EPⅢ×Ⅶ【血も涙もない裏側《heartless×reverse》】

 ガウェインガーデンの近くに存在する集合住宅形式の部屋。黒い尾を引きずりながら蛇女は古ぼけた扉に手を伸ばす。

 中は暗く、暖炉すらもない冷たく寂しい部屋。小さな窓から外を見れば、雨は通り過ぎて路上には靄が漂い始めた。しかし空にはか細い輝きが幾つも不規則に並んでいる。

 床の上に散らばった破れた楽譜を踏まないように蛇女は進む。そして胸に抱いていた男をベットに載せ、天秤から宝石のような目玉を外してから離れて動く。


 男の手から天秤と剣を取り上げ、棚の最上段にある救急箱からアルコール消毒液と包帯を取り出す。棚には既に音楽に関する書籍や楽譜で埋まっているため、生活日需品は上へと押し上げられてしまうのだ。

 弾が貫通していることに安堵しつつ、蛇女は丁寧な手つきで男の太腿の傷口を処置していく。次にエッグノッグや牛肉スープを作ろうと、台所へと向かう。以前は洗い物で溢れていたが、今では綺麗に片付けられて花も飾られている場所だ。

 購入を強請った「看護婦の訓練と病人の看護」という本を片手に、分量を正確に量りながら蛇女は料理していく。味見をすることはない。味覚などの機能は蛇女には備わっていない。


 それでも温かい牛乳と卵を合わせた甘い匂いと、牛肉が煮込まれる香ばしい匂いに男は瞼を薄らと開ける。そして最初に向かうのは、部屋の中央に置かれたグランドピアノ。

 冷や汗を流したまま男は鍵盤の上に指を静かに触れさせた。聞こえてきた音に蛇女は驚いたが、決して止めようとは考えなかった。盆にコップとスープ皿を乗せ、灯りのない部屋へと進む。

 蓄音機が発明されたばかりの世の中において男の音楽を知る者は少ない。蛇女にはそれが勿体なくて、もどかしかった。盆をベット横に静かに置いた後、蛇女は男が疲れ果てて倒れるまでその音を聞いていた。


 汗を流し、包帯に血を滲ませても、男の指は鍵盤を叩き続けた。一瞬でも光景を見逃さないように、蛇女は目を輝かせていた。そして倒れた男を抱きしめ、もう一度ベッドへ。

 新しい寝間着を用意し、汗を濡れたタオルで拭いた後は乾いたタオルで清潔を保つ。包帯を真新しい綺麗な物に替えて、寝間着へと着替えさせる。そしてエッグノッグを口に含み、男へと口写しで飲ませる。

 少し冷めていたが、栄養素としては申し分ない。牛肉のスープも同じように与えた後は、優しく布団をかけて食器を片付けに行く。洗い終えた頃には夜空は少しずつ薄くなっていた。


 星空がまだ残っていることを確認しながら、蛇女は冷たくも細長い指で鍵盤を鳴らす。男の音とは程遠い、稚拙な音だった。それでも蛇女は男を見て憶えた曲を拙く弾いていく。

 有名な音楽家も愛したというその曲は、夜空の輝く星を奏でた物だという。子供でも簡単に暗記ができて、蛇女でも弾けるだろうと男が微笑みながら連弾をしてくれたことも胸の内で煌めいている。

