11話 届いた報せ
「すっごいのだ! あんなでっかいメダマを倒しちゃったのだ!」
怪物の残り香たる光の粒子が辺りから消え去った瞬間、アライグマ少女が興奮したように飛び跳ねた。
緊張の糸が切れた様子で伸びをしたり、毛づくろいを始めていた三人の猫たちがその声に反応して彼女に歩み寄ってゆく。
「おうアライグマ、約束のモンはちゃんとよこせよ」
「もちろん、ちゃーんと渡すのだ!」
そう言って彼女はダンシャクたちにテュールを一袋ずつ、三人へ手渡してゆく。喜色を浮かべた三人は、早速中から包みを取り出し噛みちぎるように開けて食べ始める。これは落ち着くまでしばらく掛かりそうだ。
その場に立ち尽くすシーザーの元へ痛む足を庇いながら歩み寄る。
「助けてくれてありがとう、シーザー。……怪我は大丈夫?」
その場で放心していたシーザーの傍に寄り立ち、声をかける。
顔を上げた彼女と目が合うと、やや間をおいて端正な顔がくしゃくしゃになって涙が溢れ出した。
その顔が、胸の中に飛び込んでくる。
「――ゔっ」
鳩尾に重い衝撃が走り、思わずよろめくものの、なんとか倒れずに体を支える。
「ご、ごわがっだですー! 目玉が! う、ぐぅぅっ――!」
キュウキュウと犬のように(事実、彼女は犬ではあるが)鼻を鳴らしながらガクガクと震えるシーザーを、必死に抱きとめる。
今の彼女に先程怪物と真正面から立ち向かった勇ましさは感じられなかった。
シーザーは元々おおらかで、臆病な子だ。そんな彼女が勇気を振り絞ってあの恐ろしい怪物と立ち向かってくれた。
「――ありがとう、助かった。もしあそこでシーザーが来てくれなかったら、本当に危なかったよ。勇気を振り絞ってくれてありがとう」
「うぅ、ぐすっ……」
胸の中ですすり泣く彼女の頭を撫でながら、怪我の確認をする。
――近くで見た彼女の姿は、本当にボロボロだった。
鋭い鰐口に噛みつかれた肩と腕は真っ赤な血で染まり、露出した肌はどこも擦り傷や切り傷でいっぱいだ。
殴打された横腹も、おそらく服の下で大変なことになっているだろう。
「シーザー、怪我を診るから申し訳ないけど少し離れて」
「ぐすっ、はい……それは?」
僕が手に持った流星の結晶を見て、シーザーが首をかしげる。その奇妙な形と輝きに、テュールをキメて落ち着いた三匹もやってきた。
「なんだ、その石っころは」
「キラキラしてますねぇ、すごくキレイです」
効力の程は使ってみないことには分らないが、神様がわざわざ渡してくれたからには期待できるはずだ。
「おお……!」
周囲から感嘆の息が漏れる。
結晶をシーザーの傷にかざすと、もはや見慣れた虹色の輝きが溢れ出し、彼女の体へと吸い込まれる。
――その効果は、僕の予想を遥かに超えた、まさに劇的なものだった。
まず、顔に付いていた擦り傷や切り傷がきれいさっぱり消滅した。
腕と肩に穿たれた咬み傷も瞬く間に塞がり、さらには身に纏っていた衣服にまで力が及んだらしく、破れた部分が修復された。
「……すごい、すごいです! 全然痛くない!」
その場でくるくると回りながら自分の身体を確認するシーザー。僕自身、予想を超える完全回復っぷりに少し驚いている。
僕は気を取り直すと、しげしげとこちらを見ている三人に向き直った。
「ダンシャクたちも、一応やっとこうか」
「うん? オレらは別に怪我はしてないが」
「疲れにも効くらしいよ。助けてもらったお礼がしたいんだ」
流星の力は疲労も癒すと言っていた。ダンシャクたちにも一人ずつかざしてみると……シーザーの時ほどでは無いが虹色の光が溢れ出して彼女らの体へ吸い込まれてゆく。
今度は外見上に変化は見られなかったものの、少し上がり気味になっていた彼女らの呼吸がすぐに整った。
しばらくの間、確かめるように手を握ったり開いたりとしていたダンシャクは、やがてグッと背伸びをする。
「ほぉ、疲れが取れたな……よし、ナワバリをもう一巡りするか」
「えーっ! まだやるんですか!?」
ダンシャクの宣言に、ハナコが抗議の声を上げる。トレードマークたる立派な眉をひそめ、まゆげも不満そうな表情だ。
「確かに疲れは取れたけど……またでかいの出てきたら嫌じゃん」
「馬っ鹿、あんな気色悪いのが我が物顔で歩いてる方が嫌だわ、行くぞ!」
ダンシャクかそう言ってずんずんと歩き出すと、残された二人は肩を落としてそれに追従する。
途中で振り返って手を振ってくれたハナコに対して手を振り返す。
