EPⅡ×ⅩⅡ【夜の火薬祭《fireworks×night》】

「少し昔の話を始めよう。私にとっては昨日のことのようだが、君達からすれば二百年も前の出来事だ」


 ライムシア劇場では夜の開演を控えながらも、大不評だった劇の主人公不在を埋め合わせする段取りが行われていた。

 魔女の吸血鬼設定自体は人気があったらしいという理由から、次の劇は恐ろしい吸血鬼の物語を演じるのだ。その打ち合わせをシェーナは鈍い思考のまま眺めていた。


 美しい薔薇園に囲まれた館に住む純朴な少女。彼女は幼い頃に枕元で不気味な女性に噛まれた夢を見た。そして年頃となる十六歳の冬、夢の女性とそっくりな旅人が目の前に現れる。

 少女は旅人に心惹かれながらも違和感と恐怖を覚えていく。太陽を嫌い、薔薇の蜜を好み、夜しか動けない旅人の様子に、少女の周囲は少しずつ騒がしくなっていく。

 そして始まる吸血鬼狩り。赤い透明紙セロファンを多用して、真っ赤な血と炎を表現していく舞台は圧巻の一言だ。照明係のムルムも意気揚々と走り回っている。


 薔薇や豪華な家具を用意する道具係のドンタコスを含め、多くの人間が動き回っている。なにより劇の顔と言うべき吸血鬼役に劇団ギルド【一角獣ユニコーン】の天才子役、ミレット・ヴェルガーノが務めるのだ。

 劇の成功は約束されたようなものだと演出家と脚本家は大笑いしているが、黒い舞台衣装ドレスを着たミレットの機嫌は最悪である。原因は物語の主役というべき少女だ。

 純朴で明るい良家のお嬢様。しかして芯は強く、心優しい。そんな役割を演じるべき者が、いきなりの大抜擢に片手扇の如く舞台に関わる者全てを顎で使っているのだ。


 ミレット・ヴェルガーノの好敵手ライバルとなりえる子役、劇団ギルド【白鯨】のメンバーでもあるシエル・カリミアはミレットを見ては鼻で笑う。

 二人が共演する際、必ずと言っていいほどミレットが主役を奪ってきた。それは実力と名声の差であるのだが、シエルにとっては我慢できない事実であった。

 それが今回はミレットが悪役であり、シエルは最も観客の心に同調する悲劇の主人公ヒロインなのだ。大声で笑いたいのを堪えているが、にやつく口元は抑えられない。


 美しい金髪に青い目。白磁器のような滑らかで美麗な肌。どんな色の衣装も着こなせるであろう容姿。しかしミレットからすれば笑顔が汚い少女だ。

 心から素直に笑ったことがないような、どこか裏を感じる笑顔が鼻につく。舞台に立てば鮮明に浮き出る素顔に、役者が向いているとは思えないとミレットは考えている。

 しかしシエルの両親は劇団ギルド【白鯨】のリーダーと補佐であり、幼少期から役者として訓練された実績は嘘を吐かない。確かな血筋と実力はある、だが一歩足りない。


 ライムシア劇場の主任はシエルに道具部屋にお供え物を置いてくれと頼むが、遠回しながらもはっきりとシエルは断る。神頼みはしない、そういう理由だ。

 少し困った笑顔を浮かべた主任は近くにいたシェーナに、上質な牛乳が入った皿と堅パンバノックを乗せたお盆プレートを渡す。シェーナは黙々と頷き、力のない足取りで道具部屋へと向かう。

 ミレットも追いかけようとしたが、劇の流れを確認する時間と言われて足を止める。本当はシェーナに聞きたいことがあったのだが、急がなくてもいいと判断して小さな少女の背中を見送る。


 熱いほど明るい舞台照明。シェーナがそれを初めて浴びたのは二年前。ほんの一瞬、それだけで輝けたように思えた。しかし今はどれだけ高温の光が体を照らしても、気分が晴れそうにない。

