第3話 勝利

  陽の光が顔に当たって目が覚めた。

 ……どうやら、飲んでいる間に寝てしまったらしい。


 机の上にはストロ〇グゼロストロングの缶が六本置かれている。

 途中から記憶がなくなっているのだが、机の状況を見るに、俺は昨日買ったストロ〇グゼロストロングを全部飲んでしまったらしい。


 そこで俺はあることに気づいた。

 記憶がなくなるほど飲んだのに、二日酔いをしていない。吐き気も頭痛もまったくない。それどころか、こんなにすっきりした目覚めは久しぶりである。

 記憶がなくなるほど飲んだら、頭痛やら吐き気やらでろくに動けなるのに……これはどういうことなのだろう?


 机に置かれているストロ〇グゼロストロングの空き缶を注視する。

 ……やっぱりこれ、やばいんじゃね?

 大量に飲んでも二日酔いしない酒なんて普通じゃない。

 だけど――

「美味かったな。うん。また飲みたい」


 まあいいか。二日酔いしないのならそれはありがたい。

 さて、今日も仕事だし着替えて――


 と、そこで俺はあることの気づいた。

 どうして窓が西向きのこの部屋に直射日光が射しこんでいるのだろう、と。


 もしかして――

 スマホで時刻を確認してみる。


 15:22


 スマホの時計か、俺の頭がおかしくなったのでなければこの時間は間違っていないはずだ。

 普段、睡眠不足でずっと生活していたのだから、こんな時間まで寝坊したのならそりゃすっきりするわ。

 そして案の定、会社から大量の着信がかかってきていた。


 だが――会社から大量の着信を見ても、俺はなんとも思わなかった。

 今日はこのままサボるか――

 いや、とりあえず会社に顔を見せに行こう。

 俺はずっと仕事用の鞄に忍ばせていた退職届を取り出した。


 ――辞めてやる

 大遅刻したわけだし、いい機会だ。

 それに、いまは最高に気分がいいのだ。今日この日を逃してしまえば、いまみたいに思える日がいつになるかもわからない。

 そうしよう。なんのために、いままでずっと辞めるときのための工作をしていたのか忘れたのか?


 ――やるしかない。

 昨日、終電で最寄り駅に辿り着いた頃にあったはずの将来への不安は綺麗になくなっていた。


 そう思った俺はすぐに準備を始めた。

 退職届に今日の日付を書き込み、いままでの俺の勤怠の記録とクソ上司のパワハラ音声を録音したUSBメモリを持ち出した。

 スーツには着替えなかった。

 着替える必要もない。

 相手は頭のおかしいブラック企業だ。

 どうしてずっと被害者だった俺が、やつらに対して礼儀正しくしなければいけないのか。そんな義理などまったくない。誠意を見せるのは俺ではなくやつらのほうだ。


 もろもろの書類とUSBメモリを鞄に入れ、一応外に出ても恥ずかしくない程度の私服に着替えて外に出る。

 平日のこんな時間に外を歩くのは気分がいい。最高だ。どうしていままで自分はこうしなかったのだろうか? ビビッてブラック企業で何年も時間を無駄にするなんて馬鹿すぎる。


