博斗は、この、博斗らしき人物と遥の会話を、全身に鳥肌の立つ思いで聞いていた。


そうか、きっとこれは夢なのだ。

フロイトは、夢は人間の潜在的欲望とかいったじゃないか。

つまり、俺が潜在的に抱えている禁断の欲望である、生徒との恋愛を体現している夢なのだ。


朝、目を覚ましたと思ったのも、あのおかしな白い光も、すべて、夢なのだ。

本当は、まだ博斗は、タオルケットにくるまって、ベッドでぐーすかと眠っているに違いない。そういうことに違いない。


いやいや、やっぱりなんか変だぞ。妙にリアルだ。夢にしては、色はついているし、音はするし、遥の笑顔も、とても夢の中のものとは思えないほど生き生きしているし…。


「プップカプー!」

後ろのほうからけたたましいクラクションが響いた。


後ろを振り返った遥が、一声悲鳴を上げると、博斗からすばやく離れ、電柱の陰に隠れた。

さっきまで遥がいた空間を、後ろから近づいてきた黒塗りのリムジンがかすめ、急停車した。


リムジンの運転席のドアが開き、車体と同じように黒いスーツに身を包んだ初老の男が降り立った。

「暁、今日はここまででよろしいですわ。どうぞ、お帰りになって」

暁と呼ばれた初老の男は、翠にぺこりとお辞儀をすると、不意に遥に顔を向け、「くわっ」と睨み付けるとリムジンに戻った。


「…な、なんなのよ、あの男は!」

「わたくしの忠実なる家臣ですわ」

「か、家臣? ただの運転手じゃない?」


「いいえ、豪徳寺家にかれこれ五百年仕えている山口家の者なのですわ」

「五百年ね。なんか、もう、あほらし」

「それはそうと、遥さん、不純異性交遊は禁止ですわ」

「なによ、陽光学園にはそんな校則ないわよ」

「わたくしがいま決めたのですわ。わたくしが校則ですことよ」


「な~に言ってんだか。あたしと博斗先生の仲がいいからひがんでるんでしょ」


「ち、違いますですわ! わたくしの魅力は、あなたなど足元にも及ばないものですから、心配などしていませんですわよ。ねえ、博斗先生?」


「いこうか、遥君」

博斗は言うと、翠を無視して歩き始める。

「が~ん」


「じゃあね、ばいばい」

遥は途方に暮れている翠に手を振ると、博斗に続いた。


「博斗先生?」

「なんだい? 遥君、随分と顔が赤いけど、熱でもあるのか?」

博斗がにゅっと手を伸ばし、遥のおでこにぺたりと触れた。


「あ…」

遥は一声あげると、そのままガチガチに固まってしまった。

「熱はないみたいだな。んで、なんか言うことがあったんじゃないのか?」


遥は、ぽーっとした面持ちから、はっとして、博斗を見上げた。

「そうです。あの、えっと、今日の放課後とかって、先生、お暇ですか?」

「今日? 暇と言えば暇だな。生徒会の定例会が終わればね」

「あのですね、夏休みの間、陽光タワーがライトアップされるんですよ。それが、すごいきれいらしくて…」


「それで?」

「あの、だから、あのあの、も、もしよかったら、あたしと見に行きません?」

「ライトアップか。そうだな、行こうか」


遥は天にも舞い上る気分だ。

校門をくぐった博斗と遥は、照り付ける陽射しから逃れるように、校舎に入った。


二人はそこで、ちょうど教員室から出て来た稲穂と鉢合わせた。

「あ、遥さん。おはようございます」

「稲穂、おっはっよっ!」

遥は稲穂に元気に挨拶した。


「じゃ、博斗先生、約束、忘れないで下さいよ! 今日の定例会の後!」

「ああ。遥君との約束を、俺が忘れるわけがないだろう?」

博斗は歯を見せて笑うと、遥に手を振って教員室に入っていった。


「くう~~~~~! あたし、ついにやった! やったのよ、稲穂っ!」

「あの…何をですか?」

「聞いて聞いてっ。へへ、博斗先生とね、今日、デートしちゃうんだっ!」


「あ、そうですか…博斗先生と…」

稲穂は何事か考え込むような顔を一瞬し、すぐに笑顔になった。

「よかったですね、遥さん。きっと、楽しいデートになりますよ」

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