EPⅢ×Ⅷ【未完成の蓄音機《unfinished×gramophone》】
居場所を聞き出したまでは良かった。しかし場所の名前を聞いた瞬間、アルトだけでなくユーナも顔を歪めた。
雨足が遠ざかった灰色の曇り空の下で、翌日に予定されている祭りの準備のために騒がしい市場。ダムズ川を運河としたガウェインガーデン。
市場の中央に相当する少しだけ広い場所には布で保護された機械が設置されており、そこでは最高位魔導士の一人であるマグナス・ウォーカーが調整を施していた。
さらにその隣ではもう一人の最高位魔導士、ブラド・ブレイドが平然とした顔で暇そうに立っていた。カストエンドから馬車で急いできたユーナからすれば、水溜まりに滑って転びたいくらいの光景だった。
しかし白いワンピースコートを汚すわけにはいかず、なんとか踏み止まって肩を震わせる。ただし踏みしめた足は石畳を砕き、周囲は怒りで髪を逆立たせそうな勢いのユーナに注目する。
ユーナの背後にいたナギサは流れがわからずに目を丸くしており、アルトはどこまでもヴラドという男の策略の上かよと肩を竦めていた。そしてユーナの殺気に怯えたマグナスが短い悲鳴を上げる。
「ゆ、ユーナ氏!? 何故ここに!? まさかまたぁっ!!??」
ユーナに関わる騒動に巻き込まれると、九割の確率で自らの制作した魔道具を壊されるマグナスにとって、彼女が目の前に現れるのは凶星が天高く輝くのと同じである。
慌ててヴラドの体を引っ張って盾代わりにするマグナスに対し、ヴラドは文句を零さない。マグナスの魔道具作成は価値あるもので、判断も合理的だからだ。
最高位魔導士として一番実績を重ねているが、強さの点で言えば一番下であるマグナス。ユーナと戦う羽目になれば、ヴラドを前に出すというのは正しい。
「マグナスさん! そのままヴラドさんを盾に!! ――ゆらゆらとゆらり」
「いやぁああああああああああああ!!!! それ絶対にヴラド氏だけでなく僕の発明品や僕が巻き込まれるアレじゃないかぁああああ!!」
何度も聞いた覚えのある法則文を耳にしたマグナスは半乱狂で慌てふためく。しかしユーナの口が次の言葉を吐き出す前に、頭上から降ってくる大量の木製槌が彼女の頭を殴打した。
そのせいで言葉が途切れ途切れになり、やむなく魔法を破棄する。そしてフーマオを先頭に多くの商人がユーナを囲むように睨みつけていた。
「ユーナのお嬢!! 魔法は禁止!! しかも今のは明らかにあの『
「フーマオさん……わたくしを騙していましたわね!? そこの男と協力して!! 貴方はどちらの味方ですの!?」
「人聞きの悪い! ウチはちゃんとユーナのお嬢に惜しみない協力をしましたし、ヴラドの旦那の御注文にも応じた! 商人は信頼が一番! 利益が二番! 三四が飛んで人間関係が五番!」
「まぁ……友人だからと言って予約した客を押しのける真似は、猫にーちゃんはやらねぇからなぁ」
アルトの呟きに首を傾げたナギサに対し、アルトは簡単に説明を施す。要は順序の問題なのである。鵞鳥男に関してヴラドの方が先にフーマオへ依頼していた。
そしてユーナの問いや疑問に対しても確かにフーマオは的確に返事をしていた。例えば鵞鳥男の容姿から特定人物を絞る、ということはしっかりとこなしている。
だがその件にヴラドが関わっている点、思惑が動いている仕掛けの類い、あらゆる無駄な情報を省いて一番重要な部分だけをユーナに渡したのである。騙していないし、きっちりと注文通りに。
世の中には個人業に多いのだが、予約が必要な事柄に対して友人だからと割り込みをさせる営業者がいる。人情というやつだが、これは商売において失敗である。
もちろん情けや優しさも時には大切だが、予約というシステムにおいて割り込みというのは違反に近い。これでは律儀に予約した客に失礼であり、次の商売に繋げられない。
フーマオはそういった線引きには厳しい。商人根性の逞しさが故に、こういった場合はユーナと喧嘩することもある。だがアルトからすればフーマオの方に軍配が上がるのは当然の事柄だった。
