スチーム×マギカ

文丸くじら

スチーム×ゴッデス(女神編・クイーンズエイジ1881の11月)

霧の深い街にて女神は踊る

EPⅠ×Ⅰ【紫魔導士《violet×magica》】

 きりけぶる街ロンダニア。

 アイリッシュ連合王国の首都であり、女王のひざもと

 蒸気機関の発展により、栄光をきわめた時代――クイーンズエイジ1881。

 

 ぼんやりかびがる街灯の明かりも、地下にめぐらされた蒸気機関の管からはいしゅつされる蒸気によるものだ。

 れんの街並みを照らすには、霧が深すぎる夜。

 遠くでは街のしょうちょうである時計台が規則正しく針を進めている。

 一秒もくるわないしょうろうは、静かに街のかたすみで起きているそうどうを見下ろしていた。


 少年は走っていた。

 あせか霧のせいか、くろかみれている。

 せわしなく緑色の目が霧の向こうを見通そうと必死に動いていた。

 着ている服は上等とは言えない。

 まだ下流に住む住民の方が上等なシャツを持っているほど、少年の格好は白い布切れをまとったに等しい。

 かれだしのままいしだたみりつけ、もがき苦しむように走る。

 整備された道でよかったと思うひまもなく、背後から追いかけてくる気配からのがれようと浅い息をしては吸う。

 しかしさそまれたかのように不気味な墓地へおどてしまう。

 それを予期していた黒い服の男たちが、黄色の布を片手にせまってきた。

 その布の使い方を知っている少年は青ざめる。

 墓地で死ぬとはしゃにもならないと思いつつ、前後から手をばす男達に対して大声を上げようとした。

 

 だが少年の声をすようなごうが墓地からひびわたった。

 げるのに必死で気付かなかったが、けんに近いそうおんも激しさを増している。


「このばんざるがぁああああああああ!!!! 尊いせいとなって散りなさい! ――ゆらゆらとゆらり」

「ちょ、姫さん!? そのほうは墓地でぶっ放すにはやりすぎっ」


 聞こえてきたのはりょくと法則を利用した――魔法。

 そして行使する際の法則例文――いわゆるじゅもんだが、独特なひびきとなって少年達の耳に届く。

 

 霧の向こう側から、ひびきに似た声が夜空にとどろく。

 白い霧をしんしょくするように黒いもやが地面をいまわり、だいに火花を散らしてほのおを燃え広げる。

 赤にかがやく火は蜥蜴とかげへと姿を変えた。細長い舌を伸ばして、墓地の中にいるものにらいついていく。

 熱気で霧が晴れた向こう側――そこは少年だけでなく黒服の男達も悲鳴を上げる光景だった。


 にくが動いていた。

 黄色や緑色にくさった肉が、人の形で不気味に脈動している。

 それが地面から現れてはおそいかかろうと、関節が折れ曲がった足や手を使って迫ってきた。

 火の蜥蜴達はそれらを食らい、はいした肉や灰も残さず燃やす。

 肉が焼けるにおいすら燃えてしまったらしく、幸いなことに少年の鼻には湿しめった空気しか届かない。


 しかし彼の目がうばわれたのはそこではない。

 屍肉など問題にならない。視界がせばまるほどの異形。

 この世界ではありえない存在が、目の前で黒い靄を吐き出し続けていた。


 黒鋼をきたげたように、にぶく輝くうろこ

 黄色くにごった宝石をはめんだが如く、らんらんと動くどうもうひとみ

 鉄の骨組みと皮で作り上げたと思えるうすつばさ


 それらよりもきょうたんあたいするのは天高く届きそうなきょだいあごだ。

 全てをんでくだくのではないか。きょうを思い起こさせるちゅうるいの口から、夜やみよりもい靄は出ている。

 白くとがった歯が鳴れば、火花がせんこうのように伝って走る。


 無限にてくる火の蜥蜴達――その主こそがだいさを思わせる『りゅう』なのだ。


「こんならいを受けるんじゃありませんでしたわ!」


 竜を魔法でけんげんさせたであろう女の声。

 その幼さに気付く前に、少年は屍が燃える光景にしょうげきを受ける。

 目の前の危機などにも構わず、常識外れをかかえきれずに気絶してしまった。




 とある室内。来客を想定した内装と家具、少し古びたソファにて。

 少女――むらさき魔導士ユーナはげんな顔で目の前の青年と少年を見ていた。

 