 鼻歌まじりに歩いていると、すぐに駅についた。

 改札口を通ってホームに上がると、すぐに電車が入ってきた。

 タイミングがいい。やっぱり、今日の俺は超キテる。ブラック企業を辞めるのには最高の日だ。


 笑いをかみ殺しながら俺は電車に揺られた。電車は席がまばらに埋まっている程度でかなり空いている。

 平日に、こんなに空いている電車に乗ったのは学生のとき以来かもしれない。


 三十分ほど電車に揺られて、会社の最寄り駅に辿り着いた。

 ここに来るのも今日で最後か――そう思っても、まったく感傷的な気持ちにはならない。

 働いていたのがくそみたいなブラック企業だったから当然かもしれないが。


 五分ほど歩くと会社が入っているビルに辿り着いた。

 俺は高鳴る気持ちが抑えきれず、必要以上に足音を立てて階段を上がっていく。

 そうだ――ここでの音声も録音しておこう。

 相手はブラック企業だから、辞めるといえばなにか目茶苦茶を言ってくるに違いない。


 俺は録音アプリを起動し、すぐに音声の録音をできる状態にして扉を開けてクソ会社の扉を開けた。


 扉を開けると、死んだ目をして昔のSF映画のロボットみたいに働いている社員が数名。なんでこんなところで馬鹿みたいに働いているんだが……と、そいつらを嘲った。


「おい、お前! いまさら出社するとはいい度胸だな!」

 とクソ上司が怒鳴り声をあげた。禿げ散らかした頭と生ゴミみたいな顔をしているのが特徴のクズだ。

 俺はすかさず録音を開始する。

「しかもなんだその格好は! ここは会社だぞ! どうして私服で来てるんだ!」

 クソ上司は馬鹿みたいに喚いている。いや、馬鹿みたいではなく正真正銘の馬鹿だが。


「どうして私服で来るのが悪いのでしょう? 確か、スーツを着なければいけないなんて規定はなかったと思いますが」

「なにを言っている! そんなもの関係あるか! 社会人のマナーとしてスーツを着て仕事するなんて当たり前だろうが! これだから若い奴は……!」

 馬鹿馬鹿しい。基本デスクワークしかしないのに、どこにスーツを着る必要があるんだ。こっちはスーツを買う金も、クリーニングに出す時間もないんだよ。私服で仕事くらいさせろ、この生ゴミ。


「それに今日は仕事しに来たわけありませんし」

 そう言って俺は退職届をクソ上司の前に出した。

「あと、余ってる有給の消化しますので、有給の消化が終わったら書類を俺の家に送ってください」

「なにを言っている貴様! どうして貴様ごときに有給を取らせなきゃならないんだ! それに、いきなり退職とか他の奴らの迷惑とか考えておらんのか! 会社ってのはな、辞めるっていえばすぐ辞められるもんじゃないんだよ」

 こちらが録音しているともわからずにこんなこと言って。いいのか? あとでユニオンや労基署にもいくから、ただでさえ重い罪がもっと重くなるぞ。


「言い忘れてました。いまの会話は録音しておりますので。退職の際に有給消化したいと言ったら断られたと、ユニオンなり労基署なにに言ったらどうなるんでしょうね」

「な……」

 クズ上司の顔色が一変した。


「それに、いままで長時間労働させられた証拠も、あなたがパワハラなどハラスメント行為を行っている証拠もあります。いまの音声と一緒にこれも持ち込むつもりですので」

「ま、まて」

 クソ上司は俺を引き留める。

「わ、わかった。退職も、有給の消化も認める。有給の消化後に退職関連の書類を送る。だから、それをユニオンや労基署に持ち込むのは……」

 不細工な顔でいびつに笑いながらクソ上司は言う。


「はあ、そうですか。では、各書類はこちらから送りますので失礼します」

「た、頼むぞ……」

 俺はさらに晴れやかな気分で踵を返してクソ会社の外に出た。

 最高の気分だった。


 誰が黙ってるか馬鹿。

 散々酷使されてきたのに、どうして黙ってなきゃならない。

 あほめ。

 労基署にもユニオンにも、労働問題に強い弁護士事務所にも持ち込んでやるよ。いままでの未払い残業代を全部払わせてやる。軽いボーナスたいなもんだ。


 俺は行きよりも軽い足取りで駅に向かっていく。

 これで会社とも縁が切れた。

 久々の長期の休みだ。

 しっかり楽しんだ後、労基署やユニオンや弁護士事務所に行くとしよう。

 ホームに上がると、電車がちょうどやってくる。

 俺は電車に乗り込んで、三十分ほど電車に揺られた。

 自宅の最寄り駅について小走り気味に電車を降りる。


 ついてる。

 本当に俺はついている。

 これもストロ〇グゼロストロングのおかげだ。


 そうだ。

 あんな時間にやっていたのだから、いまもやっているかもしれない。

 あの酒屋に行って、ストロ〇グゼロストロングを買っていこう。

 駅を出て、しばらく歩くと、昨日と同じ看板が目に入る。

 やってる。

 俺は店に入った。


「いらっしゃい……ああ、昨日のお客さん。どうしたのこんな時間に。休み?」

「いや、あんたに言われた通り、今日辞めてきたんだ」

「そいつはよかった。そのほうがいいよ。ブラック企業で働くなんて、身体にも社会にも悪いから」

 やっぱり、店主は年齢が判然としなかった。

「ところで、ストロ〇グゼロストロングが欲しいんだけど――ケースで売ってる?」

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