第2話「弟弟子」

 精霊術研究所から王城へと通じる専用通路。資料用の大道具を運ぶこともあるので幅は広く、外部者が入り込んだ際に遮断ができるようにわざと長く作っている。

 その長い通路を第五王子であるミカと、天才精霊術師の少女ヤーが歩いている。前者は護衛のハクタが抜け出したことを心配して探しているのではないかと不安そうな顔をしている。

 約一ヶ月と三週間前にハクタは脇腹を剣で貫かれた傷が癒えてない。大分塞がったと本人は言っているが、医者からは激しい運動は禁止だと言われている。


 通路の途中で一つ横道がある。緩い坂道のような途中口であり、こちらは騎士団が在住する駐屯所に繋がっている。

 もし精霊研究所から王城へと侵入しようとした者が現れた場合にはこの通路から大石などを転がし、通路を分断することが可能となっている。

 また騎士団が双方へとすぐ向かえる仕組みでもあり、首都の建設計画に携わった初代国王がいかに警戒していたかが窺える建築様式だ。


 駐屯所に繋がる通路から賑やかな、男集団の野太い歓声が聞こえてきたのだ。熱を孕んだ、興奮した応援のようにも聞こえる。

 その声援の中にハクタという名前が聞こえたので、ミカとヤーは足を止める。二人の目的がハクタであるため、もし駐屯所にいるなら移動短縮が可能だ。

 二人は斜面となった通路を駆け上がり、そっと扉から顔を覗かせる。大岩を運ぶために通路は土と芝が荒れた騎士団の訓練場に繋がっている。


 訓練場には岩壁や崩れた柱なども設置されており、芝や土が荒れているのは実戦を想定した激しい訓練の表れだ。

 騎士団はどこで争うか選べない。時には室内で戦うこともあれば、岩肌が尖る山道で集団を的確に動かさなければいけない時もある。

 そのためにわざと小道具を置いてある訓練場なのだが、今はその小道具を利用した模擬試合が行われていた。


 六角形の訓練場を取り囲む小さな要塞、それがユルザック王国の騎士団駐屯所だ。二階建て構造なのは、出動する際に飛び降りても平気な高さを計算したからだ。

 そのため窓は鎧を着込んだ大男が優に通れる大きさで、その窓から男達がはみ出すほど訓練場に向かって身を乗り出し、試合を観戦していた。

 一階も二階も満員御礼と言わんばかりに溢れており、最前列で眺めている男達は後ろから背中を押す同僚に文句を言うほどだ。


 試合をしているのは二人の男で、一人は黒髪黒目のハクタという男だ。二人が探していた人物であり、脇腹を怪我しているとは思えないほど機敏な動きで柱と壁を使って三角飛びするほどである。

 もう一人の青年も黒髪黒目で容貌がハクタによく似ていた。しかし年齢はまだ十代後半のように見え、動きも力と素早さに溢れた若々しさがみなぎっている。

 三角飛びして斬り込んできたハクタの剣を躱し、槍に近い大刀、パルチザンの柄を手首で回して刃がついてない方の先端でハクタの脇腹を狙う。


 迫りくる長物に対し、ハクタは指先で柄を掴みながら相手の動きを利用した跳躍を見せ、直立回転して柄の上にわざと両足を振り下ろす。

 回転と重力による両足蹴りが柄の先端にぶつかったことにより、てこの原理でパルチザンが跳ね上がる。それを想定した上で青年は武器から手を離し、長い足を使った回し蹴りをハクタに当てようとする。