 青年に関して、かのじょはよく知っている。

 人助けギルド【流星の旗】のリーダーであり、ユーナにとって大事な仲間――コージである。

 

 ユーナはむらさきいろの瞳でコージから少年ヘと視線を向ける。

 少し大きめの白シャツを着ているのは、コージのおさがりだからだろう。

 しかし体格のいいコージの服は、ひんそうな少年には大きすぎたようだ。まくげたそでからのぞうですら細い。

 だが少年の腕は意図的にそこだけ鍛え上げたように、わずかに筋肉がついている。

 いろせたシャツとはいのため、ズボンは少年に新しく買ったのだろうと推測。

 コージの人脈としんらいならば仕立屋でも安く買えたはずだ。デザインは悪くない。


「警察のお仕事はいいのですか? 言っときますけど、わたくしは昨日の依頼で野蛮猿を再起不能までめず大変くやしい思いを味わっているところですわ」


 とげとげしい言い方をする少女に対し、

 

「私の仕事は市民の平和を守る警察機構とずれているようでな。どうりょう達から『これはお前のとこで解決しろ』としつけられた」


 青年はえない笑いをこぼす。珈琲コーヒーよりも苦い表情だ。

 笑いつつもかたを落としたコージに、彼女は少しだけ同情した。

 人望もある。性格もやさしい。けれど苦労をむというか、ちんに好かれやすいのが彼である。


 そんな二人を少年は注意深く見つめる。

 彼はゆうふくな者達が着こなす服装に注目していた。


「同僚は出世が早くてな。いやはや、頭が上がらない」


 まずはコージ。理由は単純で、彼がジタンの横にいるからだ。

 多少色褪せているが、こんいろのフロックコートはほどよいくたびれ方で味が出ている。

 シャツやズボンもフロックコートに合わせた色合いで、灰色のかみに似合う服だ。


「コージさんに出世欲がないだけでしょう? もったいないですわ」


 対面のユーナが着ているのは、女王が記念式典に顔を出した際に流行した色。真新しい白いワンピースコートだ。

 こし部分に黒いかわベルトを着け、けんというには長い武器を帯刀している。

 しゅくじょであればそのコートに合わせてロングスカートを穿く……のだが、彼女の場合は少しちがう。

 本人の意向から動きやすさを重視。あいいろの短いフリルスカートを、コートのすそからわずかに見えるように着こなしていた。

 そのため彼女の肉付きがよくない細長の足が、スカートから伸びていた。

 秋が深まってきたのもあり、あしではなく長いソックスもへいようしている。

 黒のブーツと合わさることで余計に細さを強調してしまい、貧相な足が目立っていた。


「始末書作成という実績が多いのもあってな……道は遠いさ」

「そ、それにしても今日は寒いですわねー」


 わざとらしい言い方で、自らのうでをさすって温めようとするユーナ。

 だが彼女が寒さでこごえ、ふるえることはない。それは彼女が寒さに強いという意味ではない。

 

 窓からながめても外は霧が深いロンダニア。だが蒸気機関の発達により、屋内で寒さに震える心配はない。

 今もギルドメンバーけんメイドのナギサがれた紅茶を一口飲んで、ユーナは一息ついたところだ。

 だん代わりに設置された蒸気機関だんぼう器で、室内の湿しつも温度も適度な状態で保たれている。

 たまにこわれてはみずびたしになるのはなんだが、えんとつのないギルドホームとしてはありがたい家具だ。


「話をもどそう。彼は昨夜、ユーナくん達が暴れていた墓地の横でたおれていたのを発見されてな。んだ責任を取れと上司が……」

「あ、あー……やっぱり野蛮猿が持ってきた依頼を受けるんじゃありませんでしたわ。れんてきに問題がむんですもの」


 深々といきくユーナは、痛む頭を押さえる。思い出すのもおっくうな様子だ。

 しかしコージはリーダーとして、

 