 顔も覚えていない吸血鬼が傍にいて、それのせいで死にかけた。名前も声も思い出せない。しかし存在感だけが残り香のように、シェーナに強く付き纏う。

 照明係のムルム、道具係のドンタコス、そしてミレット。その他多くの人間に尋ねられるのだ。今日はエリック・オペラと一緒ではないのか、と。


 何度聞いても慣れない名前に、シェーナは苦笑して誤魔化すしか術はなかった。カナン曰く、魔術を使っていない相手は覚えているかもしれない、という仮説は当たっていた。

 シェーナの横にいた少年、エリック・オペラ。幼馴染みとして少女の生活に溶け込み、そして消え去った。両親に聞いても、近所の子供に尋ねても、彼らは知らないと言う。

 しかし嫌になるくらい劇場関係者は覚えていた。おそらくシェーナが魔術を使われているとも気づかず、彼らに幼馴染みの少年と紹介したからだろう。


 暗い道具部屋の片隅にお供え物を置き、その後すぐに膝を抱えて蹲る。応援してくれていると思っていた薔薇の人さえ、横にいた『化け物モンストルム』の仕業だった。

 もしも出会うことがあるならば自分の精一杯を使ってお礼を言いたかったのに、行方すらわからない。なにも覚えていない。大切にしていたはずの押し花の栞すら何処かへ消えてしまっている。

 ただ不思議な手紙は残っている。吸血鬼は乙女へ不幸を呼ぶ。その内容通りだったと、シェーナは自嘲する。本当はこんなこと考えたくないのに、自衛のために誰かへと責任を擦り付けたい。


 十一月四日。カナンが安全と告げた日は今日までだ。明日にはロンダニアの街全てが燃えているかもしれない。世界が終わるようなものだと、シェーナは小さく溜め息をついた。

 結局憧れの舞台、その真ん中で歌うこともできなかった幕引き。小さな人生だったのだろう。シエルやミレットを見ていればわかる。シェーナには、自分には才能がないという真実が。

 ミレットのように生き生きと舞台上を駆けまわることはできない、シエルのように綺麗な逢語を発音するのも難しい。困難だけが積み重なって、ちっぽけな自分を押し潰す。


 どうしてこの道を選んだのか。それすらも思い出せないまま、シェーナは小さくすすり泣く。本当は自分が嫌いなのに、吸血鬼のせいにして楽になろうと足掻く自分が嫌で仕方がない。

 泣けば問題が解決するわけではない。助かるわけでもない。才能を授かるわけでもない。止まらない涙が零れていくのを感じながら、耳に届く舞台の声に顔を上げる。


「あの人は吸血鬼、それでも私はあの人を友と呼ぶわ。たとえ世界全てが敵だとしても」


 綺麗な逢語は鼓膜を震わせる。しかし心臓までは届かない。どこか上滑りするような、満たされない感覚を味わう。

 拍手が沸き起こっている気配が道具部屋まで響き、やはり才能があるということなのだろうと、諦念が胸の奥にわだかまる。

 シェーナは真似しようと同じ台詞を呟こうとしたが、喉の奥が震えて言葉を詰まらせてしまう。声が出ないわけではない、言葉が声にならないのだ。


 口元を押さえてシェーナは掴みかけた感覚を探ろうと躍起になる。しかし部屋の片隅から物音がして、急に怖くなって部屋から飛び出る。

 そういえば道具部屋に住んでいた茶色の小人ブラウニーは消えてしまったのだと思い出す。誰も存在しないはずなのに、どうして音と気配が現れたのだろう。

 誰かそこにいるのだろうか。そう思いながらも確認する勇気が出てこないまま、シェーナは見知らぬ気配に思いを馳せながら走った。





 十一月五日。普通の車椅子に座ったカナンが膝に毛布を掛けて下半身を誤魔化す。結局右足の台座部分は完治せず、木の義足を付けることができたのは左足だけである。

 昼は既に通り過ぎており、冬に近付く秋の気候では陽が落ちるのは早い。少しずつ霧を濃く広げていき、沈む太陽を隠してしまう。じきにロンダニアの街は薄暗い夜闇に包まれてしまうだろう。