 迫りくる足に対して剣を使って防ぐが、斬らないように配慮したせいで衝撃が吸収しきれず、ハクタの手から剣が飛んでいく。


 飛んでいく剣が、試合に見入っていたミカとヤーがいる扉へと突き刺さる。視線が一気に集まり、そこで初めて二人の存在を駐屯所にいた全員が気付く。

 ただしハクタと青年は武器を捨てた肉弾戦に移行し、ハクタが青年の首元を掴んで背負い投げし、地面に縫い付けた頃にミカへと声をかける。


「すまない、ミカ。怪我はないか?」

「アタシは無視か!?」

「ヤーもすまないな。弟弟子とはいえ、こいつが本気を出すと俺が負けるのは確実だから余裕がなかった」


 青年の服から手を離し、ハクタは顎へと伝う大粒の汗を手で拭う。駐屯所にいた騎士達は試合結果よりも、現れた第五王子に動揺していた。

 中にはミカの顔も知らない若者もいたが、ハクタがミカと呼ぶ相手は第五王子だけというのは周知の事実である。視線がさらにミカへと集まる。

 ヤーは居心地悪そうにしていたが、ミカが視線に気付かないまま無邪気にハクタへと近付くので、それに付き合う。一人で扉の影に隠れたままでいるのも具合が悪いからだ。


 土埃を払いつつ青年は起き上がり、歩いてハクタの横へ立つ。並び立つとハクタとますます似ているが、肉体や雰囲気が大分違う。

 二人共身長は同じくらいだが、成長途中である青年の方がまだ伸びしろがあるように見える。将来的にはハクタよりも大きい、凛々しい顔立ちの男性になるだろう。

 またハクタは力技で相手を斬りつける剣術のせいか、筋肉が太目の印象を受ける。青年はばねや柔軟性に長けた筋肉なのか、服を着ていると細長いと感じてしまう。


 だが二人共通常男性よりもしっかりとした肉体であり、少年らしい体のミカが貧相に見えるほどだ。並び立った威圧感にヤーが毛を逆立たせるような気配を見せる。

 警戒を見せるヤーにハクタは苦笑いするが、青年はミカの顔を見て不機嫌そうな顔をする。身長差により青年からの視線がどうしても下になるが、明らかに見下している。

 わずかな敵意を感じ、ミカの内部で太陽の聖獣であるレオンハルト・サニーが警戒を始める。意識体とはいえ、ミカを守りたい意思の表れだ。


「紹介が遅れたな。こっちは俺の弟弟子であるオウガだ。ヘタ村から帰った後、師範の手紙にこいつが帰ってくるとあったから、久しぶりに手合わせしていた」

「どーも。じゃあ俺はもう行くぜ。兄弟子に顔を見せるだけの予定だったしよ。王族とやらがいると緊張して敵わん」


 言葉とは裏腹に明らかにふてぶてしい言葉遣いと、嫌悪の視線がミカに向かう。ハクタが小声で窘めるが、オウガという青年は態度を改めることはしない。

 愛想のない奴とヤーは自分のことを棚に上げてそう印象付ける。身長も年もオウガの方が上だが、ヤーには関係ないことだ。

 何度か瞬きしてから、ミカは視えた物から青年のことを思い出す。幼い頃にハクタと最初に出会った時に彼の背中に隠れていた少年である。


 精霊は強い魂に惹かれる。強い魂にも色々あるが、ミカの目にはオウガの魂は幼い頃と変わらないまま綺麗な乳白色に輝いている。

 純粋で高潔、誇り高くあるほど輝きは強く、白に近くなる。そういった魂に精霊は集まっていく。今もオウガの周りは精霊が集まって、輝いているように視える。

 ただしミカを視界に映す時だけ、その魂に影が落ちる。後ろ暗いことがある、もしくは辛いことを思い出しているようだ。


「オウガ。俺は第五王子のミカルダ・レオナス・ユルザック。いつもハクタにお世話になってる。ごめんな」

「あん?なんでお前が謝るんだよ。というか王族の上辺だけの謝罪なんか耳が腐るだけだ」


 王族、という言葉を出した時、またもやオウガの魂に影が落ちる。それに気付いているのはミカだけで、ハクタはオウガに小言を言い始める。

 体内部にある魂まで視える才能はこの場においてミカしかいない。天才精霊術師のヤーですら、オウガの周囲に精霊が普通の人より少しだけ多く集まっているしか視えない。

 十年前の流行病の時、ミカは兄のフィルと共にハクタと出会い、友人として交流を続けている。しかしオウガとはそれ以来の出会いだ。


 その理由をミカは考察することができる。一般街、下町の住人であるハクタ達が王族と付き合うには、それなりの役職を手に入れなければ肩身が狭い思いをする。

 だからハクタは騎士になったが、オウガは違う。だが二人は血の繋がりがあるため、縁を切らないと必ずもう片方も巻き込まれる。

 ハクタが騎士になる頃、彼は下町の家を売って騎士団用の貸家に一人で住んでいる。両親は流行病で死んでおり、もう一人について語ることはなかった。


 おそらくオウガが十歳の頃、二人は弟子以外の繋がりを切ったのだろう。守るためとはいえ、子供には酷な仕打ちだ。

 ミカが十歳の頃はすでにハクタやフィルがいた。母親はいなかったが、恵まれていた。人形王子と呼ばれるようになった頃すら、ずっとハクタが守ってくれた。