「死体がよみがえる墓地の調査だったな。魔導士としての見解はどうだった?」


 彼女に結果をたずねる。

 

「適切な処理をほどこしていない死体を法則に従い、『別世界レリック』にかんしょうするためのじんえがいていた――という報告書はできましたわ」


 ろうかくさないものの、ユーナはタイプライターで書いた報告書をコージにわたす。

 その間も少年は無言のまま、窓向こうに見える時計台を眺めていた。

 コージは理解しようと読み進めるが、三分の一で音を上げた。


 黄金の時代――クイーンズエイジの始まりは魔法の発見から起こったが、それを全てあくすることは難しい。

 白魔法を習得しているコージだが、ユーナが書いた内容は専門的な知識のれつから導き出される結果だ。

 しがない外勤主任の警部である彼にとって、知識のはんちゅう外だ。


 だが彼女はようしゃなく、


「人間の体、土地、海、空。全てに魔力が宿りますわ。それを一定の法則で整列させて『現象レリック』を引き寄せる。これが魔法――というのは何度説明したかしら?」


 とコージをえる。視線はするどく、半ばにらんでいる。

 降参状態の彼は、お手上げといった様子でレポートを返した。

 

「う、す、すまない……しかし死体に魔力はあるのか? 死んでしまえば全てのエネルギーは消えると思うのだが」


 レポートにミスがないかをかくにんしながら、ユーナは説明を追加する。

 

「魔力は物質に宿る。人間は常に魔力を生産しては消費していますが、死体になっても肉体に魔力が多く残っていますわ。新たに生まれないだけです。だからそれを利用したのが昨日の墓地事件ですわ」


 ほぼ一息で言われてしまったが、慣れているコージは深くうなずいた。

 

「それでロンダニアデイズの記事で問題になっているわけか。墓場はクロリック天主聖教会のかんかつ。だが死体に残った魔力の処理は管理ギルド【魔導士協会】だからな。相変わらず仲が悪い」


 彼はコートのポケットに入れていた新聞を取り出して、一面をかざる記事見せてくる。

 その有名な新聞はユーナも同じものを持っていた。


「魔法と宗教なんて昔からけんごしですもの。仕方ないですわ」


 しかしユーナが定期こうどくしゃなのは事件記事に関心があるわけではない。

 読書面でれんさいされている「ぼうけん活劇カロック・アームズ」の大ファンだからだ。

 彼女は日課として連載記事をていねいに切り取り、スクラップブックにしている。

 残った部分は湿しっ取りに利用され、いまさら記事に興味が向くはずがない。


 だが今まで静観していた少年がかれるようにコージから新聞を奪い、死亡記事を探すためにまなこで文字を追う。


「……そろそろ少年について教えてくれません? やっかいにおいを感じ取っているのか、ヤシロさんがこちらを睨んでいますもの」


 ユーナ達がいる二階の居間パーラーへとつながる階段を上ってきたえんふくの少年。

 彼の手には焼きたてスコーンがった皿。一階の食堂から持ってきたものだ。

 ギルドメンバーでしょうしつ――ヤシロの強い視線に、コージもあせをかく。

 

 そんな最中にメイドは小皿を手に持ち、小走りで階段を上ってきた。

 しかし段差で派手につまずき、飛んだ小皿をヤシロが受け止める。彼はメイドの体を支えるのもこなしてみせた。

 

 それでもあっぱくするまなしがユーナ達からはなれることはない。

 正確には少年の一挙一動をつぶさに観察していると言った方がいいだろう。

 少年は死亡記事をたんねんに眺め、こうかいに満ちた表情でうつむいた。


 心配そうに少年を見つめるコージは、


「それが私達がなにを聞いてもだんまりでな。名前だけはジタンと名乗ったが……着ていたのはシーツ一枚。身分を示す所持品はなかった」


 把握できている部分だけを語った。

 

