第7話「暗躍と異変」

 昔から人と違う物が視えていた。それが違うことを知らなかった。だから話してはいけないと禁じられた。

 それでも胸の中で燃えるそれが怖くて、少しずつ渇いていく人間の手が哀しくて、いつになったら話していいのかを尋ねた。

 木の皮のような肌でも、一際強く輝く金色の瞳が熱を持ち、掠れそうな声が聞こえてきた。自分が死んだら、フィルに話すようにと。


 ミカが覚えている母親の最後の記憶は、それだけである。



 氷水晶の神殿内部は一本の通路であらゆる部屋に繋がっている。博物館のような建物内部に二つの大部屋を両極に配置し、円状で通路を結んでいる形だ。

 一つの大部屋は試練の間。今は挑戦者達が旗棒を抜こうと必死になっている頃である。神官の多くが彼らの様子を眺めているのは、神殿を管理するためだ。

 もしも欠けた氷水晶を持ち帰ろうとしたり、内部に侵入しようとした場合に注意するため。この神殿では最も気を遣う時間である。


 もう一つは祝詞と祈りを捧げるための祭壇部屋。裏にある通用口の近くにある部屋で、その手前でテトラとハゼが深刻そうな顔で話し合っている。

 ミカとヤー、そしてオウガは二人に近付く。どうしても聞かなければいけないことがある。氷水晶の神殿が現在、どれだけの危険を孕んでいるか。それを承知の上でどういう対策を取るのか。

