嚆矢濫觴、能事畢れり 4
“神学”とは旧時代に於いて、宗教の教理や信仰生活を、信徒の立場に立って研究する学問の事を指す。
しかし時代が移ろうと、神学はその意味合いを変えた。
実在した神々や、それらが遺した奇跡を紐解き、探求する学問をこそ神学と呼び習わすようになったのだ。
その神学の専門家にして、退役する前は優秀な幕僚でもあった者は言う。一人の真人を打倒するには、完全武装の精鋭が十万必要である、と。
最低位の真人を、障害物のない広い空間で、常人が正面から討ち取ろうとした場合だ。駆け引きなく、どちらかが斃れるまで戦闘を続けると仮定した上である。
十万対一。余りに酷い
では第五、第四位階の真人は?
それぞれが百万、一千万に相当するのではないかと推測された。
あくまで推測だ。現実的な想定でないのは、専門家の分析結果を聞いた首脳陣は百も承知である。実際に戦闘を行なうなら、将兵が士気を保ったまま全滅するまで戦うのは不可能であるし、真人とて不利な局面となれば撤退を選ぶだろう。
故に結論はこう結ばれる。正面戦闘という条件下であれば、真人に敗北は無い、と。隔絶した戦闘能力の差は、現代の科学・魔導技術では埋め難いのだ。
では常人は軍隊を以てしても、絶対に真人を打ち倒せないのかと問われれば………答えは否だ。
古い記録となるが、とある真人が人類より離反し、魔族に与した事がある。如何なる事情があって、その真人が人類を裏切るに到ったのかは今以て不明であるが、人類の粛清を逃れその者はいずこかへ潜伏し、事あるごとに人類に仇をなした。
早急なる討伐が望まれ、多数の真人が裏切り者を葬り去らんとしたが、結果としてその真人を討ち取ったのは十人からなる常人の兵士だったのである。
相手よりも先に居場所を割り出し、戦場を選び、誘い出し、罠に嵌め、騙し、欺き、ついには討ち取るに到ったのだ。つまり終始アドバンテージを握れさえすれば、常人であっても少人数で真人を討ち取れるのである。そこには奇跡のような幸運も求められるが、真人が絶対無敵の存在ではない証左と言えよう。
兵士は無力ではない。群れれば時に圧倒的なまでの力の差を、知恵と勇気で覆せるのである。真人相当の脅威、魔族が相手であっても。
「敵ながら天晴、などと言いはしない。同じ天を戴けぬ怨敵に、あらゆる賛辞は無用の長物だ。君は芥のように死ぬのだよ。哀れに赦しを乞うても、人類は悪しきモノ共を根絶やしにするまで止まらない」
ダンクワースは城塔より見上げる。航空戦艦ネイルソンの前に立ちはだかり、獅子奮迅の武者働きを魅せる炎の勇士を。
あの魔族は真人でいうところの第四位階に位置する、下手をすれば第三位階相当の実力者なのだろう。あの理不尽なまでの無敵さを誇ってきた、帝国の最高傑作にして最悪の欠陥品とも称される皇女を、単独で戦闘不能にまで追い詰めたのだ。その見立ては間違いあるまい。
だが如何に強大であっても、ほぼ死んでいるも同然の状態だ。純粋な魔力は底を尽き、生命エネルギーを魔力に転用して、死体に鞭を撃つが如く無理矢理戦闘行為を行なっている。あんなザマでは到底長くは保たせられまい。ましてや無謀にも相手取っているのは、真人一千人、真人相当の精鋭である魔導兵約百機、約九千の兵員なのだ。魔族が死に体で十分の一以下の実力しか発揮できていない今、屠られるのは時間の問題でしかない。
そして彼の魔族は先に逃げた女のために、こちら側の足止めを図っているようだが、そもそも一人で大多数を止められる訳もなく。アルベドの核の奪還、もしくは破壊のため追撃に出た兵員のほとんどを素通りさせていた。
彼に残された力は少ない。律儀に付き合ってやる義理などないのだ。今は兎にも角にも逃げた魔族の方が優先される。それでも真人の精鋭部隊や、航空戦艦の進路を阻んでのけているのは驚異的である。前線で出会っていたなら斃すのに多大な犠牲を要していただろう。彼は孤立無援の中よくやった、だが悲しいほどに無意味だ。どれほど手こずったところで、あと半刻もしない内に犠牲なく斃せる。
げに恐るべきは、ユーヴァンリッヒ伯爵の