「深夜にシーツ一枚で墓地の横で倒れてた少年ですか。そういう厄介事は野蛮猿――アルトさんにたのむと、こちらがあきれるくらいてっていてきに調べてくれるのですが」


 明らかにいやそうな表情をかべるユーナに対し、コージは部屋を見回す。

 だが少年をふくめた五人以外にひとかげはない。

 いつもより借家の人口密度が低いことに、彼はようやく気付いた。

 

「そういえばアルトはどこだ? ハトリくんやチドリもいないようだが、買い物か?」


 借家にたいざいしているギルドメンバーの名前を出すコージ。

 ユーナはそれぞれの用事を思い出していく。

 

「アルトさんは『昨日の墓地で気になるものを見た』、と早朝に出かけましたわ。そろそろ昼前ですし、戻ってくるでしょう」


 嫌な予感はしたが、止める理由もなかった。

 腹立たしさにも負けないぼけまなこで、二度と帰ってくるなと内心で暴言を吐いたのを思い出す。


「ハトリさん達は蒸気機関暖房器の調子が悪いため、制作ギルド【から】に」


 ぱんっ、と言葉ちゅうで割られる窓。その勢いはばくはつに似ていた。

 がらが矢の如く飛び散り、部屋の家具へと次々にさっていく。

 音と現象がズレたような、派手なしんにゅう。反応が一ぱくおくれる。

 

 ユーナの女性にしては短い紫の髪すらも風でれ、黄金のちょうを模したかみかざりが外れかけた。

 

 硝子と共に侵入した者達の一人が、コージの首に黄色のスカーフを巻きつけた。

 太い首を黄色のスカーフでげるのは、うすよごれた黒衣の男だった。

 どろまみれた素足に、はだにまとわりつくせるような臭い。

 ざつふんと行動から、ろうしゃと判断するにはじゅうぶん。しかしこんな派手なごうとうもいないだろう。


 目を見開くジタンの視界はスローモーションのようにゆっくりと、事態を把握した。

 フロックコートしでもわかるほど、少年をかばう背中に強い力が込められる。

 コージは力任せにスカーフを千切ろうとするが、その前に首の骨が折れる音が響いた。

 

 同時に飛び散った硝子が蒸気機関暖房器にさり、れつと共にばくはつおんを立てる。


 一気に視界をめる白は蒸気だ。雲にんだような圧が部屋の中にれる。

 呼吸をすれば湿った空気がのどまらせ、ゆかかべには水みが発生し始めた。

 ナギサが壊れた暖房器を直そうと、こぶしで激しくたたく。残念ながら全く効果はない。


 ばちゃん、と濡れた床におおがらな人間が倒れた。

 水と肉をんだかわぶくろを落とした音に似ており、ジタンは肩を尖らせておびえる。


 ジタンは蒸気の中でちらつく黒と黄色に、恐怖のさけごえを上げそうになった。

 次は自分の番だと理解し、少年は持っていた新聞で頭をおおう。その守りさえ、乱暴にがされてしまった。

 ジタンにきたない男の手が伸ばされるが、


「――けむりじんはあらゆる願いをかなえる。我に従え偉大なる精霊ジンよ! ――借家でなにしやがりますのよ、ド腐れども!」


 前半は魔法を発動するための法則例文。

 後半は最近調子が悪かった蒸気機関暖房器を壊されたことに対するいかりと、しゅうげきしゃに対するいきどおりの声。

 める蒸気が収束し、巨大な魔人が出現する。力強い二の腕と視線が、無礼なしんにゅうしゃ達に向けられる。


「やっちまいなさい!!」

 

