3話「カラフルコーヒーに黒ずくめの少年」

 雑賀さいがサイタ、高校二年生。野球部所属のどこにでもいる人間だと自分、つまり俺は思っている。

 家族に関しては両親と妹二人。ただ両親の阿保みたいな事情と妹達の我儘のせいで、東京で五人で住むマンションで一人暮らしという生活を送っている。

 それが何の因果かある七択を選んだ固有魔法所有者を狙うカーディナルという組織や錬金術師機関とかに狙われている、という事態に。


 これで漫画やライトノベルみたいに女の子に囲まれてモテるという進行ならなにも文句はない。しかし現実とは無情なものだ。

 俺はチビなままイケメン外見の女子や猫耳装備のニートと知り合った上に、今度は路上ライブをやる子供っぽい男と知り合う羽目に。

 しかも俺の好みドストライクの女子は俺と敵対する関係だ。一体俺が何したって言うんだよ、畜生。


 そんな日常、いや非日常に疲れていた俺は授業中に爆睡する。昼休み後の五限体育終わった後の六限日本史は魔性の睡眠時間だ。

 俺だけでなく同じクラスの瀬田せたユウや田原たはらリキヤもすでに夢の中。西山にしやまトウゴはノートで手元を隠して恋愛ゲームをしているほどだ。

 山瀬やませキオは眠いが寝ようかどうか迷って舟をこいでいる。原西はらにしユカリは彼女とメールをしているらしく、堂々と携帯電を電子辞書を入れるポーチの中に置いて文字を打っている。