 しかし蛇女は男の音を聞いているのが一番好きだった。その時だけは『偽物レプリカ』であるのを忘れられる。そして蛇女は想いを募らせていく。




 男の音楽は美しかった。どこまでも、どこまでも。空の彼方、星の光よりも強く、深い闇の中に落としてくれそうだ。

 どんなに醜いものも隠してくれそうで、その音に安寧を覚えた。しかし世間はこの音を認めなかった。男を見てくれなかった。

 男は天使の曲を作れなかったのだ。しかしそれでいい。お前を救わない天使の曲など、なんの価値もない。

 私が惚れたお前の音は血が滲み出て泥にまみれた宝石だ。お前の苦しい努力で培われた奇跡の夜闇だ。お前の音は――私を救う。

 だから次は私の番だ。罪を集めよう。醜い化け物として祭りを壊してしまおう。お前という存在を、努力を、悔しさ全てを人の心に刻み込もう。


 そして最後にお前を救おう。女神でもなく、本物の化け物にすらなれない私の――お前へ贈る祝福だ。







 借家ギルドホームで目が覚めたユーナが最初に行ったことは、ハトリとチドリの安否確認である。美しい双子は安らかな寝顔でそれぞれの部屋で寝ていた。

 次に確認するのはナギサが起きているか。起床していれば冬用の服を用意してほしいと頼む。張り切ってナギサは嬉しそうに服を準備し始めた。

 最後には浴室で濡れた体を急速に温めて、明けた空を確認してからくたびれきったアルトへ朝食の催促を。もちろん一日は存分に戦えるほどの栄養満点料理をだ。


 アルトはユーナの服装に目を丸くする。愛用の白いワンピースコートに短いフリルスカート。膝上のニーハイソックスに黒いブーツもお気に入りの物である。

 変わらないのは腰の黒革ベルトに杖刀、紫色の髪に映える黄金蝶の髪飾り。ここ数日着替えが多かったユーナだが、その中でも一番彼女の代名詞ともいえる外見に。

 朝食を作り終えたアルトは燕尾服を脱ぎ、着慣れた茶色い革のジャケットに白シャツ、そして長ズボンと鉄板が仕込まれたブーツと、こちらもお馴染みの姿になる。


「ナギサさんを連れて、今日は外出ですわよ!! わたくし達、はなっからとんだ間違いをしていましたわ、あんにゃろう!!!!」

「え!? 天使ちゃんをって……姫さん、建物壊す気かよ?」

「もちろん」


 冗談を交えたアルトだが、返ってきた答えに沈黙を置く。横目でユーナの顔を確認すれば、その顔は煮え滾る怒りに溢れていた。少なくとも淑女がする表情ではない。

 ナギサに関してはユーナと出かけられるという一言だけで舞い上がり、嬉しそうに花を飛ばす勢いで満面の笑顔になる。だがアルトは引きつった笑いしか出てこなかった。


「アルトさん、わたくし達がヴラドさんに情がある前提で動いたのは誤りでしたわ。最初から! 全部!! あの男の手の平の上でしたのよ!! あー!! 腹立つ!!」

「その前に俺様が昨晩、慌ただしい知らせと共に姫さん達を保護した話とか聞かなくていいのかよ?」

「予想がつきます。詳細は必要ありません。しかしありがとうございます。少しでも速く行動するには、やはり借家に運び込まれたのは大正解ですから」


 礼を言われたが、どこか事務的な響きにアルトは肩を落とす。頑張って一人ずつ現場から運んだのに、この扱いである。しかしユーナの怒りが膨れ上がっている今、これ以上の感謝の言葉は望めない。

 リリカルが叫んだせいで周囲は騒然。病院に運ばれる患者の数は鰻登りとなり、収容できる人数の限界を超えた。そこで警察の方で自宅療養が可能な被害者は身内の者に連絡を取ったのである。

 人を抱えている際に転びそうなナギサを借家に留守番させ、アルトは借家から被害現場を三往復することに。正直に言えばチドリに関しては叩き起こすか川に投げ捨てたかったのが本心である。