 煙が黒いつえがたなの動きに従うようにあやつられ、黒衣の男達を蒸気で作り上げた拳で外へとばした。

 ついでに壁がかいされたが、怒り心頭の少女には関係ない話である。


 続くは耳をつんざく激しいじゅうせい

 蒸気かんじゅうによる圧縮された空気だんが、黒衣の男達の肩や足をく。大型のじゅうを抱えたヤシロが、室内をびんに動き回っていた。

 その金色の目は怒りに満ちている。せっかく用意したサンドイッチがしゅうげきの余波で吹き飛び、素足でまれたあとがくっきりと残っていた。


 一分もしない内に侵入者はちんあつされた。

 しかし少女の怒りは収まらない。


「ナギサさん、修理は後回し。今はあの男達を川にしずめる準備ですわ。ダムズ川の冷たさを思いしらせてやりましょう!」

「あわ、あわわわ、わかりました! ぼくがんって最近覚えたきっこうしばりをためします! くできたらめてくださいね、お姉さま!」


 なわを持ってウキウキとしているじゅんぼくメイドに対し、ユーナはあわてて執事に目を向ける。

 

「ヤシロさん、やっぱりいっしょに行ってあげてください。そして野蛮猿が帰宅したならば、そのけんを撃ち抜いてくださいな!」

りょうかいした。しかし白魔法があれば蘇るのが目に見えていて、自分としては溜め息をつきたいところだ」


 じゅんしんなメイドにみょうな縛り方を教えたであろう男をおもかべ、ヤシロは蒸気機関銃の機関部を操作した。


 蒸気が薄くなり、室内の様子が明るくなるころ

 壁に開いた大穴から、下の通り道へと大声で指示するユーナ。それに従うヤシロとナギサのれんけい行動。

 そして折れた首の骨を白魔法で治しているコージが、苦笑いでジタンに「無事か?」と確認を取る。


 魔法とはえんどおい場所にいた少年はまいで倒れそうになった。


 しかし足元に落ちている黄色のスカーフ。そこに書かれた文字が、意識を失うことを許してくれない。

 アイリッシュ連合王国では使われていない文字だと、彼は知っている。

 そして上からのぞんできた少女も、その文字を見て顔をしかめた。


「カンドていこくの文字ですか……黄色のスカーフにこうさつの手段。コージさん、とんでもない厄介案件を持ってきましたわね」

「むっ、ぐぅ、ん……よし、痛みも消えた! すまない、白魔法によるに手間取った。それでユーナくんは目星がついているのか?」


 事件解決のかりをつかんだと喜ぶコージだが、少女のこわは冴えない。

 

「七人しかいない最高位魔導士。その中でもカンド帝国の植民地化に大いにこうけんした、黒鉄骨の魔剣士ヴラド・ブレイド。彼が戦ったこともある暗殺集団の手口ですわ」


 溜め息をつきながら説明したユーナの言葉に、コージは青い顔になる。

 最高位魔導士の名前がこんな場所で出てくるとは思わなかったのだ。


 女王から一文字をあたえられるえいたまわった、七人の魔導士。

 下位、中位、上位――全ての魔導士あこがれの存在であり、最強を示す二つ名。

 

 壊れた部屋は硝子や木材、果てには石材までも散らばっている。

 そこからだれにも知られないようにそうとした少年のえりくびを掴み、最大限のがおでユーナは尋ねる。


「で? 貴方あなたは『別世界の神レリック』をしんこうする暗殺集団と、どんな関わりがあるのかしら? 答えないと焼きますわ」


 この女は有言実行する。

 そう感じたジタンは借りてきたねこのように大人しくなり、こうちょくした。




 改めて作り直されたサンドイッチを片手に、ユーナは水浸しになった居間にいた。


 魔力はあらゆる物質に宿る。それこそ葉っぱ一枚、血のいってきにも。

 きゅうけいしていても肉体が勝手に生産するが、食事をするのが一番のじゅう方法だ。

 しかしユーナにとって食事とは、生きていく上で重要な行動というにんしきだ。

 そして食事を取るのに、こんな水浸しではってしまう――要は気分の問題だ。


「――かちかちとかちり。時計の針は明日を指し示すしん、刻むは昨日のそくせきひびく音は今を揺るがし、移ろう時はいずれ歴史になる。全てはかえせん――」


 ユーナを中心にとうめいけいばんが部屋の床一面に広がった。

 黒い長針と短針が追いかけっこをするように逆回転を始め、部屋を震わす音と共に多くの物もの元通りになる。

 割れた硝子窓は何事もなかったように寒風を防ぎ、壊れた蒸気機関暖房器は調子が悪そうな動きで部屋を暖める。

 水染みは蒸発したように消えており、かべがみも年月の風味だけをかもしていた。

 

