第3話「色と形と輝きと」
雲が夜風に流され、気まぐれに満月を隠そうとする夜。ユルザック王国の首都ヘルガントは平和な静かさに微睡んでいた。
首都中央に腰を据える名城カルドナでも一部の者を除いて、身を横たえて眠りについていた。
城の東側に位置する第五王子の部屋も同じく、部屋の主であるミカは心地良さそうに寝言を呟いている。
ミカの部屋から城の小さな庭に出られる。城の中にはいくつも庭があるが、ここを訪れる者は滅多にいない。
見苦しくない程度に整えられた芝生に、二人の女中が思い思いに植えた花が適当に咲き乱れた花壇、そして一際目を惹くのは大輪の黄色い薔薇を咲かせる木鉢。
ユルザック王国では珍しい薔薇の品種で、西の大国では縁起物として贈ることが多い。品種名は「
その薔薇を揺らす風は自然の物ではない。一人の青年が自己鍛錬のために体を動かし、振り上げた足が強風を撒き散らす。
一撃に重みを込めつつ、自然な流れとなるように筋肉のバネを活かして体全体を動かす。頬を流れる汗は秋風でも冷めないほど熱い。
黒髪と黒目、服自体も暗い色の物を着ているのに、漲るような存在感が満月によって光り輝く。月を遮る雲が途切れた時、乾いた拍手が一人分響く。
「ハクタの弟弟子とはいえ、実力はオウガくんの方が上のようだ。経験はハクタの勝ちだけど」
「そんな嫌味を言いにこんな場所まで来たのかよ、第四王子様がよ」
汗を服の裾で拭いながら、警戒した目でオウガと呼ばれた青年は現れた第四王子に目を向ける。
優しい亜麻色の髪に青い目。優男と呼ぶにふさわしい穏やかな微笑みをたたえた青年、フィリップ・アガルタ・ユルザック。
フィル王子とも呼ばれているユルザック王国の第四王子。ミカの腹違いの兄であり、王位継承権を持つ王族だ。
王族が嫌いなオウガにとっては会いたくない人物である。彼にとって王族とは、横暴な貴族を躾けることもできない強き者達、である。
権力も富も知識も、あらゆる物全てを手に入れているのに、実際の結果は目に見えない物ばかりだ。オウガ十八年の人生の中で、大事件と呼ばれる物を解決してきたのは精霊術師である。
十年前の病流行では両親を亡くし、五年前の大干ばつでは渇きで死んでいく者達を多く見た。オウガから見れば王族が解決するべき問題だったが、王族は解決などしていない。
全てを持っているのに、然るべき活用をしなかった。犠牲になったのはか弱い一般市民が殆どだ。横暴な貴族、その上位に存在する王族。
兄弟子のハクタはそんな王族を友人として守るために騎士となり、オウガと家族の縁を切った。全て終わったことであり、終わっているからこそオウガを苦しめ続ける。
そんな苦しみの対象が目の前で平然と立っている。オウガは相手を竦ませる睨みをするが、フィルはどこ吹く風で受け流しながら言葉を続ける。
「君はあと数年でハクタをあっという間に追い抜き、一騎当千の器となるだろう。しかしその時君はどうするつもりだい?」
「この腕で食っていくだけだ。用心棒でもなんでも、俺はやっていけるだろうからよ」
「そうだね。でも僕としては勿体ないとも思うんだ。たかが盗賊相手に振るう力としては、あまりにも強すぎる。いつか君はこう思う、物足りないと」
予見するようにフィルは乱れない声音でオウガに語りかける。それは的確にオウガが抱いている不安を貫く。
オウガは強くなることに疑問を感じていない。強くなればなるほど、できることが増えていく。昔では叶えられなかったことすら、今は容易に達成できる。
