幽霊船と花灯篭
潮風に花弁が舞う
第1話「南の海」
冬も近付く十一月終わり。馬車の荷台に揺られながら、第五王子ミカルダ・レオナス・ユルザックは青い空を見上げていた。冷たい風が頬を撫でるが、それ以上に静かな気分で金色の目を輝かせていた。
現在、彼はユルザック王国の南、十六貴族の一つであるブロッサム家の領地であり、王国の要とも言える貿易港がある港町ネルケに向かっていた。しかし王子という肩書きを利用してのことではない。
ミカの兄であり第四王子のフィリップ・アガルタ・ユルザック。彼の采配により、王位継承権がない第五王子に特務大使という役目が与えられた。信頼されている、というわけではない。
十年前に「国殺し」と呼ばれる流行病、五年前には大干ばつ。どれも五年間隔、十五歳であるミカが十歳や五歳の時に起きている計算だ。そのせいで不穏な噂が国中に流れている。
今年もなにが起こるのではないか。つい最近まで人形のように動けないことから人形王子と揶揄されていたミカが快癒したことで、今までとは比べ物にならない危機が襲い掛かってくるのではないか。
やはり西の大国の血をユルザック王国に持ち込むべきではなかったと、過去の因縁からの不信感がミカの肩身を狭くしていた。偶然も関連付けてしまえば法則性があると思い込めてしまうらしい。
ミカは他の王子達と違い、ユルザック王国が何度も争いと和解を繰り返した西の大国の貴族、レオナス家のエカテリーナ王妃を母としている。ユルザック王国では珍しい金髪金目も、レオナス家を象徴する色だ。
おかげで何度も命を狙われてきたミカだったが、十歳からの五年間は自分自身とも言える内部の意識と生死を賭けた戦いをしていたため、別に噂のことは気にしていなかった。
精霊と聖獣が信仰対象であるユルザック王国において、二十年前に太陽の聖獣と月の聖獣が死んだことは今でも話題の種である。そして太陽の聖獣レオンハルト・サニーの魂が生まれ変わり、ミカとなっている。
問題がそこで終われば楽だったのだが、どうにも死の間際の衝撃が強すぎてレオの意識が魂に残り、五年前に太陽の神殿にミカが訪れた際に目覚めてしまったのである。
当時はすでにミカは十歳分の意識があったため、融合することもできず、消されないように意識下で抵抗するしか術はなかった。そのため体を自由に動かすこともできず、人形王子として過ごしていたのがつい最近まで。
ヘタ村で起きた不可解な事件と関わり、そこで瘴気と精霊、魔物と魔人、そしてミカミカミという謎の五文字を知った。果てには
だが転化術は過去においてウラノスの民と呼ばれる者達が世界の均衡を保つ手段として使っていたことが発覚し、彼らが遺した氷水晶の神殿では他の術も覚えてしまう。
今もここ数ヶ月の思い出を空に描いている少年は、傍からどう見ても十五歳の少年である。ただし王子というにはぼさついた金髪と、左目を跨ぐような一直線の傷が難ありだ。
そして氷水晶の神殿の事件から発展した貴族裁判。王城に十六貴族が集まり、それを狙ってフィルはミカを特務大使に任命するために必要な十六貴族の承認印を集めた。
何故か魔人が出てきてミカをさらおうとしたり、その最中でミカミカミに辿り着くにはミカが必要と言われ、他にも様々なことがあったな、とミカは青い空を見ているようで見ていない、遠い目をした。
厄介な生まれであることは理解しているし、今までのことを思えば平穏無事な人生は諦めるしかない。それでも少し激動すぎないかと、少しくらいは悩んでもいいのではと思っていた。
しかし悪いことばかりでもなかった。そんなミカを心配する者、見捨てておくことができなかった者、王命でありながらも喜んで傍にいてくれる者ができたのである。
第五王子、そして特務大使の従者として天才精霊術師のヤー、一騎当千の才覚を持つオウガ、十六貴族の一つベルリッツ家の娘クリスバード、と同い年くらいの仲間ができたのである。
さらには氷水晶の神殿から氷水晶の妖精アトミスも連れてきている。妖精は基本的に自然物や魂が込められた物に宿り、今はミカが左手の親指につけている氷水晶の指輪の中にアトミスは宿っている状態だ。