「くおんさま、お怪我は大丈夫でしょうか」
小さくなっていく三人の背中を見送っていると、横に立っていたシーザーが思い出したように切り出した。
「あー、とっさにジャンプした時に捻った足首くらいかな。他の怪我は転がったときに付いた掠り傷とかちょっとした打ち身くらい」
「その傷はさっきの石で治せないのか?」
アライグマ少女の言葉を受け、結晶を痛む足首にそっとかざしてみる。が、予想通り結晶はなんの反応も見せない。
身に着けていて反応しない時点でわかりきってはいたが……少し残念だ。
「だめみたいだね」
「そうですか……ど、どうしましょう」
「一人で歩くのは辛いから、家まで肩を貸してもらえるとありがたいかな。ついでに、うちでお昼ごはん食べていきなよ」
頼めるかな、と尋ねるとシーサーは尻尾を振って頷いた。
「アライグマちゃんはどうする?」
少しでも恩を返せれば思ったが、彼女は静かに首を振る。
「三匹が小さいメダマもあちこちにいると言ってたのだ。ナワバリが心配だから見に行きたくて……誘ってくれたのにごめんなさいなのだ」
そう断って、彼女は申し訳なさそうに表情を曇らせる。
あの怪物が何を食べるのかはわからないけど、もしもあれらが雑食性でせっかくの食料が全滅してしまったら大変だろう。
身体的に僕より優れている筈ではあるものの、見た目の幼い彼女をこの状況で一人帰すのは不安が残る。しかし無理に引き止めることもできないと思った。
「そっか……小さいのの強さは分らないけど、十分気をつけてね」
「わかったのだ! にんげんさんたちも気をつけて帰るのだー!」
そう言って、少女はスーパーマーケット方面へ走り去ってゆく。
その背が角を曲がって消えるまで見送り、僕はシーザー荷向き直る。
「じゃあ行こうか……あ、ちょっと待って」
帰ろうとした瞬間、ふと怪物が残した物の存在を思い出した僕は地面に転がる虹色のキューブを拾い上げた。
「あっ、あのオバケが落したやつですね。拾ってどうするんですか?」
「うん、多分だけどこうやると――」
二つのキューブを手元の結晶に触れさせる……すると、それらは溶け込むようにして消えてしまった。
「消えた……どうなったんですか?」
「この石をくれた人が言ってたんだ、同じものを吸収させられるって」
結晶をポケットに仕舞うと、僕はシーザーに肩を借りて家へ歩き出した。
※※
「悪いね、家を空けさせちゃって」
「いえいえ、おうちも大切ですが、くおんさまも大切ですから」
シーザーの肩を借りて歩くこと数分、三隅夫妻の家の前を通り過ぎる際に家をちらりと見る彼女に申し訳ない気分になった。
しかし、怪物に襲われる僕を感知した彼女は主人の不在時に家を空ける罪悪感も、未知なる存在への恐怖をも押さえつけて助けに来てくれたのだ。
「――家についたら、お礼になにか美味しいものを作るよ」
「楽しみです。でも、お怪我されてるのですから無理はしないで下さいね」
そう言って微笑む彼女の笑顔に少しどきどきしてしまう。そんな自分のちょろさに少し呆れながらも、傷む足を引きずりながら歩みを進める。
――そんなときだった。
不意に顔にかかる陽が遮られ、先程の出来事を想起した体が硬直する。
「おおーっ! ヒトを見つけたでう!」
とっさに身構えた僕に降ってきたのは怪物の巨体ではなく、そんな気の抜けるような少女の声だった。
ばさばさという大きな羽音を伴い、緑のスカートをふわりとはためかせて一人の少女が僕たちの目の前に着地する。
「ええと、あなたは一体……」
困惑気味にシーザーが尋ねると、少女は頭から生えた黒い翼を広げ、右の掌底をびしっと空に突き出す謎のポーズを決めた。
「ウミウのウッティだう!」
カウボーイみたいな名前だな君。エメラルドグリーンの大きな瞳をくりくりとさせる少女はウミウらしい。
前髪が黒で中央の一房はクチバシを表しているのか光沢のある黄色。後ろ髪は白く、そこから黒い翼が生えている。
衣服は黒いブレザーで、二重になった緑のスカートが印象的だ。
「……えーっと、それでウッティさんはなんのご用事で?」
「お仕事でう! 今日は魚採りじゃなくてお使いなんだうー」
そう言って持っていたプラスチックバッグをこちらに差し出す。その中にはホチキスで綴じられた書類が詰まっており、僕はその内の一部を取り出してバッグを返す。
その表紙を見て、思わずたまげた。
「……政府からの緊急速報!?」