誰よりも強くなる。オウガにとってそれは目標であり、迷うことなく突き進める道だ。成長途中だからこそ、まだ到達できないことが刺激となる。
どんな敵が現れても倒し、弱き者を守る。オウガにとって強くなることは、今まで味わった苦痛を繰り返さないための努力だ。
用心棒でも護衛でもオウガの腕なら雇う手は数多だ。しかし貴族と王族だけには仕えたくないと思っている上、騎士になるのはもっと嫌だとも感じている。
騎士は戦争の駒としても使われる上、集団行動を余儀なくされる。強すぎる力を持つオウガにとって、ついてこれない人間と行動するのは心労が増えるだけだ。
しかしオウガの力でか弱き者を守るとして、全力をもって守れる事例があるのだろうかという不安がある。
盗賊二十人を一人で倒せる力を成長途中でありながら持つが故に、力の限界に到達した時が来ることに対して怖くなる。
秀逸な力、武術、剣技。一騎当千の力を持っているのに、使う場所がなくて持て余すことは、武人にとって予想以上の不満だ。
「しかし王族嫌いの君に仕えろとも言えない。僕は見た目通りの穏健派だからね」
「穏健派……なのかよ」
オウガはフィルに出会った時のことを思い出す。視線を合わせただけで首筋に走った戦慄。
細長い針で柔肌の上をなぞられるような気配は明らかに穏やかな物ではなかった。優男の外見に似合わない覇気。
それを味わった後に穏健派と言われてしまうと、どうしても違和感が拭えない。疑うような視線をフィルに向けるが、これも流されてしまう。
「そこで一つ提案があるんだ。ミカは第五王子ではあるが、王位継承権はない。しかし立場上危うい身であり、護衛であるハクタも別のことに専念したいと言っている」
「断る」
「もう少し聞いてから決めてほしい。君に一つ仕事を頼みたい。それを経験した上で、今後の身の振り方を教えてくれないか?」
「先に牽制しとくけどよ、無期限のミカ王子様護衛とかだったら今すぐその綺麗な顔面をへこませ……」
言葉途中でオウガは急に発生した殺気に反応し、身構える。振り向いた先にはなにもいないように見えるが、フィルは感心した様子で眺めている。
フィルには常時陰から護衛する部下がいる。気配の隠し方に関しては一級品であり、ハクタでさえ正確な位置を把握するのは難しい。
しかしオウガは一瞬現れた気配から正確にフィルの部下が待機している場所に視線を向けた。場所を知っているフィルですら、本当に隠れているのか自信がないほど気配が消えているのにだ。
「優秀な飼い犬みたいだけどよ、俺より強いのかよ?」
そう尋ねるオウガの目は嬉々として輝いている。手応えのある獲物を見つけた獣のように興奮している。
喧嘩好きと言うにはあまりにも血生臭い、平和に身を委ねるには強すぎる、天性の武人としての素質が垣間見える。
フィルは笑みを強くする。彼ならばミカの傍にいても戦い抜くことができる。あとは忠誠心といった、心の問題だけが残っている。
「あれはいざという時の護衛だ。強さで言えばハクタの方が強い。しかしそんな彼ですら負傷した相手がいる。ミカを狙った敵が、そうなんだ」
「あの脇腹の傷はミカを守るために負ったみたいだけどよ、王子様が足手まといだったんじゃねえのかよ」
「そうかもね。しかしそうじゃないかも。僕は現場にいなかったから、詳細を知らない。それを確認するためのお仕事を君に頼みたいんだ」
「わかった。聞くだけ聞いてやるよ。ただし高額報酬と短期という条件は譲らんから、そこは覚悟しとけよ」
