4話「ゲームの家」

 動かない俺、雑賀さいがサイタを抱えている多々良たたらララは目を閉じている俺に顔を近づける。

 さながら童話の王子が眠っている姫に口づけする寸前のようだが、多々良ララはイケメン顔の女子で、俺はチ、少しだけ背の小さい野球部員の男子高校生。

 明らかに色々と反対なのだが、それに関してツッコミを入れてくれる観衆は薄暗い路地裏にはいない。


 猫耳バンダナの枢クルリも、そいつにモデルガンで撃ってきた奴も、俺達二人以外路地裏から消えていた。


 花のような、でもどこか清潔そうな香りが多々良ララの首筋から漂ってくる。

 鼻をくすぐる匂いにも気づかない俺に、多々良ララは話しかけてくる。


「キスして目覚めたら結婚する?」

「こんな状況で言うことがそれかっ!?」


 思わず瞼を無理やり動かして起きた俺の眼前に、いつもと変わらないクールな表情の多々良ララ。

 相変わらずのイケメン顔で、うっかり友人に見られたら誤解されそうな場面だ。そういったことには無関係でいさせてくれ。

 叫んだ拍子に強い衝撃を受けた俺の頭が痛みを訴えてくる。改造モデルガンだって限度があるだろうが、あの野郎。


 しかし文句を言いたい奴は俺達の前にはいない。枢クルリも同時に消えている。

 俺は立ち上がることはできなかったが、上体だけを起こして多々良ララにジェスチャーで大丈夫と告げる。

 表を歩いている人間は一切こっちを見てない。あんなに派手な音がして、誰も見ていない。覚えがあるぞ、この状況。


 起き上がった拍子に俺の額から数枚の鱗が落ちる。青く輝くそれは俺の固有魔法【小さな支配者リトルマスター】の証。


 体の表面体積分しか生やせないが、代わりに絶対に割れない砕けない鱗。固めれば盾にも槍にもなる。

 ただし固めた場合は鱗がばらけることもあるが、鱗単体は決して壊れない。さっきのモデルガンの弾もそうやって防いだ。

 一瞬で魔法を発動して体前面に鱗を生やし、弾が当たった部分以外は地面にばら撒かれている。魔法解除してすぐに消せるからいいけど。


 弾を防いだと言っても貫通や傷がつかないだけで、衝撃は伝わる。だから俺の頭は軽い脳震盪を起こしている。

 だからすぐさま起き上がれなかったし、少しだけ本気で意識を失っていた。最強の盾を持っても持ち主が貧弱では意味がないみたいな感じだな。

 例えば斬撃は防げてもそのまま地面に押し潰されたら持ち主は死ぬ、みたいな。俺の今後の課題かもしれない。こういうのには無関係でいたかった。


 俺はてっきり前襲ってきた針山アイの類かと思ったが、魔法で攻撃してこなかったてことはあれがデュフフ丸か。

 声もなんか渋かったしな。一瞬の影しか見れなかったが、俺達と同い年くらいの身長っぽかった。でも表通りの奴らの反応がおかしい。

 多々良ララも警戒しているのか、いつの間にか服装が制服から白いレオタードに透明なレースをつけたドレス姿になっている。


 多々良ララの固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】だ。俺も詳しくは知らないけど、前に通常ではありえない跳躍を見せたことから、身体強化系の魔法なんだろう。