「ちゃんとウチは商売としてヴラドの旦那の依頼を受けました! その次にユーナのお嬢に協力しました! はい解決!」
「だったらフーマオさんはヤシロさんが犠牲になるのをわかっていたでしょう!? そこを止めてくれてもよかったじゃないですか!?」
「は? ヤシロの旦那はしっかり給金貰った上で襲われたはずですよ? ねぇ……ちょっと、ヴラドの旦那。なんで目を逸らすんですか、ねぇ!?」
市場にいた全員の視線がヴラドへと集められる。それすらも慣れた様子で受け止めているが、フーマオと視線を合わせようとしない。
「……アルトさん。もしかして家賃を入れていた財布の中身が多かった理由は……」
「姫さん、その先は言うな。俺様達はチビ助の貴重な稼ぎをあのエール腹おっさんに渡しちまった後なんだからよ……」
背後にいたアルトの方へ振り向いたユーナだが、アルトは両手で顔を覆っている。最初からの勘違いから始まる、さらなる勘違いと失態が判明した。
そして湧き起こるのはデッドリーへの怒り。堂々と火事場泥棒をしただけではなく、ユーナ達の勘違いを利用してちゃっかりと臨時収入を手に入れていたのである。
どこまでも小悪党な男の幸運に対して、もう少し痛めつけて情報を吐き出させておけばと珍しくユーナも後悔する。正直歯の数本は折っても良かったかもしれないくらいには考えを改めていた。
本来執事やメイドなど、館に仕える者は副業を禁止されている。しかし稼ぐ手段がないわけではない。例えば主人の古着を始末する時、調理の際に出た使わない骨や脂を処理する機会。
そういった物を売って小銭を手に入れること以外にも、客人の応対をした場合に貰える
自称執事であるヤシロはそこまで拘る必要はないが、かつてヴラドの部下であったことから小遣い稼ぎにでもと考えたのかもしれない。聖ミカエル祭に向けて良い食材を買う代金に組み込もうと思っていたのかもしれない。
「ヴラドさん……とりあえず貴方を一発殴らせてください。今回は全て、貴方が画策しなければここまで面倒なことにはならなかったのですから!!」
「気付くのが遅い。俺は一応ヒントは与えていたはずだ。昨日だってそうだ。私立探偵だったらあそこで確実に気づくほどの、わかりやすい手掛かりをな」
骨の鳴る音を響かせるユーナに対し、ヴラドは呆れたように告げる。昨日と言えば家賃を支払うために双子と一緒に行動していた日だ。
少しだけ考えた後に、間抜けな声を出すユーナ。特に気に留めていなかったが、ガウェインガーデンに立ち寄った際に魔道具であるねこもりちゃんという傘が敵意に反応して鳴いたのだ。
あの時はユーナに恨みかなにかを持つ者がたまたま近くに位置し、そのまま逃げ去ったのだろうと思っていた。なにせ先に解決するべき事柄が他にあったので、気にかけることがなかった。
「まさか……わたくしにわざと敵意を向けた? というか!? 昨日からガウェインガーデンに!?」
「当たり前だろう。祭り前までに俺の策を気付くか半々だったが……もしも理解した際の対抗策としてな。この場所ではお前ですら暴れるのは難しいだろう?」
ガウェインガーデン。ロンダニアの街で一番の市場。常に人が買い物をしているような場所で、今はフーマオが聖ミカエル祭に向けて出張店を出している。
フーマオは店の近くでユーナが暴れることを必ず諫める。止めるならば全力で攻撃する。さすがのユーナも仲間であるフーマオに対しては強く出られない。
そして店が密集し合うこの場所では、お馴染みの『
ユーナの戦闘は基本が大雑把なのである。とりあえず破壊力重視。それはもう周囲を大きく巻き込む魔法を出すので、街の被害は尋常ではない。
しかし誰かの注意には一応耳を貸す程度の理性は残っている。特に仲間の言葉にはしっかりと足を止めることが多い。一番効果的なのはコージの言葉である。
今回はあらかじめフーマオが先に注意を促していた。今も暴れ出しそうなユーナに対して油断なく見据えている。ガウェインガーデンで商売する者達と一緒に木製の槌を手にする。