 これが魔法なのかと、ジタンは部屋の外でほうけていた。

 コージが感心したように頷いているが、彼にも今の魔法の仕組みや法則がいっさいわからない。


 全てが戻ったのを確認したユーナは、サンドイッチを食べるためにへ腰かける。

 そこへティーポットを持ってきたナギサが、満面の笑顔でカップに紅茶を注ぐ。

 メイドは大好きな少女のミルクと砂糖の量は把握済みだ。ぎんさじで全てをかし、適温となったミルクティーを渡した。

 ヤシロが適当に椅子とテーブルを配置し、立ったままの二人も食事をするようにと手招く。

 椅子にすわって気を取り直したコージは、


「では、ジタン。ユーナくんはこのようにすごい人物だ。君のたよりになると私は信じている。だからこそ……話してくれないか?」


 ジタンへ優しく話しかける。

 しかし少年は俯いたままちんもくした。

 

「口を開きたくなくても自白させますわよ。白魔法で一命は取り留めたものの、コージさんが死にかけましたし。わたくしとしてもやつらを許す気はないですから」


 不機嫌さが増したユーナは、いらついた声でジタンに言う。

 落ち着くようにとコージが会話をえる前に、のほほんとした様子でナギサが別の話題を口に出す。


「一応じゅんさんに犯人達を渡しましたし、今回はヤシロさんが爆発さわぎなども彼らのせいにしてくれたおかげでお説教はなしでしたね」

「毎回騒ぎが起きればこのギルドホーム。スタッズストリート108番の家はのろわれている……それらを買い物中に聞くのがわずらわしいからな」


 ご近所付き合いをになう執事の声音は重かった。その苦労は計り知れない。

 するとなみだのナギサが弱々しい様子でつぶやく。

 

「僕としてはお姉さまのかつやくが広まっているのだとうれしいのですが、ヤシロさんは違うみたいですね。さびしいです」


 うるんだ瞳のうわづかい。ほのかにふくらんだむなもとの上で組まれる両手。

 愛らしいメイドの言葉に、執事はわかりやすいくらいどうようした。

 

「べ、別に自分はここがきらいという意味ではなく……」


 んだ様子のナギサに慌てたヤシロだったが、ユーナとコージの生温かい瞳に気付いて急いでたたずまいを直す。

 しかし彼のこげ茶色の髪から覗くおおかみみみの飾りが、ぴこぴこと揺れていた。その奇妙な様子にジタンは目を奪われる。

 だが気にとどめる暇もなく、ユーナのきつい視線が横顔に突き刺さった。

 えきれなくなったジタンは、ぼそぼそと語り出す。


おれは、逃げ出したんだ。ザキル団は黒き母に命をささげる教義を押しつけてきた。俺はただ……妹を助けたかっただけなんだ」


 コージが説明を求めるように、ユーナの顔を見つめる。

 

「黒き母、がみカーリーのことですわね。彼女はあくを倒す力を持っていましたし、夫であるシヴァ神ですら彼女のきょうこうと興奮を静めるために踏まれたほどですわ」


 感心するコージを横に、少年の話が続く。

 

「俺の妹は悪魔にかれ、せいを上げては熱で苦しんでいる。その悪魔をとうばつするには黒き母に命を捧げなければいけない。でも血を流すのはだから……」

「絞殺。黄色のスカーフは彼女のいつになぞらえられた物品。血は彼女に捧げるもつでしたから、一滴も零さないためですわね」


 ジタンの言葉に説明を付け加えていくユーナは、ナギサに紅茶のお代わりをしょもうする。

 しかし対面で話を聞きながらスコーンを食べていたコージは、殺しの意味に対して口元を押さえていた。

 