条件を聞いてフィルは嬉しそうに微笑む。そんな簡単な条件で良いのかという笑みだと、付き合いの浅いオウガは気付かなかった。
金髪に金色の目。西の大国では縁起物として黄色の薔薇を贈るように、幸せの色として重宝される。
ユルザック王国では金髪自体が珍しい物であり、さらに金色の目となると稀有になる。人目を惹く容姿として、すれ違うだけで一日は忘れられない。
今も氷水晶の神殿と呼ばれる場所に現れた金髪金目の青年に視線が集まる。青年は口元をひくつかせながら、地を這うような声で呟く。
「本気で王族嫌い深まりそうだよ……あんの優男野郎」
「ぐだぐだ言ってんじゃないわよ、第五王子のミカ様とやら」
ヤーは言葉の最後では堪え切れずに息を吹きだし、肩を震わせて声もなく笑う。女でなければ拳で黙らせたものを、と青年は悔しがる。
その二人の横で固い笑みのまま立っているのは黒髪黒目の少年である。左目の傷は目立つ物だが、金髪金目の青年が持つ大きなパルチザンの存在感が勝っていた。
少年と青年の周囲を漂う精霊の動きは明らかに意図的な物であり、光の屈折を捻じ曲げて視界で捉える色を本来の色とは違う物にしている。
現在周囲の目から見て黒髪黒目がミカ、金髪金目がオウガとなっている。この仕掛けを施す術を継続させているのが天才精霊術師のヤーである。
オウガは王子の出で立ちに相応しい服装を着ており、ミカは付き人として地味な服を着ている。ヤーはいつも通りの精霊術師の服だ。
本来ならばオウガとミカの服装も逆であるのだが、これも全てはフィルの依頼が端を発している。三人を見送りに来たハクタが爆笑したのを、オウガは絶対忘れるものかと怒りを胸に刻んだ。
ミカを連れて氷水晶の神殿に向かいたいとヤーに頼まれたフィルは、国に流れる噂からミカに危害が及びやすいであろうことを予測していた。
ハクタは現在療養で動けず、弟弟子のオウガは護衛はしたくないと言った。それでも高額報酬と短期という条件でなら頼みを聞くという言質は頂戴していた。
そこでオウガをミカ王子として氷水晶の神殿に向かわせ、ミカは王子の従者として偽装することにより、ヤーの願いを叶えることにしたのだ。
ミカは十歳の頃から五年間は国民達の目に触れていない。しかし金髪金目という出で立ちは有名な情報だ。知る者が見れば一発で見抜かれてしまう。
精霊術は長期の行使には向かわないが、術師自体が切れ目を縫うように術をかけなおせば、継続しているように見える。
フィルはミカを連れていく代りに術を途切れさせないようにと念を押して、ヤーにミカの同行を許可したのだ。
氷水晶の神殿は首都ヘルガントより南、馬車の移動を三日を経て辿り着ける場所にある。名前もない小さな森の中、冷気を纏った霧が神殿を隠そうと年中立ち込めている。
秋風が吹くとはいえ氷水晶の神殿に近づけば近づくほど気温が下がっていき、口から零れ出る白い息は途切れそうにない。木々も枯れ木が殆どだ。
辿り着いた氷水晶の神殿は周囲の地面も凍らせていた。ミカは氷の地面を踏んでしまい、足を滑らせて転ぶ。ヤーは呆れたように白い息を大量に吐く。
氷水晶の神殿には冬用の厚手の服を着た人々が列を作っていた。多くが屈強な男であり、力自慢をして暇を潰している。
列は神殿内部に続いており、出て来た者達は落胆した顔や、怒りを顕わに大股で歩いて滑るなど、あまり楽しそうな様子ではない。
ミカは集中して氷水晶の神殿を眺める。心底驚いた顔でヤーへと視線を向ければ、ヤーも考え込むような顔で立ち尽くしている。