 全てハクタ自身が決めたことだが、原因の中に自分がいることを察したミカはオウガに短く謝ったのである。ただしあまり意味がないことはわかっている。


 しかしオウガの王族嫌いはそれだけではないように思えた。兄弟子を奪われただけではなく、もっと辛い側面を見てきたような鋭さだ。

 生憎とほぼ城から出たことがないミカにはそれ以上の推測はできない。ただオウガを引き留めようとするハクタに少しだけ違和感を感じる。

 オウガは城や王族関係者ではない。いくら知り合いとはいえ滞在させるなら、上の許可が必要だ。それくらいは騎士であるハクタには常識だ。


 だがミカが気になったのはハクタの顔色の悪さだ。息も荒い上に、顔が白くなりつつある。オウガは口喧嘩で対抗しているため、気付いてないようだ。

 無意識に黒い服の上から脇腹を押さえているハクタに気付いたミカは、慌てて彼の手を掴んで周囲に見えるようにする。

 ハクタは拳を作って隠そうとしたが、血が滲んだ指や手首は隠しきれなかった。ヤーが連携でハクタのシャツを捲り上げる。


 いきなり可憐な外見の少女が兄弟子のシャツを捲くり上げたことで、オウガは目を大きく見開く。それ以上に驚いたのは脇腹から流れ出る血の量だ。

 塞がっていた傷が大きな運動で開いたのだ。様子を眺めていた他の騎士達が医者を呼び始める。その間にヤーが精霊術で応急処置をする。

 オウガが問い詰める前に、ミカが少し怒った様子で脂汗を流すハクタに尋ねる。


「まさか傷のこと隠して戦ってた?俺の傷に関しては激昂するのに、自分の傷を省みないってどういうこと?」

「舐めれば治る」

「治るわけないでしょう、馬鹿!」

「待って、ヤー。ハクタに対しては俺達よりフィル兄上の方が効果あるよ」


 フィルの名前が出たことにハクタは白い顔に青みを付け加えた。笑顔で淡々と傷口を抉りながら塩を塗り込むような説教が目に見えたからだ。

 ミカは怒ること自体が苦手であり、ヤーは感情のまま八つ当たりのように怒鳴ってしまうので、ハクタは聞き流すことができる。

 しかしフィルは反論の隙もないまま、ちゃんと聞いてるか尋ねながら言葉を続ける。理路整然とした穏やかな苦言を無視するのは難しい。


「頼むからハクタも自分の体を大事にしてよ。それともオウガが来たから張り切っちゃった?」

「……久しぶりだったしな。強くなってて嬉しかった」


 痛みで顔を顰めながらも笑うハクタに対し、オウガは複雑な表情で睨む。嬉しい言葉を告げられたが、傷を隠していたことに怒っていた。

 まず城門前で馬車から降りたオウガを逃がさないように出迎えたのがハクタであり、他愛ない世間話や近況を話した後に駐屯所に呼んだのもハクタだ。

 そして師範の弟子同士で手合せ試合をしようと言いだしたのもハクタからである。医者から動くなと言われていたのにも関わらずだ。


 オウガは試合をしながら前よりも熟練した動きを見せるハクタに感心していた。その動きは大きな傷を隠しているものではなかった。

 つまり傷が開いても構わないほど全力でハクタはオウガの相手をしたのである。成長した弟弟子に対して、それが一番の礼儀だと思っていたからだ。

 だが止まらない血を眺めるオウガは少しずつ怒りを滲ませていく。ハクタの背中に流れる汗の種類として、冷や汗が追加された。


「俺が、喜ぶと思ったのかよ?お前はいつもそうだよな!?そうやって他人ばかりで、でも他人の気持ちなんか考えていないんだよ!」

「オウガ。俺は自分が正しいと思ったことをしているだけだ。他人のためにと、動いてるわけじゃない」

「じゃあなんで王族に仕える?そいつらがなにをしてくれる!?こんなチビを守ることが、正しいことなのかよ!!!?」


 ミカの顔を指差してオウガは激怒した。その指をハクタはなにも言わずに手刀で叩き落とす。鋭い黒の目がかち合う。

 王族への無礼な行為に騎士の何人かが闘気を見せたが、ハクタが背中から発する殺気で手を出すなと他の騎士達を止める。

 弟弟子とはいえいつまでも甘い顔はできない。もしミカに危害を加えるようなら、ハクタはオウガを斬るつもりだ。


「お前が王族を嫌っているのは、師範の手紙から知っている。だがミカはミカだ。俺の大切な友人を、主を、侮辱するなら容赦しない」

「そいつは俺に第五王子と名乗った。なら王族だ。どう足掻こうと、こいつは王族であることから逃れられない」

「えー、おほん。ヒートアップしているところ申し訳ないんだが、要入院患者くんは今すぐ血圧を上げるような会話を中断し、速やかに連行に従うこと」


 急に現れた小さな体の、ミカよりも小さく子供体型をした老人が咳払いしつつ、ハクタを見上げる。

 騎士団駐屯所専用の医者であり、手荒な現場にも慣れた熟練者である。横には看護衣服が膨れ上がった胸筋によって引き千切れそうな様子を見せる、たくましい女性看護師が二人。