 こんな穏やかな時間があと二時間は続けばいいという俺の夢は、制服のポケットに入れていた携帯電話のバイブ音で呆気なく終わる。

 やむなく目が覚めた俺は日本史の老人先生に気付かれないように携帯電話を取り出す。そこには猫耳野郎こと、くるるクルリからのメール。

 内容は今日の晩御飯は豚の生姜焼きが良いという要望と、もう一つ頼んでいたことがわかったという報告。


 実は針山はりやまアイという俺を殺そうとしたことがある女、カーディナルという組織に属している少女の高校所在地が知りたかったのだ。

 と言っても復讐や仕返し目的ではない。つい最近頼まれてCDを代わりに買ったのだが、CD代と渡された金額で差額が発生している。

 五百円足りないという結果なので、今日の放課後にでも請求しに行こうと思い、制服の特徴を枢クルリに伝えて特定してもらったのだ。


 一応合コンで知り合ったこともあり、セッティングした瀬田ユウからお嬢様学校というのは聞いていた。

 だがそれ以上は聞けなかった。下手に関わりすぎて瀬田ユウを巻き込むことになるのは不本意だからな。本当は俺自身も無関係を貫きたいんだがな。

 なんにせよ針山アイの高校が有名な聖クリスティーナ女学園と判明し、女子高かよと俺のテンションが微妙な位置を行ったり来たりする。


 女子高に男子一人で行くのは気まずい、しかもカトリック学校の響きだしな。だけど女子しかいない空間というのに男は夢見るものだ。

 仕方ないので俺は枢クルリと、同じ学年でクラスが違う多々良たたらララもメールで誘って向かうことにする。

 すれ違って会えないのも嫌なので、メールで同じ部活の西山トウゴに今日は部活を休む旨を伝えておく。一通りのメール送信を終えた俺は、再度夢の中に旅立った。




 驚いたことに多々良ララは友達と紹介された深山みやまカノンを連れて来ていた。俺を見る笑顔がぎこちないのは、多分事故でのスカート捲りが引きずられているのだろう。

 謝ったとはいえ俺もあの件に関しては今でも鮮明に思い出せてしまうくらいには思春期だ。いやだって黒のレース下着とか、そんなの忘れろって言うのが難しい。

 校門でゲーム機片手に俺達を待っていた枢クルリ。基本ひきこもりなのだが、今回は素直に出てきた。なんか企んでるのか。


 とりあえず深山カノンと枢クルリの挨拶を済ませ、聖クリスティーナ女学園に向かう。駅一個分の距離、都内なら徒歩で行ける範囲だ。

 意外と近くにあったものだと思いつつ、そうでなければ瀬田ユウが合コンセッティングできるはずがないだと納得する。

 深山カノンは猫背でバンダナに猫耳をつけている枢クルリが気になるのか、猫耳に手を伸ばしては逃げられている。ゲームやりながら歩いている割には、俊敏な動きだ。


 だが笑顔を向けられているのと、深山カノンの外見がコスプレに近いせいか、いつもより警戒心が薄い枢クルリ。

 そして俺達を振り向く視線で、女性の多くは多々良ララの顔に向かっている。さすが高身長イケメン枠、女子なんだけどな。

 ちなみに男性は深山カノンの方を見ている。外見は少し派手だが、愛らしい容姿をしているからだろう。


 居心地悪いのはチビで特徴のない俺だな。ただし外国人は俺の愛用漢字シャツを見てはしゃいでいる。

 オタクらしき人物は枢クルリの猫耳が気になるようだ。都内でも目立つからな、あの格好は。

 そんな風に目立つようで都内の風景に溶け込んだ俺達は、白い校舎が美しくて花壇も多い華やかそうな聖クリスティーナ女学園に辿り着くわけだ。


 ちなみに全寮制らしく、隣には学生達が住んでいる大きな寮がいくつも建っている。こちらも白く、だが最新の監視カメラが設置されている。

 警備員も門のところで見張るほどで、さすがはお嬢様高校といったところだろうか。校門から出てくる女子のレベルも高い。