 現在リリカルは警察の事情聴取を受けているが、アドランスから離れようとしないので二次被害を抑えるために病室での聞き取りへと変更されていた。

 鼓膜を破壊されたアドランスだが、切り傷などは見当たらず、何故衣服が破けていたのかは警察の方でも調査中である。なんにせよ難航は目に見えていた。

 罪に問おうにも過保護な男が目覚めてしまえば、あの手この手で躱してしまうだろう。リリカルに関してユーナ達が心配することはあまりない。


「で、何処へ向かうんだよ? 傭兵おっさんの居場所を知ってる奴が、今は起きてない状況じゃねぇか」

「前回の居場所に決まってますわ!! あそこはフォンさん経営の酒場! ヴラドさんですもの、あそこもなにかしらに準備させているはずですわ!!」


 言いながら皿の上に載っていた肉にフォークを勢い良く突き刺すユーナ。あまりの力強さに皿にひびが入るかと思ったが、その気配はない。

 それでもアルトが発する全ての言葉を無効化するという意志は強く見られた。これはなにを言っても通じず、彼女の気が済むように付き合うしだけだ。

 しかしあまりにも強引な流れに引っかかりを覚えたアルトは、ユーナの顔を見つめる。気まずさを感じたユーナはアルトに向かってある物を投げる。


「……録音機フォノトグラフの魔道具版か? これだけの小型を成立させるには、普通の録音機じゃ無理だからな。これが?」

「それは気絶する前にアドランスさんの手に残されていた物を拝借したのです。これを使ってアドランスさんは相手から情報を引き出していたのです。そしてリリカルさんの迎えとくると……ふふ、あんにゃろう」

「……あ、あー……こんなのを常日頃から持つ必要はなく、都合よく眼帯おっさんが所持していた理由とか組み合わせると、そうなるわけね」


 ようやく合点がいったように頷くアルトに対し、ユーナは不気味な笑いを返すだけである。相変わらず笑みの意味が怖い少女であった。





 カストエンドの酒場に続く階段を駆け下りて、そこからさらに地下部屋へと殴り込むユーナ達。ただし扉に関しては蹴りで開けていたわけではあるが。

 待ち構えるのは傭兵ギルド【剣の墓場】に属する黒魔導士達と、フォンとレイリー。ユーナの後ろをついてきたアルトとナギサは、予想していたような相手の行動に小さく苦笑いする。


「ありゃー、ばれちゃったあるよー。どうするね、レイリー? 針で天国? それとも暴力地獄? 今はレイリーがリーダーね。従うよー」


 呑気な様子で牛のように大きな胸を揺らすフォンだが、その目は油断なくユーナ達を睨んでいる。手には肉を叩き潰す目的で使用される中華包丁が握られていた。

 薄暗い地下室に大人数が詰め込まれているせいで室温が高いが、そんなのとは関係なしにレイリーの顔は涼やかである。蒸気灯に照らされても青白く浮かび上がる肌に、漲る生気はない。

 レイリーの手には三節根が握られており、今は真っ直ぐな棒の状態だが、戦闘になれば自在に曲がる蛇のような動きで相手を翻弄するだろう。


「この密室では最高位魔導士といえど動きも魔法も制限される。ならば後は暴力が支配するだけだ。殺害しても死なないような奴らだ、加減はするな。殺せ!!」


 レイリーの号令一つで周囲の壁も破壊されて部屋が広くなるが、それでも地下の狭さは変わらない。ユーナは杖刀を、アルトは懐から小型蒸気機関銃を、ナギサはスカート下から白い腕甲冑ガントレットを取り出す。

 最初に足を踏み出したのは黒魔導士達である。男もいれば女もいる。しかしどの人相も凶悪で、穏やかな顔の者など皆無。相手を倒すためだけに鍛え上げられた猛者達である。

 次に行動したのはナギサではあるが、最初の一歩目でなにもない所で躓き、勢いのまま迫る黒魔導士の集団にぶつかる。ただしその勢いは白魔法を無意識に使った超特攻ではあるが。


 大きな音と共に大砲の大玉のように真っ直ぐ転んできたナギサに巻き込まれ、四人近くが壁に押し潰された上に壁をさらに破壊していく。

 立ち昇る砂埃とあまりの衝撃と速さに黒魔導士達の脚が止まる。振り返れば無傷のナギサ一人だけが慌てながら気絶した黒魔導士達に大声で謝っている。だが薙ぎ倒された黒魔導士達は返事しない。

 中には体の関節がおかしくなっている者もおり、ナギサが焦って普通の位置に治そうと触ってしまい、骨が砕けたり折れたりする鈍い音が地下室に響き渡る。


「そこのドジっ娘メイドは放置しろ!! 奴にこの事態を解決する能力はない! 狙うは男ともう一人の女だ!!」

「やっぱりいい男ってのは辛いねぇ。そう思わねぇ、姫さん?」


 狙いにされたことをむしろ喜ぶアルトだが、ユーナは面倒そうに片手の仕草だけで払い除ける。ドジと言われたナギサはショックを受けつつ、襲い掛かってくる相手に対処しようと人の体に躓いては転んでいく。