 原稿を書き終えたバロックは生欠伸を噛み締めながら、ルトランド通りからマストチェスター宮殿に続く方角へ進むカナンを見送るために一階まで降りていた。


「ほんじゃあ僕はいくわ。ユーナんのこと、よろしく頼むわ」

「はいはい。しっかり街を守ってくれたまえ。じゃないと新聞が発行できず、吾輩の執筆時間と原稿代が無価値になる」


 見送りに来たにしては手厳しい言葉に、カナンは苦笑しながらも頷いてから車椅子を動かし始める。ゆっくりと遠くなっていく背中が人の波に消えるまで、バロックはその場から動かなかった。

 すると珈琲店から濃い色の遮光眼鏡サングラスを付けた中年男性が顔を覗かせる。鼻下の整えられた髭と、オールバックの髪型が特徴的な男性だ。今も黒のウェイター服を好んで着ている。


「あれ? カナンくんだけで大丈夫かい? 彼は寂しがりな上に、実質的な戦闘能力は皆無だろうに」

「知らないね。頭の中では無謀と無茶だと理解しながら、命を捨てに行くことを浪漫と語る馬鹿に付き合う義理は吾輩にとって無益な話だ」

「ははーん、拗ねてるねバロック先生。あ、そんなのより私とカグヤさんをいつか作品内に出す約束、ちゃんと叶えてね」

「わかっているよ、マツオ。店名のシルクロードも入れて、主人公の憩いの場にでもしてやるよ」


 珈琲店オーナーのマツオに適当な返事を言いながら、バロックは上の階へと戻る。今となってはバロック以外にはあと一人しかいない二階に。

 いまだにベットの上ではユーナが紫色の髪を白いシーツに広げながら眠り続けている。いつ目覚めるかは誰も知らず、冗談で口付けしようものならば杖刀の制裁が待っている。

 時が止まったように動かないユーナだが、その右手はなにかを握りしめたまま開かない。ジュオンやコージが確かめようと試みたが、力負けしてしまった。


 ベットの横に椅子を置き、懐に入れていた紙巻き煙草シガレットを取り出して火を点ける。水煙管ギセルは場所を取るため、バロックはあまり好まない。

 基本としては病人の傍で無断に煙を吸い込むのは作法マナー違反だが、もしかしたら怒って起きるのかもしれないと期待している面もあった。

 それだけユーナの強さは頼りになる。世界で七人しかいない最高位魔導士、その中でも脅威的なほどの魔力を保有する少女。美学に任せて暴走するのは欠点ではあるが。


 紫煙を揺らめかせながらバロックは深々と息を吐く。水煙管ならば有毒成分を薄める効果があると言われているが、今の気分では効果などどうでも良かった。

 カナンには水煙管の方が一分間に吸引する煙だけならば紙巻き煙草よりも多量で、とある被験者の体内を解剖したら一酸化炭素も前者が多いからお勧めしないと苦い笑顔をされたことも。

 一体どこからそんな知識を取り入れてくるのか。バロックにとってカナンは知識の宝箱であり、貴重な物語のモデルである。だから一緒にいたいと思うが、深く関わるのはあまり好まない。


 バロックの艶やかな黒髪、褐色の肌、色のある気だるげな雰囲気、その全てを見てもカナンは動揺しない。むしろこざっぱりとした態度で、一人は寂しいから助手になってくれと言うだけだ。

 多くの男を惑わせてしまった外見であることを自覚しているバロックにとって、稀有な例だった。しかも類は友を呼ぶらしく、彼の周囲はそんな人間ばかりである。

 顔を思い浮かべようとしても、先程の遠ざかっていく背中ばかりが目に焼き付いている。一向に気分が良くならず、近くにあった灰皿に紙巻き煙草を押し付けて火を消す。


「……ああ、くそっ! 早く目覚めてくれよ魔導士ユーナ。君がいないと、カナンは……吾輩の小説が成り立たない。それはきっと……面白くない話だ」


 苛立ち紛れに独り言を呟き、バロックは自室で睡眠不足を補おうと歩き出す。辛うじて起きた衣擦れの音さえ、荒々しい足音で消えてしまう。

 杖刀が瞬発的に反応してベットの周囲を跳び回る。しかし部屋の中に気付く者はおらず、少女の瞼がわずかに動いたことを知る者はいなかった。





 レオファルガー広場の前にカナンが辿り着く頃、空は既に夕焼けに染まっていた。マストチェスター宮殿に近い場所であり、かつては宮殿の厩でもあった広場。

 今も多くの人間が交差する地点であり、王立裁判所と宮殿の中間地点と言ってもいい。そういえば王立裁判所属弁護士殺しの事件を解決したのもこの近くだったかと、カナンは少しだけ笑いたい衝動に駆られる。