屋根がついている馬車ではなく、馬車の荷台には意味がある。天気がいいという理由だけではない。まさしくミカを含めた四人は荷物、ついで、の存在であるからだ。
貴族裁判が終わってすぐにフィルはミカにブロッサム家が頭を悩ませている事件を解決してこいと、正式な任務状を渡してきたのである。そしてブロッサム家の当主コンラーディンに頼み込んで同行させてもらっている状態だ。
十六貴族が自らの領地から首都ヘルガンドまで移動となると、多くの旅荷物に王への手軽ながらも礼儀を欠かさない献上品、その他諸々を含めての大人数での移動となる。帰りは献上品がなくなるとはいえ、土産物で荷物の量自体は変わらないという事実。
旅団と称してもおかしくない馬車の行列。その最後尾にミカが乗っている馬車の荷台はあった。王族としての教育は最低限受けているミカだが、実は馬に乗れない。
同じくヤーやオウガも乗馬を習ったことがなく、唯一クリスだけが愛馬シェーネフラウに乗った状態で移動していた。愛馬に乗りながら馬車を牽引する二頭の馬にも指示を出しているので、騎族と呼ばれるベルリッツ家であることを如実に表していた。
今回はブロッサム家当主直々の依頼ということで、食費や滞在費を含めた旅費はブロッサム家が払うことになっている。特務大使とはいえ、任命されただけで実績は零。今のところ国からの支援は見込めていない。
貿易を担う港町に続く道のため、大型の馬車でも通りやすいように広く整備されており、クリスなどは動きやすい道だと愛馬の白い鬣を撫でている。道の横は野原が多いが、畑はあまり見受けられない。
潮風はあまり作物にいい影響を与えないとは聞いていたミカとしては、それでも緑豊かな光景に心癒される──ことはなかった。海に近付けば近付くほど、ミカの目は多くの物を捉えていた。
精霊を視るくらいならばヤーにもできるのだが、ミカの目はそれ以上の物を視てしまう。例えば火の精霊が人間の体の中で燃え盛るのはヤーでも無理だが、それ以外にもミカは視えている。
根本的にミカは魂まで視抜いてしまうのである。人間の魂は色、形、輝きで判断することができる。ミカはそれを材料に相手の善悪や嘘を吐いているかどうかを見分ける。
しかしながら魂とは決して人間内部に留まるものではない。妖精や聖獣も魂を持っているが、もっと別の問題がある。簡単に言えば死んでも地上を彷徨う幽霊もはっきりと視えてしまう。
目で捉えて知覚したとなると、相手の存在を浮き彫りにしてしまう。そこから会話まで可能となってしまい、ミカの耳には泡立つような呻き声が潮風と一緒に届いてくるのだ。
「……オウガ、見えないんだよね?」
「ああ。だけどよ……なんだか悪寒がする。大干ばつの時と同じ感覚だがよ、ミカが引き寄せてるのかよ?」
「ちょ、やめてよそういうの!!あ、アタシは学問的に魂の存在は認めるけど、ゆ、ゆ、ゆ、幽霊とか、そんな!!」
「幽霊さんがいるのですか!?死んでも無念を残し彷徨う彼らは……
ミカは空を見上げている。好きで三時間も見上げているわけではない。既に首は痛みで悲鳴を上げているが、それも今までのことを思い出して誤魔化してきたが限界である。
観念して馬車の荷台から遠くで煌めく海面を見る。普通の人間であれば感動しただろうが、残念ながらミカの目では全く別の物が煌めきを覆って靄と化していた。
白く半透明な、冬の霧に近い寒々しさを伴った薄い布地のような物。それが幾重も集まって蠢いているのが遠目でわかる。そして道の上を眺めれば、その布地と思っていた物が人の手や服、顔であることがわかる。
「目が合うと……ごめん。まさかこんなに海っているとは思わなくて……王城よりも多いなんて、本当に予想していなくて……」
「いる!?なにが!?あ、アタシは別に怖いわけじゃないのよ!けど明確に言葉にしたら今すぐアンタの腹を殴るかもしれないから気をつけて!!」
「動揺しすぎだろ。しかし精霊だけじゃなく幽霊まで視えるとかよ……大変だよな」
「ミカ王じ……ではなく、ミカ殿。申し訳ありません……私が干渉できる相手でしたら、なにかしらの対策を講じたのですが」