 第五王子であるミカの腹違いの兄、第四王子フィルとの繋がり疑惑。そして氷水晶の神殿を含めた土地の管理を任せられている貴族ジリック家について。


「単刀直入に聞くわ!今朝の祝詞はどういうこと!?」

「あ、そっちなの!?」


 しかしヤーは天才精霊術師として探究心の方が勝ったらしい。もちろんジリック家の問題についても放置する気はないが、ヤーの仕事目的は氷水晶の神殿調査である。

 まずは仕事を片付けてから。賃金を貰っている身として、ヤーは解決すべき手順を頭の中で並べながら、先に知るべきことを不可解な祝詞の解明に設定した。

 ミカとしても気になることではあるが、精霊言語に関しては意識内部にいる元聖獣のレオが知っている物であり、ミカには備わってない類の知識だ。


「あ、あー……やっぱり気になっちゃいますかぁ?」

「当たり前でしょう!まず宇宙人ってなによ!?空向こうにある空間を歴史外の神世で宇宙と呼ぶのは知っているけど、その後との繋がりが不明だもの!」


 テトラが気まずそうにヤーの質問を受ける。ミカが魂を確認すれば、自信がない部分を突かれたのか、多少凹んでいる。ただし一時的な物である。

 彼女の魂は安定した光と白、そしてまろやかな丸み。野菜スープに浮かぶ白い皮に包まれた肉饅頭に似ている。見ていると少しだけ食欲が出てくる魂だ。

 光が安定しているのは抱えていた目標がほぼ叶えられ、持続できているから。誰かを蹴落とすこともなく、むしろ助けられて感謝を忘れずに努力したのがミカには理解できた。


「えっとぉ、資料室にあった祝詞をなんとか解読した結果なんですぅ……精霊言語って難しいから、私がまだ一番読めるんですけど、アレな形になっちゃって……」

「儂にもさっぱりわからん文字の類で、困っているんじゃ。確かに普段使う人間言語に似ている部分もあるが、どこか並び方や読み方の法則が逆だったりして、目が回る」

「……ミカ、ヤーって本当に天才精霊術師なんだな。俺は自称だと思っていたんだがよ」

「聞こえているわよ!自称で国の仕事を受けれるわけないでしょうがぁっ!!」


 聞こえないようにミカに話しかけたつもりだったが、ヤーの地獄耳はそれ以上に性能が良かったようである。ミカはとりあえず笑って誤魔化す。

 気が抜けるようなミカの笑みにヤーは怒りを萎ませていく。ヤーにとってミカは変な少年だった。流すのではなく受け止めるが、それをどう処理しているか見えない。

 オウガのように固執している物も不透明だが、たまに一筋の強い光を見せる時がある。命に関することにおいて、ミカは背筋が痺れるような眼光を見せる時がある。


「とりあえず……ジリック家について聞きたいな、俺は」


 今も金色の瞳が油断なく輝く。その眼力にハゼは背筋を正しながら、頭の頂点から流れていく冷や汗に昔の感覚を思い出す。

 戦場。優秀な武官として地面に足を着けた戦いをしている最中、値踏みするような視線を浴びた時。その視線の主が女騎士だと知った時。

 砂埃で全てが曇る大地の上において、太陽の寵愛を一身に受けたかのように輝くその姿に、ハゼは目が焼かれたかのようにそれ以外が見えなくなった。


 確実にエカテリーナ王妃の息子。ミカの瞳に吸い込まれそうな恐怖を感じたハゼは最早疑うことはない。あの女傑の血は今も生きている。

 夏の日差しを浴びたように昂揚感が身を包む。それに流されてはいけないと理性が警告を促すが、緩みそうになる口元を抑え込むので精一杯だ。

 思わず漏らした笑い声は期待を含む。あの第四王子はこの第五王子を制御下に置こうとしている。その豪胆にハゼの肝が冷えるほどである。


「フィル王子の謀略の一部に気付きましたか。ならば隠し立ては不要……と言いたいところですが、いやはや困ったものです」

「神殿の性質上、簡単に外部の者が入れる神殿ですから。どこに耳と口があるか……困りましたよねぇ」


 ハゼとテトラは揃ったように困った顔になる。血は繋がっていないはずだが、全く同じ仕草で目線を合わせるのは本当の家族のようである。

 今五人がいる場所は試練の間とはほぼ反対の位置にある。だが昨夜の神官の一人がミカに攻撃を仕掛けたところを見ると、神官達の結束にも影響が及んでいる。

 そして試練の間では神官達が暇を持て余した挑戦者達と会話することも多い。そうやって外部の情報も取り入れるのだが、仕入れの商人が怪しかったとなると、挑戦者も信用できない。


「それにしても神世の技術ってのは末恐ろしいわね。精霊を利用して建築物を一軒造り上げる……これが今使えたならば、世の中の発展は別の物になったわね」

「でも高度すぎて解明できない物になっている。もう少し祝詞が解明されれば森の姿も変わるし、この壁も変化させることができるんじゃないかな」


 ミカは横にある氷水晶に手を触れた。手の平全てが吸着するような触り方だ。瞬間、脳髄の奥まで氷の小さな棘が突き刺さるような感覚に驚き、急いで右手を離す。

 目を白黒させるミカだったが、オウガやヤーも手を触れて壁の確認をしている。二人は普通の壁を触っているように平然としている。オウガは手の甲で軽く叩いて具合を確かめている。

 首筋あたりがむず痒くなるような違和感に、ミカは思わず意識内部のレオに話しかける。体が人形のように動けなくなるが、オウガがいれば大丈夫だろうという判断だ。


 しかし答えを期待していたミカの思惑とは裏腹に、意識内部で眠っていたであろうレオも毛を逆立たせて驚いている。獅子の姿が滑稽に見えてくるほどの驚き方だ。

 ミカと同じく首筋に違和感があるのか、猫科らしい動きで後ろ足で痒い部分を掻いている。それでも落ち着かないのか尻尾を上下に動かしている。ただしレオ自身は無意識の動きだ。


(今のなに!?精霊達が一気に手の平に集まって体の中に侵入しようとしていたみたいだけど!?)

(我にもわからん!聖獣の時は精霊が集まってもこんな感覚はなかった……とすると、肉体の拒絶反応か?)

(でもヤーやオウガは普通だよ?なんで俺だけ……)


 疑問を続けようとしたミカだが、肩を軽く揺らす衝撃に気付いて意識を表に戻す。ヤーがハゼとテトラに対し話を続ける中、オウガが気を利かせて人形王子状態から戻してくれたのだ。

 約五年間は動けない人間として過ごしてきたミカ。そこからついたあだ名が人形王子。不名誉で嘲笑の対象となる呼び名であり、今でも世に広まっているミカの評価を表わしている。

 お飾りの第五王子。動けるようになった今でも、その評価は覆らない。それでも西の大国と戦争する事態にならないのは、お飾りでもその内部に流れる血がレオナス家の物であるからだ。