 様々な場所を巡っているようで、実はそれほど距離が離れていないのだ。制作ギルド【唐獅子】が工房とする時計塔クロックワークユニバースもマストチェスター宮殿に付属する建物だ。


 崩落したロンダニア橋は王立裁判所の向こう側にあり、警察たちが交通整理を続けているせいで人の波は常時よりも荒々しい。馬車の混雑も酷い状態だ。

 しかし慌ただしいのはそれだけではない。各地で消火栓を始めとした水道関係の器具が破壊されているのだ。充分な水の補給ができないことにより、一時的な買い溜め現象が起きている。

 消防馬車も多く駆り出されているせいで混雑はさらに二倍。ロンダニア橋崩落の件と重なって道は人で埋め尽くされているようなものだ。白黒模様の犬、ダルメシアンも主人である消防職員の顔を見上げて困っている様子だ。


 優秀な犬として消防馬車の先導や護衛を担うが故に、人の足で壁ができたことにより前へ進めないのは辛い状況だろう。カナンはあらゆる状況をその目で確かめる。

 街中を燃やしたいと願うならば、人を消したいと祈るならば、逃げ場を奪うのが一番効率が良い。ダムズ川で街を区切られるロンダニアにおいて、交通の要であるロンダニア橋を落としたのは偶然ではない。

 そしてロンダニアには他にも多くの橋がある。島国であるが故に船も多数行き交っているが、国民全てが逃げ切れる数と時間は確保できない。ならば橋を全て落とせば大勢の人間は混乱し、足を止める。


 次に停泊してある船、商船でも貨物船でも客船でも区別なく。全ての船を沈める。ユーナの魔法で出した水蛇の体内を泳ぐ『化け物モンストルム』がいることから、海や川が逃げ場になるとは思えない。

 試験段階の上空を飛ぶ飛行船を使うのも手だろうが、速度がない。ジャック・オ・ランタンの炎で撃墜させるなど容易い。だからこそジャック・オ・ランタンが最も恐れるのは『人間に味方する化け物モンストルム』だ。

 だから劇場に住んでいた茶色の小人ブラウニーを始末した。彼の元には人間の味方である巨人の優秀な家畜ジミー・スクウェアフットがいたからだ。彼が泳ぐだけで、多くの人間が海外に逃げることができる。


 他にも酒好き妖精クルーラホーン悪戯好きな妖精スプリガンも人間の味方になろうとしていた。小さいとはいえ、不安の種は潰しておきたかったのだと推察できる。

 それだけ『化け物モンストルム』は『化け物モンストルム』を警戒するのだ。同じ存在だからこそ、その実力と気持ちを理解することができる。お互いに恐ろしいと認識する。


 しかし重要ではない。正確性を求めるならば、ジャック・オ・ランタンの計画において必要ではないのだ。茶色の小人ブラウニーも、吸血鬼エリックも、全て。


 カナンは美術館ナチュラルギャラリーの屋根を見上げる。黒の襤褸切れを水で濡らし、欠けた南瓜頭もそのままに『化け物モンストルム』を引き連れた案山子のような男。

 だが『化け物モンストルム』の数はロンダニア橋に現れた数を思い出せば、それよりも少ない。むしろ激減したと言ってもいいほどだ。カナンは予想通りだと一回頷く。


「今宵は楽しい火の祭り……お前達人間が燃える記念日だ。ようこそ愉快で恐ろしく昏く明るい夜の火薬祭ボンファイアー・ナイトに!!」


 祭りの開始を告げるように両手を広げるジャック・オ・ランタンの声に通行人の多くが気を取られた。同時に各地で大きな破壊音と煙が上がる。

 一瞬にして藍色に染まり始めた空に絶叫が響き渡る。あらゆる音が建物だけでなく大地も揺らし、暴動のような混乱が発生する。カナンも逃げる人に何度か車椅子を蹴られるほどだ。