 逆らったら殺す、に似た雰囲気を滲ませた医療軍団の到着に、言い争いをしていた二人もさすがに黙るしかなかった。


 そして犯人連行のように連れていかれたハクタ。その背中が哀愁漂っていたのは忘れられそうにない。

 オウガは舌打ちして帰ろうと、ミカに対して背中を向けた。だが気配を隠した優男が突然目の前に現れたことに息を呑んだ。

 現れた優男は柔らかい亜麻色の髪に青い目が印象的だが、目線が交差した瞬間にオウガは細い針を喉元に突き当てられた錯覚に陥った。


「こんにちは、オウガくん。僕はフィリップ・アガルタ・ユルザック。この国の第四王子で、ミカの腹違いの兄です。よろしかったら今晩は城に宿泊しませんか?」

「兄上、いつの間に!?」

「部下から騎士団で面白いことがあると聞いてね。ヤーさんもお話がある様子、ご一緒にいかがですか?」

「お誘いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


 やや緊張した面持ちでヤーも敬語で対応する。フィルにはミカとは明らかに違う、王族の気品が溢れ出ている。

 気圧されたオウガは無言で頷く。礼儀正しいとは言えない態度だが、フィルは気にする様子もなく嬉しそうに微笑んだ。

 客用部屋の手配を近くにいた騎士に頼み、フィルはミカ達三人を連れて城へと向かう。駐屯所からなので騎士達が数人護衛として付き添った。





 オウガは呆れてものが言えなかった。彼が手配された部屋はあろうことか、第五王子であるミカの部屋である。

 城の中でも東の外れの方に位置し、窓からは庭が見えるが人気が少ない場所だ。調度品も古い物が多く、あまり豪華とは言えない。

 女中も二人待機しているだけで、予想していた王子の待遇とは大きくかけ離れていた。


 食事や勉強をするための机一つと椅子二脚があるリビング、そして寝室が二つ。片方はここ数年人が使った気配がない。

 計三室の小さな城の中にある住まい。食べて、読書や勉強をして、寝るだけの簡素な部屋。しかしミカは気にした様子はない。

 青い髪をした女中と赤い髪をした女中が声を揃えて、オウガとミカに対して頭を下げる。


『おかえりなさいませ。本日のメインはクリームシチューとなります』

「やったー!シチュー!」


 下町でも馴染みの深いメニュー名に喜ぶミカに、オウガは驚きが隠せないまま言葉も出ない。

 王族といえばもっと豪勢な食事をして、偉ぶって、女中数十人体制の、部屋も無駄に多く持っているもの、だと彼は思っていた。

 衝撃受けたオウガは部屋の中で一番豪華そうな物を見て、王族からかけ離れたミカの行動を誤魔化そうとした。


 壁にかけられた巨大な絵画が一番豪華そうだとオウガは判断し、金の額縁で飾られたそれを眺める。

 勇ましい顔立ちの女性が赤ん坊を仁王立ちで抱えている。金髪が波打ち、金色の目が生気に満ち溢れて輝いている。

 女性にしては背も高く、傍に描かれている花瓶と比べて目算すると、オウガよりも大きいことがわかる。


 白い騎乗用の服にブーツ、極めつけは腰に携えた細剣からして一児の母親には見えない。戦で駆ける女騎士そのものだ。

 女性の腕の中では赤ん坊が安らかに眠っている。赤い頬が林檎のようで、今にも笑い出しそうだ。

 オウガが絵を見ていることに気付いた青い髪の女中と赤い髪の女中が説明を始める。


「そちらはミカ様の母上であらせられる、エカテリーナ王妃様です。抱えていらっしゃる赤ん坊は幼き日のミカ様でございます」

「エカテリーナ王妃は西の大国の貴族レオナス家の息女としてこちらに嫁入りされました。気品溢れるその姿は、まさに女傑と呼ぶにに相応しい御方でした」

「西の大国の……てことは、かなりの身分じゃないか。その割には部屋が質素というかなんというか、えーと」