「なんかよくわからんが、氷水晶というのが特別だというのはわかった。それよりなにかあったのかよ?」

「えっと……精霊達の動きについて。なんかまだ細かい虫が腕の内部で動いている感覚がして、落ち着かない」


 小声で話しながらミカは壁に触れた腕を擦る。体の中に瘴気や精霊が入り込んでくるのは体験している。実際それで素から操る転化術を行っている。

 転化術を行うことで瘴気を精霊に、精霊を瘴気に、そしてレオの意識を安定化させることができる。しかし壁を触った時の違和感は、それとは異なる。

 体内部に入った物を操るのではなく、体外部から侵食されるような変化。細かい気泡が弾け続けながら腕から全体にかけて這い上がってくるような感覚に近い。


「……!?ミカ、その腕を隠せ!早く!!」


 オウガが焦ったように、それでも小声で注意してくる。ミカは背中に右腕を隠しつつ、横目で様子を視る。水の精霊が多く纏わりつき、腕が見えなくなっている。

 精霊は強い魂に惹かれる。それは磁石に砂鉄が集まるように自然なことで、聖獣が前世のミカにとってそれは普通なことだ。しかし纏わりついて離れないというのは初めてだ。

 しかしオウガには精霊が視えないはずである。ただし精霊術で使うために集めた精霊の集合体ならば、視えない者にも認識できるようになる。


「なんか、青くぼんやり発光しているんだがよ……それは精霊術か?」


 ミカ王子の振りをする時に一応ヤーの精霊術を見ていたオウガは似たような現象だと思っているようだが、ミカはハゼやテトラに違和感を抱かれないように首を横に振る。

 精霊術は視える素質と操る素質の二つが必要である。ヤーよりもミカの方が視える素質は上だが、ミカには操る素質がない。転化術も元聖獣のレオが手伝うからできる例外だ。

 混乱したミカは転化術で腕に集まっていた精霊達を散らす。精霊を集めて現象にする、ということはできないが集めて散らすくらいは可能である。


 なんとかいつもの腕に戻ったことにミカは安堵した。その頃にはヤーが難しい顔をしながら、ハゼの仕事部屋よりもテトラの私室の方が人が来る可能性が低いため、そこで話そうという流れになっていた。

 神官の中でも珍しい女性神官。しかも副神官長という役職は伊達ではなかった。ハゼは別の仕事があることと、さすがに女性の部屋で大勢行くのは失礼と仕事へ戻る。

 テトラが呑気な様子でミカ達を案内し始める。最中、ヤーが妙に精霊達の光が変な動きをしていると気付き、ミカへと振り返って驚愕する。


「ミカ……なにしたのよ?」

「俺は壁触っただけだよ。多分」


 周囲に集まる異常な精霊の動きにミカは自信がない様子で答える。精霊が集まるのはいつものことだが、くっついて離れないということはなかった。

 転化術を使って散らし続けるミカは涙目でヤーに助けを求める。テトラに気付かれると面倒なので、ヤーは精霊術を使ってミカに集まる精霊を集めては遠くへ飛ばす。

 テトラの私室前に着く頃にはいつも通りになったミカは、安心して転化術を止めた。テトラは少しだけ扉前で待っててほしいと言い、部屋の中に慌てて入る。


「で、いつああなったの?流石にあれはおかしいわよ」

「壁に触った後……レオも驚いてたし、精霊はエネルギーに近い存在で思考がないから全くわからない」

「そう、よね。そうなのよね。強い魂に惹かれるのは性質上の問題。てことは離れないのも精霊の性質の一つのはずよ」

「そんな性質あったかなぁ……大体、精霊が体の一部にくっついて離れないのは妖精や聖獣の……あ」


 ミカが釈然としないまま言葉を呟いた途中で、気付いたように声を止めた。

 同時に汗を流しまくっているが満面の笑みで勢いよく扉を開けたテトラ。勢いが強すぎてオウガに肩を支えられる形となる。

 照れたようにお礼を言いつつ、テトラは三人を私室に招き入れる。部屋の中でベットの裏側に本が積まれている以外は特徴らしき物はない。


 本の積まれ方が雑な上に埃が付いているため、おそらく本を片付けるために部屋の前で待たせたのだろう、とヤーは身に覚えのある同情をテトラに感じた。

 来客を想定していないため椅子は一つしかない。青い花の形をした絨毯の上にオウガ、椅子にミカ、ベットの上にヤーとテトラが座る。

 テトラはまずどこから話そうか悩み始める。その間にヤーはベットの後ろに積まれている本の一つを手にし、本当に読んでいるか怪しい速度で頁をめくっていく。


「まずおかしいなぁと思ったのが、仕入れの商人さんですねぇ。前は凄く高いのを売りつけてきたのに、安い食材を大量に持ってきてくれるようになったんですよぉ」


 氷水晶の神殿は森の中にある。その周囲の土地はあまり耕作向きではなく、首都に近い場所にあるため行楽地や休憩地点として役目を担っている。

 そのため宿屋や倉庫が多くなり、商人達も集まりやすい。代わりに日持ちしない商品や銭を稼ぎたい商人は安く売り捌いて身を軽くする。

 しかしジリック家の卸しもやっている商人は簡単に買い出しできない神官の足元を見て、買えなくもない高額で食材を売っていた。それがある日急変したのだ。


「しかも明らかに加工の手が加わっているし、粗悪品を売られたと思ってたんですがぁ……神官長が裏を感じると言って、調べ始めたんですよぉ。神官長、アガルタ家と繋がりありましたし」

