に両手を叩いて思い出したように声を上げた。


誠はそれにちょっと驚いて、ピクっとなり叶に目を向ける。


「どうしたんですか?」


「実は誠くんにお願いがあるの?」


「お願い?」


誠がそう聞き返すと、これが話したかったことなのだろうと悟った。


「うん」


叶は頷くと、布団の中から一通の手紙を取り出した。


「手紙?」


「そう、この手紙をある男性に渡してほしいの」


そう言って叶は手紙を誠に差し出した。

誠はそれを反射的に受け取った。


男性?彼氏だろうか。聞こうと一瞬思ったが妙な恥ずかしさがあったのですぐにやめた。


「僕...がですか?」


両親、友達とかではなく、何故こんな見ず知らずに近い人物に手紙を託したのだろうか。


しかし、それを聞くのもなんだか怖かった。


「うん、誠はくんにお願いしたい、それにこれは誠くんじゃなきゃダメなの」


「えっ?」


僕じゃないとダメ?

どういうこと?

その男性とやらも僕となにか関係ある人物なのだろうか。


だんだん分からないことが増え始め、心の中がモヤモヤの気持ちでいっぱいになる。


「裏にその人の住所が書かれているから、そこに住む男の人に渡してね、お願い」


誠が手紙の便箋をひっくり返し、住所が書かれてあるのを確認する。


叶に誠じゃないとダメと言われれば、断るわけにもいかず渋々了承した。


話はそれで終わりになって誠が席を立ち、『失礼します』と頭を下げ踵を返した。

誠がカーテンを開け、足を1歩踏み出したところで叶お姉さんが『お婆ちゃん、きっと元気になるよ』と言った。


余命宣告までされて、そんなはずはないと頭では分かっていたが、誠は『だと、いいんですね』と添えてカーテンを閉めた。




看護婦さんに確認したところ、お婆ちゃんの部屋は2階の206号室だということが分かり、誠はそこに寄った。


「誠も毎週のように婆ちゃんに会いに来ることないのに、友達と遊びなさい」


鼻にチューブを通されて、弱々しくなったお婆ちゃんがそう言ったが、照れ隠しなんだと分かった。


「いいよ、僕が行きたいだけだし、それにもうちょっとしたら会えなくなるでしょ?」


「ははは、まあそれもそうやねぇ〜」


冗談でもないのに、お婆ちゃんが掠れた声で笑ったが、誠はちっとも面白くなかった。


誠は話を変えようと、さっき聞こうと思っていたことをお婆ちゃんに訊くことにした。


「ねぇ、お婆ちゃん」


「んー?」


お婆ちゃんが唸るように返事した。


「叶さんって人、知ってる?」


誠は謎の叶という女の正体について聞いた。

叶がお婆ちゃんを知っていると言ったので、お婆ちゃんも知ってると思ったからだ。


「叶?さあー知らないね、誰だいその人は」


お婆ちゃんは目線を左上にして叶という人物を過去の人生で該当したか思い返しているようだったが、どうやら見つからなかったらしい。


「白髪の美人な人だよ」


それを言ったすぐあとに気づいたが、もしかしたら当時はまだ黒髪だったかもしれないと思い、言葉を補おうとしたが、その前にお婆ちゃんが口を開いた。


「んーーーーーー、あっ、もしかしたらあの人のことを言うとるのか?」


おっ!


やっぱりお婆ちゃんは知っているのか!と心の中で興奮して、同時に当時も白髪だったんだなと分かる。


「多分その人だよ!誰なの叶さんって」


誠は興奮を隠し切れずにいた。


「その人が叶さんって言うのかい?なんで誠がしっとる?」


「実はさっきね、前お婆ちゃんがいた病室にその人がいて、話をしたんだよ、そしたら僕を知ってるって言うから名前を聞いたら叶って」


「...」


何故かお婆ちゃんが訥々した態度をみせた。


「不思議なこともあるもんやねぇ〜」


やっと口を開けたかと思えば、意味深な発言に、さらに誠の心に霧をかけた。


「それってどういう...」


そこまで言いかけるとお婆ちゃんが不自然に窓の外に目を向けた。

誠もそれに従ってそこに目をやると、さっきの号室と同じように木の枝が横に伸びているだけだった。


「あらっ、お嬢ちゃん、そんなとこにいたら危ないわよ」


えっ?


背筋がゾクッとした。


誰に向かって言ってるの?