 当事者であるジタンも言葉を失くす。

 たんたんと語られるユーナの説明は、ジタンの理解していたはんを優にえていた。

 しかも平然と暗殺手段の手口について話し続けているのだ。


「シーツ一枚、ということは下流……労働階級。その中でもひんみんがいの子供ですわね。としはおいくつ? ついでに妹さんがいる場所も教えてくれると助かりますわ」

「多分十二。妹は五。拾ったから、血は繋がってないけど……でもなんでかくを教えなきゃいけないんだよ」


 わくの視線を向けてくるジタンに、ユーナはだんよりは優しい声音でさとそうとする。

 

「妹さんは悪魔に取り憑かれたのではなく、高熱によるさくらん状態と見受けられますわ。ならば『どこぞの神レリック』に頼るより、医者の出番ですもの」

「医者に行けるなら、暗殺集団なんかに近寄らねぇよ! びんぼう鹿にすんな!!」


 げきこうして人差し指をきつけるジタン。

 その表情はいらちとにくしみ――どうしようもない悲しみが入り混じって、すさまじい形相になっていた。

 少年のおにのような表情に動じず、ユーナは肩をすくめる。

 別に貧乏を馬鹿にした覚えはないのだが、わいきょくされて言葉を受け止められたことに呆れていた。


「ジタン。わたくしが所属するギルドの目的は人助け。だから人助けギルド【流星の旗】と名乗っていますわ。そしてしょうゆうしょうを問わないが信条ですの」


 とうとつにギルドの方針を口に出したユーナ。金銭をかろんじる言動で執事に睨まれたが、少女は無視をむ。

 しかし少年は把握するためのいっしゅんで、わずかながら冷静さをもどした。

 

「なにが言いたいんだよ。どうせ高額のりょうせいきゅうするんだろう? 効くかどうかわからない薬を渡す気なんだろう!?」


 だが長年のしんあんの結果、ジタンは言葉をきょぜつする。

 

「いいえ。お金はいりませんわ。わたくしのしゅは人助け。だから貴方の妹もわたくしが助けたいのです。貴方がどんなに嫌がっても実行あるのみ。要は自己満足したいだけですの」


 それは少年にとって理解がおよばない主張だった。


「だってお金があればこんな家に住めるじゃねぇか。そのために人助けとかほざくんじゃねぇのか!?」


 暖かいどこきゅうをしてくれる者。腹痛の心配を抱えなくて済む食事。

 どんなにほっしても、ジタンには手が届かない品々。

 それらをてきして、彼は怒りを続ける。

 

 持っている者は、持たざる者にそれらを渡さない。

 そのことを彼は嫌というほど知っている。

 じょうする時、それは他に奪おうと画策している場合だ。

 しかしジタンから奪えるものはない。だから誰も彼に与えない。

 奪おうにも、アイリッシュ連合王国でのせっとうは軽い内容でもひどばつを受ける。


 シャツやズボンの下に隠れている傷。

 妹がえで死なないようにじんりょくしたあと

 誰にもほこれない、胸も張れない結果。

 

 それでも守りたい。

 だから頼るしかなかった。

 

 人殺しになっても――。

 妹を救うのに比べれば大したことではないと過信し、ざんなほど失敗した。

 

 不自然なほど細い体の中で筋肉質な腕をきしめ、ジタンは俯く。

 小さな死亡記事。殺しきれなかった人間は、他の者が殺害したと示した。


「もう一度言いますわよ。わたくしは貴方がどんなに嫌がっても助けますわ。それが趣味ですから」


 ジタンが見ていたであろう死亡記事を眺めつつ、ユーナはねんしするように告げる。

 絶対にゆずらないという強い眼差し。

 大義でもない、正義でもない。

 どこまでも自分に忠実で自己満足するための手段。

 ――だが奪うことはない。


「それに貧民街ときたらグレイベルかカストエンドでしょう。で、移民が多いのはグレイベル。カンド帝国の暗殺集団にせっしょくするならばそこですわね」

「……人助けが趣味なら、そこにいる奴ら全員助ける気かよ。何万人住んでいると思ってんだよ」


けなすように少年は確認する。

 救えるはずがないと、そんなのはでもわかる常識だ。

 だが少女は話が大きくなっていると気づき、呆れながらていせいする。

 