「アガルタ……どっかで聞いたような……」

「兄上の母方の実家だよ。東四大貴族のアガルタ家。歴史上でも王家に多大な貢献を認められた由緒ある家柄なんだ」

「神官長、武官としてフィル王子の母親、王妃様の警護を務めてた時に親交があったらしくてぇ、手紙送ったんですぅ」


 馴染みのない貴族の名前や王族関係の話題にオウガは嫌そうな顔をする。テトラはそれに気付かずに話を続ける。


「で、フィル王子に話が通ってぇ、最近王城でも在庫数が合わない税収が確認されてぇ、それにジリック家が関わっているかもしれないから証拠集めてほしいって言われたんですよぉ」

「見つかったの?」

「一杯ありましたぁ。正直怖くなるくらい」


 呑気な様子から一転して真顔になるテトラ。その間もヤーは次々積まれた本を読んでいく。しかし話は聞いているらしく、相槌を打つように首を動かしている。

 続々と出てくる証拠から推論を重ねていく最中、ハゼはテトラに他の神官には伝えないように厳命した。余計な混乱は密閉社会に近い神殿内では致命的な問題だからだ。

 神官全員がハゼに救われてきた者達だ。しかし志や危機感までは同じではない。中には恐れるあまり暴挙や無闇な告発に繋げ、集めた証拠が無駄になるかもしれない。


「フィル王子はできれば証人と既成事実が欲しいから、近々強い武人と相手が焦るような存在を寄越すから頑張って、と言われましたぁ」

「強い武人と……」

「相手が焦るような存在……」


 オウガとミカはお互いに顔を見合わせる。つまり相手の尻尾を掴むためにミカは氷水晶の神殿を行くことを許可されたのだ。

 おそらくヤーが目的としているウラノスの民調査の方が、ついで、なのである。もしもヤーが他のを調べていたとしても、ハゼとの打ち合わせで誘い出すつもりだったのだろう。

 氷水晶の神殿には決定的に祝詞が不十分という事実がある。その解明を望む、などの内容でヤーを表に出し、ヘタ村で事件を解決したミカも一緒に行くよう手配する手筈だったのだ。


 もしもオウガがいなくても、フィルの配下には腕に覚えがある者が多い。警護役として二人と仲の良いハクタも、ヘタ村で作った傷が深いとはいえ動かすことができただろう。

 たまたま偶然にもハクタよりも強くて暇そうなオウガが城にやって来て、挑発することで仕事を任せる流れを作った。全てフィルの思惑通りである。

 まるでチェスの駒を配置して王手を取りに行くような手腕。ミカは言葉が出てこないが、オウガが面白くない様子で盛大な舌打ちをした。


「ミカ王子の噂は夏前から囁かれてましたし、それすら利用したっていうのは私も怖いですけどねぇ」

「夏前……ミカ、お前もしかして夏生まれなのかよ?」

「うん。ヘタ村行く少し前に十五になって……それで今度の夏もしくは年末までに変なことが起こるんじゃないかって騒がれてるらしいね」


 十年前の「国殺し」という流行病。五年前の大干ばつ。それらの原因は西の大国の貴族、レオナス家の血を持つミカがいるからではないかという根も葉もない噂。

 オウガもミカと会う前ならば話題として商人から品物を買う際に口にしていた。実際氷水晶の神殿近くにある村でも流れているらしく、テトラは心配そうな顔をしている。

 しかし当の本人は他人事のように受け止めている。むしろ噂自体に害はないから放置しても問題ない、という態度である。


「噂は兄上がなんとかするんじゃないかな。というか……今回、もしジリック家の尻尾を掴んだとして、貴族裁判が開かれる。王候補の勢力図が一気に動くと思う」

「貴族裁判?初めて聞く。それはなんだよ?」

「王族と東西南北の代表的な十六貴族、そして領地を保有していないけど首都に屋敷を持つ高名な貴族達を集めた大型裁判。ここ十年近くは開かれてないから、大事だよ」


 オウガがそんなに貴族がいるのかよとげんなりした顔になる。しかもミカは追加説明で、ジリック家はこの裁判に参加できない地方貴族と説明する。

 ユルザック王国は貴族が王族に忠誠を誓うことで権力や領地を与える制度を執っている。その中でも広大な領地と強力な権限が与えられたのが東西南北に各四つに配置された十六貴族。