特務大使として行動するにはなるべく王子の身分は晒さない方がいい。金髪金目でばれる可能性が高いとはいえ、ミカの王子らしくない外見からすぐ結び付けるのは難しい、とフィルはミカに助言していた。
そこで礼儀正しく真面目なクリスにはヤーやオウガと同じように呼んでほしいと、ミカは自ら頼み込んでいた。実は一人だけ仰々しく呼ばれるのは寂しかったので、フィルの助言はミカにとってもありがたかった。
慣れない様子でクリスは何度も言い間違えながらも、ミカに王子をつけないように努力していた。そして心底申し訳なさそうに愛用の
「ちなみに対策って具体的には?」
「既に死んでいる方達ですから、槍で払おうかと。しつこいようであれば斬る覚悟もあります」
「幽霊は斬ったことがないからな、俺も興味はあるけどよ……実は脳筋だよな、クリス」
「呪われたらどうすんのよ!?いやでも呪術って専門外というか……どうにも学問成立に至らない現象なのだけど……どうなのかしら」
そして何故か呪術について学術的に成り立つかどうかで頭を悩ませ始めたヤーは、少しだけ大人しくなる。精霊術と呪術は違うのかと、クリスが真面目な顔で耳を傾けている。
四人四様。それでもミカにとってはかけがえのない三人である。連結術でミカと同じ体構成になった彼らは、少しずつ人の道から外れていく。それでもミカを守るために、彼らは受け入れた。
オウガは黒髪黒目の十八歳の青年。藍色を基調として、黒を交えた従者服を着こなしている。鍛えられた筋肉は柔軟性と筋力双方を兼ね備えており、武人として得難い才能を持っている。
口の中で計算式を呟き続けるヤーは貴族裁判が終わった頃に十六歳の誕生日を迎えた少女。水色を基本において白で柔らかい雰囲気を醸し出した精霊術師のローブ。こげ茶の髪は風に揺れ、碧眼が幽霊を見ないようにと色々な場所に視線を巡らせていた。
白馬に乗るクリスは十七歳の少女。愛馬シェーネフラウと揃えるように白を基本とした乗馬服に、桃色を添えている。頭横で羽根飾りを花のように開かせた髪結びをしており、白百合色の髪が太陽の光を受けて煌めく。ただし蒼眼は試しに幽霊も見てみたいと、別の意味で輝いていた。
ミカは改めて自分の体を見下ろす。黒を中心に赤が映える王族服。金髪金目に似合う色だと褒められて以来、すっかりこの色の服を好むようになっていた。額には前髪が左目の傷口に触れないように、厚めの黒いヘアバンド。
そして今は胸に特務大使を証明する細工が小さく主張している。金色の盾に二本の槍が背後で交差しており、精霊術師が好んで使用する星型正八角形が紋章として刻まれている。
盾の縁を飾る小さな宝石が四つ。冷たく透き通る氷水晶、熱く鮮やかな赤い花珊瑚、涼やかに深い緑色の風琥珀、豊かな広がりを感じさせる黄土玉。高価というわけではないが、珍しい鉱石だ。
その細工物を四つ用意しただけでなく、クリスが手にしている儀礼槍の飾り旗に同じ形の刺繍、そしてそろそろ寒いからと渡された各自の服色を取り入れたようなマフラーにも同じ刺繍。
少しでも名前を広めるためには象徴が必要だろうと、フィルが全て用意した物である。しっかりと四人分を数日で揃えたことから、フィルは一年以上も前から特務大使の件を企んでいたのではないかと、ミカは義兄の準備の良さに舌を巻くしかない。
真意を探ろうにも、大きな夢を持つフィルの魂は光り輝きすぎて、ミカはなにも判断できない。それでもミカに不利益なことはしないと、ミカはフィルをそう信じていた。
「うーん……港に着いてから天に昇らせた方がいいかな。数が多すぎて、旅団行列ならぬ幽霊行進になってるし」
「なにが!?ちょ、なにが!!??見えない所で増殖する虫のように、もしかして今も増え続けてアンタについて来てんの!?」
「というか天に昇らせるって、そんなことができるのかよ?あとヤーはそろそろ慣れろよ。見えないし危害も加えてこない、空気と同じ存在なんだからよ」
「……あの、単純な疑問なんですが……ミカ王じ……ではなくミカ殿はもしかして」
クリスが疑問を言い終わる前に、一際強い潮風と一緒に灰色の雲が空を流れていく。鼻頭が赤くなるような冷たさが通り過ぎ、ミカは盛大にくしゃみをした。