 そんな中、大足で俺に近づいてくる女子一人。明らかに敵意の視線をこちらに向けており、だが笑顔だけは無理矢理顔面に貼り付けている。


「あら、雑賀さん。こんなところで会うなんて奇遇ですわね。ご機嫌いかがですか?」

「……誰だよ、お前」


 明らかに俺が知っている針山アイの姿だが、態度が明らかに針山アイではない。思わず人違いですと言って、去ろうとした。

 だがそんな俺のスニーカーを履いた足の爪先を、綺麗なローファーで踏まれて動きを止めるしかない。逃がさないつもりらしい。

 笑顔なんだが明らかに漂わせている気配が怖い。俺別に何もしてな……いや鼻折ったことあるけど、あれはCDのことで清算されたはずだ。


「雑賀さん、ここがどこだかご存じで来やがりましたのかしら?」

「お嬢様高校だろ。俺はお前にCD代のことで話に来ただけっつーの」

「……本当に何も知らないとは、恐れ入りますわよこの野郎。あーもう、この口調も疲れるし、別の場所に行きましょう」


 そう言って俺の爪先から足を退けて、背中を押し始める針山アイ。俺は最初抵抗したのだが、胸を押し付けてまで移動させようとするのでなすがままだ。

 なんか大きいとはいかなくても、柔らかくて温かい心地の膨らみが背中にあって、正直鼻の下が伸びそうだ。くっ、これだからこいつは恐ろしい。

 好みドストライクな上に所々の反応や部位がこれまた女子を意識させる。なのに性格だけが合わない。最良の事故物件みたいな相手だ。


「……鼻の下伸びてるよ、雑賀くん」

「なんで他人行儀!?って、え、伸びてる?まじか多々良!?」


 俺は慌てて鼻の下に手をやると同時に背中から離れる押す力。針山アイが俺に虫けらを見る目を送ってきている。

 深山カノンも気のせいか俺と距離をとって、枢クルリの背中に隠れている。枢クルリのゲーム機を持つ手が震えている。笑っていやがるな、猫耳野郎。

 そして多々良ララが見下すような視線を向けてくる。俺が一体何をした。背中に胸を押し付けてきたのは針山アイじゃないか。


 理不尽な視線の暴力を受けつつも、俺は近場にあるコーヒーチェーン店へと足を向ける。そこで飲み物でも買って一息つくか。

 清楚系女子の針山アイにゴシックロリータ風味の深山カノン、そしてイケメン顔だが女子の多々良ララに通行人の視線が集まる。

 その視線から逃れるためか枢クルリが俺の横に歩き並ぶ。三人に声かけようとしている男が数人いた。


 だが視線の多くは多々良ララが可愛い女子二人を引き連れているイケメン扱いで、これだからイケメンはみたいな目もある。

 一応スカートはいているのに女子扱いされないって言うのも凄い話だがな。だが俺としては多々良ララはそっちの方が接しやすい。

 遠慮がいらない女子というのも交友関係ではいいものだ。たまに遠慮がなさ過ぎて、それでいいのかとは言いたいが。




 そんな俺の思考など伝えることもないまま、コーヒーチェーン店で好きな飲み物を頼む俺達。ちなみに自腹だ。高校生の財布に余裕という二文字はない。

 俺は普通の定番商品を選び、枢クルリはノンシュガーノンミルクブラックコーヒー。針山アイは新作のマンゴーアップルスムージーとかなんとか。

 深山カノンは抹茶タピオカジュースで、予想外だったのが多々良ララのソイストロベリーホイップクリーム乗せのベリーソースかけ。飾りに星型のチョコが見える。


 なんとなく前から思っていたが、多々良ララはメルヘンなの好きなんじゃないだろうか。あまりにも顔がイケメンで、堂々としているからわかりにくいが。

 この中で一番のイケメン容姿なのに、この中で一番女子力高い飲み物選んでいる。女性店員はギャップ萌とか騒いでいるが、隣の男性店員はわけがわからない様子でただ頷いている。