 この十六貴族を頭として、下にジリック家のような領地を与えられながらも権力が弱い地方貴族がいる。逆に権力が強くても領地を与えられない貴族が中央貴族と呼ばれる存在だ。


 ヤーの育て親、精霊研究所の主任であるササメ・スダも中央貴族の一つである。彼らは屋敷を下賜され、大臣や官職の長、特殊な役職に就くことが多い。

 そして十六貴族、地方貴族、中央貴族、この三つ全てが王族に背くことを行ってはいけない。忠誠を誓ったからこそ、与えられたのが貴族という称号だからだ。

 もしも背くこと、税の横流しなどを行えば、開かれるのは裁判という名の貴族権や領地の剥奪を執行するための儀式、貴族裁判。多くの貴族の前で、貴族という肩書を失う公開処刑にも近い。


「十六貴族こそが王子達が最も重要視する勢力なんだ。簡単に言えば、彼らを一人でも多く味方につけた者が国王になる」

「十六貴族の中には王妃の実家や婚約者の実家も混ざり、王子達は少しでも繋がりが浅い貴族を味方にしたいはずですよねぇ……ということはぁ……」

「フィル兄上、ジリック家も餌なんだ。本当の目的はジリック家を貴族裁判にかけることで、十六貴族を集めて繋がりを得る。考えてみれば、ヘタ村でカルディナ家関わって来たのも偶然じゃないかも」

「俺はそのヘタ村の件がいまだによくわからんが、そのカルディナ家はもしかして十六貴族という奴か?」


 ミカが苦々しく頷く。十六貴族であり、西四大貴族。最も西の大国に近い領地を保有する、戦力という点では最重要の貴族こそがカルディナ家である。

 直接的にではないが、カルディナ家の娘が家出した件について利用された問題があり、ミカとヤーはハクタと共にその件に関わった。今となっては解決したことだが、フィルが見逃すとは思えない。

