富貴在天、俎上之肉 3





 羽撃はばたく音は大鷲のよう、然れど耳に心地好い鳴き声には愛嬌が満ちる。

 ぴょぉ! と涼し気な鳴き声が木霊した。人とも獣とも異なる、自然そのものの気配が近づいてくるのに、アーサーは目を細めて足を止める。

 乱立する巨木が傾ぎ、上方を塞いでいた枝葉がしなって闇を払う。

 枝葉の上に積もっていた雪が月明かりと共に落ちてきて、微かな光が地上を照らした。

 開いた巨木の隙間を縫い、緩やかに降下して来た精霊は非常に愛くるしい姿である。


『やあ、見ていたよ』と精霊は言った。『意地が悪いじゃないか。君が真人類だって教えてくれていたら、ぼくも心配なんてしなかったのに』


 その精霊は元の世界で言うところの、〈スズメ目シジュウカラ科コガラ属〉そのものの容姿であり、スズメよりもやや丸い体型である。

 違うのは、大きさ。元の世界の小鳥とほぼ同じ体型であるのに、精霊コガラはアーサーの胴体ほどの体型だった。

 加えて大鳥コガラは肉の体を有していない。青白い半透明の霊体である。物質に介在しない存在であるのに、どこから羽撃く音がしているのかは不可思議だが、つぶらな目と愛らしさの塊である丸い体の前にはそんなもの、どうでもいいものなのだろう。頭を捻って考察する意義を感じない。


 アーサーの耳には大鳥がびょぉぴょぉと鳴いているようにしか聞こえないが、しかし精霊との意思の疎通とは肉声によって行われるものではない。意思と意思の交感こそが肝要であり、如何にして相手のチャンネルと合わせられるかなのだ。

 その要決を押さえられるなら意思疎通は簡単である。精霊独自のチャンネルに、自身の有する魔力波長を合わせられたなら、後は声帯から魔力波を発するだけでいい。精霊言語とはそれである。


(だから言ったろう? 心配は無用だと。しかし君の気持ちは素直に嬉しかった。ありがとう、心配してくれて)


 醜い獣ブルドと会敵する前、警告を寄越してくれて以来の対話である。

 その時は声しか聞けなかったが、こうして実際に会えたなら感謝の一つでも言いたくなるというもの。

 なんせ彼だか彼女だか不明の精霊がくれたのは、久しく巡り会えなかった優しさなのである。霊鳥コガラの親切な警告は、乾いていたアーサーの心根に沁み渡ったものだ。

 知己を得てより僅かに数時間。衒いのない感謝の念に、コガラは照れたふうに早口に囀る。


『そう改まって言われるほど、大した事はしてないよ。ぼくにできる事なんて精々が注意喚起ぐらいなものだし。それにほら、見てご覧よこの可愛さを。可愛いぼくは無力なものさ、危険な獣がいても駆除なんかできやしない』

(軽はずみに手を出さないのには感心する。確かに君は可愛い、その可愛らしさが損なわれるのは損失だろう。だが安心してくれていい、君に代わってあの獣は私が狩る。お遊びに興じさえしなければ、むざむざ取り逃がす事もないさ)

『うん。それはいいんだ』


 自称する可愛さを肯定され、ますます照れてしまったらしいコガラが近づいてくる。なんとなしに腕を差し出すと、彼は止まり木で羽根を休めるようにして着地してきた。

 自身の腕を霊鳥の足が掴み、一切の邪念がない綺麗な瞳でアーサーの目を覗き込んでくる。そしてあたかも内緒話をするように声を潜めて言った。


『君に頼みがある。出来る限り早急に帰ってほしい』


 彼からは好意しか感じられない。十年来の友人のような親しみ具合である。これは精霊に特有の距離感なのだろうか? コガラの人懐っこさを、擽ったく思いながらもアーサーは反駁した。


(いきなりだな。訳を話す気は? 訳も聞かずに『はいそうですか』とは頷けない)

『理由は幾つかある。順番に言うよ。まず一つ。そもそもカンサスの地に、人間が立ち入るのは神に禁じられてるんだ。樹海までならギリギリセーフって見做されるだろうけど、此処から先は余裕でアウトになる』

(『神に禁じられている』………ハッ。その禁を破ればどうなる?)