「ユーナのお嬢。こちとら大事な商売が明日に控えてるんです。これ以上の狼藉は商人一同、黙っているわけにはいかないのです」
「むぐぅっ……」
フーマオが手にしている木槌を目の前に、ユーナは悔しそうに唸る。明日の聖ミカエル祭用に準備した特製の木槌。
もしもそれを本来の機能を用いた場合、ユーナは赤っ恥をかくことになる。ユーナは歯軋りをしそうな勢いで口を一文字に引き結ぶ。
「そしてヴラドの旦那!! 貴方もですよ!? 明日までに犯人を捕らえる話はどこにいったんですか!?」
「残念ながら契約でな。鵞鳥男の件は、全て、目の前にいる人助けギルド【流星の旗】に一任している」
どう見ても残念そうではない顔で一枚の紙をフーマオに差し出すヴラド。まさかここでその契約書が出てくるとは思わず、ユーナがアルトへと目配せする。
フーマオは紙を眺めていき、目線を下へと滑らせていくごとに肩の震えを大きくしていく。少しでもばれないように抜き足差し足とユーナとアルトはナギサを連れて離脱しようと背を向けた。
契約書に書かれている人助けギルド【流星の旗】には、フーマオが所属している。ヴラドに任せていたはずの話が、いつの間にか自分のギルドの話に変換している。いつもは細めている猫目を大きく見開き、フーマオは大声を出す。
「ユーナのお嬢ぅぉおおおおお!!!??? 貴方は一番契約事に手を出しちゃいけないくせにぃいいいいい!!」
「だから最初から事情を説明しないフーマオさんと、元凶のヴラドさんが悪いと言っているじゃないですか!? わたくしのせいじゃありません!!」
「俺様と天使ちゃんは無関係ということで、姫さんは尊い犠牲になってくれ!!」
「逃がすか、野蛮猿!! 貴方も同罪ですわ!! 貴方がフォンさんの針治療を望まなければ、少しはまともな契約ができたのに!!」
フーマオに腕を掴まれたユーナは片腕でナギサを抱えているアルトのジャケットを掴む。人間綱引きのような光景が繰り広げられる中、ヴラドはフーマオが握りしめている契約書を奪い返す。
契約は難しい。それは魔法を得意とするユーナは知っているのだが、人間相手の契約で必ず簡単なミスをするのもユーナなのである。逆に人間相手の契約が得意なのはアルトとフーマオであった。
普段だったらどちらかが契約を進めるのだが、今回は状況に流された故に堂々巡りする結果になったのである。それもヴラドの策略であることも、ようやくユーナは気付いた。
「あのー、とりあえず僕は
「承知している。これに関しては俺にも利益還元される話だからな。失敗するのは困る」
二人の会話にユーナは少しだけ逃げようとする足を止める。石畳の上を眺めれば、確かに広場の中央に置かれている魔道具らしき物から蜘蛛の糸のように配線が広がっている。
それを蒸気灯などの柱に伸びているのもあれば、建物に沿うように壁を走っているのも様々だ。拡声器のような発明品も設置されており、どうやら街中に音を響かせる目的が見て取れた。
聖ミカエル祭で新曲が披露されると聞いていた。それが原因で鵞鳥男という存在が現れたのも、
では何故ヴラドという男にも利益が出る話なのか。もっと単純な位置まで考えれば、どうしてヴラドは無視しても問題ない聖ミカエル祭について関わっているのか。
しかもどう計算しても回りくどい策を仕掛けて、生きたまま鵞鳥男を捕まえようと行動している。その真意を掴めずに、ただ怒りに身を任せていたユーナが一瞬で冷静になる。
鵞鳥男はヴラドにとって有益か。否。生存状態のまま捕獲する利点はあるのか。否。では誰が鵞鳥男を捕らえて確保すると得をするのか。まだ一つ、判明していない事柄がある。
「……ユースティア・ヴィレッジ」
今回の聖ミカエル祭で新曲披露する有名な音楽家。もしも鵞鳥男が自分の曲を選考してもらえなかったと嘆くなら、誰が一番先に犠牲になるか。
そんなのはわかりきったことだ。自分を押しのけて選ばれた者だ。しかし鵞鳥男に襲われたのはかつてヴラドの配下であった者達ばかり。それはヴラドがそうなるように仕向けている。