男の魔族により真人の部隊の半数と、航空戦艦の足止めをされるという歯噛みすべき状況下で、先に追撃に出た常人の兵員でも―――ともすると女の魔族に追いつき、捕殺出来得る戦場をあらかじめ作り出しているのだ。南東の城塔にダンクワースと鏃の御子を配置したのはこのためで、女魔族の逃走経路を誘導するためであったのだから恐ろしい。
やはりあの伯爵の頭脳は人類の至宝の一つと言えよう。九分九厘、アルベドの核は破壊か奪還を期待できる。女の魔族の異能らしきものを見るに、最悪異次元に閉じ込められたまま紛失してしまうだろうが、魔族の手に渡るよりは遥かにマシだと割り切る他ない。
「―――約定は果たした。私達の役目はここまでだ。ここから先は、グラスゴーフの復興計画に頭を悩ませるのが貴族の役割というもの。さあ行こうかバレット。流れ矢が来たら手間だからね」
魔族の孤軍奮闘から目を離し、ダンクワースは傍らに戻った鏃の御子、バレットへ声を掛ける。
血を分けた我が子は、神王の御子の一人が憑依転生してきた事で、正常な感情を喪失している。外部からの補填で鏃の御子の力の源泉、感情エネルギーを得ていたが、それもアルベド・ブランケットを屠るために使い果たした。一応威力の調整は可能としているが、アルベドを戦闘不能にするには出力を絞るわけにもいかなかったのだ。
故にバレットは人形のように沈黙している。幼子の貌には、一片たりとも心の光は宿っていない。自失して定まりのない瞳で血縁上の父を見返してくるばかり。そんな御子の手を引いて、ダンクワースは速やかにこの場を立ち去る。
さて、次はどこから感情エネルギーを補填するかな、と算段を立てつつ。
「お待ちください、ダンクワース侯爵閣下」
第三幕壁より出た時だ。地上を歩む彼ら親子は、不意に暗がりから姿を現した騎士に呼び止められた。
腹の底に響くような重低音である。カヴァリエ・バリトンとでも言うべき、堂々たる男の声だ。精鋭と称するに足る者のために、カンサスの樹海の樹皮を使用して作製された、コート・オブ・プレートを纏っている。
血糊がこびり付いた灰色の剣槍を携え、上質な蒼布で顔を隠し、鴉を模した兜を被っている。その身の内から発される莫大な魔力の波動が、彼が真人である事を感じさせた。
位階としては第五、といったところ。体躯に漲る生命力の充謐も合わさり、第五位階の魔導師であるダンクワースは目を剥いた。魔道と士道の双方で、第五位階相当の力を感じさせる彼は、かなりの実力者であると判断できる。こんなところで油を売っていていい人材ではない。
「………なんだね、君は。こんな所で何をしている?」
当然の誰何と疑問に、彼の騎士もまた当然のように答えた。
「アレクシア………様を保護するよう指示され、それを成したところです」
よく見れば、確かに彼は一人の少女を背負っている。紅の髪の乙女、アレクシアだ。
衣服が全焼しているためか、道端で回収したらしい粗布を被せている。
「次なる指令を確認したところ、ダンクワース侯と合流し安全地帯まで護衛せよと仰せつかりました。まだどこかに魔族が潜んでいる可能性がある故、アレクシア様もお目覚めになられ次第、私と共に閣下の護衛を務める手筈です」
ダンクワースは侯爵の爵位を持つ王国貴族だ。護衛の類いが付くのは当然と言える。鏃の御子の存在も考慮すれば、いない方がおかしいだろう。第三幕壁の城塔へ配置につくため、魔族の目を引かないために単独行動をしていたが、元々任を終えた後には護衛として一個中隊が回されるはずだった。
その一個中隊の姿は無い。女魔族の追撃に回され、代わりにこの騎士が護衛としてやって来たのだろうか。過剰戦力な気がしなくもないが、魔族の存在の有無が不確かな以上、あながち過剰だとは言えないのかもしれない。
「………ふむ。分かった、任せよう」
「は」
ぎこちなく片膝をつき、慣れないように頭を下げる騎士。その不自然な所作は、背負っている皇女を気遣って、なるべく体を揺らさないようにしているものだと解釈した。
この騎士が魔族の扮した姿である可能性も考えられるが、もしそうであるならアレクシアを生かしたまま背負っているわけもない。見つけ次第、意識がないのを幸いに殺しているはずだ。