 ……あの店員、どっかで見たことあるような。金髪の、工事現場かコンビニか……いや、やっぱ気のせいだろう。


 店内で六座席のテーブルに座る。何故かソファ側に俺を真ん中として右に針山アイ、左に多々良ララ。両手に花?毒花の間違いだろう。

 俺の対面に枢クルリが座り、針山アイと向かい合うように深山カノンが座る。二人とも笑顔なんだが、なぜか背筋に悪寒が走る。


「全く。この状況もカーディナルと錬金術師機関の監視下にあって、かなり危ない状況だとわかっていての行動だったら、とんだ傲慢ね」

「ぶっばはぁ!!?おまっ、この深山カノンはなにも知らな……」

「何言ってるの?彼女は錬金術師機関の下っ端よ。まー、末端の末端で一般人扱いしてもいいかしらね」

「離婚した父親の勤め先の一つがそこなだけで、凄い扱いですわね。私、貴方みたいない人大嫌いです☆」


 冷房によって冷えた店内の気温がさらに下がった気がした。多々良ララに目配せすれば、知っていたと言わんばかりの堂々とした態度。

 そして女同士の喧嘩に巻き込まれたくないのか、興味ないのか、面倒なのか、枢クルリはゲームを続けていた。ボタン連打音が凄いな、おい。

 笑顔な深山カノンと針山アイ。俺はお手洗いにでも行って逃げようかと思った矢先、なぜか針山アイが俺の腕に抱きついてきた。止めてくれ、無関係でいさせてくれ。


「やっぱ今すぐ殺そうかな」


 俺の手首に感じる針山アイの指先に乗る桜貝のような爪。その内人差し指一本の爪が赤く染まっている時点で、寒いのに汗が流れていく。

 深山カノンは人形のような愛らしくも硬質な笑顔で、鈴を転がすように笑っている。笑ってないで助けてくれと叫べたらどんなに楽だろうか。

 しかしここはコーヒーチェーン店。いくらなんでも騒ぎは起こさないはず、と思いたいのに安心できない。考えてみればどっちの組織も謎の人払いの技術を持っている。


「あのさ、ゲームじゃないんだからコンティニューできないんだし、メンドーなことやらないでよ」

「ゲーマーであるお前が言うと凄い説得力ないな、それ」

「……貴方が相手では、さすがに無理か」


 枢クルリの説得に応じたのかどうかはわからないが、針山アイは俺からあっさりと身を離す。深山カノンは枢クルリに軽く一礼している。

 そして多々良ララは俺の顔を凝視しているが、全く意味わからない。なぜか手を彷徨わせ、上体が近づいたり離れたりしている、わからん。

 今の内だと座席から立ち上がり、多々良ララに一度立たせてしまうがお手洗いに向かう。その間に二人であの空気をなんとかしてくれと願うが、無理だろうな。


 少しだけ鏡の前で悩んでいたが、あまりにも長く閉じこもっていると怪しいと思われる。適度なところでお手洗いから出た俺は、誰かにぶつかる。

 褐色の肌に銀髪の、外人か。小さな俺と同じくらいの身長で、同い年くらいの、少年、だと思う。睫毛が長いから判断し辛い。

 海みたいな青い目が俺を映している。大層驚いたのか、身振り手振りでなにかを伝えようとしている。まさか日本語できない外人か。


「あー、アイキャンノットスピークイングリッシュ。オーケー?」

「……ぷっ」


 俺の拙い英語を聞いて、吹き出しやがったこの外国人。確かにカタカナ発音だが、懸命に言葉を捻り出したんだぞ、畜生。

 夏場だというのに黒い服で統一して暑い格好した外人め。地球温暖化で毎年最高気温更新している日本に住む日本人なめんなよ。

 それにしても首を隠すような、黒いマフラーしているとは。本当に見ている方が暑い格好だが、肌の色からして暑い国出身で、まさか日本の夏場が寒いとかいうオチじゃないよな。