お婆ちゃんの目の先には木の枝があるだけで、お嬢ちゃんらしき人物もいなければ、もちろん人間もいない。


そこにお婆ちゃんしか見えないお嬢ちゃんが枝に腰をかけていると言うのか。


誠がさらに怖くなってお婆ちゃんに『なに言ってるの?』とやや震えた口調で言ったが、返事は一向に帰ってこない。

聞こえないだけかと思い、もう一度『お婆ちゃん?』と声を掛けた。

しかし、さっきと同じ、反応はない。


誠は激しく焦りを覚え、今度は『お婆ちゃん!お婆ちゃん!』と大声を出しながら、体を揺すった。

周りの病人の目が気にならないくらいに、誠の気持ちは不安に駆られた。

誠はすぐさま、ベッドの後に設置されてあるナースコールのボタンを押した。



数秒で中年のお医者さんが駆けつけてきた。

誠は突然お婆ちゃんが意識を失ったことを先生に告げると、すぐに状態を確認してくれた。

誠はそれを黙って心配な面持ちで眺めた。


お医者さんが、聴診器をお婆ちゃんの体から離すと、こっちを振り向いた。


「安心してください、寝てるだけですよ」


先生のその笑顔と事実に、思わず安堵の息を漏らした。


あんな謎のタイミングの後だから誠には見えないそのお嬢ちゃんとやらが、お婆ちゃんの命を奪っていったのかとも思ったくらいだった。


しかしやっぱりそれでも、あんなタイミングで眠りに落ちるなんておかしいとしか思えなかった。


お医者さんが、病室を後にして、寝てるお婆ちゃんと2人になった。

誠は妙な気分を払えないまま、もう一度、窓の外の木の枝に目を向けた。

そこにはやっぱり誰もいなかった。




一週間後の日曜日、誠はお見舞いには行かず、便箋の裏に書かれた住所の所に来ていた。


お婆ちゃんのお見舞いに行ってからその場所を訪れようとも思ったが、出発直前、病院から電話がかかってきたのだ。

一瞬、電話先が病院だったので、それを見るとお婆ちゃんになにかあったのではないかと思ったが、電話を取るとお婆ちゃんで今日は一日中検査があるから見舞いにはこなくていいとのことだった。


なので、誠は持て余した時間を使ってゆっくりとその住所のとこまで行った。


そこは綺麗くも汚くもないアパートで、住所には男は2階の一番奥の部屋だと書かれていた。


誠は階段を登りその前に立つと、急に緊張してきた。


今思えば、知らない人の家にインターホンを押すなんて今日がはじめてだ。


どんな人がでてくるのだろうと緊張と期待を持ちながら、ゆっくりとインターホンを押す。


ピンポーンの音が鳴ると、部屋の中でざわざわと音が聞こえ、やがてガチャっと扉が開いた。


出てきたのは無情ヒゲが目立つ、黒いシワシワのTシャツを着こなした30代くらいの男が出てきた。


男は面倒くさそうに「どなたですか?」と言った。


誠はその姿をみて、あの美人な叶と一体どんな関係があるのだと思いながら「野原 誠です」と自己紹介をした。


「はぁ、その野原さんが一体どういったご用件で?」


「実は、あなたに手紙を届けて来て欲しいと言われて」


「手紙?誰から?」


男は誠の用件に意外と思ったのか、少し驚いてるのが分かった。


「叶さんっていう人からです。」


誠はそれを口にした瞬間、男の目が見開き強ばった表情に変わった。

そこには不思議と怒りが混合してるのが、何となく分かった。


「叶?お前ふざけてんのか?からかうのはよしてくれ!」


男がまさかこんな怒りを表すとは思わず、誠が口を開けないままでいた。


男が勢いよくドアを閉めようとしたところで、ようやく誠は口を開くことが出来た。


「待ってください!その前にこの手紙を見てください!」


ドアの勢いがピタリと止まると再び、ゆっくりと開いていく。


さっき開けた時とは違い今度は警戒の眼差しを受けた。


誠はショルダーバッグから一週間前に受けとった叶お姉さんの手紙を、男に差し出した。


男はそれを一瞥して、数秒後に恐る恐るそれを手に取った。


そして、一瞬こっちに目を向けてからもう一度手紙に目を戻し、便箋から手紙を出した。

それをみて、なにかを感じたのかまた目が開いたのがわかった。


「確かに...これは叶の字だ...間違いない...あんた一体これをどこで?」


驚きを隠せないまま、男は誠に問いただした。


「一週間前、叶さんにそれを受け取りました」


「だからふざけるのはよしてくれ、そんなはずはないだろ」


今度は冷静な面持で誠の言葉を返した。


「それってどういうことですか?僕はふざけていません」


「...」


男が誠はから目をそらし、右下を見つめた。


なにか言い難いことなのだろうか。


そう思っていると、男の口が重々しく開いた。


「叶は...11年前にある男の子を庇って車にひかれて死んだんだ...」


「えっ...」


全身に電気が通ったような感覚に陥った。


誠の脳がパラドックスになった。


叶さんが11年前に死んでいた...?

