迷宮への入り口へ臨む






「ヴォンズダーバァズ……」


 受付のあるエントランス、その角のロビーソファに腰掛けたコールマンが、浅い傷を負った兜を外しガラガラに枯れた声で呟いた。

 すぐ傍にディビットが座る。同郷で年上の少年ということもあり、無意識に頼りにしてしまうのだろう。先程のダンジョンでの一幕で、コールマンの方が明らかに強いということが分かったからでもある。ディビットはマリアを睨んでいるが、コールマンの掠れ声に疑問符を浮かべた。


「なんだよ、その……なんとかバースっての?」


 コールマンはテーブルの上に兜を置き、甲冑を外し始めた。金属の金具を外す音が鳴り、取り外した物をテーブルの上に並べていく。胸当てや手甲など、その裏には青白い魔力の籠もったルーン文字がビッシリと刻まれていた。

 体を屈めて脚部を覆う防具を外しながら、ちらりとマリアを見る。余り喋りたくないのだ。それにディビットにどう接したらいいか分からずにいるという事情もある。ダンジョンに一度に潜って良いのは三人までという決まりから、コールマンはマリアは外せないにしても、後の一人を同郷で知り合いだからディビットを選んだに過ぎない。エイハブの方が妥当かもしれなかったが、ディビットの方が生き残れない可能性は高いと考えたからでもあるが、正直に言ってこの世界でどんな関係だったか知らないため、距離感を測りかねているというのが実情だ。


 正確な回数は教えてくれなかったが、マリアは後何回かしか一緒にダンジョンに来てくれない。余り過保護だと成長が見込めないからだというが、それが方便でもなんでも良かった。重要なのは、マリアの保護下にいる間に、生き残れるだけの力と知識を身に着けねばならないということのみ。それ以外は余分だ。

 マリアが抜けたら、その穴はエイハブで埋めようと考えている。発掘闘技都市に連れてこられる際、ユーサーとコールマンと同じ護送車に乗せられていたあのエイハブだ。無論断られたら他の人間を宛てがってもらうしかないが。


「“魔獣氾濫モンスターバース”ね」


 マリアはコールマンの言わんとしていることを察して、それを解説してくれた。ご丁寧に指先で虚空に文字を描いてくれる。コールマンのためだが、ディビットは胡乱な目でそれを見る。

 魔の獣の氾濫……“birthバース”――つまり誕生。モンスターを魔獣と読むのは良いにしても、どうしてbirthを氾濫に変換するのか。

 日本語はやはり難解だね……と、コールマンは日本語への偏見と誤解を深めつつ、マリアに先を促す。


「“魔獣氾濫モンスターバース”というのは、このグラスゴーフのダンジョンが活性化している状態のことよ。低級のモンスターや希少な能力を持つ個体規模が膨れ上がること。過去ダンジョンからモンスターが溢れ、街に被害が出たことがあるわ。アーサーが私に聞きたいのは、私とこの前に潜った時にその“魔獣氾濫モンスターバース”が起こっているかもしれないと言ったのに、特に何事も無かったから本当にそれが発生してるのか、ってことよね?」

「……」


 頷く。あのゴブリンブレイブは当たり前として、魔法を使ってくるゴブリンメイジ、その上位個体のゴブリンセージが徒党を組んで襲ってきたら、コールマンは成す術もなく殺されてしまうだろう。

 だがどうだ。既にディビットを連れて一回、その前に一回ダンジョンに赴いて第一層を練り歩いていたが、遭遇するのは弱い最下級のゴブリンばかりである。弱いと言っても、こちらも弱いのだからドングリの背比べという奴だが。

 一瞥するのは、外した甲冑の胴を覆う装甲だ。浅くない傷が刻まれている。あれを着けていなければすぐに動けなくなる重傷を負っていただろう。――完全に躱したと思ったんだけどね、と胸中に溢す。


「目下調査中よ。つい最近までは確かにその兆候はあったわ。けどそれが沈静化した。今までになかったことだから、気を抜かないで慎重に調べてるの」

「……じらべでる、ザイヂュヴなの、に、わだじだぢをダンジョンに入れざぜるのは、なんでだぃ?」

「無理して喋らなくていいわよ? そうね……アーサーは確かに貴重な人的資源よ。けど現在既に存在してる、精鋭の兵たちを上回る価値があるとは見られてない。将来性は大事だけど、目先の危機の方が今は重大事だから、兵に犠牲を出すぐらいなら貴方達登録者を調査に当てたほうが良いと考えてるんでしょうね」