「ところで、彼女は皇女として扱われるのを嫌う。軍人として接したまえ。アールナネスタ大尉と呼ばねば、それはもう臍を曲げてしまうぞ」
「………了解」
アレクシアの存在から、ダンクワースは警戒する事もなく見慣れない騎士の護衛の申し出を受け入れる。
予想外の指摘にぎくりとしたようだが、身分の差を理解する騎士だからこそ、皇女を軍人として扱う事に戸惑っているのだろうと好意的に理解した。
彼はバレットの手を引いて歩く親子のすぐ後ろに付き従う。そんな彼にダンクワースは紳士的に言った。
「アールナネスタ大尉はタフだ。じきに意識を回復するだろうが、念のため培養槽に入れて差し上げなさい。大事な賓客であるし、今回の作戦の功労者でもあるからね」
「は。………ところで、その培養槽はどこへ?」
「………? ………ああ、そうか。忌々しい魔族の破壊活動で、培養槽もほとんど破損してしまっているかもしれないな。中央病院ならあるいは………一つぐらい残っているかもしれない。私達の護衛が済んだ後は、そちらに大尉を運んで差し上げるといい」
「承知しました。………それはそうと、何やら御子も体調が優れぬ様子。なんでしたらこのまま中央病院に直行致しますか?」
「ん?」
ふと、彼は気遣わしげに意見を具申してきた騎士に、無視できない違和感を覚えた。
今代の鏃の御子の欠陥は有名である。周知の事実と言っても良い。なのに何故バレットの様子を見て気遣うのだろうか。単に感情エネルギーが枯渇しているだけだというのに。
視線を向けると、顔の見えない騎士はダンクワースを見据えている。………言い様のない冷たさを感じた。蒼布の向こうに見えるのは、碧眼の中にある縦に開いた瞳孔。
竜の因子を持っている? ドラゴン・スレイヤーの知り合いはいないはずなのに、その目を何処かで見た事があるような気がした。
「………君、名前は?」
「は?」
「君とはどこかで会った事があるような気がしてね。だから名前を訊ねている」
「………私はアルトリウスといいます」
「ふむ………知らない名前だ」
聞いた事のない名である。嘘を言っている様子もない。違和感の正体を探ろうにも、特にこれといって思い当たる節もない。考え過ぎかとダンクワースは頭を振る。この騎士がたまたま、鏃の御子の事情を知らなかっただけなのだろう。
そう判断すると、彼は口を滑らせた。
いや、滑らせたわけではない。広く知られている故に、変に隠し立てする必要はないと思ったのだ。案外言ってみれば思い出すかもしれない、そういえばどこかで聞いた覚えがあるなと。その判断はある意味で正解で、ある意味で誤りだった。なぜなら―――
「バレットなら心配は要らないとも。鏃の御子が感情エネルギーを武器とするのは知っているだろう?」
―――騎士は、知らなかった。
「アルベド・ブランケットを討つのに、出力を絞る訳にもいかなかったからね。全開で権能を振るい、結果としてガス欠になってしまった。だから治療の必要はない。またどこかで感情エネルギーを補填すればいい」
知らなかったのだ。
ガス欠。つまり、現在の鏃の御子が、無力であるなんて。
少年は知らなかった。
「なんだ。警戒して損した気分だぁね」
「………ん?」
独特な訛り混じりの失笑が聞こえ、ダンクワースは怪訝に思い背後を振り返る。騎士は背負っていた皇女を優しく地面に降ろし、横たわらせていた。
何をしている、とダンクワースが訊ねるより先に、彼は剣槍の接続を解除し、鉄棍を明後日の方へ投げつける。
「失敬、敵を見つけたもので」
「敵? どこに―――」
擲たれた鉄棍は暗がりに消えた。
その断末魔に釣られて視線を向けたのが、ダンクワースの運の尽きだった。
敵を見つけたと言われ、そんなものがどこにいるのだと気配を探ろうとした瞬間、左の脇腹から真横に、熱い何かが駆け抜けたのだ。
視界が突然、地面に近づいた。転んだ? 慌てて立ち上がろうとするも脚が動かない。すぐに気づく、斬られたのだ。腰を。
腰から上が地面に接地している。ダンクワースの下半身は、自身の真後ろで未だに立っていた。
「日本語とは難解だ。そうは思わないか?