「なに馬鹿なことを言っていますの? わたくしは妹を助けたい貴方に協力するだけですわ」


 少女は苛立ちまぎれにベルトの留め具を外す。帯刀していた杖刀のの部分で、ジタンの額を軽くいた。

 れたかんしょくでは鉄に似ていたが、杖刀に使われている鉱石はわからない。


 しかしかんじんなのはそこではなかった。


 杖刀に軽くさわっただけで襲いかかるきょだつかんに、ジタンは床にひざをついた。

 音を立てて倒れた少年へ思い出したように、


「ごめんなさい。この杖刀は魔力を吸い上げますの。魔力ってきょくたんに減少しますと、ひんけつに近い状態になりますのよね」


 ユーナは気まずそうにあやまった。

 

「聞こえていないみたいだぞ。かんぺきに意識を失っている」


 音もなく近寄ったヤシロがジタンのまぶたを上げる。どうこうは夢も見ないほど深いねむりに落ちていると証明していた。

 そのまま少年を床に転がしておこうとしたヤシロだが、コージが優しくげてソファにかせた。


「おひるの時間ですね。よいしょっと」

 

 ナギサがジタンの体が冷えないように毛布をかけようと近寄った。


「あわわっ」

 

 しゅんかん、椅子の足に躓いた彼女はひざたけスカートを大きく捲り上げながら転ぶ。

 ガーターベルトで固定された白タイツのぜんぼうと、さらにおくをうっかりもくげきしてしまったヤシロが顔を真っ赤に染めて倒れた。

 コージは慌てて目を両手で覆い、何度も「見ていないぞ」とさけぶ。


 役に立たない男達だと、ユーナがメイドに優しく手を伸ばす。


だいじょうですか?」

「お、お姉さま。あわわ、なんとか平気です!」

 

 その手を嬉しそうに力強くにぎるナギサだが、力が強すぎてユーナの手から鈍い音が鳴った。

 ユーナは表情を一切くずさないまま全力で白魔法を使った。

 気付かれないように折れていく骨をかたぱしから修復していく。

 その頃には鼻を押さえているヤシロが起き上がっていた。血はなかったようである。

 

 そしてさけくさい臭いを連れ帰ったアルトが、だいばくしょうしながら号外新聞を片手に大声で告げてきた。


「姫さん、俺様が教えた亀甲縛りが見事に新聞一面に出たじゃねぇか! これでギルド名も拡散されるな!」


 ろくでもない発言で大はしゃぎする男に、標的は定まった。

 

「ヤシロさん、蒸気機関銃で今すぐあの野蛮猿の頭を撃ち抜きなさい! コージさんが犠牲になっても構いませんわ」


 ばやくコージの後ろに隠れたアルトに対し、ユーナはじゅうの決断を下す。

 執事は指示にもくもくと従うのみで、コージが事態を把握したのは額に冷たいじゅうこうが触れた時だ。

 

「ユーナくん!? おい、アルト何故なぜ、いやその前にヤシロ……白魔法で治るからといっても痛いっどぉ!?」


 蒸気圧縮弾が解き放たれたれつおんが、室内だけでなく建物全てを揺らした。


 霧でよごれた服をいていたふたが、そろって美しい顔を見合わせる。

 どうやらまたもや事件がんで、関連する小さな問題が起きていたのだろう。

 それが解決した後に、アルトがいつものようにからかってユーナのげきりんに触れたのだろう。


「ユーナちゃんったら、相変わらずねん。てきだわん!」

「どうでもいいが、この騒ぎで蒸気機関暖房器を壊さないと……おそかったか」


 聞こえてきた爆発音と、二階では受け止めきれなかった白い蒸気が一階のげんかんぐちまでただよってくる。

 チドリは呆れたように肩を落とし、のほほんとしたハトリはユーナ活躍の予感に胸をおどらせていた。

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