「予想以上ね。ウラノスの民は歴史外の神世時代に存在していたとはいえ、この技術は凄まじいの一言ね」
「なにがだよ?大体氷水晶の神殿と言うには溶ける様子も見せないっておかしくないか?氷は夏に溶けるもんだろうがよ」
北の方で修業した覚えのあるオウガは寒さに慣れているが、氷水晶の神殿の傍ではさすがに厚手の服を着ている。高価な毛皮を使った王族御用達の外套だ。
ミカは従者らしい素朴ながらも機能的な外套だ。ヤーは寒さに慣れていないが、精霊術を使って冷気を遮断しているので外套を着ていない。
三人は服装も外見も違えば、視る、という点でも全く違っていた。その説明をしなければいけないかと、ヤーは淡々と説明を始める。
「ハクタもまるっきり精霊を視る才能がなかったし、アンタもそうなんでしょうけど、この神殿は精霊術で保っているのよ」
「精霊術は長期継続できないんだろう?こんな建物を維持するほどの精霊術なんてあるのかよ?」
オウガは神殿を見上げる。城より大きいわけではなく、だからといって一般の家よりも小さいわけではない。
神を奉るに相応しい荘厳な建築様式で、博物館のような広さを感じさせる大きさだ。高くはないが、氷でできているとは信じられない。
氷自体には傷一つなく、昔から存在していたとは思えない。つい先ほど完成させました、と言われても頷けるほど真新しく綺麗な姿のままだ。
「神世時代には半永久的に継続させる技術があったらしくて、この建物もその技術が使われている重要参考物件なのよ。歴史的に価値がある、以上の物よ」
「……わからん。どう見ても分厚い氷を削った芸術作品みたいにしか見えないんだけどよ」
「アタシの視点からは四大精霊を活用した高等術を継続させていると判断できるわ。四大精霊が普通ではありえないほど集まっているもの」
ヤーには青、赤、黄、緑の光が集まって、氷水晶の神殿を形成する氷へと吸収されているのが視える。四色に光り輝く氷は現世の物とは思えないほど幻想的だ。
オウガから見れば透けないほど分厚い氷が青白いまま溶けないだけだ。光の加減によって見る角度では虹が稀に顔を覗かせる。
そんな二人とは違う物が視えてるミカは、意識の内部にいるレオンハルト・サニーという、かつて太陽の聖獣であった存在に話しかけていた。
(火の精霊が熱を逃がすことによって水の精霊が凝固を保ち、風の精霊によって気温は零下を維持し、土の精霊が水を土地から吸い上げ続けているから霧が発生している)
(レオの説明だと、循環しているってことでいいんだよな。基本は水として、四大精霊が氷の神殿を形成しているっぽいけど……)
(あまり土地を考えた術ではない。枯れ木が目立つのは土に水が含まれてないからだ。なんとか霧から水分を吸収して保っているが、このままだとこの場所は痩せ続けてしまう)
内部まで視える才能を持つミカには、氷水晶の神殿以外の場所が気になる。土の中も、空気中にも、本来は精霊が漂うはずが、ほぼ全て神殿に吸収されている。
枯れ木の中には水の精霊は少なく、凍った土の下にある種は発芽できずに腐っているのが土の精霊の動きでわかる。火の精霊が秋のうららかな気候を再現できず、風の精霊は霧を払うこともできないほど弱々しい。
本来なら秋の実りによって動物が賑わうはずの森は、体の芯も冷やしてしまうほどの冷気によって貧相な姿となってしまった。
(しかしそれ以上に驚いたのは、これだけの精霊を集めて場の空気を狂わせてるのに、瘴気へと変わらないことだ)
(確かに。あれだけの精霊を凝縮させているのに……四大精霊を集めているからかな?)