何がなんだか分からない、分からないが斬られた。では斬ってきた相手は―――誰だ? 騎士は敵を見つけたと言った。なら自分はその敵に斬られたのか?
まがりなりにも真人である、王国侯爵たる自分にすら気づかせないとは、魔族に匹敵する脅威に襲われたのだけは把握できた。ダンクワースは慌てて騎士に命じる。彼が何かを言っているが耳に入らない。
「アッ、アルトリウス! バレットを守れ、私などよりバレットを!」
「………誰に斬られたのかも分からないのか?」
「………ぁ?」
灰色の刃が二度、閃いた。両肩に痛みが走る。これで下半身のみならず両腕も失い、達磨にされたのだ。
誰に、と疑問を懐く余地はない。今度は正確に把握した。自身を斬ったのは、護衛であるはずのアルトリウスだったのだ。
驚愕に二の句が継げなくなる。ぱくぱくと口を開閉し、唖然としてしまう。だがダンクワースは魔導師である、両腕と下半身を失った程度で死にはしない。思考が追いつかないながらも魔力炉心を起動し、失った部位を再生しようとする。しかし機先を制するようにアルトリウスが冷たく告げた。
「再生せず、大人しくしていろ」
「き、君は………」
無抵抗のバレットの首を猫のように掴み、その首に大剣を突きつけ命じたのだ。
咄嗟に再生を止めたダンクワースは愕然としながらも問う。
「い、意味が分からない………な、なぜこんな事を………?」
「………なぜ?」
「君は私達の護衛ではなかったのか? なぜ同じ人間に、こんな非道な真似をする?」
「………」
「何を血迷っているのかは知らないが、こんな愚行は今すぐにやめなさい。君ほどの戦士を罪に問い、極刑に処さねばならなくなれば人類の損失だ。そしてそれ以上にバレットの存在は人類に欠かせないのだよ。いいかね、落ち着くんだアルトリウス。こんな事をした理由は後で聞こう、今なら―――」
ダンクワースは訳が分からないながらも、努めて冷静に、真摯に語りかける。口にされる言葉の全ては嘘偽りのない本音だ。
だが説得の口上は途中で断絶する。心底愉快そうに、少年が嗤ったのである。
くつくつと、地の底から込み上げる地響きのように。
殺気は、無い。恐ろしいほど濃縮されたそれは、もはや恋する乙女にも通ずる愛の鼓動だ。いっそ慈しむようですらある。
背筋が凍った。蕩けるほど甘く、人間の如く黒い。微睡む赤子に子守唄を歌っているかのような、告死の笑い声。この微笑みに名前を付けるなら、殺意。有無を言わせぬ報復の音色。
「君は、いや………“君”と呼びかけるのは違うな。お前、貴方………ああ、貴様と指した方が適当かな? 何せ貴様という二人称は、中世から近世初期まで、武家間の書簡で用いられた言葉だ。意味としては、貴方様。尊敬の意味合いの方が強かったが、近世以降は庶民の間でも使われるようになり、尊敬の意味が薄れ、もっぱら目下の者に使うようになったらしい。語源としては相応しくなくとも、現在使われている意味としては相応しい」
「………っ」
絶句したのは、ダンクワースが決して愚物ではないが故。断言してもいい。この騎士は一欠片もダンクワースと向き合っていない。自分の中の某かに語りかけているのみ。
敬虔な信徒が祈るように、己の中にだけ答えを見い出さんとしている。そこへ他者が介在する余地はなく、故にこそ問答無用に確信できる。
何を言っても、無駄なのだと。既に彼の中で答えが出ている。だが諦めるわけにもいかない。
「私が誰か分からないのは………まあ、無理もない。顔を隠してある。以前より背は伸び、声も変わった。成長期だ、貴様が私を見て以前の私を想起できないのも仕方ない。だが、私は別にそれでもいいが、駄目だろう?」
「………?」
「ずっと考えていたんだ。復讐とはなんなのか、と。何せ時間はあった、訓練ばかりの時を過ごしていからね。ずっと考えて、そうして復讐には作法があると考えるに到ったよ。復讐とは儀式だ、やられた事をやり返す………しかしそれだけでは足りない。復讐される側にも理解させねばならないのだ。自分が誰に、なぜ復讐され、殺されるのか。それを教えてやらねばならない、私がどれほどこの瞬間を待ち望んでいたのかを理解させるために」
私の名は、アルトリウス。
そう告げた少年に、ダンクワースは返す言葉を見つけられない。それが誰だか本当に分からなかったのだ。だが兜の裏で、ニヤニヤと悪意を秘めて嘲笑う気配を感じ沈黙する。
「アルトリウス………コールマンだ」
「こー………るまん………? “コールマン”だとッ!?」
「ああ、そちらの名は覚えていたか。そいつは重畳」
覚えていた。何せ今回バレットの感情エネルギーの糧とした、哀れな少年なのだから。その命を買い取ったのは、他ならぬダンクワース自身である。忘れるはずがない。
だがどうした事だ。なぜ彼は苗字と名を持っている? 貴族の落胤だとでもいうのか?