 狭い場所と次々と人が倒れていく環境のせいで、ナギサによる負の連鎖は止まらない。それでも黒魔導士達は負けじとアルトへと向かっていく。ここで負けてはギルドの名折れだと感じたからだ。

 アルトは余裕ある笑みを浮かべながら銃を構えるが、一番近くにいた相手の腹に靴底を埋める。詰まった悲鳴と共に蹴られた相手は床を転がり、蹲ったまま動かない。


 少し距離がある相手には銃で対応する。狙うのは肩や足など、動きの支点となる上に致命傷に至らない箇所だ。空気を圧縮した弾を放つ蒸気機関銃では、体を貫くことはあまりない。

 それでも質量のある空気が目では追えない速度でぶつかるのだ。骨の一本や二本は折れる上に、強烈な打撃を食らったように肌は青黒くなる。近接格闘術と、正確な射撃技術で対応してくるアルト。

 ならば動きを止めてしまえばいいと、分銅がついた鎖でアルトの腕を絡めとる。少しだけ動きが止まったアルトに対し、人の波が迫ってくる。


 しかし動かなくなったアルトの背後から、ユーナが素早く踏み出して杖刀を振るう。横に薙ぐ力任せな動きだったが、ユーナの圧倒的な魔力と白魔法により、十人ほど吹き飛ばされる。

 ならば武器を奪えばいいとユーナの杖刀に触れた者はその場で倒れる。眩暈を起こした者は、隙ありと言わんばかりにアルトが蹴り飛ばす。魔力を吸う杖刀に抵抗できる者など少ない。

 腕に絡まった鎖を余裕な表情で外したアルトは、ユーナと連携しながら黒魔導士達の数を減らしていく。もちろんナギサが建物を壊さんばかりに転び続けているせいで、室内の砂埃は酷かった。


 その砂埃を裂くようにレイリーとフォンが動き出す。フォンはアルトへ、レイリーはユーナに、迷わずに敵と認識した者へと各々の武器を向ける。

 ナギサが転び過ぎて被害者が多発してしまい、最終的に自分を含めた五人以外が歩くのも困難なことに大声で謝りながら黒魔導士達の折れ曲がった体を治そうとしていた。ただし鈍い骨の音と悲鳴付きである。

 中華包丁は小型蒸気機関銃や鉄板仕込みの靴底では受け止められないと判断したアルトは、ユーナと離れた位置へと移動する。フォンは艶やかな唇を舌で濡らし、アルトへと話しかける。


「アルト良い子ねー。好きよー。だから素敵な声で啼いて喚いて叫んで許しを乞うて欲しいあるよ。その声を聴きながら鍋に入れてことこと煮込んであげるよー。ただ不味そうだから味見もなしに捨てちゃったりしちゃうあるよー」

「こんないい男を出汁に取った鍋が駄目だなんて、グルメなんだな。そんなに狐目男が素敵ってか?」

「レイリーとは腐れ縁ね。それ以上でもそれ以下でもないあるよ。ただ一つ……万事において優先するべき項目の一つではあるけどねー」

「牛姉ちゃんには悪いけど、俺様にも万事において最優先するべき相手がいるんでね。鍋で煮込まれてやるわけにはいかないぜ。あ、針治療によるお胸大サービスは歓迎だけどな」


 お互いに笑顔で、それでいて流れる冷たい空気。小型蒸気機関銃から放たれた空気圧縮弾を銃口の位置から到達地点を予測し、そこへ分厚い中華包丁を盾代わりに翳す。

 硬質な反響音が部屋を満たす。しかし無傷な中華包丁二本を握りしめたままアルトへと迫るフォン。大きな胸や下着を履いていないであろう服装など気にする余裕も持てない。

 中華包丁で破壊された壁の瓦礫が頭上めがけて落下。それを避けながらアルトは攻撃の隙を窺うが、フォンの動作は無駄がない。力任せのようでいて、繊細な武術を思わせる動き。