(恐らくそうだろう。火は水、水は土、土は風、風は火、といったようにお互いの力を相克してバランスを保っている。神世時代に相応しい技術だ)
(うう、レオの説明が難しい。なんとなくはわかるけど、それ以上は無理)
頭を悩ませるミカにレオは詳しく説明しようとしたが、意識の外からミカを呼ぶ声がする。反応してあげろ、とレオはミカに語りかける。
ミカは意識内部の会話を切り上げ、意識を外側へと浮上させる。するとヤーが慣れた仕草で名前を呼びつつ、指の数を数えろと指示している。
親指と人差し指と中指が伸びていたので、ミカは三と答える。オウガが一息ついた後、そっぽを向く。
「だから言ったでしょう?この症状も今は軽減して、声かけてれば大丈夫って」
「はいはい。わかったよ。意識の中にあるもう一つの人格と会話してるとか言われても、俺から見れば人形みたいになったようにしか見えないんだよ」
「あ、ごめん。心配かけたね」
苦笑するミカは、困ったと思案する。このままレオのことを誤解させたままにすると、オウガの不安が消えない。
人形王子状態を長く続けようとは思わないが、相手がいつミカを気にかけるかわらない。すると意識内部よりレオが体を貸してほしいとミカに頼む。
表に出る意識を交換することにより、ミカの体でありレオの人格で行動できるようにすることができる。その際に傷がある左目の色が橙色になるのは、太陽の精霊が集まって凝縮するからだ。
ミカは一回瞼を閉じ、レオに体を預ける。レオは太陽の聖獣であった頃の癖で、太陽の精霊を多く集めてしまう。
視える者には不審がられてしまうので、集めた太陽の精霊は凝縮して左目で循環させる。転化術を行うことで、レオの精神が安定する。
オウガは目の前でまたもや急に動かなくなったミカの目の色が左目だけ変わったのを確認し、目を丸くして驚く。
「うむ。すまない。我がミカの前世であり、意識内部にある人格。太陽の聖獣であったレオンハルト・サニーだ。気軽にレオと呼んでくれ。初めまして、オウガ」
「まじかよ。顔立ちが心なしか凛々しくなったような気がするし、気配も全く別人じゃねぇかよ」
「アンタ、ミカのためにあまり表に出たくなかったんじゃないの?」
「それはそうなんだが、百聞は一見に如かず。オウガを納得させるにはこれが一番だと思ったまでだ」
冷静に大人びた説明をするミカを見て、オウガは納得せざるを得ない。外見の一部だけでなく、内面や感じる気配全てが別人となってしまっている。
よく見れば橙色に見えたのは、揺らめく炎か光に近い物が目の上を覆っているというのがわかる。眼球の色が変わったわけではない。
オウガは理解しようとしたが、全くの専門外だった。すっかり馴染んでいるヤーが異常に見えるほどだ。ただし太陽の聖獣レオンハルト・サニーというなら、聞きたいことが一つあった。
「五年前の大干ばつ。あれはお前、レオが死ぬ前に跡継ぎを決めなかったからと聞いた。それに関して言うことはあるかよ?」
「弁明の余地もない。責任ある立場でありながら、我らはミカミカミを追い求めた。そして死んだ。なにもできずに、な」
遠い目をするレオは苦虫を噛み潰した顔で呟く。顔を見せたくないのか、俯いて苦しそうに言葉を紡いでいく。
「多くの者を苦しめた。ミカも苦しめた。できる罪の償いはミカを守ることだ。そう、決めた」
「なんで王族を守るのが罪滅ぼしなんだよ?太陽の聖獣なんだから、もっとできることがあるんじゃないのかよ?」
「元、聖獣だ。今はミカの内部で意識を保つだけの存在だ。それに王族は知らん。ミカを守る、と言った。自分を殺そうとした我を許したミカのために、残った全てを使う」
そう言ってオウガに厳しい視線を向けるレオ。一般人であったら息が止まりそうなほど鋭い視線は、十五歳の少年がするものではない。
揺らめく橙色の輝きがオウガの思惑を燃やそうとしているようで、負けじと視線を合わせて睨み合うオウガ。
ヤーは仕方ないといった感じで溜息をついてから、気になったことをレオに尋ねた。
「こっちの頑固者にはアタシが話をしとくから、レオはミカの体を返す前に質問に応えなさい」
「なんだ?氷水晶の神殿についてならミカにある程度説明をしたが」