驚愕に貫かれるダンクワースの顔に満足し、少年は機嫌良さげに喉を鳴らす。笑いを堪えているのだ。思わず問い掛けて来る復讐相手の驚きが、心地よくて堪らない。
「こ、こんな短期間で、どうやってそこまで強く………?」
「敢えて言うなら、運が良かったのかな。さて………もう良い。名残惜しいがさっさと済ませないといけない。アレクシアがいつ起きてくるか分からないからね」
「ま、待て! 早まるなコールマン。いいかね、こんな事をして何になる? 復讐がしたいのは分かった、だが何度でも言うが早まってはいけない! 今ここで私を殺せば君は罪人となる! こんな短期間でそれほどの力を手に入れた君を失うのは、余りに惜しい! 私は………もうこれ以上強くなれない。また前線に出るべき身分でもない。ウェスト・リーズ侯爵の位も、領民も息子が引き継ぐだろう。故に私が死ぬのはいい、君の方が価値ある人間だ。だからひとまず、ここでは私を見逃してほしい。然るべき場を整え、その時に私を殺せばいいだろう」
「………はぁ?」
「私を殺させてやろうと言っている。君のために命を捧げよう。元より罪深い業に手を染めている自覚はあった。復讐される覚悟があったわけではないが、君ほどの才能の持ち主になら殺されてもいい。私が死んだのは、私の手による自殺という事にする。そうすれば君は罪には問われない。どうかな、悪くない話だろう。私を殺した後は、君は人類のために戦う戦士に―――」
「…………」
唐突に、熱が冷めた。
ダンクワースが本気で、真摯に、掛け値なしの本音で語りかけてきていると理解したせいで。少年の目から、熱狂的な歓喜が溶けて消えた。一言で言えば、白けたのだ。
深々と嘆息する。そしてまるで反応すらしない鏃の御子を、達磨になっているダンクワースの眼前に放り投げた。
話が通じたと思ったのだろう。安堵したふうに肩を落とす壮年の紳士に、少年は絶対零度の眼差しを射込む。
この男は、狂っている。少年は狂人相手に昂ぶっていたのだと認識して、大いに殺る気が萎えるのを感じていた。
君の方が価値がある? 殺されてもいい? わかっていない、欠片たりともわかっていない。そんなお膳立てされた舞台で、武士のように介錯するなんてあってはならないというのに。
「もういい。黙れ」
「わかってくれたか。そうだ、それでこそ―――」
コールマンはあらゆる感慨もなく、無造作に動作した。大剣を雑に振るう。
そうすると、ひどく呆気なく鏃の御子の首が飛んだ。父親の眼前で。
幼子の首が刎ねられ、鮮血が噴き出る。味気ないにも程がある、第二位階という権能の持ち主が、それだけで至極あっさりと死んだのだ。
力を失えばただの人。真人化の切り札を使ってまで来たのに、こんなにも情けない最期を遂げさせる事に一抹の不満はあったが、どのみちここで殺すつもりでいた。
復讐とは厳粛で厳格な儀式である。途中でとりやめてよいものではない。感動の余韻は無用。だからコールマンは、萎えてしまっても機械的に義務を遂行する。
「―――ぁぁぁあああ!? ば、バレットぉ!? な、何を………なんて事をぉぉおお! や、鏃の御子を………人類の最終兵器なのだぞ!? 次の御子が生まれるまで何年掛かるか分からないというのに、なんて愚かなッ!?」
「………」
今更そんな悲鳴を聞かされても、全く心躍らない。しかも我が子の死に嘆くより、兵器としての御子の機能ばかりを惜しんでいる。どこまでも調子の外れる男だと、虫けらを見下ろすように目を細めた。
達磨になっていたダンクワースが両腕と下半身を再生する。表出したのは青い魔力、ブルー・カラー。だがそんなものに関心を懐く事もなく、コールマンはダンクワースを蹴り倒し、馬乗りになると淡々と拳を振り下ろす。抵抗するべく魔術を使ってこようとするのを、ダンクワースの頭に手を触れ、魔力炉心に直接介入し術式の結合を解除する。