それを合図とするように行列の先頭から駆けてくる馬が一頭。乗馬している人物の顔を見て、多くの従者や運び手が仰天した表情を見せる。
「おーい、ミカ坊ちゃん!今夜は俺の家で帰還の宴だ!!風邪ひくんじゃねぇぞ!」
「コンラーディンおじさん……寒くないの?」
ミカは親しそうに話しかけてくるコンラーディン・ブロッサムの姿を見ながら、失礼がない程度に鼻を啜る。五十代とは思えない漲る気力と快活な壮年男性だ。
黒髪を適当に伸ばし、邪魔にならない程度に軽く編んでいる。強い輝きを持つ赤い目はまるで夏に遊ぶ子供のようだ。しかし一番の特徴は木で作られた右足の義足だろう。
それでも乗馬をこなしていることにクリスは驚くが、それ以上に冬が近づく中でシャツの袖を捲くっている上に上着は肩掛け。ユルザック王国の冬はそんなに軽い物ではないのだが、コンラーディンは今も汗をかいている。
「ここは南の貿易港!ヘイゼル家やガロリア家が管理する領地に比べれば陽気なもんさ!レッツエンジョイ人生!!ヨーホー!ヨーホー!!」
「……変なおっさんだな」
「貿易を担う街の人間は色んな言語が混じるとは聞いてたけど、このおっさんもそうみたいね」
「あの御二人共!!一応、一応こう見えて十六貴族の一つ、ブロッサム家の当主ですから!一応!!」
「ヤングの容赦しているようで容赦ない言葉がハートにガツンと来たぜ……こりゃあ今日は酒樽の山を積み上げねぇとな、野郎共!!」
落ち込んでもすぐに立ち直り、勢いのある言葉で近くにいた者達に声をかける。ブロッサム家の従者達は声を張り上げて応じ、その後は舟唄を揃って歌い出す始末。
その舟唄を聞いて気を良くしたコンラーディンは再度行列の先頭へと戻っていく。自由気侭のようにも見えるが、馬上から歩き続けて疲れている従者の肩を元気づけるために強く叩いたりと励ましていた。
ミカは驚きで目を見開く。目の前で列をなしていた幽霊達が、まるでコンラーディンの勢いと舟唄につられるように陽気に動いて歌い出したのである。まるで生前を思い出すように、朧気だった姿が形を明確にしていく。
幽霊は死んでからの時間が経過すると、少しずつ自分自身を忘れていく。そのため最終的にはまるで人の形をした白くも半透明な布の姿になることが多い。
もちろん強い意志がある幽霊は形を残し続けることもあるが、滅多にない。中には手や足だけとなったり、お気に入りの洋服だけしか姿を残さないこともある。
しかし舟唄によって形を明確にした幽霊達は、船員の格好を思い出し、次に厳ついながらも愛嬌のある笑顔を取り戻していく。酒瓶を片手に、大口を開けて歌い出す。
「……幽霊達に関しては明日に引き伸ばしてもいいかも」
「どういうことだよ?」
「コンラーディンおじさんに引き寄せられて、なんか楽しそうにしてるし……この勢いなら、今夜の宴で天に昇るかも」
ミカは苦笑しながら行列の先頭へと歩き出す幽霊達を眺める。あそこまで明確に形を取り戻すと、霊感がある者でも生者との区別が難しくなる。
そうやって陽気な人間達が集まる場所に誘われた幽霊は、人間と一緒に馬鹿騒ぎを起こし、最終的には満足して自ら天へ昇っていく。そして循環する輪廻に組み込まれ、次の生命になる。
コンラーディンには幽霊の姿も、精霊も視えない。ただ心の底から楽しそうに、人生を謳歌するが如く大きな声と舟唄で海の素晴らしさを讃える。風と空、そして海に浮かぶ船の乱暴で自由な旅を願うように。
「あれも一種の才能かな。第三王子のケルナ王子とかは視えてるんだけど、それを受け入れられない……なのに引き寄せちゃうんだよなぁ……」
「ああ、あの小心者の持病王子ね。確か精霊を視る才能もあるはずなんだけど、気色悪いとか言って研究所を馬鹿にしてくるのよね」
「そのせいか俺も嫌われてるんだよね……幼い頃に幽霊視えると聞いたから近寄ってみたら、いきなり花瓶で殴られちゃった上に罵詈雑言。あれは驚いたなー」
「そこはもう少し怒っていいわよ!?というか、そんなんでよく無事だったわね、アンタ!!」