では何故、鵞鳥男はそんな回りくどいことを。手にしていた『
答えは簡単だ。ユースティア・ヴィレッジを襲うには力が必要だったからだ。しかし有名とはいえ音楽家に脅威となる力はないはず。
つまりユースティア・ヴィレッジにはなにかしらの脅威が存在する。ヤシロやアドランスを倒すほどの力を手に入れた鵞鳥男が、なおも力をつけないと対抗できないような相手。
そんな相手は限られてくる。確かにその存在の話を耳にすれば、誰もが力を備えなくてはと警戒する。どれだけ準備しても足りないほどの、最強。
ユーナはヴラドに会いに行くため、アドランスと会話したのを思い出す。治安が悪いカストエンドにいること、そして手伝いを頼まれていたとも。
「まさか……著作権?」
本や音楽、目に見えない価値が付随する物。それらを制作した者に権利があることを証明するのを著作権である。遡ればクイーンズエイジ1710のキャン女王法が良い例だ。
ユーナが生きている時代で一番わかりやすいのは特許である。蒸気機関の発達により発明品が生まれ続ける中、その内部機構の仕組みを守るために開発者が申請することは日常茶飯事だ。
最高位魔導士であるマグナス・ウォーカーも多数の特許を所有している。申請手続きを行っているのは彼の秘書とも言えるサハラだが、おかげで彼の魔道具の売れ行きだけでなく特許利用による収益も多い。
しかし特許と違い、著作権は申請する必要はない。作品が成立した時点で、すでに権利は付与されているのだ。そして音楽や本であっても、その内容を無断使用することは権利侵害である。
論文を書く際に本の内容を引用する時は出典を示すように、身近な場所でも著作権は生きている。しかし音楽に関してはいまだ難しいところもあり、今まではあまり注目されていなかった。
だが蓄音機がカメリア合衆国で発明され、これから量産体制が整う時代になる。おそらく音楽を封じ込めたなにかしらの道具が販売され、家にいながら交響楽団の演奏が聴けるように変わっていく。
そんな時代が到来したならば、著作権を持っている者は利益を得ることができる。それこそ歴史に名を残すような音楽家の曲ならば、今からでも高値取り引きできるほどだ。
聖ミカエル祭で使用された楽曲。その楽譜。もしもそれを手に入れたとしても、著作権は音楽家にある。しかし音楽家がなにかしらの理由で著作権を渡す契約を書けば、権利は譲渡者の物だ。
ユーナはそこから一周して、どうして鵞鳥男がヤシロを襲うためにシティ・オブ・ロンダニアに現れたのかを考える。男はなにかを叫んでいたはずなのだ。そして謎の目撃者の女。
「ヴラドさん! 貴方はユースティア・ヴィレッジの依頼で鵞鳥男を確保しようとしている!? 依頼料は今回の聖ミカエル祭で使用される音楽の著作権ですわね!」
ようやく全部繋がった答えに対し、ヴラドは気付くのが遅いと溜め息を吐く。その反応だけで苛立つが、理解したユーナにとっては些細な問題だ。
おそらくユースティア・ヴィレッジはヴラドに保護されながら鵞鳥男を捕らえようと企んでいる。ヴラドの保護下では最高位魔導士でさえ簡単に手が出せない安全地帯だ。
だから鵞鳥男は『
ヴラドは依頼としてヤシロとデッドリーを使い、わざとそのチャンスを作った。ユースティア・ヴィレッジは目撃者の女として、名前すら出さなかった。
偶然外に出ているユースティア・ヴィレッジを見かけた鵞鳥男は彼女を追いかけたはずだ。だからこそガウェインガーデンから離れた金融街に姿を見せた。
そして彼女を襲おうとした。叫んだ内容は恨み言か、彼女の名前か。しかしヤシロが傍にいたならば、彼女を守るために庇って攻撃を受けたに違いない。
後は警官が来る気配で鵞鳥男は逃げただろう。もしくはユースティア・ヴィレッジは天秤の目玉で動きを止められない人間の可能性もある。
なんにせよ犠牲者はヤシロだけとなる。別にデッドリーは狙いではないのだから無視をしても構わない。こうしてユーナが知る目撃者の女と、もう一人目撃していたが認知されていない男ができあがる。