 それでもカナンの笑みは崩れない。予想通り過ぎて、少し肩透かしを食らっているほどだ。両腕を広げたままジャックは南瓜頭を傾け、煙が上がった方へ目を向ける。


「……何故だ? 何故煙しか上がらない!?」


 火の気配ではなく霧を侵食する豪快な煙幕に動揺する。十一月五日は火の祭り、ある男を模した人形を燃やす記念日であるはずなのに。


「君の狙いは明確やけど、数が多すぎるんや。あんま人間をなめたらあかんよ?」


 分散された『化け物モンストルム』は指定された場所で驚くべき光景を目の当たりにしていた。人、人、人。多くの人間が『化け物モンストルム』の行く手を塞いでいる。

 警官隊、消防職員、有志のギルドメンバー、管理ギルド【魔導士管理協会】に傭兵ギルド【剣の墓場】から、港の商人に護衛、果ては浮浪者まで。三百万という数が集まるロンダニアの街において、十分の一が動いている。

 ロンダニア塔で待ち構えていたドバイカム・グレープは制作ギルド【唐獅子】から借り受けた拡声器でもって街中に声を伝達させた。


『栄光あるコチカネット警察ヤードより、街を破壊せんとする『モンストルム』へ伝える!! 我らが全力を投じ、街の平和は死守させていただく!!』


 大きな音に驚いて黒い鴉が翼を広げて飛び立つ。甲高い鳴き声が合図のように、人間達は一斉に動き出す。銃が、剣が、あらゆる武器が『化け物モンストルム』に向けられる。

 とある地点においては既に剣の墓標が作られるが如く、道を埋める黒鉄の剣が『化け物モンストルム』の多くを光に変えていた。体が残った『化け物モンストルム』はそのままに、圧倒的な蹂躙が行われていた。

 中位以上の魔導士は貴重な機会だと、滅多に出会うことがない『化け物モンストルム』を間近で見ようと喜んで参加している。異様な状況が、街の攻守を覆す。


「主要な場所はちゃーんと僕の繋がりパイプを利用して守備を固めているん。ま、ちょこっと状況利用もさせてん」

「どういう、ことだ?」

「新聞広告って便利やん? 特にここ数日はロンダニア橋崩落と復旧情報を求めて売り上げ数倍。つまり……読者も倍近く跳ね上がっているん」


 弁護士殺害事件の時にも売り上げは伸びたが、今回の騒動はその比ではない。誰もが真実を求め、道端に落ちている新聞さえ浮浪者が手に取るほどだ。

 たとえ文字が読めない者でも図版でわかるように。カナンは絵による目の惹きつけと視覚情報を利用した告知散布を行った。十一月五日、火を使う祭りにおいて怪しい者が来ると。

 半信半疑だった者も先程のドバイカムの拡声器による発言で確信に変わる。目の前で暴れようとする『化け物モンストルム』は住み処を奪う敵だということを。


 カナンはこの告知を十月三十一日の時点で新聞各社に依頼していた。上等なロンダニアデイズからタイムリーメイル、デイリーヘルグラフなどを利用している。

 特に船を扱う貿易商や港の船員には警察からの告知と、そこに縁が深い人助けギルド【流星の旗】メンバーであるフーマオに電報を送っている。電話普及率が低いことに嘆きつつ、少しでも速い伝達を。

 また歴史的価値や芸術性が高い美術館や博物館にも、同じく人助けギルド【流星の旗】メンバーであるロゼッタに十月三十一日の時点で連絡するように頼んでいたが、こちらはあまり周知が広がっていない。マイペースなロゼッタの性格はカナンも把握しているので、言及しない。