ミカとしてはもう過去のことな上、花瓶で殴られた直後に当時警護役であったハクタに抱えられて医務室へと赴き、傷が残るほどの物ではなかったと発覚したので、そこで終わりにした。
しかしどうやらミカが殴られたことを知ったフィルがケルナに個人的な用で詰め寄ったこと、そして軽々しく暴力を振るったケルナに対して国王から直々の説教も施されたらしい。それ以降、ケルナのミカに対する敵意はさらに膨れ上がったのは言うまでもない。
ちなみにミカは気付かなかったが、もう少し怒れと憤慨するヤーの背後で、オウガとクリスは殺気を一瞬だけ放った。ただしクリスのはすぐに消えたが、オウガは理性で無理矢理鎮めた。
(猿山の猿の子供は猿ということさ。これだから猿は……)
「アトミス。その流れだと、俺も猿山の猿の子供なんだけど……」
ミカの頭上に浮いていた氷水晶の妖精アトミスは、慰めるために使った暴言がミカに刺さると気付いた後、鼻で笑った体勢のまま空中で固まった。アトミスの基本位置は氷水晶の指輪であるため、馬車の荷台に乗ったミカに付き添うように固まったまま移動する。
地面まで届く透き通る水色を宿した銀髪を三つ編みにし、深海のような藍色の目は白い肌と併せて鮮明に見える青年の姿。外見年齢は十七歳ほどだが、実年齢は軽く五百は超えている。
服装は海月のレースを重ねたようなコートを纏っており、背中には氷水晶の四枚羽根。童話に出てくる妖精に相応しい容姿をしているが、口は悪い。
「だからあれほど人間のことを猿呼びはするのは止めてとお願いしたのに……」
(うぐっ!こ、今回は僕が悪かったが……勘違いするなよ!?第三王子に対する猿評価は覆さないからな!!)
「……チョロツン」
(オウガ!?なんだか聞き捨てならない単語を口にしなかったか!?)
肩を震わせながら呟いたオウガに対し、アトミスは憤慨しながら空中でオウガの肩を叩く。妖精は基本的に人前に姿は現さないが、一定の条件を満たせば姿が視えるだけでなく、声や接触も可能である。
オウガを含めた三人はアトミスが姿を見せてもいいと認めた対象であるため、声や姿を認識できる。そのためオウガの肩には軽くない衝撃が与えられているのだが、鍛えられたオウガはびくともしない。
追加すると、ミカの場合は内部の精霊や魂が視える才能を持っているため、隠れている妖精の姿は自ら認識できる。これは天才精霊術師であるヤーには真似できない類だ。
「フィル兄上が最初の仕事としてブロッサム家の依頼を選んでくれて良かったよ。ブロッサム家はツェリ姉上の実家で、第四王子派。俺も昔から魚貰ったりして、親交は深いんだ」
「なるほど……さすがはフィル王子!兄様が認めた御方……ん?ミカ殿、お菓子ではなく魚なのですか?」
「うん。海魚を新鮮なまま持って来たり、貝殻とか浜辺に流れ着いた異国の金貨とかをくれるんだ。フィル兄上は貿易で手に入れた書物の方が興味あったみたいだし」
「確かに首都ヘルガンドでは中々魚類の類は手に入らないですから。海魚も王海グランカに近い領地でしか手に入りませんし」
焼き魚の美味しさを思い出した四人は、口の中に涎が溢れるのを感じ取る。東の島国では生魚を食すともあるが、ユルザック王国は必ず火を通すように調理している。
肉や小麦粉が盛んではあるが、海に近い場所では確かに魚は大事な食料である。なにせ潮風に含まれた塩気が、農耕には不向きなのである。どうしても土に塩分が含まれて、育てるのが難しい。
それでも港町にかなり近づいた頃、緑の野原が急に色鮮やかになる。黄色や赤、そして青。潮風に揺れながら鮮やかに濃い花々が咲き誇っている。そろそろ冬だというのに驚きの色合いだ。
「南の名産の一つ、
「それだけではなく花灯りの原料としても親しまれており、冬の寒い日には花祭りとして乾燥させた花弁を燃やして街中を明るくすると聞いたことがあります」
「随分詳しいな……俺はあんまり聞いたことがないけどよ、なにか重要なことなのか?」
「お花の妖精さん、ごほん。花の妖精について調べる際に少しだけ知りまして」
「アタシも同じ理由よ。こういった特殊な花にはなにかしらの妖精、もしくは聖獣が関わっているんじゃないかという研究があるのよ」