 俺が言葉をつづける前に、外人の少年に向かって声をかけてくる眼鏡のおっさん。なんかどこかで見たことがあるような、強烈なインパクトのせいで顔や名前が思い出せない。

 眼鏡のおっさんは右手にカフェオレ、左手に女子力満載のチョコチップコーヒークリームモカ七色ソースがけ、を持っている。どっちがどっちを呑むんだ。

 外人は俺の顔と痣がある右手首を一瞥した後にすぐ眼鏡のおっさんへ近寄ってしまった。もう二度と会うこともないだろうし、俺は無視して微妙な空気の座席に戻ることにした。


 俺が知らないところで眼鏡のおっさんがカフェオレを外人に渡す。愛らしい飲み物を口にしながら、眼鏡の位置を小指で直している。

 そのまま外人と店外へ出ていく。人混みの騒めきに紛れるような小さな声で会話しながら、座席に戻った俺の背中を見ている。


「あれが傲慢候補達か。君も大変だな」

「そうでもない。俺の存在に気付かない辺り、派遣されているのは下っ端ばかりだ。候補としては可能性は低い、はずだ」

「しかし集まりつつある。ただでさえ厄介な事件が派生しているというのに、私も胃が痛いよ」

「涼しい顔してよく言う。それに俺より問題なのは、所在がばれている知識と、なにしでかすかわからない奇天烈の権化である慈愛だ」


 溜息を零した少年は会話を終えてすぐに眼鏡のおっさんの視界からも消えた。まるで魔法で現れた魔人のごとく。





 そんなことより問題は深山カノンと針山アイの間に流れる恐ろしいほど張り詰めた空気だ。断言しよう、戻ってきたら悪化していた。

 多々良ララを真ん中に座らせようとした俺だが、針山アイに手を引っ張られ策略は失敗。腕に寄りかかられた柔らかい女子の体が俺の煩悩を揺れ動かす。

 だから、頼むから、そういうのとは無関係でいさせてくれ。女子に無関心という俺のかっこつけが崩壊することになるから。


「サイタくん!私とこの女、どっちが好みなの!?」

「雑賀さん、答え次第では私は貴方に性的暴行に関して訴えますから、慎重に」

「待て待て待て待て待て待て!!!なにがどうなってそうなった!?じゃああれだ、多々良が俺の好み!」

「そういう逃げるための口実に使わないでくれる?ずるいと思うし、二人は納得しないよ」


 深山カノンの笑顔、針山アイの柔らかい体の押し付け、不満そうな態度の多々良ララ。女子三人に取り囲まれた俺の唯一の救いはないのか。


「クルリ!今日の夕飯に生姜の豚焼きに追加品目をつける!から助けてくれ!」

「えー、メンドー」


 救いの手は絶たれた。あっさりと、たった一言で。涙目になりかけた俺の目の前で、誰かが硝子を軽く叩いている。

 暑い中で相変わらず長袖パーカーとスラックスを着ている白い肌をした鏡テオが、赤い顔で無邪気な様子でこっちに手を振っている。形振り構っていられなかった。

 俺は急いで来いと手招きし、事態を理解していない鏡テオは嬉しそうに店内に入ってくる。空気を読むという能力はないらしく、明るい声で俺に話しかけてきた。


「サイタ、今日もご飯食べたい!今日はなに?」

「豚の生姜焼きと、特別にお前の好物も作る!だから俺の隣に座れ!」

「わーい!えっと、じゃあ……ララ、いいかな?」


 俺の両隣は塞がれていたため、少し困った顔を見せたが鏡テオはすぐに知り合いである多々良ララに尋ねた。針山アイの場合は俺にくっついている、という問題もあるからな。

 天使のような笑顔を浮かべ、邪気一つ感じさせない態度に、多々良ララは素直に頷き、枢クルリの隣に移動する。火照った顔を手で煽ぐ鏡テオは、針山アイの顔を見て思い出したように言う。