 魂が視えない程輝く目標を持つフィル。その策略の奥深さ、まだ一端でしかないであろう部分に触れて、さすがのミカも思いつく言葉がない。


「つまり俺達は鯛を釣るための海老を釣るための撒き餌かよ……俺が言うべきことじゃねぇが、えげつねぇな」

「あー、これは俺も言い返せない。ごめん兄上」

「アンタが謝ることじゃないでしょうが。腹黒の策略より、具体的な対策や対処は聞いてないの?」

「えっとぉ……まずは襲撃の事実を作る。次に襲撃犯を捕え、証人にする。後処理はフィル王子が一任するとしかぁ……」


 気まずそうにテトラが答える。大雑把な計画図だが、現場にいない身としては細かいことは指示できなかったのだろう。フィルは最低限の目標を二つに絞り込んだらしい。

 しかし神殿が攻撃を受けるしかない内容にヤーは唸る。氷水晶の神殿に住まう神官達、彼らに傷を負わせるのもできれば避けたい事柄であり、神殿が傷付くなど論外である。

 貴重なウラノスの民が残した遺跡。そしてウラノスの民と繋がりがある妖精の新発見に聞いたこともない祝詞の解明。精霊術師として、氷水晶の神殿は発見の宝箱であった。


「……要は、神殿が無事で、神官達が無傷のまま、襲撃犯を倒して捕えればいい、と」

「ミカ、自分でなに言ってるかわかってる?相手の規模や人数に戦力、その全てがわからないの!」

「オウガはハクタより強いんだよね?じゃあさ、敵の親玉を倒して捕えることはできる?俺のことは一切考えなくていいから」

「……できる。むしろ全滅させてやってもいいぜ?」


 ミカの問いに挑発するように笑うオウガ。ヤーが呆れたように肩を落とす。一体どこからその自信が湧き出てくるのかわからない。

 しかしミカにオウガの言葉は嘘じゃないのがわかる。魂が白く輝く。一切の濁りも陰りも視えない。自信に裏打ちされた努力がオウガという存在を強くしていく。

 ハクタも護衛という役目さえなければ、親玉だけ捕えるということはできるだろうと計算した上で尋ねたが、予想以上の答えが返って来てミカも笑う。


「うん。敵はオウガに任せる。存分に暴れて。そして神殿はヤーと……テトラかな。二人で強化してみよう」

「……どういうことよ?できるの!?」

「まだ自信はないけど、アトミスが精霊術で補修していたし、祝詞で壁の中を精霊が動いていた。神殿の保持も精霊が要因なら、祝詞の謎さえ解ければ可能性はある」

「アトミス?あのぉ、それはなんの名前ですかぁ?」


 ミカが呟いた名前にテトラが首を傾げる。そういえば神殿に住む妖精はミカ達以外に姿を視せていなかったと思い出す。

 少し考えた後、もう少し状況がわかってから説明するとミカが伝える。まずはアトミス自体にも尋ねることや、明かさなければいけないことがある。

 そして先程壁に触れた時の感覚。思いついたこと。一つずつ整理しつつも、ミカはまだ知らないことが多すぎると眉間に皺を寄せる。


「今日の商人はまだ俺がいるかどうか半信半疑だった。おそらく今夜はまだ襲撃しないはず。テトラ、今日の夜までに祝詞について調べるから、ハゼ神官長にさっきの対応を伝えてくれるかな?」

「わかりましたぁ。それにしてもミカ王子って噂とは全然違うんですねぇ。ちょっと驚きましたぁ」

「うーん、つい最近までは本当に人形王子だったけど……人形のままじゃあ、いられなくなってきたからね」


 自分の悪い噂を肯定的に、むしろ笑い話にするようにミカは返事する。金色の瞳が草陰から獲物を見つめる獣のような輝きを宿す。

 その瞳にテトラが背筋を震わせた。そしてハゼがどうして金色の瞳と髪を恐れていたかを理解する。人間なのに、人間では考えられないほど輝く色。

 真っ向からその瞳に姿全てが映ってしまえば、なに一つ隠せないまま襲われそうな畏怖。誰が言い始めたかはわからないが、人形王子など似合わない。


 人形ではなく、一匹の獅子が王子の姿になったように見えた。




 昼。祝詞が再度神殿内に響き渡る。その現場をミカ達は祭壇部屋から眺めていた。祭壇というには御神体が飾られていると思っていたが、ミカの予想は裏切られる。

 丸い台座の上にこれまた長い棒が突き刺さっている。上の部分が斜めに折れ、丁度テトラの口がある場所に届く高さだ。テトラは集中してその棒に向かって声を出していく。

 声に反応して光る鍵盤が氷水晶の壁内部で反応していた。それが視えたミカは集中して鍵盤を眺め、違和感に気付く。鍵盤の叩く順番などではなく、純粋に音の些細な変化。


 ずれている。調律されていないピアノの不協和音を鳴らすような音が時折耳に届くのだ。その瞬間、壁の中で動く精霊達が乱れて散っていく。

 ヤーもそれに気付いたのか首を傾げて考え込む。オウガも野性的な勘で気付いていたが、どこかおかしいのかを指摘することはできなかった。

 祝詞が終わった直後、テトラは照れたように笑いつつ、他の仕事があるのでと去ってしまう。ミカ達は資料室に向かうため、祭壇部屋から出る。


「なんかバランスが悪かったというか……精霊達が均等に動いていないイメージだった。四つの精霊達が相克相乗を行う術で神殿を保っているとかレオは言っていたけど」

「というか精霊言語で昼の祝詞で今日の朝というのはおかしいでしょうが。朝の祝詞と一字一句変わらないってどういうことよ」

「あの棒が集音装置で、壁が反響を促す機能を持っていたのか。たまに変な音が混じって頭が痛いんだがよ」


 三者三様の感想を呟きつつも、結局違和感の正体には辿り着かない。どこかおかしいのはわかる。それを正す方法がわからない。

 歩きながらミカは少しだけ肌寒さを感じた。祝詞が終わった後、少しだけ室内の気温が下がったように感じる。それも徐々に戻っていく。

 日光を吸収して室内を明るくするだけではなく、熱も全体に流しているのかもしれない。水の妖精アトミスが存在していることから、氷水晶の神殿は水の精霊を中心に構成している。