 僕らは捨て石か、と自嘲気味に嗤う。

 ディビットが憤慨して吐き捨てた。


「はっ、クソだな。やっぱお前ら、人でなしだ。兵隊が大人数で調べた方がいいだろ。それなのに俺達を捨て駒みたいに使いやがって……」

「クソなのは否定しないけど、そのクソに使われる貴方はクソ以下だって理解して口を動かしなさい」

「……んだとこのクソ女ぁ!」


 勢いよく立ち上がって、立ったままのマリアに掴みかかろうとしたディビットの腰を軽く殴る。うぇっ、と間抜けな声を上げてこちらを見てくる少年に、コールマンは呆れながら首を左右に振った。


「マリア……女のゴが、グゾなんで、言ヴものじゃない」

「……」


 言葉遣いを嗜めると、マリアはきょとんとする。そしてすぐに噴き出した。「言葉遣いで貴方に注意されるなんてね」と。

 心外である。コールマンに癖しかない言葉を教えた、元の世界の友人のせいなのに。まともな言葉遣いは、現在鋭意勉強中なのだから大目に見てほしい。


「……言葉遣いはともかく、大人数で調べる段階ではないわ。このダンジョンは、侵入者が三人までなら大規模なモンスターを生み出してこない。比較的安全に魔石を採取するには三人が手堅いのよ。折角沈静化してるんだから、変に刺激しない方がいいわ」

「なんで三人だけなんだ」

「ディビット、ない知恵を絞ってから発言して」

「この……!」

「やめ、ろ」


 生意気盛りで血の気の多いディビットはともかく、マリアがこうも煽る言い方をするのにコールマンは戸惑っていた。少年を制止して、少女に視線で抗議する。

 すると彼女は肩を竦めた。悪びれもせずにのたまう。


「私、口先ばっかりで努力もせず、思慮が浅く生意気な人間が大がつくほど嫌いなの。貴方のことよディビット。アーサーは努力を怠ってない、知恵も絞る、足りないものを理解して素直に教えを乞う謙虚さもあるわ。アーサーの足を引っ張るだけじゃ飽き足らず、悪影響を与えかねない腐った蜜柑は取り除きたいの。分かる? 腐った蜜柑くん」

「ッ……! お前! ふざけんなよ……アーサーは俺のダチなんだ! 他人がしゃしゃり出て来て好き勝手言ってんじゃねぇ!」


 ダチなのか……とコールマンは他人事のように思う。元の世界だと知り合いというだけだったのだが。まあそれはいい。

 要はマリアは、個人的な感情でディビットと反発し合っているというわけだ。相性が悪いのだろう。しかしそれは割とどうでも良い。要点はそこじゃない。コールマンは嘆息した。


「他人じゃないわよ? 私と彼、友達なんだから」

「はぁ!?」

「ついでに言えば、私はアーサーの教官よ。関係性の密度で言えば私が上じゃない?」

「ふざけんな! それなら俺なんてアーサーの幼馴染だぞ!」

「それが? アーサーは私の教官でもあるし、ここ二ヶ月間誰よりも濃い密度の時間を一緒に過ごしてるんだけど?」

「は? お前がアーサーの教官で、アーサーがお前の教官……? 何言ってんだお前。意味が分からねぇ」

「……」


 張り合うなバカ。内心呆れ果てて物も言えないコールマンだが、わざとらしく咳払いをして話の腰を折らせる。なんの益体もない遣り取りを交わす場面でもない。

 腰のベルトから長剣を鞘ごと抜き、テーブルの上に置く。ディビットは軽装の鎧兜の装備で、武器はスタンダードな剣と盾だったが、それも置かせた。「そういえば、なんでここで脱ぐんだ?」とディビットは不思議そうだったが。答えはいたってシンプルである。


「嫌がらぜ。置ぎっぱなじにじで、手間をがげざぜでやる」

「……」


 我ながらみみっちい嫌がらせだった。大したことはまったくないから、マリアが微妙そうな顔になる。離れた場所からこちらを見る、受付の男二人も同じ表情だ。

 ディビットは笑った。そりゃいいな、なんて。コールマンは魔導十一式バトル・スーツの上から、軽く自身の右肩を撫でながら微笑する。


「……いいけど。それよりさっき言ったわよね。アーサー、貴方が精鋭の兵士より価値がある人材だと見られていないって」


 言った。コールマンの異質特性“天稟増幅グロウス・ブーステッド”の存在を考慮に入れていないのだろうか? それともその異質特性が、そこまで重要視されていないのか。どちらでもいい、というのがコールマンの感想である。