「あ、鼻骨折れたの人だ!そういえばその話サイタから聞いてなかった、知ってみたい!聞いてみたい!」


 輝く目を向けられた針山アイは気まずそうに俺の体で姿を隠す。密着していることに変わりはないが、腕から体は離れた。

 深山カノンもさりげなく鏡テオから目を逸らしている。そういえば一応カーディナルでも危険視しているらしいし、錬金術師機関も同じなのかもしれない。

 しかし鏡テオは小首を傾げた愛らしい仕草を交えながら、すぐさま深山カノンにも名前を尋ねている。名前を聞いて、可愛い名前だねと微笑んでいる。


「サイタは友達いっぱいなんだね。楽しそうでいいなー」

「いや、うん、まぁ、そうなのか?」


 思わず渋い対応をしてしまう。深山カノンは味方かどうかもわからないし、針山アイは明確なる敵意を向けてくる相手だ。

 多々良ララに関しては秘密共有相手であり、枢クルリも半同居人だ。実質この場で明確に友達と言えるのは二人しかいない。

 そんな俺の様子に気付かないまま、汗一つかいていない鏡テオははしゃいだ様子で俺に笑顔を向けている。こんな暑い外にいたのに、なんで汗をかいていないんだ。


「わ、私急用を思い出したので、ここで」

「あ、本命を忘れていた!CD代五百円不足していたんだぞ、どうしてくれる!?」

「……もしかして、今日私の学校前まで来たのってそれだけ?」

「当たり前だろう。そうじゃなければわざわざ会いにいかないって」


 呆れたように呟いた俺の頬に五百円玉を乗せた平手が打ち込まれた。顔を真っ赤にして針山アイは大股で帰ってしまう。

 乾いた音に一時店内は騒然となったが、痴話喧嘩かなにかだろうと勝手に思い込まれ、すぐに集まった視線は散らばっていく。

 お、俺がなにをしたっていうんだ。痛む頬を擦りつつ、頬に半ば埋もれた五百円玉を財布に入れる。超痛い。


「差し出がましいことではありますが、彼女、私が来たことでかなり警戒していたんですよ?錬金術師機関と結託して報復しに来たんじゃないかと」

「は、はぁ?」


 深山カノンが気の毒そうな顔で説明する。なんで俺がそんなことをしなくてはいけないのか、全くわからない。

 わざわざ仕返しするほど暇じゃないし、その件に関しては鼻骨折ったことで終わっている。これだから女はと思わず愚痴りたくなる。

 それに俺は錬金術師機関もカーディナルも気に食わないし、手なんか借りたくない。大体連絡の取り方も知らない。


「彼女、貴方に少し気を許していたようですし。そうじゃなければCD購入を頼んだり、さっきみたいに密着しないと思いませんか?」

「……わからん」

「噂通りの傲慢さですね」


 なぜか俺の返答に深山カノンが肩を落とす。枢クルリは盛大なため息をつくし、多々良ララに関しては目線すら合わせてくれない。

 鏡テオだけが初めて痴話喧嘩名物平手打ちを見たと興奮している。見世物じゃねぇぞ、こら。それにしても針山アイが俺に気を許していた、ねぇ。

 思い返す。殺されかけたし、CDを買えと頼まれたが半ば脅迫に近かった気がするし、さっきは靴の爪先踏まれたよな。


 ……あれでわかるか。好意を示すなら鏡テオくらいわかりやすくやってくれ、紛らわしい。


「お客さん、これおしぼり」

「あ、ありがとうございます」


 さっきの若い金髪の店員さんが冷たいおしぼりをくれた。やはり派手に目立ったらしい、恥ずかしいな。

 鏡テオが俺の頬を見て少し考え込んだ後、机の上を一回、ピアノの鍵盤を鳴らすように叩く。すると小さな赤い液体の人形が現れる。

 小人のおっさんみたいな、童話に出てくる小人の姿だが赤い液体の、よくわからない動くなにかだ。もしかしてこれが鏡テオの固有魔法か。


 確かこいつはカーディナルだけじゃなく政府からも危険視されている人物だよな。となると魔法に問題があるんじゃないか。

 しかし自由に動き回る赤い液体の小人はどこか愛らしく、どこも危険そうに見えない。鏡テオは店員が渡してくれたおしぼりを手にする。

 小人の前におしぼりを出し、手の平を乗せてもらう。するとおしぼりに小人の赤い液体が広がり、吸い込まれていく。


「これで少し治りが速くなると思うよ。良かったら」

「治療系、というよりは薬質系の魔法かなにかか?自在に動く魔法生物というのも凄いけど」

「えへへー、僕の固有魔法【ギフト】って言うんだ。贈り物、という意味なんだってソフィアが教えてくれた」


 嬉しそうに笑う鏡テオは、心底幸せそうだ。本当にそのソフィアっていう人が好きなんだな。俺はありがたくおしぼりを頬に当てようとした。


「っ、駄目!!」


 深山カノンが今まで見たことない慌てた様子で俺に制止する大声を出す。俺の手が止まり、鏡テオが肩を震わせて怯えた。