 水には色んな性質がある。光の屈折や空気中よりも音が速く伝わること、温水を張り巡らせることで湿度と温暖な気温を再現することなど。

 氷にすれば固形、水蒸気にすれば気体。加工や質の変化も操ることができる。ウラノスの民がいかに広く深い知識を持っていたかがわかるのが、氷水晶の神殿。

 だからこそ難解なのだ。どうして天空都市が作れる技術を持っていながら、地上にこの神殿を作ったのか。そして放置した理由。謎が散らばっていく。


 それ以上に散見していたのが資料の山達である。山と言っても氷水晶の壁棚や、追加で運び込まれたであろう木の棚に詰め込まれている。

 整理されているが、分類がまとまっていない。多くが精霊言語で書かれているようで、分類するのも一苦労のようだ。もちろんミカとオウガには読めない。

 仕方がないとヤーは溜息を吐き出し、二人には人間言語で書かれた字の本を探すように指示する。一通り集めた後は、各々が黙々と本を読み進めていく。


「へー。神世って神々が地上を去る際に洪水で全てを洗い流したのを最後に終わるんだ。その痕跡を探るのに必要なのがウラノスの民だって」

「こっちの本だと、ウラノスの民は神々が造り上げた聖人とか書かれているぞ……どんだけだよ」

「ああ、これがテトラの言っていた祝詞……って、なにこれ?報告書とか書かれてるじゃない。でも同じ文言が何日も並んでいるわね」


 ヤーがかなり古い資料を眺めて眉間に皺を作る。ミカはレオに頼んでヤーでも難しいところを翻訳してほしいと言い、意識の主導権を変える。

 左目に転化術による光を宿しつつ、レオは渋々読んでいく。元聖獣と言うだけあって、ヤーよりも速く読んでいくことが可能である。そしてある一枚に目を留める。

 火山の噴火。それによる精霊達の変化。特に火の精霊が灰と共に空へと届き、風の精霊によって勢力を強めたという報告書だ。


 聞き覚えのある内容にオウガはヤーと目を合わせる。彼女も同じ考えに至っているらしく、頷いてレオが読んでいる報告書を覗き込む。

 地上でも猛攻を振るった火の精霊だが、相乗の関係で風の精霊の強さが比例している。そして風の精霊は高いところを好み、空の上では強くなる。


「都市において多数の被害者を確認。解決策を望むが、精霊が相手となると難しい……って、これ十年前の流行病のことじゃない!!」

「ふむ。しかし精霊言語で書かれているとなると、これはウラノスの民が書いたはず。そして彼らが言う都市となればユルザック王国の首都ではなく……」

「天空都市かよ。おいおいおい、待てよ!ウラノスの民にもあの病は脅威だったということかよ!?」


 オウガは顔を真っ青にする。両親を奪った原因。人の体内部から焼き尽くすように水分を奪う、火山噴火が由来の「国殺し」という病だ。

 神々が地上に降り立っていた時から生きていたというウラノスの民さえ、その病に苦しめられた。その事実はよく解決できたものだと思わせるには充分だった。


「それにしても汚い字。かなりマニアックな文法の使い方してるわね。これはアタシでも解読が難しいわよ」

「ならばテトラも読めなかったのだろう。かなり古い単語も使われている上に今では使わない言い回しも多い」

「すげぇ。二人がなに言ってるか全くわかんねぇ。疎外感が半端ないな」


 オウガが適当な資料を摘み上げ、並ぶ精霊言語に辟易する。確かに普段使っている言語に似ているが、どこか決定的に違うのだ。

 しかしヤーが朝に書いた祝詞と同じ文字を発見する。一つではなく、三つ。ヤーも翻訳できる物ではないと告げた、謎の単語である。

 その資料をヤーに渡している最中、レオの意識が消えてミカの意識が表に出てくる。やはりレオはミカを主体として行動させたいようだ。


「だから俺は読めないと……ん?でもなんか見覚えあるな。この文字と単語の併用は……思い出した」

「なんだよ?まさか読めるとか今更言う気じゃないよな?」

「全部は読めないけど、少し読めるっぽい。これ母上と読んだ絵本に載ってた言語だ」


 絵本。その単語にオウガだけでなくヤーの肩からも力が抜け、二人は体勢を崩しかけた。ミカはたどたどしい口調で、それでも少しずつ読んでいく。

 確かに精霊言語を翻訳しながら読んでいる。一体どういうことだとヤーがミカを睨む。もしかして獣憑きの特殊な事情でもあるのかと探究心が疼くのだ。


「母上が西の大国出身は周知の事実なんだけど、西の大国に精霊信仰がないのは知ってる?確か一神教で、神世は創作神話の扱いを受けてたとか」

「ああ。昔の宗教改革で天主とやらを奉じる国だとは聞いてたわ。でもそこからなんで精霊言語で書かれた絵本に繋がるのか全くわからない」