「申し遅れました。私青い髪がチャーミングな恋人絶賛募集中の女中、リリィと申します。好みのタイプは細マッチョでございます」

「続きまして赤い髪がラブリーな女中勤続十五年ながら新米心を忘れない私はミミィと申します。好みのタイプはゴリラマンで、現在彼氏が理想のタイプに合致しております」


 個性的だが明らかに無駄な自己紹介をされたオウガはとりあえず頷くことにした。どこまでも女中たちの動きが同じだが、顔は似ていない。

 二十代後半に見える女中二人はオウガが見ていた絵画を見上げ、懐かしそうに目を細める。十五年も前の絵画で、王妃は十年前に死んでいる。

 寝室は二つあるが、ミカは片方しか使っていない。それでも女中達は二つの寝室を丁寧に掃除する。


「エカテリーナ王妃様が豪華を嫌う方でした。また王妃の順位も七番目と下の方であり、ミカ様も王位継承権のない第五王子」

「国王様がどんなに愛そうとも、王妃の順位や王子の地位も変わりません。また大臣の方々には、西の大国を嫌う者が多いのです」


 常に隣にあるが故、競うように国土を広げていった西の大国とユルザック王国。

 信仰から文化、国の形成過程も違うため、わかり合うことが難しい両国は関係の悪化と改善を繰り返していた。

 今も関係悪化の一途を辿る背後には、国策に関わる大臣の多くが反西の大国派で、戦争による功績獲得を狙っているからだ。


 ユルザック国王は多くの王妃を娶り、子を多く成したのも、大臣達の力が分散することにより王子達が競い、自分の力で王座を獲得させるためだ。

 もし一人の王子に大臣の力が集中してしまい、苦も無く王座に就いた場合、大臣達の傀儡となって国が乱れることは目に見えている。

 それを避けるためにユルザック王国では第四王子まで王位継承権が付与され、人を先導する存在となるように争わせるのだ。


 王子達が争う中で大きく戦況を左右するのが、王妃の身分と順位である。王に近い王妃ほど順位は高く、発言力がある。

 また王妃の身分が貴族であれば、国策に関わる大臣達が有利不利を判断しやすくなり、王子達も王妃の身分に合わせた物腰を得る。

 王子達は生まれた順番に依存するのではなく、母親の身分と順位から発生する大臣達の反応を観察することにより、自分の望む力を手に入れる勉強をするのだ。


 王妃の順位とは単純に娶った順である。つまり第一王妃は一番目に嫁いだ王妃である、ということだ。

 国王の愛は順位の裁量に含まれない。全ては国のために押し殺し、表に出すことはない。

 しかし現在のユルザック国王は周囲の反対を押し切って、強引にミカの母親であるエカテリーナ王妃を城に向かえた。


 その理由には多くの噂が流れている。当時は西の大国と戦争中であり、国境で小競り合いをしていた。

 周囲の村は焼き払われ、作物が充分に取れず高騰したため、和解のために西の大国有数の貴族であるレオナス家の娘を娶ったというのが有力だ。

 そして一番少数の説が国王が戦場で勇ましく戦うエカテリーナ・レオナスに一目惚れした、というものだ。


 真実は誰も知らず、国王も王妃達が荒れないように決して語ることはない。

 しかしエカテリーナが嫁いだ頃から世話係の女中をしている二人は知っている。ミカが生まれた日の夜。

 一人で忍んでやって来た国王が、眠る赤子の顔を見て嬉しさのあまり涙を零したことを。母親にそっくりだと、指を握る小さな手を見つめていたことを。


「聞けばオウガ様は王族がお嫌いだとか。しかし王族とは、一体何でしょうか?」

「そりゃあ国王の血筋を受け継ぐ、国策に関わる奴のことだよ。十年前も、五年前も、横暴な貴族を抑えられなかった無能のことだよ」

「それではオウガ様は貴族をお嫌いになるのが筋ではないでしょうか?少なくとも、王位継承権もなく、国策に関わってない、五年前も十年前も今も、子供であるミカ王子が当てはまるようには見えませぬ」

