3話「粉々ハートは硝子色」

 結論から先に言えば、全く罪のない雑賀サイタを全力で足蹴にしてしまった。




 コンクリートジャングルと呼ぶに相応しい初夏の熱さと湿気が肌に纏わりつく。暑いと言っても、涼しくなる気配はないので黙りつづける。

 照らす陽射しにはうんざりするが、携帯電話の画面が見えないので文庫本を読むには丁度いい。そう思って、アタシ多々良ララは人を待ち続ける。

 待ち合わせ場所は休日だと子供連れが多い少し大きめの公園の茶店前。トロピカルジュースはすでに飲みきっている。


 慣れないワンピースに薄めのカーティガンを着て、日差しを避けるための夏用帽子を頭に被せて待つこと十分。待ち合わせ時刻より五分ずれた時。

 久しぶりに聞く軽い声に思わず急いで振り向きそうになる。それを必死に押し込めて平然とした様子で視線を先に動かし、次に首を動かすというゆっくりした動作。

 相手はもちろん週末の休みに会いたいとメールしてきた小泉ソウジ。アタシにとっては幼馴染で、今では工業高校に通う青春満喫野郎である。


 まずはその格好に絶句する。こんな暑い日に黒い革ジャケットは自殺行為。しかも鋲とか打たれているハードレザー系だ。

 指や首には髑髏のモチーフなどメタルロックバンドが好みそうな銀細工のアクセサリ。汗か熱かで周囲の皮膚が赤くなっているのは自業自得だと思う。

 金髪に染めたとは聞いていたが、大分時間が経っていたらしくプリンのような色合いに。そして耳には痛そうなピアス。カラーコンタクトもいれているらしく、目は青色。


「……似合わない」

「久しぶりに会っての第一声がそれかよ!?いや、でも若い時しかやれねぇしさ、見逃してくれよ」


 何故か照れたように鼻の下を掻く小泉ソウジ。汗だくなので、先にコンビニで買っておいた中身が氷で少しずつ溶かしていくタイプのペットボトルを渡す。

 小泉ソウジは嬉しそうにお礼を言いながら受け取り、まだ氷が残っているペットボトルを頬に当てて癒されたような顔をしている。その無邪気な表情は昔と変わらない。

 アタシは出していた文庫本をしまい、これからどこに行くのかを尋ねる。今日、アタシを呼んだのは小泉ソウジなのだから、予定があるはずだ。


「まずは後輩がバイトしてる喫茶店でなんか食わねぇ?腹減った!」

「いいけど、遅れた罰として奢ってよね?」

「もちろん!あ、でもあまり高いのは頼まないでくれよ!今月小遣いピンチなんだ!!」

「そんな訳わからない物を買いまくるからでしょう。仕方ないなぁ、全く」


 会話がすんなりと進む。気負うこともなく自然体で声が出せる。それだけのことが嬉しくて、はしゃぎそうになる。

 しかし浮かれていることをこいつには知られたくない。冷静に努めて、あくまで平然と。顔が赤くなるのは暑いからということで。

 それにしてもずっと気になっているんだけど、なんでカノンと枢がアタシを尾行しているのか。聞きたいけど、聞きたくない。


 カノンがあまりにも堂々としているせいで枢の猫が茂みに身を隠すような気配が台無しだ。まず夏用とはいえ、ゴスロリ服暑くないのだろうか。

 なんにせよ邪魔されなければ問題ない。小泉ソウジも全くと言っていいほど気付いていないので、続行することにしよう。

 小泉ソウジは歩きながら高校の話で盛り上がる。初めての後輩は大食いのバイト三昧で、授業中寝ているせいで補修仲間とか色々。


 その後輩が働いている喫茶店は予想以上にお洒落で驚いた。まさか小泉ソウジがこんな良い店を選ぶとは思わなかったほどである。