何故そんな策を仕掛けたか。簡単だ。仲間が襲われて黙っていない者がヤシロの近くにいるからだ。ある程度ヴラドを理解しながら、策略を上回ることできない若輩者が。
つまりはヤシロ襲撃はユーナを誘い出すヴラドの罠なのである。彼の目論見通りにユーナは動き出してしまい、今回のタダ働きに繋がる。
程よく実力があり、仲間や知り合いも多く、ヴラドが仕掛けた人間に情報を聞くであろう迂闊さ。なにより猪突猛進で、進路さえ決めてやればそのまま進む愚直さ。
私立探偵であるカナンの居場所を尋ねたのは、もしかしたらカナン介入による策略の看破を恐れていたのかもしれない。カナンならばヤシロ襲撃時点でおかしいことに気付けたはずなのだから。
しかしヴラドにとっては運が良く、ユーナにとっては悪い具合に彼はルランス王国にいる。だからヴラドの思うが侭に事は進んでしまった。
つまり鵞鳥男の真の狙いはユースティア・ヴィレッジと聖ミカエル祭の邪魔。ヴラドの目的はユースティアからの依頼達成による聖ミカエル祭で使われる新曲の著作権。
ユースティア・ヴィレッジの狙いは鵞鳥男の無力化と生きたままの確保。そして巻き込まれたのは聖ミカエル祭を開くガウェインガーデン。最後に利用しやすいと思われたユーナを含めた人助けギルド【流星の旗】なのであった。
「ちょ、ヴラドの旦那ずるいですよ!? そんな先まで見込んで、儲けようだなんて!?」
「お前達商人は明日稼ぐから問題ないだろう。こちらは蓄音機がもう少し発達するまでは儲けがないからな」
「もしかして妙に今回協力的なのって……ヴラド氏、僕に蓄音機開発の助力するように促そうとしてる?」
「そろそろ家庭用の蓄音機は必要だろう。サハラあたりは喜んで飛びつきそうな話題だからな」
商人達が新しい商売の気配に騒ぎを大きくしていく。特に最高位魔導士の中でも赤銅盤の発明家の作品となれば、それこそ新聞の一面を飾るに違いない。
仕入れ、販売価格、客層、楽譜の利用期限の再確認、特許、販売資格、悩むことはたくさんある。少しでも早く情報を仕入れたいと思うのは当たり前だ。
しかし肝心の話題から流れが逸れていく光景に、ヴラドの狙いを指摘したユーナが置いてけぼりを味わってしまう。ただでさえ利用されているのに、あまつさえ無視されているようなものだ。
「とにかく!! ヴラドさん、これでは鵞鳥男さんが被害者みたいじゃないですか!?」
「なにを言っているんだ? 犠牲者を出したのも、増やしているのも、全てはあの男の小さな逆恨みからだ。実害を広げているのは鵞鳥男だけだ」
「ヤシロさんは!?」
「ちゃんと適正価格で雇っている。契約書もある。問題ない」
冷静に切り返されてユーナは言葉を失くす。確かにヴラドの言う通りなのだ。実質的な被害を出しているのは鵞鳥男。そこに間違いはない。
納得できない。だが契約、フーマオからの注意、人が集まるガウェインガーデン、あらゆる観点がユーナの行動を制限していく。
若干鵞鳥男が哀れになってきたユーナにとって、裏で散々仕掛けを施したヴラドの方が悪の親玉に見える。実際に黒魔導士のボスのような面もあるので、否定する者はいない。
「……姫さん、黄金ばあさんが帰ってきたらこの件を教えればいいじゃねぇか」
「そんな陰口みたいな陰湿な手口は嫌いなのです!!」
「って言われてもなぁ……これ以上、あの傭兵おっさんを追い込む手段はないぜ? 俺様達ができるのは、鵞鳥男を捕まえて楽になるだけってことだ」
「楽ってなんですか? 野蛮猿、ここまで虚仮にされてむざむざ引き下がれと? わたくし達、利用しやすいと舐められていますのよ?」
目が据わったユーナの冷たい表情に、アルトは思わず一歩下がる。いまだアルトの小脇に抱えられているナギサも、少しだけ怯えた表情を作る。
笑顔が怖いのはいつもだが、真剣な顔で恐ろしいのは少ないユーナ。冷静なまま怒っている。それは火傷するほど冷たい氷のように、触れることすら危うい。
もしもユーナだけが利用しやすいと思われていたのならば、どうにでもなる。しかし今回は人助けギルド【流星の旗】を含め、ヤシロやアドランスなども多くの被害が出ている。