なら病室であったあの女の人は誰なんだ?それともあの世の世界から来た者なのか。


「でも、確かに僕は叶と名乗る女性からこれを受け取りました」


男はその言葉にまだ信用をしてない目でこっちを見た。


「とにかく読んでみるよ」


男はそう言って目線を手紙に落とした。


1分くらいで読み終わったのか。

男の頬に一滴の涙がこぼれるのが分かった。


そこになにが書かれているのだろうか。


誠はその手紙を受け取ったが、内容を勝手に見たりはしなかった。

なので、そこにどんなことが書かれているのかものすごく気になった。


「そっか...そうだったのだか...君だったのか...」


さらに男の頬に涙を流した。


誠はなにがなんだか分からず、ただ呆然としていた。


「疑ってすまない、君と話がしたい、少し散らかっているが中に入ってくれ」


誠は促されるまま、部屋の中に入っていった。


確かに男の言う通り、多少部屋は散らかっていたが、テレビの番組でよくみるゴミ屋敷ほどではなかった。


「そこに座って待っててくれ、お茶を持ってくる」


男は四角形の机の前に雑に置かれた座布団に指をさすと、台所へと向かった。

誠は指された座布団に腰を下ろすと、落ち着きのないまま男と叶の関係を推測した。


お父さん?いや、歳が近すぎる、お兄ちゃんかとかいとこか?それともやはり彼氏?


思考を巡らしてると、男が麦茶を2つ持ってきた。


誠は『ありがとうございます』と座りながら礼をすると、男が机を挟むように向こうの座布団に座った。


「さっきはすまないね、疑ったりして」


男がもう1回謝罪して、誠は『いえいえ』と片手を顔の前で左右に振った。


「あのー、お名前は?」


誠が男に訊ねる。


「あっ、すまない、紹介が遅れたね、俺は青木 直人、叶の彼氏だった」


彼氏だったか。


あんな美人な彼女がいたことに羨望が生まれたが、その彼女が死んだ時は誠が考えられないほど辛い思いをしたのだろうと思うと、複雑な気持ちになった。


「そうでしたか...さっき君があの時の...と言ってましたが...」


誠は玄関前で言われて引っかかったことを訊いた。


「そっか、誠くんは小さかったからね、覚えてなくても無理ないか」


誠は小さく相槌しながら、男の話を聞く。


「さっき叶が男の子を庇って車にひかれて死んだって言ったよね?その男の子は君のことなんだよ」


えっ...


驚きと、叶が誠を守って死んだことにショックを受けた。


自分を守った元気に生きてる誠を久しぶりにみて、なんと思ったのだろう。

何呑気に生きてんだと思われただろうか。

いや、叶さんはそんな人じゃない。


少ない時間しか会っていないが、叶が優しい人間だとは分かっている。


「その時の話をしようか?」


死んだ彼女に関する話をするのに気を害すだろうかと思ったが、誠は真実を聞かずにはいられなかった。


「お願いします」


誠は机に置かれた麦茶を口にした。


「叶は昔から病弱で、子供の時からよく入院をしていた。俺と叶は高校生の時に出会って付き合うことになった。そのまま俺と叶は大学生になったんだけど、叶は20歳の時に心臓病だとわかった。叶は入院。俺も叶の両親も精一杯彼女をサポートした。その努力の成果もあって1年経って、無事手術は成功し心臓病が治った。それから何ヶ月間はリハビリもあって入院をし続けなきゃならなかったんだけど、そんなある日、俺と叶は先生の承諾の元、外出をすることになった。近くの大きな公園、俺たちの久しぶりのデート。叶はリハビリがまだで車椅子だったけどとっても楽しかった。そんな楽しい時間だったのに、急に暴走した車が公園に突っ込んできた。幸いにも俺たちがいるところじゃなく何メートルか先に突っ込んできたんだけど、そこには小さな子供がいた。その先には孫が危機だと驚いているお婆ちゃんもいたんだけど、俺はもうダメだなと思った。でも叶は違った。叶は車椅子を死ぬ気の思いで自分の手で進め始めた、その子供がいるところに。俺は叶と叫んだ。でも叶は止まらなかった。叶は奇跡的に間に合って子供の背中を突き飛ばして子供は無事助かった。視界でお婆ちゃんが孫を抱き抱えて泣いてるのが見えた。でも俺の目に映っていたのは血だらけの叶だった。」