 その瞬間赤い液体の小人が音もなく消失した。ただしおしぼりに染み込んだ赤い液体はそのままで、俺は止められた理由がわからず目を白黒させる。

 多々良ララも深山カノンの大声に驚いたらしい。枢クルリだけがゲームに集中しており、店内がまたもや騒めく。


「……てい」


 なんで駄目なのか言葉を続けようとしない深山カノンを無視して、俺はおしぼりを頬に当てた。ピリッとした熱い痛みがあったが、代わりに頬の腫れが引いていく。

 触れてすぐにわかる効能に、俺は感心する。相当強力な魔法で作り上げた薬のようだ。深山カノンが青ざめた顔で俺の様子を窺っている。

 鏡テオの好意を無駄にしなくて良かったと考え、今にも泣きそうな子供の顔をしている鏡テオに言葉をかける。


「凄いな、これ。痛みがもうない。ありがとうな、テオ」

「え……えへへへ。良かったぁ。僕魔法を使ってお礼言われたの初めてで嬉しい」

「魔法なんてそんなもんだろう。俺なんか鱗怪人と言われたぜ。全員ぶっ飛ばしてきたけど」


 俺は自分の固有魔法を思い出すと同時に苦い記憶も引きずる。体表面に鱗を生やす変な魔法のせいで、何度ヒーローごっこで悪役にされてきたか。

 その度に喧嘩になり、だからといって魔法が防御でしか役に立たない、というよりは攻撃すると殺傷力がありすぎて使えなかった幼い頃のあの日よ。

 ただし後で魔法を使った悪者にされないため、全部魔法を一切使わずに喧嘩したけどな。眉毛の上にある小さな傷はある喧嘩でつけた些細な物だ。


「鱗怪人……くっ」

「笑うな、猫耳野郎!」

「鱗怪人ピッタリだね」

「多々良まで……あー、もうこの話は止めだ、止め!」


 枢クルリと多々良ララが小さく笑ったことにより、深山カノンもぎこちないが笑顔になる。その雰囲気に安心した鏡テオは怯えを消し去っている。

 だが店内は俺達に注目し続けており、店員も相談するような仕草を見せている。針山アイから五百円も返してもらったことだし、帰る準備をするか。

 鏡テオに好物を聞けば、クリームシチューと返ってきた。こんな夏場によりにもよって。しかし助けてもらった恩もあるし、材料も家にあるはず。


 とりあえず全員揃って退店し、駅まで歩いていく。まだ夜まで遠いかのように陽射しは沈む気配すら見せない。

 本格的に夏になってきたようだ。滲む汗がシャツに染み込む。これからさらに暑くなると思うと、素麺の備蓄でもしとくかと思う。

 外に出た鏡テオは真っ赤な顔になっている。相当熱が発散できていないらしく、何度も顔を手で煽いでいる。


「……あのさ、もしかして汗かけないの?」


 枢クルリも変だと思ったのか、鏡テオに尋ねる。外に出ても一切汗をかいていない鏡テオ。明らかにおかしい。

 日本の夏だぞ、ドイツは北の方にあるはず。それなのに汗一つかかないって、危ないだろう。もしかして熱中症か日射病か。

 仕方ないので近くにある公園へと連れていく。子供や犬が使うための水道があるはずなので、それで体を無理に冷やすしかない。


 鏡テオに蛇口の下に頭が来るように指示し、水を出す。夏場だから少々生温いが、鏡テオには冷水に感じるようだ。

 一通り頭から水を被った鏡テオは、頭を振って軽く水を払う。犬と全く同じ仕草に、俺は苦笑いしか零れなかった。

 ハンカチで拭こうとしたが、夏場だからすぐに乾くということで枢クルリに止められた。濡れていては電車利用はできないから、徒歩で帰ることになりそうだ。


「ぷぁー。気持ちよかった~、ありがとう、クルリ、サイタ」

「別に良いけどよ。なんで汗が出ないんだ?」

「体質みたい?僕もよくわかんない」


 疑問を浮かべる鏡テオ。北の方の生まれなら汗かかなくても生きていけるのだろうか。外国について詳しくない俺はそう思うしかなかった。

 近くの自販機からスポーツドリンクを買ってきた多々良ララが鏡テオに渡す。冷たい容器を肌につけて幸せそうにする鏡テオ。

 深山カノンだけがずっと不安そうな顔で俺達を眺めている。というよりは枢クルリをずっと見ているのか。


「あ、の。枢さん。私、貴方に伝えたいことが……」

「父親の事でしょ。サイタ達に話しかけてきたサラリーマン風の男。錬金術師機関の奴」


 懺悔をするような詰まった言葉に先んじて、枢クルリが日常話をするように切り出した。俺はその男を思い出す。

 あの時俺達に色々と説明した挙句、枢クルリの魔法によって気を失った奴だ。ゲームに負けて最後に枢クルリの言葉に乗せられ、指差して卑怯者と叫んだ男。

 まさかあれが深山カノンの父親かよ。そういえばあの後、警察問題に発展して金で解決したのが枢クルリなんだよな。あれ、これだと枢クルリの方が悪くないか?


