6
「さて! たまちゃんは、息継ぎなしで何メートル泳げるの?」
桜は玉次郎に尋ねた。
「十メートルぐらい」
「そんなら、ちゃんと息の継ぎ方覚えれば、すぐ二十五メートルぐらい泳げるようになるよ」
「に、二十五メートルじゃだめなんだ。…五十メートル泳げないと!」
玉次郎は首を激しく振った。
「大人用プールは五十メートルあるから…」
「よし! たまちゃんのその心意気、気に入った!」
桜は玉次郎にウインクした。
「翠、とりあえずさ、バタ足でも練習させてあげてよ」
「それは構いませんが…桜さんは?」
「ちょっと、更衣室」
桜は意味ありげな笑みを浮かべた。
「取ってきたいものがあるんだ」
翠は玉次郎の手を取り、子ども用プールの小さな階段を降り、水に足を踏み入れた。
「さあ、わたくしが手をひいてあげますから、まずバタ足、やってご覧なさい」
玉次郎はそろそろと体を水に滑らせ、意を決したように顔をつけた。
そして、バシャバシャと水を散らせてバタ足を始める。
「ちょっと、お待ち」
翠は玉次郎の手を放した。
「ぶはぁっ!」
玉次郎が顔をあげる。
「そんなバタ足じゃ前に進めませんですことよ」
「…ど、どうして?」
翠は、玉次郎のモモの付け根をパンパンと叩いた。
「ここに力を入れるんですわ。そこから下は、力を入れない」
「…うん。やってみる」
玉次郎は、翠に手をひかれながら、再びバタ足を始めた。
今度は、さっきのような派手な水飛沫は上がらない。
翠は、息が続かなくなって顔を上げた玉次郎に笑いかけた。
「そうですわ。その感じ。たまちゃん、呑みこみが早いですわね。…では、息継ぎの仕方の練習に、入りますわよ」
「えーっ、も、もう?」
「当然ですわ。わたくし、早く向こうのプールで博斗先生と泳ぎたいのですから」
「ちぇーっ、ずるいの! 自分だけ」
「ちっちっちっ。それは違うな、たまちゃん」
二人の背後から、戻ってきた桜の声がした。
「お、お姉ちゃん…それ、なに?」
桜の手に握られたものを見て、玉次郎は、じりじりと後ずさりした。
「…ふふ。よくぞ聞いてくれました。特訓といえば、やっぱりこれだよね! …息継ぎ養成ギプス」
「ぼ、僕、やっぱり急用が…」
「問答無用! 翠!」
「たまちゃん、ご覚悟ですわっ!」
「ええい、見苦しいぞ! うりゃ!」
桜は、手品のような手際の良さで、ギプスを玉次郎にかっちりはめこんだ。
「な、なんだよお、これって?」
「ふふ。ふふふふふ。このギプスは強力だよ。特殊形状記憶合金で出来てるからね。…ある一定時間以上水に触れていると、締め付けるようになってる」
「ぎょ!」
「つまり、定期的に息継ぎをして、空気に触れないと、自動的にたまちゃんは溺れることになるというわけだ」
桜は人差し指を立てて、平然とした顔で言ってのけた。
「そ、そんな~」
「桜さん…あなた、よく平然とそんなこと言えますわね~」
翠は玉次郎から離れると、桜と並んだ。
桜は翠にそっと耳打ちした。
「嘘だよ。ほんとは、ただのおもちゃ。一種の自己暗示だね」
「な~んだ、そうだったんですの」
玉次郎はへろへろ呆然としている。
「ほらっ、突っ立ってないの! 特訓特訓!」
その迫力に気おされて、玉次郎はそろそろとしゃがみこむと、顔を水につけた。
「うう…ぐずっ。…なんで僕がこんな目に…」
ギプスがほんとうにしめつけてくると思い込んでいる玉次郎は、ものの一秒もたたないうちにガバッと立ち上がった。
「う~~~~~~っ!」
「駄目ですわっ! 立ち上がっちゃ。…指の先を見るようにして、顔を斜め後ろに出すのですわ」
「そんなこといっても…」
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