EPⅠ×Ⅱ【貧民街《slum×areas》】

 乗合馬車オムニバスの乗客たちは、ある少女から視線をらす。かのじょは白いコートを着ているが、スカートのたけが短すぎて足がさらされていた。

 しゅくじょであればつつしむべき部位を、動きやすいという理由だけでかくさない。

 紳士帽子シルクハットの男性は、れんであるとごうまんな態度で鼻を鳴らす。

 

 れんの街並みが馬の速度に合わせて通りすぎていく。白い蒸気がえんとつからげては、細長く流れていく空。

 今にも雨が降りそうなほどよどみ、重い雲が頭上をおおう。馬車を追いかけるように広がり、はだざむい風で車体をなぞる。


 ジタンは乗合馬車の座席にすわっていた。

 向かい合う横座席形式の車内で、ぎょしゃ側からユーナ、アルト、ジタン、コージと並んでいる。

 全員分の乗車賃はコージがはらっている。領収書が出なかったことにみ、手帳に金額を記入していた。


ばんざるのせいでだんぼう器を買い変えなくてはいけなくなったじゃないですか。こんな寒い日に最悪ですわ」

おれ様は全面的に悪くないと思いまーす。天使ちゃんにちょいっとしばり方のコツを伝授しただけじゃねぇか。チビすけは大喜びだろ?」


 下世話な笑いをかべる青年に、少女はきついにらみを返す。

 どこかぜのアルトは「おー、こわい」とちゃし、ジタンへとかたを寄せる。

 

 茶色の厚手ジャケットに白のトップス。それはジタンでも見慣れた服装だ。

 しかしアルトは青いオーバーオールをくずしていた。胸当ての部分とサスペンダーが、かれこしふとももあたりでれている。

 作業員のような格好だが、身なりの清潔さや使われている布が上質だ。

 ハンチングぼうを片手で器用に回し、アルトは笑いながら続ける。


「で、俺様達がこごえるよりも重要案件がグレイベルに? そこのぼうを助けるのかよ、姫さん」

「……姫?」

「この野蛮猿が勝手につけたあだ名ですわ。かえるのような声を出したから――と。貴方あなたが呼んだらおこりますわよ」


 疑問を浮かべたジタンにすらおどす。彼女がりまくげんの悪さが車内に広がり、乗客達が感化されていく。


わいくていいじゃないか。な?」

「……コージさんが野蛮猿をあまやかすから、もう」


 コージがあわててなだめると、ユーナはくすぶったのようにをもらす。

 三人の力関係がみょうきっこうをしていると、ジタンは残りの面々をおもかべた。

 

 しつとメイドは借家ギルドホームに留守番中。家事で忙しいとのこと。

 帰ってきた美しいふたは、ジタンにあいさつをし終えてすぐに昼食きゅうけい

 双子の姉――ハトリの美しさに心をうばわれかけた少年は、口ごもって返事もできなかったのをじていた。

 

 初めて馬車にんだ彼は、慣れない揺れで落ち着かない様子だった。

 しかし流れていく景色と、わずかに窓を冷やしていく湿しめった風。それらにここよさを感じていた。


 ただし車内をけば人の熱気やにおいでうんざりする。

 だんしょうすることもなく、もくして座り続ける姿勢。これがマナーなのかと、ジタンは誤解しそうになった。

 

 改めて外に視線を向ければ、辻馬車フィアクールへいれつするように何台も走っている。

 蒸気機関の発達は、移動手段に革命をあたえた。遠くで機関車が汽笛を鳴らし、港では蒸気船も出発準備を整えている。


「あれは……」

 

 特にジタンがおどろいたのは、乗合馬車よりも速く動いている乗り物だ。

 馬もなし。四角い箱が丸いそうりんだけで動く仕組み。自転車よりも不可解な道具だった。


「蒸気機関自動車だ。まあ自動車で覚えとけ」


 肩を並べ、楽しそうに説明するアルト。

 はたから見ていれば兄弟のような二人だったが、静かな車内ではそうぞうしかった。


「昔は鹿でかくて、蒸気ねんしょう機関を付属したかっこ悪いのがあったが、今走っていったのは最新式のカード・T型だ」


 最新もなにも、ジタンにとっては初めてのものだ。

 それでも過去よりも進化した自動車を、窓を額でこするほど夢中になってながめる。


「上流階級くらいしか買えないが、運転くらいなら俺様にも可能だ」

「ふ、ふーん。きょ、興味ない……俺にはえんの話だし」


 窓からはなれ、座り直す。しかしひざから下はゆらゆらと動いていた。

 明らかにまんしている少年。彼のこうしんげきするため、アルトはぎょうぎょうしく話を続ける。

 