 本来ならば障害となるであろう大きな胸も、細い腕も、それら全てが遠心力を利用する道具へと向上させている。肉厚な足で放たれた蹴りは、馬の蹴りとほぼ変わらない威力だ。

 狭い地下室においてアルトの自由な動きは制限される。それは大振りな動きや市街を破壊するレベルの魔法を使うユーナも同じであり、今は三節根によって杖刀を封じられていた。

 三本の根を鎖と連結させることで柔軟な動きに対応した武器は、鮮やかな蛇の如く杖刀を絡めとり、動きを止めていた。そしてレイリーの鋭い蹴りや掌底、さらには気功術までもがユーナに迫る。


「貴方を強く見せている大半が魔法と杖刀。それ以外に関しては戦闘の素人、一般人。そんな貴方が何故……あの方と肩を並べる!? ああ、苛々する!!」

「男の嫉妬は醜いですわよ! わたくしが邪魔なのはわかりますが、八つ当たりの対象にされるのは不愉快ですわ!! 大体、今回の件に関しては本気であの男に怒りを覚えましたからね!!」

「あの方の真意も測れない貴様が、制裁を加えようとはな!! その報い、敗北によって受け止めろ!!」


 ユーナの手から杖刀が離れていく。そしてレイリーの手の平に込められた気が腹の上で破裂し、ユーナの体全体に見えない衝撃を与えていく。

 少しだけ足をよろけさせたユーナに追撃しようとしたレイリーだが、目の前に迫ったフォンの蹴りに気を取られて動きを止める。フォンもレイリーの驚愕に気付き、同じく表情を歪ませる。

 地下室を逃げ回っていたアルトだが、その実はユーナとレイリーの位置に戻るように画策していたのだ。そして倒れそうになるユーナの背中を、アルトは強く叩く。


「姫さん! 俺様が見てる手前で情けない姿を見せる姫さんじゃないだろう!?」

「あっ、たりまえでしょうが!! 舐めてんじゃないですわよ、この野蛮猿が!!」


 口元に血を滲ませながらも、床を力強く踏みしめたユーナが勢いよく返事する。その言葉に、アルトは子供のように心の底からの意地悪い笑みを浮かべた。

 そして二人揃って壁際まで飛ばされた杖刀に向かって走り出す。後を追いかけるレイリーとフォンは次こそ仕留めると、目尻をきつく吊り上げる。

 杖刀は吸い寄せられるように自発的な動きでユーナの手の平に収まる。そして迫る敵二人へと振り返ったユーナ達は、今度は逆の相手へと向かう。


 ユーナはフォンへと、アルトはレイリーへと。言葉も交わさずに意思疎通した動きで、淀みすらも見せなかった。


「行くぜ、狐目男!!」

「覚悟なさい、フォンさん!!」


 アルトは三節根の一番の根元へと手を伸ばし、掴み取る。至近距離まで近づいた後、レイリーの額に向けて小型銃器機関銃の銃口を押し当てる。

 それを弾くために額に気を集めて放ったレイリーだが、腹にめり込んだ膝の感触に吐き気を覚える。銃は囮で、本命はレイリーには敵わないはずの肉弾戦。

 慌てて距離を取ろうとするが故に三節根まで手放したレイリーだが、顔面横から迫る靴の爪先に全てを悟った。一瞬で視界が黒くなり、痛みだけが頭に響いた。


 ユーナは真っ向から振り下ろされる二つの中華包丁を杖刀で受け止める。力技で押し切ろうにも、杖刀の硬さとユーナの白魔法込みの腕力では拮抗してしまう。

 無理にでも押し潰そうとした矢先、中華包丁に大きなひびが入る。分厚い鉄で作られ、小型蒸気機関銃の空気圧縮弾でも動じなかった武器が、目の前にある武器にゆっくりと負けていく。

 黒い杖刀から破滅を感じさせる竜の気配が立ち上り、フォンは顔を青ざめさせた。その一瞬の隙を突いて、ユーナが力任せに杖刀を振るう。中華包丁の破片が飛び散り、フォンの顎に杖刀の鞘先が当たる。


