第3話 お礼の品

「お嬢様が参られます」 


 突然に、青い服の者が先触さきぶれに訪れ、足音のなかったことに驚いた劉は、しかし、すぐにそれどころではなくなった。

 姿を見せたのは、十五、六の少女。皇帝さえ射止めそうなほどの美貌で、見るからに頭が良さそうだ。うっかりと、見とれてしまう。

 少女は、挨拶を済ませると母親のそばに座り、食事の用意をするよう命じた。あっさりとしたつれなさは、蔡に通じるものがある。さすがは、兄妹。


 手が込んでいる食事を向かい合って食べていると、夫人は、劉をじっと見つめた。みるみる目が赤く染まる。

 龍にはよくあることなのだろうか、一体何事だろうと思っていると、少女が、慌てて母親に話しかけた。


「兄様が頼んで来て下さったのよ、しばらく礼を守ってくださいな。まして、うれいを解消してくださるのですよ。動揺させてはなりませんわ」


 そうして、美しい笑顔を貫詞に向ける。


「兄の言いつけでは、十万の銭をお贈りするようにとのことですが、重くなりますので、軽く致しますわね。今、椀をひとつ差し上げます。そのあたいが十万に相当します。如何いかがでしょう?」

「既に、私達はきょうだいです。ただ手紙を持ってきただけのことで、どうして贈り物を受け取れるでしょう」


 慣れない言い回しを口にしてはみたが、今度は夫人が口を開く。


「あなたが、手元不如意ふにょいで各地を渡り歩かれていることを、息子はくわしく述べています。あれの言い分に沿いたいと思います。断ってはなりませんよ」

「はぁ…ありがとう、ございます」


 気圧けおされ、つい礼の言葉を口にしてしまう。

 そうすると夫人は、使用人に命じて椀を持ってこさせた。やはり、龍はを通す。それとも単に、俺が流されやすいのかと、疑いをいだく劉だった。


「どうぞ、召し上がってくださいませ」

「はい…いただきます」


 そうは言ったものの、夫人は、またもや目をみはってじっと劉を見据え、目を赤く染め、口の両端からよだれをこぼしている。

 劉が声をかけるよりも先に、娘が、慌てて母親の口元を袖で隠した。


「兄様は、心から信頼して手紙を人に託されたのですよ。このようなことをしてはなりませんわ」


 少女は、母親に言い聞かせ、困ったように劉を見つめた。


「母は年で、気の狂う発作が起きて、きちんともてなすことができません。お兄様は、しばらく外でお待ちください」


 そうして、心配そうにしながらも青い服の召し使いに椀を持ってこさせると、少女も劉について来て、椀を手渡した。


「これは、罽賓国の椀です。罽賓国ではこの椀で災厄をしずめるのですが、唐の国の人がこれを得ても、使い道はありません。十万を得るために、これを売って下さい。それ以下では売らない方がいいでしょう。私は、母の病のために、いつも側にいます。申し訳ありませんが、最後まではお見送りできません」


 そう告げて、お辞儀をして屋敷に戻っていく。

 あっさりとした別れに未練がましく姿が消えるまで見送り、劉は、椀を持って外に出た。

 ところが、数歩進んで何気なく振り返ると、豪邸と門は姿を消していた。

 深い川も高い橋も、一瞬たりとも姿をくらましたことはないと言わんばかりに、はじめに見たときと同じ姿でった。

 思わず、まばたきを繰り返す。

 夢でも見たかと思うが、椀がある。もっとも、両掌に収まった椀を見てみると、ただの黄色い銅の椀だ。どうみても、三~五銭がいいところだろう。


「うーん。あの子の思い込みなのかなぁ」


 そうでなければ、価値観が違うのだろう。龍だからか、母親も少し様子がおかしいようだったから、何か気をわずらっているのかもしれない。

 そうは思ったが、せっかく善意でくれたものだ。ためしに、市に持っていってみることにしよう。

 もしかすると、本当に値がつくということもあるのかもしれない。なにしろ、龍のくれたものだ。

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