 固有魔法所有者はあまり魔法に関しては説明しない。魔法というものは戦闘に特化した能力で、それを伝えることは弱点を晒すと同義だからだ。

 俺だって多々良ララには詳しいところまでは話していない。そう思うと俺が撃たれた時は心配させたかもしれないな。でも今の緊張感の前じゃ無関係な話だ。


 路地裏に誰も目を向けていない中で、スーツ姿の男が革靴の足音を響かせながら近づいてくる。

 サラリーマンだと思えばそう見えるし、怪しい男だと思えばそう見える。どこにでもいて、どこにもいなさそうな雰囲気。

 もし表通りを普通に歩いていたら少しも怪しくなかったんだがな。その男は俺達に向けて笑顔で拍手している。


 その拍手にも表通りを歩く人々は気付かない。まるでこの裏路地が世界から見えなくなったみたいに、無関心だ。


「すごいすごい。まさかあの怠惰候補が自ら動くなんて、驚きだ」

「何の用だよ、おっさん」

「紹介が遅れたね。私は人々の進化について研究する錬金術師機関の者だ、傲慢くん」


 ……警察呼んだ方がいいかもしれない。なんだよ錬金術師機関って。長いぞ、名前。

 いやでもこれ絶対錬金術師機関の後に機関名がつくタイプだ。さらに長くなる予感がするぞ、おい。

 というか傲慢くんって。そんなどっかの漫画の主人公みたいなあだ名はかなり嫌だ。


 しかし男は気にした様子なく、笑顔のまま拍手だけを止めて手を後ろに組む。

 すぐに攻撃する意思はないが、手の内は明かさないといった様子だ。針山アイの時とは違った余裕ある姿だ。

 あの時はすぐに俺を消さなければいけない、みたいな必死な状況に思えた。だが今はどう熟成するか眺める職人の目で見つめられている気分だ。


「人々の進化を突き詰めた先に繁栄があると私達は信じる。しかし今は壁、いや扉にぶつかっていてね」


 なんか説明し始めた。でも止まらせるわけにはいかない。少しでも情報が欲しい状況なんだ。

 もし攻撃の動作が少しでも見えたら俺が鱗で盾を作る。そんなに大きくないが、体をくっつければ二人くらいの急所は隠せる。

 俺はまだぐらつく頭が少しでも回復するように念じながら、目を真っ直ぐと男に向ける。


枢機卿すうききょうの名を冠した組織、カーディナルを知っているかい?針山アイちゃんもあそこの組員なんだけど」

「……カーディナル」

「そう。彼らは人々を安寧に導く神の使いとして、あの素晴らしき可能性の扉を閉ざし続けている」

「錬金術師機関は違うの?」

「私達はむしろ開きたいんだ。そのために錠を揃え、鍵を探している」


 針山アイも似たようなことを言っていた。大罪の器、鍵となるかもしれない存在。

 今の話と総合すると鍵は俺達固有魔法所有者、あの変な質問に答えられた奴らを探している。

 ただしカーディナルは俺や多々良ララを殺そうとしていたから、つまり鍵となりえる人物を殺そうとしている、か。


 まじで枢クルリの言う通りになってきやがった。というか、あいつは一体どこに行ったんだ。

 戻ってくる様子はないが、一緒に消えたデュフフ丸も気になる。いい加減デュフフ丸の本名も知りたい。

 何度も呟くにはきついんだよ、デュフフ丸。変な笑い声が頭の中で反響しそうなんだよ。


 しかしカーディナルと確かに最終目的が違う錬金術師機関。でも味方って様子でもない。

 気を許してはいけない、とにかく情報を引きずり出そう。扉に錠って単語選びも気になるしな。


 カーディナルは扉を閉ざし続けている、っていうことは扉の居場所を知っている、もしくは保管しているってことだよな。

 でも鍵をかける開くに必要な錠は錬金術師機関が揃えている、ということはカーディナルは後手に回っている印象もある。

 そして最後に鍵。それは候補である俺達だけど、どうやったら鍵と認められるんだ。できれば無関係として認められたくないんだが、知らなければ避ける方法もわからない。


「それにしてもこんなに候補達が自ら集合してくれるなんて感激だ。もし本当に七人揃ったら……おや?」