『さあ? 君達人間が神の禁令に歯向かった試しはないからね、前例がない。神ならぬ身のぼくには、禁を破ればどうなるかなんて分かりかねるよ』


 苦笑する。そんな曖昧な理由では、とてもじゃないが引き返す気にはならない。

 たとえ世界中の人間が信仰する神の禁令であっても、所詮アーサーにとっては他所様のルールに過ぎない。遵守してやる義理はないのだ。

 そんなアーサーの内心は知らず、コガラは続けた。


『で、二つ目。こっちのが重大だ。この時期の霊山に立ち入るのはよろしくないよ。豊葦原国のお侍さん達が、大事な大事な御子様を捨てに来てる上に、日本国・・・の団体さんも色んな意味で大きな事をやらかしに来てるから』

(っ………? に、日本? それは………ジャパンの事を言っているのか?)

『じゃぱん? 何それ?』


 一瞬、精霊がなんという国名を口にしたのかを理解できなかった。

 思わず反問するもコガラに意味が通じず、更に問いただそうとするアーサーの腕から、突然精霊は飛び立った。

 それは脅威を発見した動物の如き、反射的な退避行動である。


『っ………誰か来る』


 アーサーもまた、魔力やそれに類したエネルギーを感知する第六感、〈空覚〉に引っ掛かる反応をキャッチして剣槍を動かした。

 どこから何が襲い掛かってきても即応できる体勢を取った直後、アーサーの目の前の空間が歪む。


 現れたのは一人の巫女である。白衣に緋色の袴を着込んだ、祭事を行なう神社の巫女の格好の女だ。


 虹色に煌めく双眸を有していたのが、現れるなり黒目に戻る。

 正体不明の女に、アーサーは警戒の念を懐きかけるも、その顔の造形を認識した途端に驚愕した。なぜ驚いたのか自分自身でも理解できないのに、仰天してしまったのだ。

 硬直し、女が飛び込んで来るのに反応できず、そのまま抱き止めてしまう。彼女はアーサーの様子など気にした素振りもなしに言った。


「たすけて」


 開口一番である。女は助けを乞うた。

 固まっている青年に返す言葉はない。どこかで聞いた覚えのある声に、覚えのない記憶が刺激されている。

 ぎこちなく目線を下ろすと、胸元から見上げてくる視線にぶつかった。

 その顔立ちと声が、どうしようもなく懐かしい。会ったことなんてないはずなのに、どうしてか狂おしいまでに恋しい記憶が蘇るかのようだ。


 ばさり、ばさりとコガラの羽撃く音がする。取り落としてしまっていた剣槍が地に突き立ち、その柄頭に霊鳥が留まった。


「君は――――」


 唐突な邂逅だ。何を言われても頭がついていかない。しかしアーサーは、自らが無意識に溢した名前に泣き出してしまいそうになる。

 自分でも分からない感情がうねり、口を衝いた名前を認知した瞬間にアーサーは震える手を女の背に回した。


 幻などではない。確かに此処にいる、現実の女。誰なんだと懐疑する理性が、絶対に手放すなという強烈な使命感に蹴散らされる。

 誰でもいい、訳ではない。彼女の素性は知らねばならない。だが理屈ではなかった。こうして出会った刹那の間に、アーサー………アルトリウス・コールマンは無条件でこの女の味方になっていたのだ。

 ――――そう。合理性を尊ぶこの青年にとって、この世界で打算なく向き合える人間は僅かしかいない。元の世界で親しかった事、その条件を満たした相手にだけは、アーサーは老若男女の境なく付き合ってしまうのだ。


 故に、これも無意識。


 霊山の山頂近くより、瞬きの間もなく飛来してくる二つの気配を捉えた瞬間、アーサーは〈調月扶桑〉と己が呼ばわった女を背中に庇った。

 アーサーの目の前に、降り積もった光喰いの雪を散らした人間が二人、着地する。

 伊勢守朝孝。鬼柳千景。彼らは巫女を背中に庇うアーサーと、その至近距離に在る精霊を視認するなり目を細めた。









    †  †  †  †  †  †  †  †









 紺色の小袖と袴、黒の羽織りを纏った厳つい顔立ちの男。西洋人にとって東洋人の歳は判別し難いが、恐らく二十代半ばかそこらと思われる。彼は硬質な黒髪を頭の後ろで結わえ、腰帯に提げた刀にいつでも手を掛けられる体勢だ。

 対して眉が太く、濃い女の年齢も不詳である。ポニーテールにした黒髪は艶を持ち、白皙の容貌は鋭利に整っていた。鋭い眼光には明確な剣氣が宿り、黒塗りの胴の防具と垂、篭手を着装した姿は、さながら戦場に臨む軽装の剣士のよう