 空調が充分に効いており、天井で静かに回り続けるプロペラが冷えすぎないように空気をかき混ぜてくれる。重厚な色の木材家具を中心とした、コーヒーが自慢のお店らしい。

 置いてある小物も魚の形した青い水晶が置いてあり、思わず雑賀を思い出す。林檎の絵はテオ、チェス盤は枢、考えてみればアタシの周囲って特徴あるな。


 遮光ブラインドがかけてある窓際の席に案内され、冷房の肌寒さを緩和する温かさが身に染みる。それでも小泉ソウジはまだ暑いらしいが。

 金髪の若い店員が小泉ソウジに注文と一緒に軽い世間話をする。どうやらこれが噂の後輩らしいが、なんか何処かで何度か見た覚えがあるような気がする。

 かなり鍛えているのか、ウェイター服を着ていてもわかる筋肉が小泉ソウジとは大違いだ。後輩の方が工業高校の生徒らしい顔だ。


「ここはヤマトの親戚が営業してる店なんだよ。あ、ヤマトってのはこいつな。ヤマト、これが俺の幼馴染のララ」

「ういっす。話は聞いていました、お会いできて光栄です。で、先輩……割引はウチやってませんよ」

「……知り合いサービスはない?」

「ないっす。でも叔父さんは若い女の子好きだし、レディサービスもしくはガールズサービス適用か聞いてくるんで」


 注文した後に盛大に後悔する小泉ソウジだが、後輩のヤマトは気にせずにカウンターで常連客とコーヒー豆について話している店長に話しかけている。

 もしもお金が足りないようだったら自分の食事代は払ってやろうと思う。大体、小泉ソウジにそういった気遣いは求めていなかったし、これからも求めないと思う。

 特別扱いされたい、という気持ちはある。それ以上に対等に思ってほしいとも考える。アタシの心はいつも安定しないまま、宙に浮いている。


「先輩、今回特別に女の子分は無料っす。ただし追加注文はきっちりお代頂くんで、そのつもりで」

「ありがとう、ヤマト!さすが俺の後輩!しかしララの顔を見て女と即判断するとは、店長やるな!」


 思わず握っていた硝子のコップにひびを入れそうになった。今日のアタシはロングスカートのワンピースを着ていたのが目に入らなかったのか、こいつは。

 そして小泉ソウジの言葉に、後輩のヤマトも信じられない物を見るような目で首を傾げている。どんなに顔が男のように見えても、服装を女の子にしているんだよ、こっちは。

 違う席で注文していたカノンがこちらを凄い形相で睨んでいる。枢は背中しか見えないが、明らかに呆れたように息を吐き出している動きが見えた。


「先輩……だから彼女にフラれるんすよ。それをお洒落した幼馴染の女の子に語るとか、俺ちょっと失望しますわ」

「いいんだよ!ララだって偶然スカートはいただけだろし、それよりも……ミズキちゃんんんんん!!!!」


 いきなりテーブルの上に顔を突っ伏した小泉ソウジ。付き合いきれなくなったのと、新しい客がやって来たことで後輩はあっさり離れていく。うん、悪い奴じゃないけど、こういう奴なんだよ。

 新しい客は和服を着ていたが、顔立ちが外国人のような青年だった。後輩のヤマトは彼に嬉しそうに近付いたので、常連客らしい。店長も手招きして一番奥の良い席を案内している。

 なんにせよ料理が来るまでこいつの失恋話でも聞いてやるしかないか。如月ミズキ、できればアタシとしてはあまり聞きたくない類の話なんだけど。


「ミズキちゃんさぁ、卒業式に告白とかいうロマンチックなことしてくれたから本気なんだろうなと思っていたら……最初から遊びだったとか言ってさぁ、聖クリスティーナ女学園で好きな人ができたって……」