 小さなフラッシュが後ろで発生したかと思ったら、間の抜けたような顔で男は俺達の背後を見つめている。

 俺は誰かカメラでこの場を撮影したのかと思ったが、予想に反してさっきと変わらない状態の枢クルリが猫背を丸めて立っている。

 やる気のない目はそのままだけど、漂う気配が背筋を震わせる。枢クルリの足元には眠るように倒れている……デュフフ丸か。


 デュフフ丸は有名金持ち高等学校の制服を着ていて、白いブレザーと水色のチェックズボン、髪も優等生らしい黒で、一見お坊ちゃんという雰囲気だ。

 これがさっき改造モデルガンで俺を撃ったとは思えんが、確かにその手には黒光りするモデルガンが握られている。

 よく見ればモデルガンを握っている手にはブランド物の腕時計。さすが金持ち高校の学生。身に着けている物も高そうだ。


「……生きてたんだ」

「勝手に殺すな!!」


 開口一番でそれか、猫耳野郎。だけどその言葉の後に怖かった雰囲気が少し和らぐ。

 枢クルリは俺の無事を軽く見てから、俺達と対峙している男に目を向ける。その眼光は獣のようだった。


「メンドーそうだし、全員招待するから。俺に意識を向けといて」

「は?何言って……」


 俺の言葉が終わる前に景色が一変する。薄暗い路地裏があっという間もなく消える。

 四角の遊戯ルームみたいな、子供が跳ねて遊ぶ材質の床と壁のカラフルな部屋の中に俺達はいた。

 チェス盤やオセロ、トランプにぬいぐるみ、将棋や碁だけでなくテレビゲームまで部屋中に無造作に散らばっていた。


 どこか平和そうな部屋なのに、時たま端の方に引っ掻かれた壁の傷痕や、心を抉るような言葉がクレヨンで落書きされているのが目につく。

 奥には小さな階段と、その上に金色に赤いクッションの猫足ソファが玉座のように置かれている。その上に寝転がる枢クルリ。

 俺と多々良ララが上手くバランスとれずに弾む中で、さらに後ろからもさっきの男を含めた数人の声。


 振り向けば全員が目を丸くして、弾んでいる。大人から学生まで様々だが、なんとなく全員同じ雰囲気だ。

 さっきの男は余裕を消して慌てたように声をかけている。もしかして隠れていた仲間もこの部屋に招かれたのか。

 もしかしてこの子供の心を具現化したような部屋が枢クルリの固有魔法か。



「メンドーだけど、ようこそ。俺の【神の家ザ・タワー】へ」



 そう言って枢クルリはバンダナをずらしてずっと隠していた額を見せる。そこには固有魔法所有者の特徴である痣。

 白と黒の市松模様という珍しい色の組み合わせの痣、形はチェスで塔、いわゆるルークと呼ばれる駒の形。

 痣が大きかったり、色味が強かったり、少し特殊な場合、その固有魔法は強力になると聞いたことがある。


 見た感じこの部屋は別空間に作り上げた枢クルリの魔法だ。空間魔法、滅多にないって聞いてたけど、やばいだろうこれ。

 確か噂ではこの魔法を使える奴が主となって、好きな法則を組み立てられるとかなんとか。どうなるんだ。


「メンドーだから、この部屋に関してはこのパネル読んで」


 投げやりな対応で部屋の法則を読むことになる。まじで好き勝手できるんだな。

 空中に派手な手品のように鮮やかな紙吹雪と煙共に現れたパネルにはビスケット文字で書いてあった。


 ・この部屋において一切の暴力と魔法を禁ずる。

 ・ゲームの勝者は意識を持ったまま、敗者は意識を失っての退場となる。

 ・しかし招待客の中でゲームマスターが認めた者は勝者と同じ扱いである。

 ・法則は追加することもある。だがゲームマスターはゲームのルールに一切手を加えない。


 短かった。え、というかゲームとかゲームマスターって、あいつどこまでゲーマーなんだ。

 猫足ソファの上で寛ぐ枢クルリは俺と多々良ララをに向かって、魔法の杖のように人差し指を動かす。

 すると俺達の足元から椅子が生えてきた。冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、本当に生えてきたんだよ。