「別に良いよ。アンタが悪いわけじゃないし。それとも動画投稿者の御伽噺のことについて?それともゲーム上で魔法が使えるのを聞いたこと?」

「……クルリ、俺に説明してくれ」

「深山カノンは父親に協力して、俺を特定した人間なんだよ。そのおかげでサイタが俺を突き止めたということにもなるんだけどな」


 動画投稿の御伽噺、と聞いて思い出した。猫耳野郎こと枢クルリに例の問題をしてきた相手だ。それが目の前の少女らしい。

 しかも他のゲームで枢クルリが魔法を使えるかどうか尋ねたプレイヤーであるらしい、ということも理解できた。

 確かにこの二つで俺は猫耳野郎に興味を持って調べた、ということになるが。ネット上のやり取りなはずなのに、意外と世間は狭いもんだ。


 もしかして枢クルリは警察に向かった際に、相手した錬金術師機関について調べたのか。多分面倒だからって、金を使って探偵雇っていたのかもしれない。

 なんにせよこいつは最初からすべてわかってて、放置していたのか。多分それも説明するの面倒だからという理由なんだろう。怠惰な猫耳野郎め。


「全部知っていたんですね……ごめんなさい。巻き込んだ挙句、父は貴方に酷いことを言った。父は今でもそれを怒りながら話すんですけど、私は……」

「メンドー」

「はい?」


 深山カノンの長い言葉をたった一言で遮った枢クルリ。せっかく謝っている相手に、お前。それはないだろう。

 しかし俺が口出していいことかわからず、とりあえず眺める。多々良ララはいつの間にか鏡テオを木陰があるベンチへと移動させていた。

 多分厄介な話を聞かせないためだろう。鏡テオは少しでも気になったらかなり無邪気に追求してくるからな。


「そういうの、メンドー。だから別にもう気にしてないって。今日ララに正体明かして付いてきたのもそれが目的なんだろうけど、さっきも言ったようにアンタが悪いわけじゃない」

「私は、それでも。離婚して別性になったとはいえ、父がしたことはおかしいと思うし、それは子供である私が協力した上での件だから」

「今度テスト版が公開されるオンラインゲーム」

「はい?」

「それで一緒にレベル上げしてよ。それが一番メンドーじゃないし、後腐れもない。俺は相変わらず猫耳野郎でプレイしてるから、よろしく」


 そう言って戸惑う深山カノンに一枚のチラシを渡している。自由度の高さを売りにしたオンラインゲーム「RINE-リンネ-」というゲームらしい。

 俺にはよくわからん世界だが、多分猫耳装備できるんだろうな。枢クルリは猫耳、というか猫が好きらしいからな。もしかして最初からそれが目的なのか、こいつの頭脳はよくわからない。

 深山カノンはチラシを眺めて少しだけ呆けていた。しかしすぐに晴れやかな笑顔を枢クルリに向けて、目元に浮かんだ涙を人差し指で拭いて、はっきりとした声で告げる。


「よろこんで!私も変わらず、御伽噺でやります!」






 吹っ切れた深山カノンが手を振って一人で帰る。どうやら俺達が住んでいるマンションとは別方向らしい。もしかしたらこれ以上俺達と一緒にいると怪しまれるのかもな。

 針山アイとは違って、完全に錬金術師機関の味方というわけではないらしい。会話の端々から推測するに、親の事情に巻き込まれているようだ。

 だから離婚なんてしないほうがいいんだ。違う性になっても、子供からすれば親に変わりないんだ。俺の親がバカップルで本当に良かった。


「で、どこまでお前は知ってるんだよ?なんだか一番の事情通ぽい雰囲気だけどよ」

「……話すのメンドー」

「今日の夕食デザートにカキ氷を作ってやろう」

「深山カノンと鏡テオに関してある程度は」


 食い物に釣られてあっさりと答える辺り、俺の料理の腕も捨てたものじゃないらしい。やはり身に着けた技とは人生を助けるのだろう。

 そこで多々良ララと鏡テオがベンチから離れて近付いてくる。とりあえずマンションに帰ってから詳しく話した方がいいということになった。

 鏡テオが汗かけない体質ならば確かに外で話すのは辛いだろう。ああ、だからこいつはいつも夕方の、少し涼しい時間帯に歌っていたのか。


 俺は与えられた情報の重要さに気付かないまま、呑気に今夜の夕食を作る手順に関して悩みながら歩いた。豚の生姜焼きとクリームシチューかぁ。

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