 どこから言葉を挟めばいいかわからない。その告白劇の裏側を知っている身としては、やはり苦々しい思いしかない。そして聖クリスティーナ女学園は女子高なはずだ。

 いや待てよ。如月ミズキはアタシを女と知っていて告白してきた。ということは、最初からそっちの趣味だったのか。否定する気はないが、巻き込まないでほしい。

 それにしても最初から遊びとはいえ、こんな馬鹿に一年は付き合った義理は認めてもいい。それとも本当に好きだったのか、今となっては問い質すこともできない。


「あと不思議なんだけどさぁ、ミズキちゃんの字ってすっげぇ丸文字なの。それはそれで可愛いけどさぁ、あの時の字と全然違うんだ」


 背筋が凍る。冷房のせいじゃなくて、アタシの臓腑の奥から痺れるような冷たさ。氷を噛み砕いて胃に押し流した時よりも、嫌な心地。

 知ってるよ、あの子じゃない。あの手紙は、気持ちは、心は他人アタシの声。知ってるよ、どうせ届かないんでしょう。

 何年付き合いがあると思っているのさ、それくらいはもう理解しているんだ。だから掻き乱さないで、燃え尽きて灰になった期待を目の前に持ってこないで。


 だけど今すぐ伝えたい。あれはアタシの物だった。アタシが何時間も考えた、精一杯の気持ち。

 それでも言えない。アタシの勇気と努力は全てあそこに置いてきた。あの一瞬のために、全て注ぎ込んだ。

 まるでガラスの靴みたい。王子様と踊ることだけを夢見ていたはずなのに、その先を夢見て浮かれている。けどアタシは失敗している。


 当然。これは童話ゆめものがたりじゃないもの。


「そんなことよりさ、ご飯食べたら少し歩いて……ストリートミュージシャンに会わない?白雪って知ってる?」

「まじ!?知ってる!!何故かスカウトを断り続けてるけど、本来ならプロになってもおかしくないと噂の!!女!?」

「男」


 よし、上手く話を逸らせた。見ての通り小泉ソウジは項垂れて落ち込んでいる。白雪っていう通り名が悪いと思うけどね。

 どうせ頭の中で白い肌の黒檀の髪に赤い唇の女性でも思い浮かべていたんだろうな。途中まで間違っていないのが怖いところではあるけど。

 そしてスカウトを断り続けているのは本人の意思ではなく、過保護な護衛二人の根回しなのだろう。うーん、良いのか悪いのか。


 なんにせよ小泉ソウジが器用に持ってきたスパゲッティとサラダとデザートを食べることに従事するとしよう。

 フォークを手に取り麺を絡めて口に運ぼうとした矢先、ど派手なバイクの排気音とけたたましいサイレンが店の横を高速で通り過ぎていく。

 しかも奇声付きだ。ミニパトから迸る女性の声が顔見知りに対して怒るように止まりやがれと叫んでいる。常連客の一人が苦笑いで店長と話している。


「また慈愛の奴だ……相変わらず自由で奇想天外。僕もあれくらい気楽な性格だったら良かったな」

「なに言ってんだよ、知識さん。アンタがいなければウチは路頭に迷う大家族だ!アンタが義理堅い性格で大感謝だ!」


 人の苗字にアタシが口出すのはあれだけど、かなり変わった名前だ。そしてさっきの暴走バイクとも知り合いなのだろう。

 気を取り直してスパゲッティを食べる。美味い。クリームが胡椒を利かして絶妙に麺と絡み合う、これ以上の表現力がアタシにはない。

 サラダもドレッシングが酸味を利かせていて、デザートもコーヒーゼリーとバニラアイスが頬を蕩かせるようで、もっと量が欲しい……けど小泉ソウジの前では大食いできない。


 これが雑賀の前なら遠慮なく大食いできたのに。今度雑賀をこの店に連れてきて、味を覚えさせれば食べ放題にならないかな。

 変だな、アタシ。小泉ソウジのことだけ考えればいいのに、雑賀の顔とか枢、テオにカノンの姿ばかり浮かぶ。心が揺れて、落ち着かない。