 椅子は革張りのクッション製で、俺のは青くて魚模様。多々良ララは灰色の蝶模様。

 なんか子供が見たらはしゃぎそうな模様に形なんだが、高校生にもなってこのデザインは恥ずかしい。

 しかし多々良ララは堂々と足を組み、ドレス姿も相まってよく似合っていた。メルヘンも突き詰めれば普通になるのか。


「その二人はマスターが認めた者とする。残りは俺とゲームしようか」

「げ、ゲーム……しかし君は昔公式記録ではないがチェス世界大会の準優勝経験が……」

「昔の話。俺はどんなゲームも受けるし、ハンデもあげる。勝負内容もそっちが決めていいよ」


 枢クルリが指を鳴らすとくるみ割り人形からぬいぐるみが動き始め、男達の前にあらゆるゲーム用の道具を持ってくる。

 テレビゲーム用のコントローラーにトランプ、チェスに将棋に碁盤、中には俺が知らないようなゲームの道具もあった。

 しかしチェス世界大会準優勝って、そんなにすごい奴だったのか。すごい奴なのに猫耳野郎なのか。


「も、もう一度確認だ。私達がゲーム内容と特殊ルール適用やハンデを君に渡せばいいのか?」

「そう。特殊ルールやハンデは事前に説明してよね。後出しはメンドーだから」

「じゃんけんや腕相撲もありか?」

「ありでいいよ。でも負けたからってうるさいこと言わないでよ」


 じゃんけんってそれは運ゲー、というか運任せじゃないか。もはやゲームにすらなってない。

 腕相撲もあれはゲームというより力技だろう。あんな食事をしていて、体の細いお前が勝てるゲームではないだろうに。

 それに特殊ルールやハンデも受けるって、どんだけ自信があるんだ。今も猫足ソファで優雅な感じで男達が相談するのを眺めている。


 俺はなんとなく気になって、さっきのデュフフ丸について聞いてみた。

 暴力と魔法禁止なら、あいつもこいつとゲームしたはずだ。そして意識を失っていたなら、負けたはずだ。

 どんな勝負をしたのか気になる。なにせデュフフ丸は負けたのが悔しくて改造モデルガンまで持ってきた奴だし。


「デュフフ丸とはオセロ。俺は三枚以上裏返すの禁止というハンデでやったけど」

「……え?それで勝てるのか?」

「勝ったよ。ちゃんと角も取って、最後には全部裏返してやった」


 デュフフ丸、情けない奴。せっかくの再戦をチェスではなくオセロにした挙句、多大なハンデを相手に与えて負けるとか。

 そして俺達の会話を聞いてたであろう男達は、さらに深刻そうな顔で相談を深めていく。俺、こいつとゲームしなくて良かったと心底思った。

 多々良ララはすでに観客気分らしく、部屋の中で弾むぬいぐるみを眺めている。熊や犬など色んな動物がいたが、猫の姿は見かけなかった。


 男達は相談を終えたのか、一人の大学生らしい若い男が腕相撲をしようと机をぬいぐるみから受け取っている。

 枢クルリは億劫そうにソファから起き上がって、階段をやる気のない足取りで降りてくる。

 猫背や明らかに着古したジャージにサンダル、猫耳バンダナという姿なのに、あまりにも目が光っていた。


 山猫が鼠を前にして舌なめずりするような、獰猛な気配が部屋の中を満たす。


 男はハンデをつけることはしないらしい。確かに枢クルリの細い体なら問題ないだろう。

 お互いに座って利き手であろう右手を差し出し、残った左手は膝の上。純粋な力勝負。

 学生の男は少し体鍛えている雰囲気だが、枢クルリは表情を変えない。


 審判役として工事現場の兄ちゃんみたいな男が握られた二人の手の上に手を置き、掛け声と共に離す。


 勝負は一瞬じゃなかった。どちらにも傾かないまま、均衡を保っている。

 学生の男は少し驚いた顔をしているが、枢クルリはただ拳を暇そうに眺めている。