今のコールマンは、マーリエルの
時が経ち、真人化の効果が切れれば使えなくなる。というより、忘れてしまうものだ。だがこの時はまだ使える。なんの遠慮もなくマーリエルの力を使い、コールマンはダンクワースの抵抗を封じて延々とその顔に拳を降らせ続けた。
それは自分が父、ユーサーを殴打してしまった数。自分がユーサーに殴られた数。不細工に腫れ上がり、歯が折れて、血に塗れていく男の顔を冷酷に見詰めた。
殴りつける度に痙攣するダンクワースの反応をよそに、胸中に湧いてくるのは亡父への想い。
父さん、僕に殴られた時は痛かった? 父さん、貴方に殴られた時は痛かったよ。僕は今、丸ごと全部やり返してる途中だ。
人類のためだとか、事情があったとか、そんなのどうでもいい。御託はたくさんだ。どんな大義名分があっても、やられた側にとっては弁解にもなりはしない。父さんの言った通りだよ。僕は悪くない、父さんも悪くない。だからコイツが悪い。
まったく、なんて無残。コイツの護衛に回されてきたんだろう、一個中隊ぐらいの兵隊さん達を殺した時は、それなりに胸も痛んだもんだけど。コイツには何をしても全く良心が痛まない。
きっちりと、復讐を完了する。後は………まあ、雑でいい。
やられた事をやり返すと、最後のおまけに拳を顔面に叩きつける。ダンクワースが意識を朦朧とさせているのを見て立ち上がると、ダンクワースの頭を踏みつけ、その胸に大剣の切っ先を埋めた。
血飛沫が舞う。返り血を浴びながら、大剣を介して赤い雷光を迸らせ体を焼いた。マーリエルの魔術“
遠心力で大剣からダンクワースの体を抜かせると、降ってきた丸焦げの体を縦に一刀両断した。
なんの魔術の備えもなしに、頭を破壊されれば真人でも死ぬ。それで終わりだった。終わってしまったのだ。ダンクワースへの報復が。ちらりと鏃の御子の遺体を一瞥すると、哀れな死体が転がっている。コールマンは悩ましげに独語した。
「誰が言ったんだろうね、復讐は虚しいだなんて。………ハッ、真っ赤な嘘だぁね。終わってみれば、少なくとも溜飲が下がる感じはする。まあ………肝心の相手のせいで、爽快とはいかなかったのが惜しまれるが」
もう少しドラマティックに復讐できると思っていたわけだが、肝心要の復讐相手が狂人でしたなんて笑えないにもほどがある。
だが現実はこんなものだろう。夢想していた残虐で苛烈な報復も悪くないが、実現できただけで満足するべきだ。
この分だと残りのもう一人を手にかけても、さして感動を味わえないだろう。だがそれでもいい。意味不明な異世界生活を満喫する気もない。復讐は、もはや此の世で生きている意味そのものだ。後は野となれ山となれという、投げやりな気持ちがある。復讐を楽しむのではなく、義務として処理するのだとでも思えば途中で投げ出す事もない。
二つに別れた大小の死体に一瞥をくれ、しかしもうコールマンの関心は綺麗さっぱりなくなっていた。マネキンの残骸が転がっているのを見つけた気分だ。
コールマンは相も変わらず気絶しているアレクシアを背負い直すと、すっかり喧騒の消えた街へと向かう。中央病院とやらに行き、この女を培養槽にぶち込むつもりだった。
あまり長い付き合いではないし、どちらかというと素っ頓狂な女という印象の方が強いが、仮にも知り合った仲だ。それぐらいの面倒を見る情はある。後の事は知らない。
少年は立ち去る。二つの死体が後には残されている。
その片割れ。幼子の死体から漏出した淡い光が人の像を結び、歩き去っていくコールマンの背中をジッと見詰めていた。
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