 まるで風に煽られる蝶みたい。止まる葉も花もなくて、それなのに甘い蜜を求めて飛び続けている。いつか力尽きて、枯れて、倒れるとも知らないような。


 小泉ソウジも美味いとだけを繰り返して食べ続けている。アタシと同じ、語彙力がない。でもわかる。本当に美味しい物に出会えば、言葉がない。

 むしろ言葉が邪魔になる。野暮なことを口から出せば、それと一緒に旨味が出ていってしまうような錯覚。それにしても一瞬で消えていく美味しさ、素晴らしい。

 カノンと枢もこちらを気にしつつも舌鼓を打っている様子が見えた。穏やかな時間、緩やかな昼下がり、ずっとこのまま針が十二時から動かなければいい。




 白いワンピースドレスが翻っても、小泉ソウジは気にせずに歩き続ける。結構高かったし、悩んだのに、一言も指摘されない。

 そしてアタシに注がれる視線もいつもと違う。男と間違われることなく、背の高い女性だと振り向いて確認する人間がいるほどだ。

 熱く焼けたコンクリートを靴で鳴らせばまるで針の音だ。カツコツと進む時計の気分で、今日の時間が永遠じゃないことを自分で刻む。


 午後の一番熱い時間だったが、テオの前は人だかりができていた。小泉ソウジはその姿を見て、微妙に嬉しくなさそうな表情をしている。

 そしてテオを守るように椚さんが日除け傘装備でシャツとジーンズという楽な格好で、横にある販売ブースに群がる人達を捌いている。本業は忘れたのだろうか。

 暑いと思いつつ汗を拭こうとバッグに入れていたハンカチで顔を拭く最中、視線を動かした先にこちらを見て驚いている針山アイ。来てたのか、そっちも。


 雑賀からテオのファンだとは聞いていたが、こんな暑い日に御苦労なことである。しかしファンってそういうものなのかもしれない。

 テオはいつも通り自分のペースでキーボードを組み立てている。鼻唄交じりなので、心底楽しそうである。雑賀が血を吐いた甲斐もあったというものだ。

 しかしあの白い肌でこの炎天下はきついだろう。すでに鼻の頭が真っ赤になっている。そこへどこかから現れた梢さんが黒子の如くさり気なくパラソルを立てている。


 いつの間にドイツから帰って来たんだろう、あの人。椚さんも椚さんだけど、梢さんも色々と濃いよな。アタシが言えたことじゃないから、言わないけど。

 さり気なく知り合いが揃っているような気がして周囲を見回す。だけど雑賀の姿はどこにもなかった。見えるのは暑苦しい人の群れ。安心したような、残念なような。


 その間にテオが歌い出した。湧き上がるような歌声が高い青空に響く。ピアノ演奏は相変わらずだけど、前よりも生気に溢れている。

 手拍子を打つ人々、それに合わせるように体が、足下が動き始めるテオ。まるで歌いながら踊っているみたいで、太陽が眩しく彼を照らしている。

 アタシは帽子を目深にかぶり直す。羨ましい、テオが羨ましい。輝かんばかりの魅力が目に突き刺して、見ていられないほどだ。


 誰もがテオに目を向けて笑顔になっている。つられて小泉ソウジも笑顔で、針山アイも、椚さんや梢さんも、カノンや枢も楽しそうだ。

 わかっている。勝手に嫉妬して楽しくなくなっていくのはアタシだけ。アタシとテオが違うことくらい知っているのに、羨ましくて仕方ない。

 愛されている彼が羨ましい。誰かを笑顔にできる彼が羨ましい。小泉ソウジや多くの人を夢中にさせる、その全てが羨ましい。


 嫉妬深くて自分が嫌になる。今もアタシは群衆モブの中で主人公ヒロインを眺めているだけ。ああ、嫌だ。自分自身に吐き気がする。

 なんでアタシはそこに立っていないのだろう。そんなのは簡単なことで、アタシが多々良ララだから。夢を見るだけで一歩も進めない臆病者だから。

 昔も今も変わらない。この本質はきっと蝶になっても変わらない。頭の中で授業中に聞いた胡蝶の夢が勝手に自動再生される。わかってるよ、アタシはアタシでしかないことくらい。