少女二人の似通っていながら調べる理由が全く違うことに、憧れと職業は違うのだとあらためて思い知らされる。
「そうだ!今からレオに聞いてくれない?こういった花に聖獣とか関わっているのか!」
「いいよ。そういえばクリスはまだ話したことがなかっただろうし、今変わるね」
言葉を告げた直後にミカは両目の瞼を一度閉ざす。意識の内側にいる獅子に声をかけ、表へ出ていくように手を伸ばす。そして左目を跨ぐようにつけられた傷を入り口として、太陽の精霊が集まる。
金色の目を覆うように橙色の輝きが円を描きながら明滅し、まるで炎のように勢いをつけていく。ミカという少年の雰囲気は息を潜め、夕焼けのように沈みながらも輝きを強くしていく気配が滲みだす。
その様子を初めて目の当たりにしたクリスは、全く別人が眼前に現れたと感じた。体は見知った少年であるミカのままなのに、ミカと呼びかけることもできないほどの違う空気。
「……久しぶりだな。そしてクリスは初めまして。我がかつて死んだ太陽の聖獣レオンハルト・サニー。まあ気軽にレオと呼んでくれて構わない」
「は、はい!!ではお言葉に甘えてレオ殿と呼ばせていただきます!!話には聞いてましたが……驚きですね」
素直に驚嘆を口にしたクリスに対し、レオは穏やかに笑う。頭上に浮いていたアトミスさえ、レオの登場に合わせて地面の上を浮くように移動する。
聖獣とは妖精の格上。そして太陽の聖獣ともなれば天の二大聖獣。そしてアトミス自身が太陽に憧れを抱いていたので、不敬な真似はできなかった。
「さて、ヤーの疑問だが。場合による、としか回答できないな。聖獣も様々な者がいてな、我のように象徴そのものに宿ることもあれば、一定の土地、限定的な物質、など一概には説明できない」
「道理で。前からおかしいとは思っていたけど、氷水晶の妖精がいるという時点で気付くべきだったわね。どうにもこうにも聖獣って気軽に相談できる相手じゃないし」
「いい着眼点だ。もしもアトミスが年月を経て成長したならば、氷水晶の聖獣となる可能性はある。これは限定的な物質に宿る聖獣という扱いだ。他にもややこしいのがあるな……まさに目の前で広がっている海だ」
静かに腕を動かしたレオは、日差しを受けて輝いている海面を指差す。もちろんミカの体を使っているレオには、その水面に漂う幽霊も視えていたが、脅威ではないと無視を決め込んだ。
「海の聖獣……それだけではない。大地よりも広い海は七つの区分があり、それぞれの領海を管理する聖獣、他にも海水の聖獣に、珊瑚、海中火山、魚、貝殻……」
「ちょ、待って!!そんな話聞いたことないわよ!?まず海の聖獣ってなに!?水の聖獣が管轄しているんじゃないの!?」
「いいや。海は特殊な領域でな。水の聖獣はもっと原始的な存在でな。多分精霊術師が確認しているよりもはるかに聖獣は多いだろう。ただ自然に左右するとなると、我らのように天の二大、自然の四大、など限られてくるだけだ」
「う、そ……今までの学説がひっくり返る新事実じゃない……」
信じていたことが大きくひっくり返ったヤーは、荷台の上に両手両足を広げて放心する。話題についていけないオウガは、面倒そうだなという思って沈黙を続けていた。
横で話を聞いていたクリスは自然に宿る聖獣という存在に目を輝かせ、もしかして今も視界に広がる花畑には多くの妖精が遊んでいるのではないかと期待を膨らませた。
「おそらくだが王海グランカには七つの海を束ねる聖獣の長がいるだろう。なにせユルザック王国の膝元だ。それなりの者が管理しているはずだ」
「ユルザック王国だからという理由はなんだよ?」
「精霊信仰。我らは自然の中で生きているが、人間の信仰は力の一部となる。最も力を発揮できるのが信仰地域、とだけ考えてくれればいい」
「誰からも相手にされない場所にいるより、自分の存在を認めて頼ってくれる場所の方が好条件ってこと」
ヤーの雑なまとめ方に、レオは微妙な笑いを零すが否定することはなかった。まさにその通りであるからだ。ただし他にも理由があることをヤーはちゃんと理解している。