 腕相撲って力勝負だろう、なんでいい勝負になるんだと思う俺の目の前で枢クルリは飽きたように欠伸をした。


 それに虚を突かれた男が改めて力を入れようと手の握り方を変えようとした最中。

 隙を逃さずに枢クルリは相手の拳の甲を机の上に叩きつけた。激しい音はない、静かな勝利。

 勝負が終わってすぐに枢クルリは相手の手から自分の手を離す。白くなった指先をぶらつかせて、馬鹿力と小さくぼやいている。


「つ、次は僕だ」


 相手はオタクのようなアニメキャラの絵がプリントされたシャツの青年。ゲーム内容は大富豪。革命禁止というハンデが与えられた。

 だけど枢クルリは特に時間をかけることもなく勝利。おもちゃで遊ぶのに飽きた猫の顔をしている。


「ならば私だ」


 次は学校の先生みたいな女の人。ゲーム内容はじゃんけん。ただし枢クルリにグーは禁止の三本勝負。

 それはあまりにも不利すぎると思ったが、枢クルリは特に動じず全部パー出すと宣言。相手は動揺して、どの手を出そうか悩んでいた。

 でもその悩む時間を与える枢クルリじゃなく、自分から掛け声をして本当に全部パーを出した。相手は勝手に自滅して一回は勝ったのに二回負けてしまった。


「じゃ、じゃあ俺だ!」


 さっき審判役した工事の兄ちゃんがレーシングゲームを挑んできた。枢クルリはアイテム禁止のハンデだ。

 だけどこれまた平常運転で枢クルリはテレビゲーム画面を眺めながら、体に覚え込ませたようなコントローラー操作で近道などで時間短縮。

 相手がアイテムで妨害しようとした隙にスピードを出して逃げるという技も見せ、一周の差をつけての勝利。


 その後も色んなゲームが目の前で展開されたが、枢クルリは自堕落な態度のまま全てに勝利した。


 最後に残った説明をしてくれたサラリーマンの男は、苦渋の顔ながらもチェスの勝負を挑む。

 もちろん枢クルリにはハンデを渡す。クイーンとルークの使用禁止という内容で、俺はそれがどれだけ酷いハンデか知らない。

 だけど与えられたハンデに枢クルリは笑って応じる。むしろそれだけでいいのかと問いかけるような態度だ。


 男は顔に冷や汗をかきつつも、それでいいと勝負を挑んだ。


 結果は歩兵という一番弱い駒ポーンでチェックメイトを告げる枢クルリ。最弱の駒で王を討ち取るドラマ付きの勝負だ。


 しかし全てに勝利した枢クルリはつまらなさそうに溜息をついた。面倒だったとでも言わんばかりの態度だ。


「つ、強すぎる……」

「ゲーム限定なら、俺は負けた覚えないからね」

「クルリ、お前はどんだけゲーマーなんだよ」


 若干誇張されたように聞こえた台詞に俺は呆れた声でツッコミをいれる。

 でも今までの勝負を見ていたら。あながち間違っていないような気もして恐ろしく感じる。

 枢クルリはそんな俺の言葉を無視して、面倒そうな表情でサラリーマンの男に話しかける。


「今すぐ退場させるのは簡単だけど。その前に質問」

「ふっ、私達がそんなのに応じると……」

「どうすれば鍵になれるの?」


 男は問いかけられた言葉に驚き、枢クルリを見上げて笑う。

 それは待ち望んでいた獲物が目の前にやってきた歓喜する表情。

 調子よく声を上ずらせながら男は高らかに歌うように話し始める。


「おお!ならばさっそく怠惰の君に勇気の錠を会わせよう!彼が認めれば、その瞬間に君は怠惰の鍵として扉を開く一つになれる!!これで人類は更なる進化を……」

「錠は他にはないの?なんなら見つけてあげるよ、他の罪。俺の魔法があれば捕獲も容易いしね」

「そこまでしてくれるのかい!?錠は四つ、見つかってないのは慈愛と忠義、そして知識!それ以外は全ているから対応する罪は……」


 そこまで話して男は枢クルリの顔を見て、言葉を止める。猫足ソファの上にいつの間にか移動していた枢クルリは見下ろしている。