「俺は昔から精霊が視えてたけど、母上は視える以前に信じていなかった。だから理解するために学識方面から攻めたとかなんとか」


 ミカが曖昧な様子で答える。幼いミカが精霊を指差しても母親のエカテリーナは視えなかった。しかし周囲には視える者がいて、それが精霊だと言う。

 視えないのに存在する、なにか。しかし否定して頭ごなしに怒鳴れば、幼い息子が怖がって悲しんでしまう。だからエカテリーナは拒否ではなく、受容と理解を求めた。

 ユルザック王国には幸いにも精霊に関する知識は山のようにあった。王城の書庫ともなれば貴重な資料から少し特殊な絵本まで揃っている。


 エカテリーナは勉強の片手間でミカに本を読んであげたいということで、精霊言語で書かれた絵本を使ったのだ。ただし読む時は人間言語の翻訳になったが。

 ミカは母親の朗読が大好きだった。目では文字を追いつつも、耳は母親の声だけに集中していた。だから精霊言語の発音をミカは知らない。もちろん難しい単語も読めない。

 ただし簡単な精霊言語ならば読めることが、十年以上経ってから判明した。母親の努力と教育が形となった瞬間である。


「レオほどじゃないけど……うん、読める。発音は全くわからないけど……」

「それで祝詞の意味がわからなかったわけね。使われてる言語も堅苦しいというか、古臭い物だし」

「しかしよく覚えてたな。王妃はお前が五歳の頃なくなっているはずなのによ」

「俺もこの文字をしっかり見るまでは忘れてたし、今もうろ覚え。でも、母上はいつだって俺のことを一番に考えてくれてたから……」


 同時に思い出す最後の母親の記憶。木乃伊のように枯れた体で、それでも息子や嫁いだ先の国のことを考え、西の大国が戦争をしないように尽力したこと。

 エカテリーナは知っていた。息子が見ている物は、ミカの視る力は、誰よりも優れているということを。もしも広まれば、悪用されかねないことを。

 だからこそ自分が死ぬまでは決して他者に語らないように深く注意していた。それで例え流行病の原因解明が遅れ、自分が死ぬことになっても、息子の有用性を妥当に扱える存在が現れるまでは。


 ミカは何度も誰かに母親の内部で燃える火の精霊を伝えようとした。その度に口外を止めていたのがエカテリーナである。今はまだ話してはいけないと。

 エカテリーナはその時ミスを犯していた。ミカが言うように火の精霊が原因ならば、城にいる顧問精霊術師がすぐに気づいて流行病は終息すると思っていた。

 それは精霊について全く詳しくない西の大国の人間ならば仕方ないこと。しかし顧問精霊術師でも、ミカのように内部まで視通す目は持っていない。精霊を視る、というのはそう簡単じゃない。


 流行病は爆発的に広がり、多くの死者を出し続けた。被害報告の数が千を超えた辺りで、エカテリーナは自分のミスに気付いたが、それでもミカに口止めした。

 まずは西の大国、実家であるレオナス家に手紙を送り、戦争が起こらないように手配する。体中の水分を奪うような熱に悩まされながらも、次に行ったのは王位継承権を持つ王子達の品定め。

 ミカの能力は顧問精霊術師よりも上。それを確信したからこそ、ミカを守った上で能力を最大限発揮できる環境を作り上げ、西の大国と戦争する気のない王子の選定。


 そうやってエカテリーナはどんなに自分の体が変貌し、死に近づく中でもミカだけを考えて行動した。母親として、最後の仕事をするために。

 例えミカの母親に対する最後の記憶が寂しい物になったとしても、思い出よりも未来を優先した。寂しさを癒してくれる存在が、いつかミカの前に現れると信じて。

 だから知っている。エカテリーナ王妃は母親として、最後の情熱を燃やして死んだことを。フィルに全てを託したことも、ミカは知っている。


「俺は母上に愛されて生かされている。だから生きなきゃ駄目なんだ。どんなに苦しくてもね」

「……殺されそうになってもかよ?」

「うん。それに今俺が死んだら、西の大国と戦争する口実ができる。それは流行病の時よりも多くの被害者を出す、国が雌雄を決する時だ」

「本当にアンタの事情は面倒よねー。もうこれ以上増やさないでよね」


 感傷的な空気の中でヤーが心底面倒そうに言うので、同情しかけたオウガはまたもや肩の力が抜けて、考えるのが阿保らしくなってきていた。

 ミカは苦笑いで、多分もう増えないと……いいな、と多少自信がない様子で答える。とりあえず多少読めることが判明したので、ミカは自分の知識で資料を読んでいく。

 ヤーもオウガに渡された資料を注意深く眺める。そしてずっとひっかかっていた謎の正体、その一つを突き止めた。


「やっぱり……リ・サイクルは転化術のことよ!」

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