「おやぶんがえらいヒトからお願いされたんでう。それでウッティたちもこうやってはぐれたヒトを探して飛んでるんだうー」
どうやら停電は思った以上に深刻らしく、書類によると現在は全国的、下手すると全世界的に電気がほとんど使えない状態に陥っているようだ。
故に苦肉の策として宮内庁経由で鵜匠、他にも伝書鳩協会などの力を借りたりして原始的な情報伝達を行っているらしい。
書類を軽く流し読みしただけで現状の深刻さが伝わり、血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。
「……あの、くおんさま?」
そんな僕の様子を見て、恐る恐るといった様子でシーザーが顔を覗き込んでくる。
……これを伝えれば、おそらく彼女は取り乱すだろう。
しかし、隠しておく訳にもいかない。
「……あの怪物が、あちこちに出現していろんな場所で混乱が起きてる。三隅さんが避難した先でも、大きな被害が出てるらしい」
「――――――」
シーザーの顔から、色が失われて行くのが見ててわかった。
思わず走り出しそうになる彼女の腕を掴むと、僕を引きずるわけにも行かないと思ったのかすぐに立ち止まってくれた。
僕はぽろぽろと涙をこぼすシーザーをそっと抱きしめる。
「気持ちはわかるけど落ち着いてくれ。シェルターの中にまでは侵入されていないようだから、三隅さんはきっと大丈夫だ」
「で、でもっ!」
「……シーザーだけじゃ、場所も分らないだろう? 闇雲に走り回って迷子にでもなったら、三隅さんとも二度と会えなくなるかもしれない」
だから落ち着こう、そう言って諭すと、彼女も悲しげに耳を伏せながらもやや落ち着きを取り戻してくれた。
僕はそっとシーザーを離すと、目をまんまるにしているウッティに向き直る。
「……ウッティさんはシェルターのある街にも行ったの?」
「行ってないう。ヒトがいっぱいいる所は外して、なるべくはぐれたヒトを探してこれを渡してほしいって頼まれたんだう――あっ」
急にウッティが空を見上げたのでつられて視線をやると、彼女と同じ服装をした少女がこちらに手を振っていた。
「ウッティのかたらいが呼んでるみたいだう! それじゃあウッティはそろそろ行くでうー」
そう言うが早いか、彼女は止める間もなく飛び立って仲間の少女と連れ立って飛び去ってしまった。……できれば、もう少し話を聞きたかった。
「ご主人さま……どうかご無事でいて下さい……」
力なくうつむき、祈るようにつぶやくシーザーに、胸が痛んだ。
しかし、衝動のままに行動しても自体は好転するどころか最悪の展開を招いてしまう。今の日本……いや、世界は決してこれまで通りの場所ではないのだ。
「シーザー、まずは予定通り僕の家へ行くよ、慌ててもどうにもならない。落ち着いて行動を考えないと、三隅さんと会うのは難しいんだ」
「……はい」
こくりと頷くシーザーの顔色は真っ青だった。あの怪物と戦った彼女はその恐ろしさを身にしみて知っており、それが大発生している現状の危うさに絶望しているようだ。
何とかして安心させてやらなければ、今にも彼女は宛もなく走り出す。――そして怪物に出会って、命を散らしてしまうだろう。
僕は一つの決意を胸に懐くと、シーザーの両肩に手を置いて真正面から彼女の目を見つめた。
「――シーザー、よく聞いてくれ」
おずおずと、シーザーがこちらの目を見つめ返してくれるのを待って、僕は口を開いた。
「必ず、僕が君を三隅さんの元へ送り届ける」
「……っ!」
シーザーの目が見開き、力なく下がっていた耳と尻尾が立ち上がる。
「だけどね、そのためには十分な準備が必要なんだ。だから、準備が整うまでの間、少しだけ我慢して待ってくれないか?」
シーザーの瞳が揺れる。信じてもらえなければ、きっと彼女は一人でも飛び出してしまう。だから精一杯の気持ちを言葉に乗せる。
シーザーに救われた命の分、精一杯の恩を返したい。そんな想いを。
そしてしばらくの沈黙の後、彼女は静かに頷いてみせた。
「わかりました、くおんさまにおまかせします。だから――」
シーザーは涙で言葉を詰まらせながら慟哭した。
「だからどうか、私をご主人さまたちに会わせて下さい――!」
「……まかせて」
――こうして、僕は危険に身を投じて旅立つ覚悟を決めたのだった。
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