 いや見下していた。相手の調子に合わせて話しやすいように誘導していただけだったことに、男はやっと気づいたようだ。

 体を震わせ、眦をきつく吊り上げて怒った顔を真っ赤に染める。そして枢クルリに指差して大声で単語を吐き出す。


「卑怯者っ!!!」


 俺の位置からは枢クルリの表情は見えなかった。だけど肩が少しだけ震えたように見えた。

 これで終わりと言わんばかりに枢クルリが指を鳴らした瞬間、白いフラッシュで一度視界が眩んだ。


 気付いたらさっきまでいた路地裏に立っていた。足元にはデュフフ丸も合わせて、何人も人が倒れている。

 どうやらこれが枢クルリの固有魔法【神の家ザ・タワー】のようだ。確かにゲームで負けなしというのなら、最強かもしれない。

 俺は立ち尽くしている枢クルリに声をかけようとした。けどなんだか意識をどこかに飛ばしているような、隙だらけの姿だった。


「クルリ?おい、大丈夫か?」

「え、ああ……うん。魔法を解除して空間を消す時、俺自身の意識はすぐには戻らないんだ」

「そうなのか」

「相手を全部負かせば問題ない。ちなみに一時間は目を覚まさないと思うよ」


 それ以上は詳しく話さない。確かに話しても意味ないし、弱点を晒すようなものだからな。

 多々良ララはそんな俺達の肩を人差し指で軽く叩き、表の方を軽く指差す。すると何人かこちらを怪しむように眺めている。

 もしかして監視していた奴ら全員気絶させたせいで、人払いの効果も同時に消えたのか。枢クルリはそんな時でも表情を崩さないが、俺は大慌てだ。


 多々良ララもこれ以上人が集まったらやばいと感じたのか、俺と枢クルリを俵でも担ぐように抱えて、ガラスの靴でコンクリートを蹴って空高く舞う。

 あまりの高さと浮遊感に俺は声も出ず恐怖し、多々良ララは喋ると舌噛むよと注意し、枢クルリは借りてきた猫のように大人しいが青ざめている。

 思わぬ人力絶叫マシン体験に、今日も月が綺麗で都内の工事現場を照らしていることすら気付かなかった。


「……おやっさん、空に女の子が」

「アニメみたいな言葉使ってんじゃねー。手動かせ―」

「ういっす」


 途中聞こえてきた工事現場の会話に俺は苦笑い。若い男の声と、それを叱る中年男性の声もあっという間に聞こえなくなる。

 高速空中移動は多大なる酔いと気持ち悪い浮遊感を俺達に与えた挙句、多々良ララ以外は枢クルリのマンションの中庭で芝生の心地よさもわからない状態で転がることになった。


「うおっえ……部活でかなりハードな練習した並のシェイク感」

「情けないな。ちょっと走っただけなのに」

「空中走行をちょっとと言える神経には無関心なんでな……おおぇっ」


 一人平然としている多々良ララの顔も見れずに、吐かないように口元を抑えつつ言葉を出す。

 枢クルリは話すどころが動くこともできないのか、さっきから芝生の上で死体のように動きを見せない。

 色々と平然としている顔しか見てなかった分、枢クルリのその反応は新鮮でなんかおかしかった。


 なんというか、意外と普通なところあるんだ、という安心感に似ている。

 ただその前に俺はこの吐き気とおさらばしたかったので、すぐにその安堵感とは無関係な胸のムカつきに苦しむことになる。

 携帯電話で現時間を確認すれば、丁度日付が変わったところだ。明日は祝日とはいえ、少し夜更かししているな。


 枢クルリは顔を青ざめたまま立ち上がろうとして、生まれたての小鹿のように四つん這いで足を震わせている。あれは立てないな。

 さっきまでの快勝圧勝の余裕たっぷりの姿が嘘みたいだ。そんな枢クルリと俺に対して多々良ララが思いついたように声をかける。


「どちらが先に立ち上がれるかゲーム。用意スタート」