「アンタ前もミカミカミで動揺してたし、我らってことは月の聖獣ヴォルフ・ユエリャンも一緒に行動してたってこと?」
ヘタ村で初めて知った単語、ミカミカミ。二十年前に太陽と月の聖獣が死んだという報せは同時に流れたと資料には明記してあった。
ヤーはミカミカミについてもある程度調べたが、資料の数だけ答えや推測が無限に散らばっており、ヘタ村でも感じた通り正確な答えは用意されてないように見えた。
答えの出ない問いはヤーの好みではなく、それよりも研究課題であったウラノスの民について調べることを優先した。
しかし改めてレオの口からミカミカミと聞くと追及したくなる。太陽の聖獣すら追い求め、死に至る単語とは一体何なのか。
ヤーとオウガの目の前で明らかにレオの顔色が悪くなる。左目に灯る光が大きく揺らめき、輝きを弱くしていく。暴風に吹き消される焚火のようだ。
一音作り上げることすら苦しそうな様子でレオは懸命に言葉を出す。過去を乗り越えようとして、思い出してはいけないものまで引きずり出そうとしている。
「我らは、三匹で、求めた。闇の聖獣である闇鴉と……ヴォ、ヴォルフと……我らは、み、ミカミカミ、の答えをっ!」
最後に大切なことを言おうとして、レオは悲鳴を上げそうになる口もとを押さえ、地面に四つん這いになる。左目から橙色の輝きが消え去る。
同時にミカが意識の内部から無理矢理表に突き飛ばされ、咽るように息を荒々しく吐き出す。体中が汗で濡れており、冷たい霧の空気に触れてすぐ冷えていく。
レオが吼えそうになるのを必死にこらえているのを感じ取り、ミカは大丈夫と声をかける。転化術で太陽の精霊を集め、少しずつ左目の傷から体内部に浸透させていく。
「三匹……予想外だわ。闇鴉って名前も、闇の聖獣は研究家の間でも謎が多いから初めて聞いたわ。それが二十年前に死んでいたことすら明るみに出なかったのね」
「それよりもミカの様子だろうがよ。大体ミカミカミってなんだよ?子供の頃に唱える呪文かよ?」
「後でちゃんと話す……と言いたいけどアタシはアンタを信用してないのよね」
ミカが人形のように動けない横でヤーが喧嘩腰でオウガを見つめる。挑発されているとわかったオウガも、喧嘩を買うつもりで目を細める。
不穏な空気が流れる中でミカは二人の様子も気付かないまま、レオが落ち着くように声をかけ続ける。同時にミカミカミという単語に不安を覚える。
誰もが答えを求め、誰もが死んでしまう。まるで死に誘う謎かけだ。その単語がレオを束縛しているようで、苦しめている首輪のようだ。
「アタシは善い人悪い人とかという識別をしないの。そんなの表面上で取り繕うことができるもの。だからアタシが判断するべきポイントは一つ。そいつがなにを保守しようとしているか」
「ほー。そりゃあ御大層な判断方法だよ。んで、俺の評価はどういったものになるか楽しみだよなぁ?」
「アンタは王族嫌いである自分を保守しようとしている。プライドか意地か、それとも頑固なだけなのかはわからないけどね。だからミカを嫌いたいんでしょう?その割には人形王子状態になると心配しまくるお人好しっぽいけどね。そこはハクタそっくりよ、アンタ」
採点結果を報告する教師のような喋り方でオウガをそう評したヤー。ハクタとオウガが元兄弟であることを知らない上に、二人の関係性にしても興味がないため、似ている二人というだけで終わらせている。
しかしオウガは自分でも知らない核心を突かれた気分だった。兄弟子であるハクタにそっくりと言われたことも、王族嫌いを守ろうとしていることも、受け入れたくない内容だった。
「ヤー。オウガは大丈夫だよ」
「のほほん王子は黙ってなさい。アンタみたいな世渡り下手が口出していい問題じゃないわ」
「いやでも俺は魂視れるから、俺の前では嘘をつける人はいないよ。一部例外を除いて」
ミカの言葉にヤーとオウガは目を丸くする。柔らかい笑顔で呑気なまま吐き出された言葉は、到底無視できる内容ではなかった。
黄金に輝く目は陽射しよりも鋭く本質を見抜く。人の体内部に存在する魂や精霊を視ることができる、稀有な才能は止まることを知らない。