「あ、多分ライムシア劇場にはワーウルフんを向かわせてるという推理の下、相性良さそうなアルトんとシェーナん守るためのチドリんとハトリんもおるから安心してええよ」

「……」

「ちなみに借家ギルドホームはヤシロんとナギサんがおるん。僕の事務所も一階にいる店主マスターの奥さんが意味不明なくらい強いんで、大丈夫やろ」

「……よく回る口だ。それでお前の命は誰が守る? ここで死にたいと言うならば、望み通り皮膚の水分を少しずつ蒸発させる弱火で燃やしてやろう」


 ジャック・オ・ランタンは青い炎を宿らせる石炭が入った吊り下げ灯カンテラを右手に、カナンの眼前に降り立つ。機械仕掛けの車椅子ギミックチェア蒸気機関義足スチームレッグもない、頭脳だけの青年。

 しかしカナンの笑みは整ったままだ。焦りも見せない。ただ目の輝きだけが獲物を発見した鷹のように爛々と輝いている。


「じゃあ僕の推理聞いていかへん? きっと驚くと思うん」

「はっ、最期の言葉がそれでいいなら構わん。存分に語って、燃えてくれ給え」


 吊り下げ灯の石炭が炎を一段と濃い色に変えた。近くにあるだけで火傷しそうな熱に動じることなく、カナンはいつも通りに語り始める。





「君はグイ・バッカスの友人だった。そして君は元人間で、人間を救う大嘘つきだった。聖職者すらも騙して、人を救済する……だから天国も地獄も逝けないんとちゃう?」





 ジャック・オ・ランタンが動きを止める。レオファルガー広場から人の姿が消えていることを確認し、ジャックはカナンの次の言葉を待つ。


「ユーナんに『この世の不可思議モンストルム』と赤帽子のおばあちゃんの正体を聞いてから、そんな気はしてたん。で、ロゼッタんが趣味で集めている文献を探ってみたん」


 大逢博物館の書物管理数を鑑みると、世界有数の大型図書館と呼んでも差し支えない。その所蔵に一枚噛んでいるのが、ロゼッタという職員である。

 一日で全て閲覧するのが不可能と言われているが故に、職員の利点を使って年中無休で本を読むことを選んだ彼女は、時折外に出ては貴重文献を大量に持ち帰る。

 多くはあまり役に立たない内容なのだが、使用された紙やインクの種類から発禁を政府から言い渡された薬草で制作された栞などが挟んでいる場合もあり、研究員は渋々彼女の自由さを許していた。


 絹を運ぶ道の果て、栄華を極めた大都市の向こう側、そして別大陸に挑んだ航海の終わり、あらゆる場所の本が揃う大逢博物館の内容を把握しているのもロゼッタである。

 カナンは今回の事件に関わる情報を彼女に伝え、四冊ほどの本を揃えてもらった。ロンダニア橋に向かう前の、最後の下調べの時間であった。


「で、まずはジャック……本名はウィリアムって言うんやろ? 狼が来るのを察知して、盗賊団の振りして村人を逃がしたこともある大嘘つきやん」


 とても薄汚れた本に残された大嘘つきの記録。寄付金を騙し取る聖職者に痺れ薬を飲ませ、毒だと嘘を吐いて大金を取り返した男がいた。

 奪った大金を使って水不足の村に井戸を作り、神様の井戸だから崇め奉るように嘘をはき続ける。素直にならず、嘘で誤魔化し続けて最後は処刑されている。

 男が死後にどんな嘘を吐いたかは知らないが、彼は『不死身の化け物モンストルム』になった。もしかしたら死んだという大嘘を吐いていたのかもしれないが。

 

 聖職者を騙した者は天国へ向かうことはない。しかし無数の人を無償で救った者が地獄に相応しいとは考えにくい。善良なる大嘘つきは悪魔から煉獄の石炭を灯りに、薄暗い現実を歩く。

 顔を隠すように南瓜を頭にし、朽ちていく体は少しずつ案山子の物に変えて、名前すらも原型すら残さずに。ただひたすらに死なないまま人間の横を通り過ぎていく存在へ。


「グイ・バッカスは調べやすかったん。溌溂とした発言をする好青年で、堂々とした振る舞い、友人に誠実で会話が楽しい……だけどロンダニア塔の拷問は酷かったらしいなぁ」


 カナンの最後の発言でジャックは細い腕を伸ばして、カナンの首を絞める寸前まで手を開く。音を立てて吊り下げ灯が石畳を転がる。


「……なんで、私のせいにしなかったかわかるか? あいつは『化け物モンストルム』の友にも誠実だったからだ!! どんな拷問に晒されようと、決して私の名を上げなかった!!」