 男の物も、女の物も、共に刀は大業物である。


 彼らは状況の把握に努めた。精霊を一瞥し、巫女を背に庇う青年の風体を見渡す。

 〈金属樹皮〉を用いた漆黒のコート・オブ・プレート、黒鳥を模した兜、そして相貌を覆い隠す蒼い外套フード。携える得物は短槍二本と剣槍。差し詰め〈鴉の騎士〉とでも言うべき姿だ。

 鴉の騎士から滲む魔力波長は微量である。決して強くない。しかし練り上げられた魔力の密度を、鍛えた〈空覚〉にて鋭敏に感じ取れれば、彼が弱者ではない事を見抜けるだろう。相手を弱者であると侮る事のないまま口火を切り、誰何したのは女である。


「見たところ魔族ではなさそうだが、貴殿は何者だ。なにゆえ巫女を背にしている」

「………名を訊ねるなら、まずそちらから名乗るのが筋だろう」


 女は訝しいものを感じ眉を顰めるも、男と視線を交わして頷き合った。

 無闇に敵対的な姿勢を取るべきではない。同じ人間同士なのだ。なるべく穏便に事を済ませたいと考え、男が大きく一歩前に出て名乗った。


「貴殿の言い分、真に尤も。儂は豊葦原国の伊勢守朝孝、こちらが――――」

「鬼柳千景。見れば分かるだろうが我らは武士だ。貴殿の名は?」

「………武士? つまり………サムライ。は………はは………まさか異世界で、夢にまで見たサムライの実物に出会うなんてね」


 呟きは口の中で。複雑な感慨を噛み締めるも、今はそれどころではない。

 気を持ち直して彼は女武者に訊ねた。


「私はアルトリウス。先に訊くが、お前達はこの女のなんだ?」

「待て、こちらは国元と姓名を明かしたのだ。そちらも所属と姓を名乗れ。王国か帝国の騎士ではないのか?」


 千景はアーサーの問いには答えずに糺した。

 彼女の言い分もまた正しい。素性を明かさないのであれば、どこの馬の骨ともつかないのだ。

 身分や出自によっては相応の対応が取れる以上、アーサーの身の上は知っておきたいと思うものである。

 これに対しアーサーは冷静に返した。アルドヘルムやダンクワース、鏃の御子を手にかけている以上、安易に素性を明かすのは憚られた。


「互いに顔も名も知らない者同士だろう? であれば私も、お前達も、身分や名を偽る程度は容易。ましてやこの女はお前達から逃れて来たのだろう。私としては安易に素性を明かす事は避けたい。イセノカミとオニヤナギだったな、お前達を信用できるようになるまで、身の上は一切伏せさせてもらう」


 言いながらも、アーサーは自問していた。

 なぜ自分は、この女を庇っている。事情は知らないが明らかに物々しい連中である。こうも庇い立てしても自分に得はない。

 なのになぜ? なぜ己は見ず知らずの女を、〈調月扶桑〉なんて知りもしないはずの名前で呼んで、更には絶対に守らねばならないという使命感に駆られている?

 訳が分からない。意味不明だ。だが、しかし――――アーサーの魂が叫ぶのだ。この人は助けてと言った。この人は、助けないといけない。そう………アーサーの魂魄が訴えている。


 騎士の言が癪に触ったのだろう、顔を赤らめた千景は露骨に怒気を発する。

 だが彼の立場からすると、確かに筋の通った言い分であると認める。千景は怒気を抑えるべく唇を噛み締めた。

 しかし如何に筋を通されようとも引き下がる訳にはいかない。女武者は努めて冷静さを保ちつつ、しかし刀の柄にそれとなく手を置いた。事と次第によっては得物を抜く事も辞さぬと示したのだ。


「貴殿の信用など無用。私はその巫女の護衛だ。伊勢守は巫女の執り行うべき儀式にて、加護を与るべく同行している。その儀は我らにとって極めて重要なものだ、貴殿が何者であっても巫女を預けておくわけにはいかん。是が非でも返してもらおう」