 俺がツッコミを入れる暇もなくスタートされたゲームは、枢クルリが即座に立ち上がったことにより五秒もかからず終わった。

 さっきまで震えていた姿はどこにいったと見上げてみれば、青い顔がさらに白を交えて気持ち悪い顔色になっている。

 実はすごい負けず嫌いで、もしかして無理して立ち上がったのかこいつ。馬鹿だろう、実はものすごいゲーム馬鹿だろう。


「と、いうわけで枢の勝ち。雑賀の負け」

「まず最初に俺はそのゲームにエントリーしてねぇよ」

「負け惜しみ?」

「違う!あーもー、俺の負けでいい。とりあえずクルリ今日泊めてくれ」


 俺は疲れ切った顔で枢クルリに尋ねるが、当の本人は立ち上がって勝ったことを確信した後でまた四つん這いで倒れそうになっている。

 ゲームでは負けなし、現実の姿は貧弱って、どうなんだ、おい。多々良ララが背負うと聞くが、そこは男のプライドなのか首を横に振っている。

 仕方ないので俺の肩を貸して、お互いフラフラなままマンションのホールに入る。自動ドアから冷房の風とは違う冷気が肌を突き刺す。


 見れば今日枢クルリに対して言いがかりつけてきたおばさんがいた。確か管理人だったか。

 携帯電話を片手にこちらを睨みつけている。そして俺達の姿を確認すると同時に大股で近寄ってきた。

 俺は近づくコロンのきつい臭いに顔を歪ませるんだが、おばさんは気にせずに怒りに形相でこちらを見る。


「枢さん!!一体今までどこにいたんですの?勝手に避難用のスロープを作動させるわ、中々帰ってこないわで、こちらはそれどころじゃないっていうのに……」

「……病院から」

「病院?嘘おっしゃい、貴方の部屋には保険証や財布など残って」

「病院から息子さん運ばれたって言われたんだろ?俺の部屋の扉を開けにいったはずなのに路地から見つかったとか」


 枢クルリが青ざめていた顔をゲームに挑む時のような表情に変えて、おばさんだけでなく俺も黙ってしまう言葉を出してきた。

 俺は訳がわからず思わず枢クルリとおばさんの顔を交互に見てしまう。携帯電話を持っているおばさんの手首にはどこかで見た覚えのあるブランド物の腕時計。

 もしかしてと俺はデュフフ丸のことを思い出す。でもネットでの因縁相手がこんなに近くにいるものだろうかとも疑ってしまう。ぐ、偶然って怖い。


「俺の部屋の扉を開けて家探しもしたのか、あいつ。じゃなきゃアンタが俺の保険証や財布について知っているはずがない」

「な、何を根拠に……」

「ここの防犯設備全てが管理人の手を借りないと無断侵入できない仕様なんだよ。それはアンタが一番よく知っているだろう?」


 携帯電話からはなにも声が聞こえてこないが、おばさんの手の震えによって大きく揺れている。

 そして逃げるように外へと走り去ってしまうおばさん。直後にスポーツカーのエンジン音が遠ざかっていった。

 枢クルリは溜息をついてとりあえず部屋に戻ろうと声をかけてくる。俺と多々良ララは顔を見合わせつつもその言葉に従った。


 エレベーターで枢クルリの部屋へ辿り着けば、あまり物がなかった部屋が少しだけ荒らされている。

 ゲームソフトのパッケージは散らばっているし、避難用のスロープも逃げた直後そのままの状態だ。

 テレビも横倒しになっており、パソコンはその下で潰れている。勿体ないと思う俺の横で枢クルリは平然な顔をしている。


 あまり物とかに執着しない性質なのだろう。もしくは執着するのが面倒なのかもしれない。

 部屋にいつも通り入って唯一無傷な冷蔵庫に近寄っていく。その味噌や醤油すら入ってない冷蔵庫に何があるのだか。


 そう考えていた俺の目の前で枢クルリは真ん中の氷入れを開ける。すると氷だけは満杯の状態だった。飲み物用にそれだけは常備していたのか。