青木はそこまで話すと、いったん濡れた頬を腕で拭った。

誠は青木の話に黙って聞くことしか出来なかった。


「誠くんには悪いけど今でも叶がしたことに、なんでって思う時がある。もし、叶が君を助けてなかったら俺は今頃、多分叶と結婚して子供も産まれていた。そして君も今ここにはいなかった。」


一瞬恨んでいるのではないかと思ったが、なんとなくそれはやっぱり違うと思った。


「でも、多分叶は正しいことをした。そう思わないと叶が報われない。」


青木は視線をずっと下に向けている。


誠はなんて言ったらいいか分からなかった。口を開いては閉じたりの繰り返しだった。


それを察してか、青木が少し話を変えてくれた。


「そう言えば病院で叶を見たんだろ?どんなだった?」


誠は今度こそ迷いなく口を開いた。


「とても、綺麗でした」


きっぱりとして誠はそう言うと、青木は微笑んだ。


「そうだろ?すごい美人だろ?自慢の彼女だったよ」


顔では喜んでいるものの、悲しげな雰囲気は残っていた。


「あっそうだ」


青木は思い出したように『ちょっと待ってくれ』と言って隣の部屋に移動した。


お茶を飲んで待っていると、青木が戻ってきたのは10分後だった。


「すまん遅くなった、これ」


青木は白い紙を4つ折りにして差し出してきた。


「これは?」


白紙を見て、すぐに青木の目を見据えた。


「手紙だ、これをもし次、叶に会った時に渡してくれないか?」


誠はその手紙を受け取ったが、気になることを青木に訊いた。


「青木さん自身でこれを叶さんに渡した方がいいんじゃないんですか?」


誠は自分だったらそうするので、それが疑問に思えて仕方なかった。


「俺にはまだ会うことはできない、そう手紙に書かれてある。」


また手紙にかかれてあるのか。


さらにその手紙に書かれてることが気になったが、知る術はないと思い諦めた。


手紙を叶に渡すのはいいが、誠自身も叶に会えるか分からなかった。そのことを青木に伝えた。


「もし会ったらでいいんだ、あのお婆ちゃんもそこに入院してるんだろ?」


誠はその言葉に首をかしげた。


「何故そのことを?」


青木にはお婆ちゃんがそこで入院していることを言っていなかった。

一瞬お婆ちゃんとは知り合いなのだと思ったりもしたが、2人が顔を見合わせたのはその公園と、叶さんの葬式くらいでしか会ってないだろう。


「叶の手紙に書いてあったよ」


「手紙に?」


そんなことまで手紙に書いてあったのか。

いや、まって、おかしい

叶さんは僕と会ってお婆ちゃんがそこに入院してるとわかったはずだ。それなのに事前に用意していた手紙にそれが書かれてるなんて、どういうこと?

もしかしたら幽霊ともなれば、瞬時に手紙を書くことだって可能だというのか。


腑に落ちないまま、青木との会話を続けた。


「うん、誠くんにも見せてあげたいんだけど、でもこの手紙を君に見せるわけにはいかないんだ」


「どうしてですか?」


その時は、なにかプライバシーに関わることだと思っていた。


「それも言えない。とにかく今日はありがとう、もし次あったらそれよろしくね」


最後に青木が誠が持っている手紙に視線をやり、誠も同じようにみる。


「はい、じゃあ次もし会ったら青木さんのことも話しておきます」


そう言って青木は優しく悲しく微笑んだ。


話はこれで終わりだと、お互い立ち上がり、2人は玄関前に出た。


「じゃあこれで、失礼します」


誠は頭を下げて、踵を返すと青木の声で足を止められた。


「さっきはああいったけど、やっぱり君が生きてて良かったよ、お婆ちゃんにもよろしく伝えといてくれ」


それが誠を安心させるための嘘かどうかを知るには、術がなかった。


誠はもう一度小さく頭を下げるとアパートから出た。



一週間後、誠はお婆ちゃんのお見舞いと手紙を渡す2つの目的で病院に来ていた。


3階の「311」とかかれた号室に来て、今気づいたが、部屋に誰が入院しているかどうかわかる表には誰も人名は書かれていなかった。


誠はそれに驚かず、ドアを横に開けた。

あの時と同じように、一番奥左手のカーテンを開ける。


そこに、叶の姿はなかった。


あの世に帰っちゃったのかな...