 同じ場所へ倒れたフォンとレイリー。ヴラドの部下の中でも実力派の二人を討ち取り、アルトとユーナは視線を合わせないまま拳だけを突き合わせた。





 縛られて身動きが取れない二人の前で、ユーナが威圧的な仁王立ちで見下ろしてくる。レイリーは唇を尖らせているが、フォンは諦めたように苦笑する。

 アルトは倒れた黒魔導士達をナギサと共に山積みにしており、適度に骨折している者には添え木で固定する。腐っても鯛と言うように、黒くても魔導士。白魔法である程度は自力で治せるだろうという観測込みである。

 ユーナは手の中にある蓄音機の魔道具を見せつける。本来ならばアドランスは買うことも使う資格もない物だ。ならば誰かが裏で手を回したに決まっている代物。


「アドランスさんに録音機を渡したのも、リリカルさんを迎えに行かせたのも……いいえ、わたくし達に嘘の襲撃計画を教えたのも、犯人の目星がありながらとぼけたのも、ヤシロさんが襲われたのも!! 全ては黒鉄骨の魔剣士ヴラド・ブレイドの企みですわね!!」


 怒りを込めた断言に、誰も否定の言葉を入れなかった。ただ一人、レイリーだけは呼び捨てにするなと怒りの表情を見せるが、それ以上に怒っているのはユーナの方である。


 最初から全て仕組まれていた。あまりにも遅く気づいた事実に、自分自身への怒りすら湧き立つほどだ。少なくとも、ヤシロが襲われる前の時点でヴラドの計画は始まっていたのだ。

 まず違和感を覚えたのは詳細な資料だ。犯人が鵞鳥男だと想定し、どうやって襲撃相手を決めていたのか。アドランスの録音機の情報から、罪悪感が大きい相手を狙っているのは判明した。

 だが的確に聖ミカエル祭に関わる人物ばかりなのだ。むしろ犯人はヴラドが持っていた資料を見ながら襲っていたのではないかというほど、狙いが正確すぎるのだ。


 資料の整列された字から察するに、作ったのはレイリーであるのは間違いない。契約書作成の時に、その写本や複製コピーと疑うほどの技術は目の当たりにしている。

 そしてヤシロが聖ミカエル祭の手伝いでいることは、この資料か伝聞でしかわからない類だ。つまりヤシロを襲撃する条件が整うには、ヴラドの資料が必須となる。

 導き出される結果から、ヴラドは犯人に資料をなんらかの方法で渡しており、狙われる対象を絞ったのである。あえて自分の部下であった人物達が襲われるように仕組んだのだ。


 次の違和感はヤシロの件に対してだけ目撃者がいるのだ。もしもこの目撃者が存在していなかったら、ユーナ達が鵞鳥男の特徴も掴めないまま行動するしかなかった。

 目撃者でさえヴラドが仕組んだ者だ。もしかしたら目撃者がさり気ない形で鵞鳥男を金融街に誘い込んだ疑惑さえある。でなければヤシロの件だけ範囲からずれているのはおかしい。

 さらにはデッドリーのこともそうだ。財布を盗んだのを彼は慰謝料と言った。迷惑料ではない。目撃者の女を脅したとあるが、それさえも目撃者が仕込んだ虚偽である可能性が出てくる。


 さらにはユーナ達がヴラドを訪ねてくる際に襲ってきた件だ。その時のヴラドの言葉にはちぐはぐな印象を覚えていたが、命の危機にそれどころではなかった。

 しかしヴラドが既にあの時点で犯人の正体を掴んでいたならば、話は別だ。全てはヴラドの思うが侭に誘い込まれたユーナ達を従わせるための策略でしかなかった。

 もちろんユーナ達でなくとも構わなかっただろう。私立探偵であるカナンでも良かったのだ。問題は一番早くヴラドが居る場所へ来訪した人物を駒として動かすか決めるだけだった。


 その駒を使うために、ヴラドはあえて被害者達の襲撃計画を明かした。自動迎撃人形オートマタブッコロくんを乗り越え、わざわざヴラドの元を訪ねる者。それらが見過ごすはずがないと、利用したのだ。