 氷を退かして下の方を探った後、小さなポーチがその手の中に納まっていた。もしかして主婦の小技というか、へそくり的なあれか。

 俺の視線に気づいた枢クルリは少しだけ説明するのが面倒そうな顔をした後、簡潔に小声で言う。


「俺の全財産」

「……通帳とか判子のことか?」

「そう。これさえ無事なら問題ないから」


 確か冷蔵庫には爆発や火事に耐えるほどの頑丈な家具らしい。焼け跡から中身を保存し続けた冷蔵庫とかも見つかることがあるらしい。

 だからそこにいざという時のために隠しとく人が多いらしい。その分空き巣とかも狙いやすいらしいが、この部屋を荒らした奴はそういったことに無縁だったんだろう。

 なによりあんだけ空っぽな冷蔵庫で何かを隠しとく発想は俺には思いつかん。俺なら冷凍庫に冷凍食品詰め込んでから下の方に隠すな。


「多分これから事情聴取とかあるだろうし。メンドーだけど、引っ越しもしなきゃ」

「てことは、やっぱりあのおばさんの息子がデュフフ丸、か?」

「あの人も自慢してただろ?成績優秀な人気動画投稿とかなんとか。同じブランドの腕時計してたし、他にも色々証拠はあるよ」


 枢クルリの説明だと扉を開ける特殊な鍵は管理人が預かっている。また監視カメラは各部屋の扉前に設置されている。

 だからあれだけ開けるのに時間がかかったのに、管理人が異常事態を知らせる連絡をしてこないのがまずおかしい、とか。

 どういっておばさんを手籠めにしたのかはわからないが、親子の情を利用した職権乱用だ。だけど加害者となるはずのデュフフ丸は病院。


 これからあっちが被害者として枢クルリを訴えるだろうから、そのための準備をするために他の管理人に連絡を取って映像記録を集めてくるとか。

 消されていてもバックアップする機材もあるし、デュフフ丸には外傷一つ与えてない。それでももめ事になるだろう、と枢クルリはやる気のない様子で告げる。

 大事になりそうな気配だったが、枢クルリは俺達は部屋で寝て明日の朝出て行けと言う。多分それが枢クルリが俺達にできる最大の優しさ……だといいけどな。


 でも確かデュフフ丸以外にも錬金術師機関の奴らがいた。そいつらがなにかを言って枢クルリに指差してきたらどうしよう。

 なんでかそんな図が浮かぶ。あの丸い猫背に向かって何人も指差している。だけど枢クルリはいつもと変わらない表情で、振り向かない。メンドーとか言って、相手にしない。


 妙にこちらを見ない奴だと思っていたけど、きっとその性格のせいで多大な誤解受けてきた、のかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。だって俺は今日初めて枢クルリに出会ったばかりで、何にも知らない。なにが好きとか嫌いとかもよくわかってない。

 だから今一つだけ確実に言えること部屋から出ていこうとする枢クルリに告げる。振り向かなくてもいいから、ちゃんと聞いてくれよ。


「なにかあれば呼べよ。俺はお前が正々堂々ゲームに勝ったことを知っているから」


 多大なハンデをつけられても、どんな無茶な勝負でも、枢クルリは目の前のゲームからは逃げなかった。

 卑怯なこともずるいことも、なにもしていない。真正面から相手を真っ当に負かしただけだ。悪い奴じゃない。

 こいつにとってゲームが全てなら、俺が見てきたあのゲーム達が枢クルリの全てだ。全力で正々堂々と向き合った、ゲーマーの猫耳野郎だ。


「……そういうのメンドー……」

「悪かったな」

「……けど」


 振り向かないまま、扉の閉まる音で掻き消されそうになりながらも枢クルリのわずかな本心が俺の耳に届く。


「意外と、嫌いじゃない」

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