「貴族も当然嫌いだよ。だけど王族はもっと嫌いだ。仕方ないから二人に免じてミカ王子様は保留にしてやるよ」


 リリィとミミィの追及を嫌がったオウガはそこで会話を切る。わざと王子様という部分を強調して嫌味を込めた。

 個人で見れば確かにミカはオウガが嫌う王族像とはかけ離れている。それでも身分はやはり王子なのだ。こればかりは変えられない。

 そして十年近く抱いていた王族への不信感はそう簡単に消えない。流行病で死んだ両親を忘れることはできない。


 リリィとミミィが夕食の準備のため、部屋から出ていく。ミカと二人っきりになると話すことがない。

 オウガは話そうとも思わなかった。わかり合いたくないから、と意地を張って話しかけられても無視を決め込むつもりだった。

 しかし机横の椅子に腰かけているミカがあまりに静かで動かない。気になったオウガは横目で様子を窺う。


 するとミカは視点が定まってない虚ろな瞳で人形のように座っている。指先一つ動く気配がない。

 さっきまでシチューではしゃいでいた少年とは思えないほどの不気味な静けさは、見ている方が恐ろしくなる。

 生きているかすら曖昧になる様子に、思わず肩を軽く叩いて反応を見る。


 叩かれた衝撃で体が前方に傾き、椅子から転げ落ちそうになるミカ。それなのに受け身を取る姿勢も見せない。

 思わずオウガが床にぶつからないように体を支えて、肩を揺らして名前を呼ぶ。そこでやっとミカが反応を見せた。

 驚いた色を見せる金目はオウガに焦点を当てている。何度も瞬きをして、ミカは言葉を出した。


「あ、あー。俺また動いてなかった?ごめんごめん、よくあることだから気にしないで」

「ふざけんなよ!今みたいなのがよくあるなんて病気かなにかの類だろうがよ!」

「いやでも前は十歳から五年間くらいあの状態だったし……今はまだ動ける方だよ」

「ご、ねん?」


 風の噂でユルザック王国の人形王子のことは知っていた。人形のように動かない、お飾りの王子だと。

 しかし詳細を知らなかったオウガは今、目の前にいるミカが人形王子だったと初めて知る。本当に人形のような症状についても。

 見ている方が不安になる症状が、五年という長い年月続いていたことにも驚きを隠せない。しかも十歳からという、取り戻せない若い年月だ。


 ミカ自身は気にしている様子はないが、オウガは絶句して、慰めや罵倒の言葉も出なかった。

 実はミカ側からすれば、意識内部でオウガの失礼な態度に激怒していたレオを宥めていただけなのだが、思う以上に重く受け取ったオウガにミカもかける言葉が見つからない。

 それでもなにか言わなければ気まずいままだと感じ、二人の共通点であるハクタについて話すことにした。


「人形王子と呼ばれていた俺は本当になにもできなかった。そんな俺をずっと守ってくれたのがハクタだよ」

「……はっ、あいつらしい。脇腹の傷もアンタを守ってついたんじゃねぇの?」

「うん、そうだよ。俺がもっと動けていれば、俺がもっと強ければ、俺が王族として責任ある行動がとれたなら……一か月以上経つのに、ずっと後悔している」


 馬鹿にするためにオウガは憶測を告げた。奇しくもそれは真実をついていたため、ミカは隠すことなく話す。

 ヘタ村でミカは途中まで人形王子として動けなかった。最初から自由に動けていたら、もっと早く無事に終わったことがいくつもある。

 フロッグという魔人も、マリと名乗って全員を騙していた魔物も、ミカは知っていたのに話すことすらできなかった。


 そのせいでヤーには苦労させ、村人には大雨などの被害に合わせ、ハクタの脇腹には深い傷が残ったまま癒えない。

 謝るのは簡単だ。ミカが謝れば誰も責めずに不問として処理し、そこで全て終わってしまう。しかしそれでは意味がない。

 ミカがするべきことは同じ過ちを二度と繰り返さないことだ。無力な自分を許しては、なにも変わらない。