 あとは一戦を交えた後に自分達の領内とも言える借家へと招き入れ、契約書を書かせるだけでいい。ヴラドのことを知っている人物ならば、それが一番彼への抑止力となるとわかるからだ。

 内容などは望まない物であれば被害者達を襲うと脅して変更させれば問題なく、要望が全て叶うのであればそのまま通せば上々。レイリーの準備が良かったのもこれで半分は頷ける。


 そしてヴラドの協力者はもちろんいた。でなければこんな短期間で次々と犯人に繋がる情報が出てくるのはおかしい。

 協力者はアドランスとフーマオ。アドランスはヴラドの居場所を知っているが故に、フーマオは聖ミカエル祭に深く関わっているが故にだ。

 まずユーナの言葉でフーマオがすぐに該当人物の資料を差し出してきたこと、それに疑いすら見せなかった点。そして魔導士ではないアドランスが使用した録音機の仕組みを持った魔道具。


 まるでお助け要員のようにヴラドが望む方向へユーナ達は誘導されていたのである。しかし何故ヴラドがそんな方法を選んだのか。

 答えは簡単だ。それが一番手を汚さずに楽して犯人が捕まえられるからだ。おそらくヴラドは犯人を殺したくない。しかし傭兵ギルド【剣の墓場】に加減を求めることはできない。

 生かしたまま捕まえたい。だがヴラドが手を出せばほぼ確実に殺してしまうだろう。であれば別の駒を使えばいい。嘘の計画で釣れるようなタダ働き要員を。


 後は用意していた資料に各地に配置したお助け要員、それと事件に関わったデッドリーなどを辿っていけば勝手に駒が突き止めてくれる。

 フーマオは聖ミカエル祭の邪魔者をお金も払わずに排除できるし、アドランスもこのところ寄せられる鵞鳥男関連のギルド苦情を減らすことができる。

 そして利用されたのはユーナだけではない。リリカルもだ。あわよくばヴラドはリリカルによる『マンドラゴラモンストルム』の叫び声を使って、犯人を捕まえようとしたのだ。


 アドランスが驚きながらもリリカルを庇ったのはこれが原因だ。アドランスはあの時点で既に録音機で相手の情報を引き出しており、後はそれを誰かに渡すために逃げるだけで良かったのだ。

 それでも逃避を選ばなかったのは守るべき少女が、想定外、として現れたからだ。その根拠も説明できる。アドランスは一人で鵞鳥男が徘徊する夜のロンダニアの街を歩いていた。

 迎えに来るはずのリリカルにも知らせずに、だ。つまりアドランスは一人の所を襲われるという確定事項のために行動し、伝えられていなかった不確定要素のせいで昏睡した。


 録音機に残っていたわざとらしいアドランスの会話内容を聞いて、ユーナはそこまで辿り着いた。だからこそ怒りが湧く。最初から、全て、一人の男の手の平で走り回っていたのだ。

 でなければアドランスがリリカルの前では決して言えない台詞を口にすることなどあり得ない。結局はアドランスもヴラドの手の平に転がされた一人である。

 アルトが言っていたヴラドにも情ができたというのは、ユーナ達がそう思うように仕組んだヴラドの仕業である。効率よくタダ働きを得るためだけに利得のない襲撃計画を作っただけなのだ。


 合理的で非情。これこそがヴラド・ブレイドの神髄。血も涙もない男が仕掛けた大方の全容であった。


「では問いかけますわ……ヴラドさんは今どこに!? 鵞鳥男の前に、まずはあの男を殴らせなさい!!」


 そしてユーナの美学に反する計画。だからこそ最高位魔導士の一人、紫水晶宮の魔導士は黒鉄骨の魔剣士へと喧嘩を売りに来たのであった。

 たったそれだけの理由で最高位魔導士の中でも最強を殴ろうとする非合理的な情に傾いた思考。ヴラドとは正反対の心意気。正義でもなく、王道でもない。

 美学に従う性質だからこその無謀だが、その声には揺るぎない力強さが宿っていた。聖ミカエル祭が翌日に迫る九月二十八日の正午。ユーナはフォンからヴラドの居場所を聞き出したのであった。

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