 断れば、斬る。

 殺気にも似た剣氣を匂わせた恫喝に、鴉の騎士はピクリともしない。怯えもしなければ緊張もしていない。

 自然体のまま背中に庇っている女を横目に見た。


 すると巫女は、鴉の騎士の背に張り付く。


 その様に三者はそれぞれ異なる反応を示した。

 千景は困惑し、朝孝は目を閉じる。そしてとうの騎士は思案した。

 なんと答えるにしろ、今の騎士には判断材料が少ない。さてどうしたものかと思考しながら、彼は硬い声で千景に応じる。


「そこまで言うなら返してもいいと言いたいが、とうの本人が嫌がっているように見える。お前達は本当にこの女の関係者なのか? 実は人さらいの類いで、この女は隙を見て逃れて来たんじゃあないか」

「口を慎め、下郎! この私が人さらいだと? 許しがたい侮辱だ、そちらに巫女がいなければ即刻無礼討ちにしていたぞッ!」


 心底心外で、不愉快極まりないといったように吐き捨てる千景に対し、朝孝は閉じていた目を開くと騎士にではなく巫女に問い掛ける。


「貴殿は何を思い、儂と鬼柳殿の許を離れた。情けない限りだが貴殿が何を考えているのか微塵も汲み取れぬ。真意を詳らかにしてもらいたい」

「………」


 朝孝の静かな詰問に、やはりというべきか巫女はなんの反応も示さない。

 しかし巫女はアーサーの背に手を当てて、囁くように言った。


「あなたじゃないとだめ」


 これにアーサーは首を傾げ、二人の侍は瞠目した。

 ここにきて、蚊帳の外に立たされていた精霊が鳴く。地面に突き立っている剣槍の柄頭に停まっていた霊鳥は、諍いに発展しそうな雰囲気を察して水を差したのである。

 精霊言語を修めていないのだろう。コガラが精霊であるのは分かっても、何を言っているのかはさっぱりといった様子で、朝孝と千景は顔を見合わせた。

 だがアーサーにだけは意思が伝わっている。


『喧嘩はダメだよ、喧嘩は。少なくとも今はやめて。だって巻き込まれちゃうとぼくがヤバイ』

(………精霊なんだろう? 危ないと思えば魔術なりなんなりを使って逃げればいい)

『はぁ………あのね? 確かにぼくは精霊だけれども、戦闘力はウンチだよ。平たく言って雑魚なのさ。そういうのはお偉い精霊サマしか対処できない。概念位階にイッてる真人がドンパチやってみなよ、余波でぼくが消し飛んじゃうのが目に見えてるじゃんか』


 さも当たり前の事でも言うような語調に呆れてしまう。やれやれと嘆息するも、彼は朝孝らに女の身柄を譲る気は毛頭なかった。

 彼の頭の中にあるのは、一度落ち着いて巫女と話をする事だ。その場にコガラもいればなおよしである。が、朝孝と千景がいると落ち着いて話もできまい。どうしたものかと知恵を絞りつつ、アーサーは剣槍に手を伸ばして持ち上げた。


 その際にコガラは飛び立ち、アーサーの肩に留まる。


 精霊が明らかにアーサーに肩入れしている様を見て、当惑を深め千景は唸った。

 彼女とて無為に事を荒立てたいわけではない。昨今の情勢を鑑みるに真人類は苦境に立たされている。同じ人間同士で争う事ほど馬鹿らしい事はないのだ。

 だが抱えた使命を思えば、綺麗事ばかり言ってもいられない。時間がないのだ。祈祷の巫女を生贄にし、神王の霊に謁見するための祭祀を始めるには、決められた時刻を守る必要がある。それを意識せざるを得ない千景の双眸に危険な光が点った。


「………そこの精霊、ただちに退去しろ。これは我々の問題だ、下手に立ち会えば巻き添えにしてしまうぞ」


 それは遠回しな最後通牒である。

 無論コガラを巻き込まないためのものだが、同時にアーサーにも脅しを掛けている。大人しく巫女を渡さねば、そちらを斬り捨ててでも取り戻すまでと。

 故にアーサーは溜め息を溢し、霊鳥へ淡く微笑みかけた。どうやら悠長に話し合いをしてくれる手合いではないと察したが故に。


(ここから先は、私と彼らのいざこざだ。関係のない君を巻き込みたくはない。お別れといこう)

『ちょっと待って、なんで彼女を庇うのさ。見ず知らずの赤の他人だろう? 彼ら、どう見ても君を殺す気だ。巫女のために命を張る義理があるのかい?』

(無い)

『なら渡しちゃえばいいじゃないか』


 そう、義理は無いのだ。コガラの言う通りにするのが一番賢いだろう。

 しかし背後の女を、誰にも譲る気にならない。………どうしてだろうか?