 素から操る転化術を手に入れて強くなるわけではない。視える才能があるからと言って役に立たない時もある。

 太陽の聖獣レオンハルト・サニーが前世だから、第五王子だから、レオナス家の血を継いでいるからと言って、ミカはミカでしかない。

 無力で弱い、十五歳の少年だ。嫌というほどミカはそれを理解している、だからこそ言葉にしたい心がある。


「誰かを守れる大人になりたい。オウガみたいに、強く、なりたい」

「……なんで王族のお前がそんなこと言うんだよ。俺よりもずっと、多く、守れる立場じゃないのかよ!?」

「そしたらハクタは騎士になんかならないよ。傷つくことも、捨てることもなかったんだ……本当にごめん」


 意味がないとわかりつつも、ミカは同じ意味の謝罪をもう一回繰り返した。ハクタが決めたことに、ミカは関わっている。

 オウガはやっとミカの謝罪の真意を知る。王族であるからこそ、守られるしかないことにミカは苦痛を感じていた。

 女中達の言葉が蘇える。王族とは一体なんなのか。オウガが嫌う王族とは、一体誰のことを指すのか。


 十年前の流行病で両親を失った。五年前の大干ばつで死に行く大勢の人を見た。その中を苦しみながら生き抜いた。

 貴族はそんな時も横暴で、事態が終われば全て忘れて過ごした。そんな貴族を罰しない国一番の場所に立つ王族がオウガは許せなかった。

 悲しみと憎しみだけが積もっていき、ぶつける場所を見つけてからは発散することができていた。それが今はぶつけ場所を見失う羽目になった。


 ミカを通して王族を見てしまうと、憤りが体の中を駆け巡って苦痛をもたらす。とても耐えられそうにないほど、熱く煮え滾る。

 王族を通してミカを見てしまうと、罪悪感が自分を責める。本当に目の前にいる少年が悪いのか、それとも自分の認識が間違いだったのか、迷子の気分になる。

 最後に失った家族を通して王族を見ると、全てを奪った元凶として睨まずにはいられない。どうしてと何度も叫びたい気持ちだった。


 答えが出ないまま、女中達が食事を持ってきたことによりオウガは思考を中断した。

 湯気が立つクリームシチューが体の芯を温めても、頭の中は冷や水をかぶせたみたいに凍えていた。

 ミカも気まずいまま会話が終わってしまったので、無言のまま食事を進めていく。


 オウガにはかつてエカテリーナ王妃が使っていた寝室があてがわれる。

 清潔が保たれたベットは心地よく、疲れを癒すには充分だった。しかし眠れそうにはなかった。

 そもそも客人に死んだ王妃の寝室で休ませるのは、礼儀的に大丈夫なのかとオウガは青い髪の女中であるリリィに尋ねる。


「フィル殿下より、そう手配するように頼まれました。また体を動かしたい場合は、そちらの庭を存分にお使いください、とも」

「失礼だがよ、王妃はいつ死んだんだ?絵画を見る感じ、大分若い印象だけどよ」

「十年前の国殺し流行の際、同じ病に……ミカ王子が五歳の時でございます」


 告げられた言葉の続きをオウガは聞けなかった。エカテリーナ王妃は絵画を見ても三十代かそこらで、五歳の子供を残して死んだことになる。

 オウガが両親を亡くしたのは八歳の時だ。少ないながらも家族全員で過ごした思い出もいくつかあるため、心慰める時はその思い出を引っ張り出す。

 しかしミカは母親について一切語らなかった。それは言いたくないというよりは、ほとんど覚えてないに近い物だった。


 寝ようにも全く眠気が来ないオウガは、言葉通り部屋から眺められる庭先で体を動かすことにした。

 武器のパルチザンは城に入る際預けてしまったので、格闘の演武による動作で体力を使うことにする。

 これも策略だと思いつつ、あえてそれに乗ることで、抱えている鬱憤を晴らそうとオウガは決心した。

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