しかし稀有な才能を持つ本人は、のほほん、という単語を聞いて、そんなにのんびりした性格じゃないのに、と考えていた。
「ヤーとオウガの魂はどっちも綺麗だから。王城じゃあ滅多に視れないタイプだよ」
「は、はぁ!?ちょ、なに勝手に視てんのよ!」
心の奥底を覗かれている気分になったヤーは、思わず両腕で胸の辺りを隠すが、ミカの目の前では意味がない。オウガは最早理解の範疇を超えた詐欺まがいかなにかと疑う始末である。
顔を真っ赤にして体を隠そうとするヤーだったが、精霊術師としての好奇心が勝り、それとなく魂の見分け方をミカに尋ねる。
なぜならば妖精や聖獣も魂を持つ生命であり、あらゆる万象に魂は密接な関係となっている。ミカが獣憑きというのも、前世の魂が聖獣だからだ。
「魂は大体三つくらいの要素で形、色、光が決まるんだ。王城で色んな人視たから、大体こうかなって俺は捉えてる範囲だけど」
そう言ってミカは三つの要素について話していく。
確固たる目標を持ち、迷うことなく進む魂は輝く。目標が高いほど、その輝きは太陽のように光り輝く。
目標に向けて清廉な努力をしている、恥じないことをしている魂は色が白に近づく。努力次第では光沢も現れ、美しくなる。
他の生き方に無闇な干渉をしない、陥れるようなことをしない魂は形が丸になっていく。真円になるほど、他の生き方に良い影響を与えるようになる。
これら三つの要素を組み合わせると、輝きが強く白い丸の魂は信用していいとミカは判断している。
逆にどんな優しい言葉を吐く人でも輝きが濁り黒い歪な形の魂の持ち主は、程度の低い目標を持って人に恥じるようなことをした上に、人を陥れている者と考えていい。
ただし感情によっては魂の色がわずかに曇ることや、影が差したりする。さらに嘘を吐けば三つの要素の内、必ず一つに異常が現れる。
「オウガもヤーも本音で話すから魂が綺麗なまま保たれてて、俺は視てて落ち着くから好きだよ」
「……臆面もなく、よくそんなこと言えるよな」
「す、すすす、好きって、アンタ!場所を考えなさい!」
晴れやかな顔で好意を伝えるミカの前で、オウガは表情を見られないように片手で顔を隠し、ヤーは茹蛸のごとく湯気を出しそうなほど真っ赤になる。
それでも二人の魂はどちらも光り輝き、白くて丸く視えることにミカは嬉しくなる。わずかに色に赤味が混じっていることも気付いていた。
赤味といっても暗い赤ではなく、花のように可憐な赤なので、照れているのだろうということもミカは知っている。このようにミカの前では隠し事はできない。
「待てよ。つまりお前は俺が最初から言っていた王族嫌いが本当だと知り、その上で謝ったり笑いかけたりしていたということかよ?」
「うん。別にオウガが王族嫌いでも魂が少々曇るくらいで、殺意の色とか歪な形になることなかったし、良い人っていうのわかってたから」
穴があったら埋まりたい。いっそのこと掘ってやろうか。そう思うくらいにはオウガは恥ずかしくなった。最初からミカには全てとは言わずとも、筒抜けだったのだ。
これが視える才能なのかと横目でヤーの様子を窺うが、彼女も顔を真っ赤にして口を開閉しているのを見て、ミカが特殊なのだろうと結論付ける。
ミカに対する情報量が多すぎて、オウガ自身が目の前にいる少年に対して評価が下せなくなっていく。ただの第五王子だったらどんなに楽だったことか。
「とりあえず今から俺がオウガを王子って呼べばいいんだよね?俺の名前はどうする?」
「ぐっ、重要なことをあっさり流しやがったわね。もうレオで良いでしょう。アンタの苗字にも入っているし、反応しやすいでしょうから」
「わかった。では王子、神殿内部に訪問し、日夜研究を進める神官達にご挨拶しに行きましょう」
「お、おう……じゃなかった。承知している」
立場が逆になったことに慣れず、オウガは気まずい様子で返事する。ヤーは吹き出し笑いを零しそうになったが、頬袋に息を溜めて我慢する。
こうして三人は神世の時代の技術が使われた神殿に干渉し、一騒動どころでは治まらないことが起きることも知らないまま歩き出した。
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