けものわーるど

Nyarlan

prologue 終末の日は猫と穏やかに過ごしたい


――地球を掠める軌道とるとされていた例の巨大隕石ですが、NASAによる再計算の結果、地球へと衝突する危険性が高いことが判明しました。

 関係各所は現在……


 はじめは、みんな冗談のように受け取っていた。僕もそうだ。

 この手の大規模な危機感を煽るニュースのあと本当に地球がどうにかなった事などなかったからだ。


――件の巨大隕石を破壊する計画が各国の協力のもと進められております。


――隕石の破壊計画は明日より実行される見込みです。

 その際に破片が地上へ降り注ぐことが懸念されており、各国では住民をシェルターへ受け入れる準備を……


 しかし隕石に関する報道がより過密に、より具体的なものになった。

 強い不安を抱えて日々を過ごす日々が続き……そして、不安は的中する事となる。


――第一計画の失敗を受け、世界に衝撃が走っています。

 現在は第二計画の準備を行っているものの……


――人類が取れる計画は、今を持ってすべて失敗しました。

 隕石は依然として地球へと進んでおり、衝突予想地点は太平洋の……


――衝突は■月■日午前2時22分頃とされており……


――肉眼での隕石観測は以下の地域で可能となっており……


 ……もはや世界は、隕石をどうこうする事を諦めてしまったらしい。

 突如として地球へ進路を向けた隕石に対して、世界はあまりにであった。

 やれる事は、全てやったのだろう。世界中から集結した超一流の人材、あらゆる枠を超えて提供された最先端の技術。まさに人種や思想をも超えた団結が実現していた。

 しかし、それを十分に発揮するは残されていなかったのだ。

 隕石の規模に対して余りにも無力なシェルターに一縷の希望を託す人、シェルターを利用する権利すら得られなかった人、諦めて死を受け入れた人、自棄を起こす人……反応は十人十色だ。

 ……かく言う僕は、最期の時を自宅のベランダで隕石見物をして過ごしていた。


「にゃーん」


 不意に、肩に重みが加わった。ごろごろと喉を鳴らしながら体を擦り付けるそれを優しく撫でながら僕は小さくため息をつく。


「クー、危ないからいきなり飛びついてきたら駄目だってば」

「なーん」


 真っ白な毛の塊は、金色の眼差しをこちらに向けてきた。

 とっくに寝る時間なのにどうしたの? なんて問いかけているようで、いつもと変わらないその様子に毒気を抜かれる。

 ……こんな時まで小事を言わなくてもいいか。僕はクーを肩から下ろすと、仰向けに抱き上げる。クーはこの体勢が大好きなのだ。


「見てごらん、キレイでしょ。まるで虹みたいだね」

「にゃ」


 少し前から見え始めた隕石それは、キラキラとした虹色の不思議な輝きを放っており、とてもこれから世界を殺し尽くすものだとは思えなかった。

 夜空を照らし出す幻想的な輝きは不謹慎にも美しいとさえ思える。


「……そろそろ、かな?」

「にー?」

「これまでありがと、あの世か来世があったらよろしくね」


 空に浮かぶ隕石それは、一際強い輝きを放つと世界を虹色の光で染め上げた。


※※


「――あれ?」


 たっぷり数分間は目を瞑っていた……どうやら、まだ僕は生きているらしい。それとも、意外とこれが死後の世界であるのかもしれない。


「いや、それはないか……」


 目を開けて広がる光景は、先程と何ら変わらないものだった。

 強いて違いを挙げるなら、この時間にしては明るい事、あの隕石にも似た虹色の光を放つ何かがキラキラと降り注いでいる事か。

 ……どうも、地球は滅ばなかったらしい。

 衝突の直前に爆発した、とかかな? いや、それでも無事では済むまい。なんて考えていた、そんなとき。


「すっごい光だったね、にーちゃ!」

「うん……うん?」


 不意に、そんな興奮したような声が耳に飛び込んできた。半ば反射的に声の主を探して視線を下ろすと……。

 そこには見慣れた毛玉クーの姿はなく――見慣れない金色少女の眼差しが僕に突き刺さっていた。

 それは、真っ白な少女であった。ぱっちりと開いた金色の目は、穏やかな安心を湛えていて……そんな少女を、僕はいつの間にか抱きかかえていた。一体、どういう事なのか。


「――あれぇ、もう下ろすの? もーちょっとぉ……」


 僕が無言のままそっと床に下ろすと、謎の少女は甘えた声とともに名残惜しそうな視線を投げかけてくる。それをあえて無視し。


「ええと……あの、ごめんなさい、どなたですか?」


 じりじり、と後ずさりしながら尋ねる。

 すると彼女は傷付いたような表情で目を見開き、猛然と縋り付いてきた。――ちょ、力強っ!


「やだっ、クーのこと忘れちゃったの!?」

「えっ、あ、そうだ、クーがいない」


 目を白黒とさせていた僕だが、その言葉で抱いてたクーがいなくなった事を思い出す。

 というか入れ替わりに何故かこの子を抱いていた。そもそもこの子は誰なんだろう。


「何言ってるのにーちゃ! クーはわたしだよっ!」

「いや、僕が探してるのはクーで……えっ」


 キョロキョロとさまよわせていた視線を戻してギョッとする。少女が泣いていた。

 いや、それはそれで問題だけども、その頭に妙なものが見えたのだ。ぺったりと伏せられたそれは、猫の耳のように見える。

 さらにその臀部からは白い尻尾が力なく垂れ下がっていた。真っ白な尻尾の先端を一周するような黒い輪、その特徴的な模様に、僕は


「クー……なのか?」


 伏せていた耳がピンと立ち、力なくうなだれていたしっぽがたちまちに天を指した。


「そうだよっ、わたしがクーだよ! にーちゃ、わかる!?」


 そうだ、この「にーちゃ」という呼び方も、恥ずかしながらクーと一人で戯れる時に僕が使っている一人称である。……猫と遊ぶ時に口調変わるのって普通だよね?

……ともかく、本物にしか見えない動きを見せる耳や尻尾も、真っ白な体に特徴的な尾を持つその姿も……誰も知らないと信じたい「にーちゃ」という呼び方も。

 クーと抱かれていたこの少女が、何かのミラクルによって姿を変えたクーであるという根拠が複数浮かんでしまった。……なんてこった。


「もうっ、びっくりしたよ! さっきのアレのせいでクーのこと忘れちゃったかと思った……」

「うん、僕もびっくりした……だって、その、クーは猫のはずだし」

「ええ、クーは猫だよ? ……あれ?」


 少し体を離すと、クー(仮)は自らの体をペタペタと確かめるように触ったり、手をニギニギ動かしたりと、不思議そうな表情をしている。


「あれ……なんでぇ? クー、ニンゲンになってるー!」

「ああ――うん。なんでだろうね、というか、性別も変わってるね」


 そう、理解が追いつかなかった最大の原因であるが。

 ……クーは、去勢済みとはいえ、歴としたであるのだ。


「ていうかにーちゃとお話できるようになってるー!!」

「それも今気づいたのね……」


 とにかく、世界滅亡の危機から一転、奇妙な事態が起きているらしい。


 しかし、この時僕は気づいていなかった。

 この奇妙愉快な事態が、僕たちだけに起こっているのではないという事を。

 それ以上に、世界が大混乱に陥っているという事を。

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