 それでも望んでしまう。愛されたい、こんなアタシを誰か愛してほしい。それが自分の好きな人ならば、最高じゃないか。


 だけどアタシは拍手を贈る側。スポットライトは当たらない。横で小泉ソウジがアタシを見ないまま、テオへと盛大な拍手を贈っている。

 汗すらも真珠の玉のように輝かせて、テオは笑顔でお礼する。そこから質問タイムに移ろうとする人々と、それを阻止しようと前に出る梢さん。

 これで枢の指示は終わった。後はアタシの思う通りでいいだろう。小泉ソウジを連れて去ろうとしたが、その前になにかに気付いた奴が大声を出す。


「深山!?それと……超可愛い!?なにその子、モデル!?というか久しぶり!!その猫耳は友人!?」


 興奮しているのか会話の順序が支離滅裂なままカノンに話しかける小泉ソウジ。ぐっ、見つけてしまったか。鈍いままでいればいいものを。

 針山アイは明らかに胡散臭そうなものを見る目で小泉ソウジを眺めているし、枢に至ってはうざかったのか背中を向けて無言のまま動かない。

 説明しようとするカノンだが、好奇心が先立った奴のせいで質問責め。困ったことにアタシ達を見つけたテオも近寄ってくるしで、どうすればいいのか。


「皆来てたの?あれ、サイタは?確かクルリの話じゃ、午後に駅前を通るからってこの時間にライブを入れたのに……」

「うおぉっ!?噂の白雪も深山の知り合いかよ!?お前、昔から変な交友関係持つよなー。ララと友達なだけはあるよな!!」


 ……ほぉ?アタシが変だと言うか、こいつは。否定したいが、小泉ソウジの目にアタシは映らない。カノンや針山アイにしか意識が向いていない。

 テオがアタシに気付いて顔を見た瞬間、自分よりも体が小さい枢の体の影に隠れる。背中からもわかる落胆を滲ませながら枢は深い溜息をついた。


「全く、何事です!?不肖この梢、坊ちゃんを怯えさせる者には容赦は……」

「巨乳美人!!しかも雰囲気がエロい!!最高!!」


 梢さんがアタシに気付いて珍しく言葉に詰まる中、小泉ソウジが正直すぎる賛辞を贈っている。しかし内容としては最低だ。

 針山アイやカノンもアタシの様子に気付いたのか、嫌になるほどの炎天下で顔を青くした。気付かないのは美男美女に浮かれる小泉ソウジだけ。


「なにここ天国!?ミズキちゃんにフラれたこと、どうでも良くなってきた!ちょ、この中で彼氏募集中の人いない!?俺と付き合おうよ!」


 そろそろ止めてやるか。これ以上は見ていられない。そう思って近づいたアタシの目に映ったのは、消えたと思った過去の残骸。

 白い紙が埃で黄ばんでいて、それでも書かれた四文字は掠れながらも消えていない。小泉ソウジの手にあるそれは、アタシの──気持ち。


「本当はこれの確認しようとララを呼んだけど、どうでもいいや!正直ララは友達以上に見れないし、やっぱ可愛い女の子最高!」





 アタシの気持ちは、本気は、その程度だった。





 わかってる。そんなこと全部わかってる。わかってるけど、納得できない。納得したくない。

 こんなワンピース買わなければよかった。あんな手紙書くんじゃなかった。全部こいつに利用されるくらいなら──消えて。

 体の周囲に灰が浮かぶ。わかってる、こんなのは八つ当たりだって。だけどこれ以上は耐えられない。アタシの嫉妬が沼に沈んで広がっていく。


 白いレオタードにフリルとレースを纏わせた、擬似ドレスを着て足を動かしていく。左の太腿に灰色の蝶が痣となって浮かんでいるのも見える。