 分からない。だが今は分からないままでいい。感情の赴くまま動きたい気分だった。


(義理は無いが………どうにも私は、彼女の味方をしたいらしい。なぁにあの獣を狩るまでは死なないさ。安心してくれていいよ)

『………変な人間。名前はアルトリウスだっけ? また会おうね。なんでかぼくは、君の事をひと目見た時から好きになっちゃってたみたいだから』


(はは………好かれて悪い気はしないが複雑だね)唐突な告白である。アーサーは苦笑して、(私のどこが気に入ったんだ?)と訊ねてみた。


『さあ? 分かんない。分かんないけど………久し振りに、人間に・・・会えた気がしたから、かな?』

(………? それなら彼らも人間だろうに。私だけ特別扱いか)

『さてねぇ。ぼくにも説明できない感覚だよ。………うん。じゃあね。せめて幸運を祈っておいてあげるよ』

(………ああ。次は友人として会って、ゆっくり話そう)


 うん、とコガラが頷いてくれたのを見て、アーサーはそっとコガラから意識を完全に外した。

 霊鳥は羽撃くと夜空に消えていく。しかし精霊の力で傾いだままの樹木はそのままで、金属の樹皮を持つ巨木は月光を遮らなかった。

 飽きもせず降り注ぐ白い雪。アーサーは剣槍の接続を解き、鉄棍を背に帯びると大剣を右手に提げる。精霊が去ったのを見届けた千景が腰を低く落とし、太刀の柄を掴んだ。


「悪いが話し合い、落としどころを探っていられるほど時間がない。………これは脅しではない、巫女を渡さないなら斬る。引くなら今の内だぞ?」

「剣呑だな。私にその気はないが、そちらは実力行使に出るのだろう? なら是非もなしという奴だ。それにそろそろ私も、自分がどれほど強くなったのか測りたいと思っていたところでもある。サムライが相手なら不足はない、やり合いたいなら掛かってくるがいいさ」

「フン、強がりを言う。殺めるには惜しいマスラオだが………やむを得まい。貴殿は………いや、貴様は私が斬って捨てよう。伊勢守、手出しは無用だ」


 アーサーはやれやれとでも言いたげな素振りを見せつつ、頭の中では如何にして調月扶桑を連れて逃げるかばかりを考えていた。

 この二人の侍は真人だ。いずれの位階にまで到っているのか判別する術を有していない以上、下手に交戦する愚を犯すつもりはない。幸いにも鬼柳千景とやらは直情な性格をしているらしいが、伊勢守朝孝という男には性格的な隙は見つかりそうもなく………勘だが、朝孝の方が千景よりも強い気がした。


 千景の言に顎を引き、浅く頷いた朝孝を視界の隅に捉えつつ、アーサーは正面に千景を迎えて大剣の切っ先を女武者へと向ける。彼の意識は首に巻いた自作の〈魔力封じ〉のチョーカーに流れつつあった。

 ここでこれを外すべきか、外さざるべきか。出し惜しむのもばからしいが、出し惜しんだまま斬られるのもアホらしい。アーサーは意を決する。


 まずは千景の腕を見て、その力量次第で戦闘を継続するか、逃走するかを決めよう。方針を定め、アーサーはぼやいた。


「………獣を一頭、片付けるだけの簡単な仕事のはずが………よもや、だ」


 巫女は何を考えているのか不明のまま。掴みどころのない佇まいでアーサーの傍を離れない。その様がどうしてか微笑ましく、出処の定かでない感情で危険を犯す己をアーサーは嘲笑う。

 だが、いい。構うものか。困った人を助けるのは当たり前、人助けなんて久しくした覚えのない善行をこなすのも悪くない。

 調月扶桑。その名前が頭の中に乱舞した。

 事此処に到ってようやく古い記憶が蘇る。

 ああ――――調月。そうだ、その苗字は覚えている。思い出せた。それは昔、アーサーが元の世界に居た頃、日本へ留学に行く際に下宿先として受け入れてくれた一家の苗字だ。

 なら、覚えにあっても不思議じゃない。


「少し、待っていてくれ。なぁに、そんなに待たせないさ」


 そう囁きかける。自分でも驚くほど優しげな声だった。

 するとそれに反応したのだろうか、巫女はアーサーにだけ聞こえるように囁きかけてくる。それは、ささやかな予言であった。


「――――初手は、首。気をつけて………アーサーくん・・・・・・


 がらんどうであるはずの女の声も、どうしてか愛おしさに満ち満ちていた。







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