そんな考えを頭に過ぎりながら誰もいないベッドに近づく。

ベッドに手を置いてみると、人が寝ていた温かさはなかった。


その時、コツン


なにか音が聞こえた。


コツン


聞こえるのは窓の方。


誠は目を窓の外にやると、1人の少女が枝に座り、小石を窓に向かって投げていた。


誠が少女の存在に気づくと、少女は口パクで「開けて」と言ってるのが見て取れた。


なんで木の枝なんかに?


と思いながら窓をガラガラと開ける。


風が押し寄せてくるのと同時に少女は「やあ、誠くん」と挨拶した。


また僕のことを知ってる人間が現れた。

いや、人間じゃないな


もう誠の中で吃驚耐性でもついたように、冷静だった。


「どうしたの?」


誠はさっさと、用件を聞くため前置きなしで少女に伝えた。


「あんまり驚いてないみたいだね」


少女はくすくすと笑った。


「まあね」と誠が言う。


「叶ちゃんから伝言だよ」


少女はワンピースのポッケから白い手紙を出して誠に渡した。


また手紙かと思いながらも受け取る。


伝言ならば読んでもいいだろうと言うことで、便箋を開けて手紙を見た。


そこには、一言だけ書かれていた。


誠はそれを読むと、息が止まるくらいの衝撃を受けた。


まさか、そう来るか


誠は思わず笑をこぼしてしまった。


驚くのはもう慣れたはずだったのに、ついに最後は、また驚いてしまった。


「お願いって、叶さんに伝えてくれる?」


「了解!」


少女は無邪気に敬礼ポーズを取った。


「あっ、それと」


誠はショルダーバッグから青木から受け取った手紙を少女に渡した。


「これ、叶さんに渡しといて」


少女は快く受け取ると「わかった」と口にした。


誠と少女の会話はそれで終わった。


「じゃあね」と少女が手を振ると下に飛び降りた。

誠は木を辿るように下を見たが、もうそこに少女はいなかった。


それから一週間。


今週の日曜日もマウンテンバイクでお婆ちゃんのお見舞いに来ていた。


なんだか今日は病院の匂いが強く感じられた。


そんなことを思いながら、いつもの経路でお婆ちゃんの部屋まで足を運ぶ。


そこにはお婆ちゃんだけでなく、お母さんとお医者さん3人がいた。

お母さんは泣いていた。


誠がその場に近寄り、お母さんが誠の存在に気づくと、興奮してこっちに駆け寄ってきた。


「誠!誠!お婆ちゃんの、お婆ちゃんの癌が無くなったって!」


「え、え!?ほんとに!?」


お母さんの泣きながらの興奮したセリフに、誠はわざと大袈裟に返した。


「すごいですよ!奇跡です!こんなの初めてですよ!」


お医者さんも前例がないようで、かなり喜ばしくしている。


「いやぁ〜神様っておるもんやねぇ〜」


お婆ちゃんが過去最大の笑を浮かべて掠れ声で笑った。


誠もつられてわざと笑う。


その時、お婆ちゃんの横にある視界にテレビの映像が目に映った。

音は聞こえないけど、番組はニュースのようだ。

事件内容が字幕で現れる。


昨夜、○○アパートで青木 直人さんの死体が首吊りで発見されました。


隣人から隣の部屋から変な匂いがするとのことで通報をして、死体を発見しました。

警察はこれを自殺とみて判断したそうです。



病室の誰もがお婆ちゃんの奇跡に祝っていたが、誠だけその字幕を目で必死におっていた。


しかし、誠は驚かなかった。



今日も誠は病院から家に向かってマウンテンバイクを走らせていた。

お母さんは車で帰り、お婆ちゃんはもうちょっとの間だけ入院するそうだ。


もう辺りはすっかり暗くなっていた。


人気のいない通りを走らせていると、前方に人影が見えた。


その人物の顔が分かるところまでくると、誠はマウンテンバイクから降りた。



誠の記憶はそこまでだった。



ゆっくりと目を開ける。


まず目に入ってきたのは、僕の遺影だった。

前には棺桶。


それをみても誠はなにも感じなかった。


その周りにはお婆ちゃんとお母さんとお父さんが、涙を流しながら立っていた。


しかし、誠が1番気になったのは棺桶に腰をかける者だった。


その者は誠に微笑むと、届かない手を指し伸ばしてきた。


手のひらには手紙があった。


誠は、今まで通りに体を動かし、棺桶に座る者の元まで歩み寄った。


左右には号泣する家族がいるが、気にせず者が持つ手紙を受け取る。


誠はその手紙を広げると、綴られた文字を読んだ。


「誠くんの命と引き換えにお願いを叶えてあげたわ、今度は誠くんが私のお願いを叶える番よ」


誠は読み終えると、死神の手を掴んで叶の元に行った。


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