 アタシが幸せになる魔法なんでこの世にはない。あるのは驚異的な攻撃を生み出す役に立たない魔法だけ。でも今だけはそれでいい。全部消せるなら、それでいい。

 針山アイとカノンが逃げていくのを見て、小泉ソウジがこちらを振り向く。その目は驚愕に見開かれていて、信じられない物を、アタシを見ている。


 踵落としでコンクリートが割れ砕けた。ガラスの靴が陽光を吸い込んで輝きを増す。


 手紙を握り締めたまま間一髪で避けた小泉ソウジ。周囲は騒然となって、椚さんがなにかしら説明をしているがアタシの耳には入らない。

 テオを庇うように梢さんが様子を窺っているが、小泉ソウジを助ける気はないらしい。枢も携帯電話を片手にどこかへ電話をしているが、こちらも止める気なし。

 頬を流れていく水滴は、きっと汗だろう。拭き取ることもしないまま追撃しようと恐怖で動けなくなった小泉ソウジに迫る。情けない悲鳴よりも気になるのはアタシの手紙。


 白い紙に青いインクで愛らしい絵が書かれた、大切な手紙。たった四文字を絞り出すために、何枚も犠牲にしたアタシの気持ち。

 綺麗な文字で書かれている。アタシの自慢の文字。今までで一番綺麗な字になるよう、頑張って書いたんだ。たった一人に届けばいいと願った物。

 ずるい、ずるい、どうして、アンタはどうして、そうやって人の気持ちを利用できるの。どうしてアタシの気持ちに気付かないまま、目の前で笑えるの。


 名前を書き忘れたアタシのせい?それとも自分が書いたと言い出せなかったアタシのせい?馬鹿みたいに期待したアタシのせい?

 わかってる。答えなんてないんでしょう。だからこんなに苛立つし、苦くて、酸っぱくて、口の中は乾いて砂漠のよう。途方もないまま立ち尽くしたくなる。

 だけどその手紙だけは、どうしてもその手紙だけは、シンデレラとは違う方法でも、取り返したい。だってそれはアタシの──。


 回し蹴りの如く振り切った足が人にぶつかる。暑い空の下で冷たい青い鱗が弾け飛ぶ。光を反射して輝く鱗に見覚えがあった。

 汗だらけで走ってきたと言わんばかりに肩を上下させている雑賀が、小泉ソウジを庇うようにアタシの蹴りを受けた。どうして、ここにいるの。

 体の表面に生えた鱗はアタシの一撃で多くが散らばってしまうが、それはすぐに空中を蝶のように動き回って小泉ソウジの前で薄く小さな壁になる。


 地面を転がった雑賀だけど、持ち前の運動神経で転がりならも起き上がった。頭を押さえながら、焦点を合わせようと必死の形相でアタシを睨んでいる。

 枢が役目を終えた携帯電話をポケットに入れている。カノンが少し安心した顔で息を吐き、テオは涙目で雑賀を見ている。一体なにがどうなっているのかわからない。

 だけど雑賀はこちらの気持ちもお構いなしに、傲慢な態度のままアタシを指差して大声で告げてきた。


「なに馬鹿をやってんだ、多々良!お前らしくねぇだろうがっ!!」


 アタシらしくない。けどアタシらしいってなにか、わからなくなってしまった。ただわかるのは今は雑賀が邪魔ということ。

 だから雑賀を潰してから小泉ソウジだ。でないとあの青い鱗はアタシの攻撃を防いでしまう。こんなことになるとは思いもよらなかったけど、もうどうでもいい。

 傲慢野郎を完膚なきまでに叩き潰す。そのためにアタシは固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】を身に纏ったまま、雑賀の固有魔法【小さな支配者リトルマスター】へ挑んだ。

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