「お、落ち着けよ、姫さん! だからってこればっかりは暴れても解決しない問題だろ!? 猫にーちゃんが苦労して準備したことも、明日の祭りを女神さんが楽しみにしているのも!?」
「忘れてません!! だからこんなに悩んでるし、苦しいんじゃないですか!! なんとか……ヴラドさんを殴る正当な理由、思う存分暴走できる場所を……」
「理由と場所って……いや、あるかもしれねぇ。姫さん、祭りの騒ぎを利用すれば……儲ける手段として、あの橋が使えるぜ!!」
アルトの言葉に目を丸くするユーナの背後から、明るい声が響く。振り向けばチドリが多くの布を抱え、ハトリが嬉しそうに手を振っていた。
「ユーナちゃん、アルトくんにナギサちゃんもん! アタシ達、今夜からこっちでフーマオさんに頼まれた衣装を作るため泊まり込むのよん! あ、借家はちゃんとチドリちゃんが戸締まりしたからねん!」
「あちこちが騒がしくてな。ロンダニア橋だけじゃなくエーテルロー橋まで混雑している。お前達も今日はフーマオさんの店で寝泊まりしたらどうだろうか?」
「色男に女神さん! いいタイミング!! 忙しいところ悪いけどよ、こんな衣装を作れねぇかな……」
チドリとハトリに小声で耳打ちするアルトに対し、降ろされたナギサとユーナは目を見合わせて小首を傾げる。アルトの企みなど、半分はろくでもないからだ。
しかし耳を傾けていたハトリは少しずつ目を輝かせ、チドリは少し渋い表情を見せたが反対することはない。双子の反応に満足したアルトは、ユーナへと振り返って意地悪な笑みを浮かべる。
自信に溢れた笑み。アルトらしい笑みであり、時には頼もしく見える物だ。しかし内容が把握できないユーナとナギサは頭の上に疑問符を浮かべるしかできない。
「作るのは構わないが、お前も手伝えよ。ヤシロがいない分、真剣にな」
「わかってるって! ま、いい男代表の俺様にまかせとけって! そんじゃあ俺様は下準備として男前や富豪おばさんに電報を送ってくるぜ」
嬉しそうに、半ばスキップしながらガウェインガーデンから離れていくアルト。追いかけようとしたユーナの両肩にハトリが優しく手を置く。
「それじゃあユーナちゃんはこっちよん! なにがあったかは知らないけど、アタシはユーナちゃんが大活躍してくれるならなんでも協力するわよん!!」
「ちょ、チドリさん!? 野蛮猿は一体なにを企んで……は、ハトリさん、あまり押されては……」
「……まあ、あの男にしてはまともな企みだと思う。今回は素直に従っておいた方が良さそうだ。ナギサも明日用の衣装、改めて採寸し直すぞ」
「あ、あわわわ! はい! ヤシロさんがいない分、頑張ります! それにお姉さま大活躍ならば、僕も明日が楽しみになってきました!」
少しずつ晴れていく空の下で、その明るさと同調するように騒がしくなっていくガウェインガーデン。夕焼けを通り過ぎて星空が輝く頃にも、翌日の準備のために賑やかなほどだ。
立ち込める霧さえも人の動きによって払われていく。マグナス・ウォーカーも街中に配置された魔道具について制作ギルド【唐獅子】のメンバーと一緒に、馬車と拡声器の仕組みを利用して一方的とはいえ通信をしていく。
ヴラドは途中から姿を消したユーナ達に気付きながらも、その行動を追求しようとは思わなかった。鵞鳥男を生きたまま捕まえて、聖ミカエル祭さえ成功すれば良いのだから。
後に攻撃を仕掛けようが、報復に出ようが、泣き寝入りしようが、ヴラドには関係ないことである。だがあそこまで悔しがっていたユーナが大人しく引き下がるとは思えない。
どんな手を打ってこようが、ヴラドには負ける根拠がない。それだけ黒魔導士の中でも最強、傭兵全体でも最凶、人間として最悪とただ言われてきたわけではない。今までも、これからもだ。
冷たい風がロンダニアの街を吹き抜ける。
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