「やっぱり。どうして集めるのが大変な火薬で事件を起こそうとしたかわかったん……君の入れ知恵やな。シェーナんを貶めようとした時のように、火の扱いを彼に教えたんやな」


 盗賊団の振りは容易かった。多くの篝火を集め、馬の頭に括り付けて走らせれば擬似的な集団を形成。痺れ薬の散布など、一人で食事する聖職者の部屋にある蝋燭の一つに細工すれば完成だ。

 彼は嘘をつく時は火を中心にした。降雨を望むならば黒い煙を空に飛ばせばいいことを知っている。上昇気流で雨が降りやすくなるからだ。だから誠実な友人にもこう教えた。

 王を交代させるほどの大きな事件を起こしたいならば、爆発も誘発できる火薬を使えばいい。戦場を経験した友人ならば、きっと成功すると酒を飲みながら盛り上がった二百年以上前の夜が昨日のことのようだ。


「あいつは……罰を受けた。処刑台から逃げようとして首が折れた……それだけでは飽き足らずに読み上げた罪状通りの処刑を執行しただろう!? なのにあいつは何故、今も、燃えている!?」


 ジャック・オ・ランタンは人混みの中で全てを見ていた。最後まで『化け物モンストルム』の友を閉口することで守り、字が震えるほどの拷問でもその名を口に出さなかった。

 たとえ全てを『大嘘つきな化け物モンストルム』に擦り付ければ楽にできると知りながらも、自分が計画したのだと白状した。何度も助けようと赴いたが、彼自身が助けの手を拒んだ。

 むしろジャックには逃げろと言う始末である。最高位魔導士が関われば、ジャックも死んでしまうと『不死身の化け物モンストルム』の身を案じる始末。


 グイ・バッカスが好きだった。ただしその他大勢の人間も好きだった。だからジャックは彼の末期を見届けることで、不滅なる友情の契りにした。

 そこで話が終わればジャックはロンダニアの街を燃やそうとは思わなかった。人々が彼が捕まった日を記念の祭りとして、彼を模した人形を毎年燃やすまでは。

 子供達が菓子を貰えるとはしゃぎながらグイ・バッカスを模倣した人形を火に投げ入れる。まるで報いと言わんばかりに、幾つも炎の中に投入しては笑う。今日はロンダニアが救われた日だと。


 ジャック・オ・ランタンの大事な友人は燃やされ続ける。十一月五日、赤い炎の中で歪な形の友人を燃やして笑う祭りの、なんと鮮やかに醜いことか。


「……燃えればいい。こんな街も、貴様も、全て!! これは我が憎悪だ!! 友を守れずに見届けるしかできなかった我が反逆!! 今日はお前達が燃える日なのだ!!」

「嫌や。僕にはバロックんが連載する小説を見るっちゅー、楽しみがあるん。しかし残念ながら僕にできるのは真実を明かすことだけ。探偵として、犯人に人差し指を突きつけるだけや」


 そう言ってカナンは左手の人差し指をジャックに向ける。真っ直ぐに伸びた指先に力など宿らないが、探偵の最大の武器となって相手を指し示す。


「アンタの恨みはわかったん。けどな……無関係の少女を泣かせた罪は重いんや!!」


 利き手である右手が膝を隠す毛布を剥がし、一瞬だけジャックの視界を遮る。すぐさま手で払ったジャックの眼前に、黒鋼の銃口。

 左手に添えた右手に握った銃を移動させ、ジャックに突きつけていた人差し指を引き金に触れて曲げる。額に汗を滲ませながら、カナンは瞼を閉じて弾丸を撃った。

 普通の銃ではありえないほどの音がロンダニアの街に響くが、各地で起きる戦いの音に消されてしまう。しかし一人の少女を目覚めさせるには充分な音だった。

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