精霊信仰は身の回り全てに精霊という存在がいることを認識するということ。それにより信仰する人々は無闇な自然破壊は行わない。祈りを捧げ、むしろ守ろうという意思が働く。
例えば森の聖獣がいるとして、その森が荒れ地になってしまえば存在意義がなくなる。それは聖獣の生命が終わるだけではない、森の聖獣という存在の消滅に繋がる。
「しかし我らは世界の一部でしかない。消滅するならば受け入れよう。魂は輪廻に導かれ、いずれ全て忘れる。本来ならば、な」
「さすが生まれ変わっても意識を残した奴の言葉は違うわね」
「うっ!!わ、我もまさかこんなことになるとは思わなかったんだ!とりあえずこれで疑問は解消されたか?」
「もう少し詳しく聞きたいとは思うけど、それはまたミカ経由で尋ねることにするわ。教えてくれてありがとう」
体の主導権は今を生きるミカにある。レオのその意思を尊重したヤーは、名残惜しくも礼を渡して終わりにする。意識の内側という感覚はヤーにはわからないが、楽しい所ではなさそうだとも思う。
レオは小さく微笑んだ後、瞼をゆっくりと閉じる。左目に集まっていた精霊は散り、同じように光も消えていった。そしてミカの意識が外側へと出てくる。真上に輝く太陽に似た気配。
「……いいの?俺はもう少し意識の内側でも大丈夫だったけど?」
「あのね、アタシが疑問を持つたびにすぐにレオに頼るのも悪いけど、基本的にその体はアンタのでしょ!?もっと自己主張しなさい!!」
「俺もレオが出てくると暇だしよ、ミカの意識で動いてくれた方が助かる。正直、さっきの話の意味はさっぱりだったしよ」
「お話は大変興味深い物でしたが、レオ殿は独特な威圧感がありますね。私も緊張してしまい、言葉が出てきませんでした。やはりミカ殿が一番落ち着きます」
三者三様の言葉に、ミカは緩む口元を抑えようとして失敗する。どうにも変なにやけ方になってしまい、ヤーには怪しい物を見る目つきで睨まれてしまう。
「なに笑ってんのよ?」
「嬉しくて、つい」
この胸が躍るような気持ちはミカには慣れない物だった。悪意を向けられたことは多くても、好意を向けられたことはあまりない。
なにより魂まで視えるミカには、三人が本音で話していることがわかる。嘘を吐けば魂にはなにかしらの異常が現れるのだが、三人にはそれがない。
おべっかを使ってきた相手の魂が変化するのを視てきたミカにとって、こんなにも嬉しいことはない。年頃の少年のように歯を見せて笑い、感情が制御できないのを表わすように体を前後に揺らす。
「ああ、楽しみだな!フィル兄上が幽霊船の調査と言ってきた時はどうしようと思ったけど、ヤー達と一緒なら大丈夫そうだ!」
「……え?アタシ、それ聞いてないんだけど」
「え?あ、そういえば話してなかったけ?」
「ふ、ふふ……この馬鹿王子ぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!なんでそんなの受けたのよぉおおおおおおお!!!!」
うっかり特務大使の初仕事内容を伝え忘れていたミカの両肩を掴み、ただでさえ前後に揺れていた体をさらに強く揺さぶり始めるヤー。ミカの首が痛みを訴えるほどだ。
報告・連絡・相談、いわゆる
馬上のクリスは降りて助けに行こうかとも迷ったが、とりあえずヤーに王子呼びは気をつけた方がいいと顔を青ざめさせながら忠告する。
(幽霊船って、そんな非科学的な)
「お前が言うなよ」
幽霊を怖がるヤーに呆れた様子を見せるアトミスだが、とりあえず幽霊と似たような存在であることを忘れてはならないと妖精に念を押すオウガ。
しかし既に港町の入り口に行列は入ってしまい、いまさら首都ヘルガンドに帰ることもできない。嫌々と言いながらも、ヤーは観念して荷台の上で体を丸めて頭を抱えるだけにした。
体を揺さぶられまくったミカは目を回しつつ、石で造られた家が多い港町ネルケを眺める。潮風と青空が良く似合う白い町並みに新鮮さを感じながらも、迫る薄暗い雲に背筋を震わせた。
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