 しかし深く考えてみると、答えは自ずと導き出せる。コールマンは喉に手を当てながら淡白に言った。


「ぞれば、マリアが私の特性を、研究じ終わっだがら?」

「察しが良いわね。正解よ。貴方のそれ再現不能なの。良かったわね、異質特性が貴方だけの個性になったんだから」

「……」


 詳細はどうなのか、教えてくれないのだろうか。じ、とマリアの整った貌を見詰めると、少女は薀蓄語り好きのスイッチが入ったのか教えてくれる。


「魔力の発生源は脳にある魔力炉心だけど、魔力形質を定めるのはその人間の魂よ。そこから辿っていって、貴方の血液の採取から始まり、魔法使用時・睡眠・食事・入浴・戦闘その他諸々の活動をモニタリングしてデータを収集。原因を特定したわ。“天稟増幅グロウス・ブーステッド”の発生原因は魂魄にある。発生原理は貴方の魂が二つある・・・・・・ことよ」

「……」

「一人の人間が二つの魂を持つ……こんなことは有り得ない。それを再現するには、全くの他人の魂を掛け合わせる必要があるけど、魔力形質を混ぜると拒絶反応で死ぬわ。拒絶反応を押さえることができても能力や素養の二乗化は不可能。だって一つの器に二つの魂を入れたら溢れちゃうから、どうやったって再現はできないのよ。でもどうしてか、貴方は違う。二つの魂が完全に融合して、同調し合い、魔力の生産量と放出量、その他の成長率や素養そのものを二乗化してる。正直お手上げよ」


 マリアはひらひらと手を振った。本当にどうしようもないのだろうが、コールマンとしては素直に喜べない。……二つの魂が、完全に融合している? なら、コールマンはこの世界のアルトリウスと混ざったままで……魂を切り離さないと、元の世界に戻れないのではないか、なんて理屈を越えた部分で思ってしまう。

 もしそうなら、喜べる道理はない。なんだってそんなことになってしまったのか、恨み節を溢したかった。しかしマリアの探るような目に、コールマンは息を呑む。


「……貴方の特殊な事情・・・・・って、それが原因なんでしょう?」

「……」

「貴方の生まれと身分では知ることのできないはずの事象を知ってること。育まれるとは思えない才能と技能を持ってること。磨かれるにしても限度がある教養と知性……それは貴方本来の魂の物じゃなくて、混ざってしまった魂の物なんじゃないかって私は睨んでるわ。違う?」

「……」

「ま、正解でも不正解でもいいわ。だってどのみち手が着けられないわけだから」


 正解不正解で言えば大正解である。付け加えると、主人格となっているのが、その混ざった方の魂であるというのは黙っていた方がいいかもしれない。

 というかだ、コールマンは彼女の研究にまったく協力していなかったのだが、ここまで分かってしまうものなのだろうか。いつかのマーリンの言葉が思い出される。マリアが天才の中の天才であるという……。


「で、私が後少ししか貴方についてダンジョンに行けないのは、研究が終わったから私が貴方についている必要がなくなったからよ。再現不能なら構ってる暇はない、ってことね」

「……ああ、ぞれで」


 納得した。それなら理解できる。

 マリアが一緒の部屋にいたから色々と我慢させられていたが、それから解放されるなら気が楽にある部分はあった。監視とは名ばかりだったが、それでも。

 しかしマリアは言った。


「けど私に他の任務が回ってくるまでは、できる限り貴方の傍にいて、貴方を鍛えてあげる。約束しちゃったし、仕方ないと割り切るしかないわ」

「……ありがどう?」

「ええ。感謝してよ? 私の貴重な時間を割いてあげるんだから」


 ついでにディビットも鍛えてやって欲しいが、それはどうなのだろう。嫌がるだろうなと思う。そんな義理はないとか言って。

 そうしていると、受付の男性がやって来た。糊の利いたスーツをビシッと着込んだ姿はまさにエリートサラリーマンといった風情である。


「お待たせしました。今回のダンジョンアタックで獲得した魔石の計上をお伝えしますと、“コールマン”とディビットで半分に分け、五十万円ずつの成果となります。元の部屋にお戻りください」

「……」

「――時間ね。部屋に戻るわよ」


 マリアがそう促してくる。ダンジョンから出てきて、こんなところで水を売っていられる時間はない。席を立つとコールマンはディビットを促す。彼は男の方に向いて露骨に舌打ちすると、渋々元の部屋に戻るべく歩き出した。

 その後を追いつつ、コールマンは男性に問い掛ける。


「……ディビッど、と、今後も行動ずる。部屋に戻っでがらも、連絡を取れるようにじでぐれる?」

「畏まりました。通信を行えるように手配しておきます。ただしその通信はこちらでも確認できるようになっておりますので、その点につきましてはご留意ください」

「わがっでいるざ」


 言われるまでもない。鼻を鳴らし、コールマンはディビットらと連れ立って自身の部屋に向かっていった。





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