「かわいくねぇ坊主だな。男のロマンだろう、歯車に回転式機構!」


 コージが同意するように深くうなずいているが、ユーナは冷めた態度で聞き流していた。

 

「制作ギルド【唐獅子】リーダーにして、しゃくどうばんの発明家マグナス・ウォーカー。蒸気機関の生みの親は男のなんたるかをわかってるよな」


 出てきた名前は覚えのないものだった。それでも一度は聞いたことがあるひびき。

 工場で大人達が話していた。赤銅盤の発明家が、新たな製糸機械を生み出したと。

 

「その……赤銅盤ってなんだ? さっきも黒鉄骨の魔剣士とか、魔導士とか……なにかつながりがあるのか?」


 えんりょもなく話しかけてくる青年に対し、少しだけ心を開いた様子で問いかける。

 気さくというにはややズレているが、アルトは話しやすい青年だった。

 

 興味が向かないことも、聞かなくてもいいような内容も口に出す。

 勉強ができなかったジタンにとって、彼が口にする話題の全てがしんせんだった。


「魔導士には下位、中位、上位、最高位と格付けがされているんだ」


 階級みたいなものだろうかと、ジタンは少しだけいやな気分になった。

 しかし感情よりも好奇心がまさり、だまって続きをうながす。


「下位は色、中位は鉱石、上位は二文字という具合だ」

「赤ほうが使える下位魔導士は赤魔導士。中位で銅の魔導士。上位で赤銅の魔導士ですわ」

「魔法の色については別にな。頭痛くなるぜ」


 ユーナが説明に参加したが、長くなりそうな気配を感じたアルトのはいりょにより、後半は適当に流された。


「最高位は女王陛下に与えられた一文字を加え、三文字と呼び名を組み合わせた二つ名が名乗れるんだ」

「最高位となったマグナス・ウォーカーさんが赤銅盤の発明家――という流れですわ」

「最高位は世界で七人。同じ魔法を使うやつらがそろってないから、それぞれの色をかんしているぜ」


 魔法についてくわしくないジタンが、げんな表情を浮かべる。


「で、ここで坊主が疑問に思うのは、魔法に種類があるかどうかだろう?」


 アルトが先読みしたように問いかける。それに対して少年はなおに頷いた。

 魔法は実際に目にしたが、それに種類があるとは思えなかった。


「魔法はりょくと法則のきんこうで成り立っていますの」

「まずは魔力。さっき姫さんのつえがたなで坊主もたおれただろう? あれは魔力を奪われたから。まぁ物体備え付きのエネルギーだな」


 体力に似ていると、アルトは少年でもわかるようにくだいた説明で済ます。

 

「法則はそのエネルギーを効率よく使うための機械みたいなものですわ。正しい回路と仕組みを作り上げることで、『どこかレリック』から力を引き出します」


 肉体構造だと、またもやアルトの適当な説明に、少女は深いいきいた。

 

「魔力を多めに消費すれば、法則を短縮できる。これが赤魔法だな。利点は短時間でばくはつてきな『レリック』を奮える。だけど細かいせいぎょができないし、長期戦には向かないな」

「逆が青魔法。法則を重視し、魔力を節約する。利点は細かい制御と長時間のけいぞく。ただし法則が複雑すぎると、『相手側レリック』からされることもよくありますのよ」


 アルトとユーナがこうに説明していくのを、ジタンだけではなくコージもけんめいに聞いていた。

 しかし頭が痛くなりそうな上に、聞きなれない単語が次々にいてくる。

 

 会話の中にふくまれる『レリック』という単語は、二人の声からして様々な意味が重なっているのは理解できる。

 それを魔法に詳しくないジタンにとって、聞き続けるのは苦しいものがあった。


「その……『レリック』ってなんだよ? ザキル団の説明の時にも出たし、よくわからないんだけど」

「魔法の専門用語……と言うよりは、多くの意味を代用するための単語ですわ。魔法はこの世界以外から力を借りて、行使するものですから」

「坊主にわかりやすく言えば、俺達が住む場所以外――この世では考えられない常識がのさばる世界がある。そこに関連する全てを、『レリック』とまとめるんだ」


 少年の頭によぎる異形が、昨夜のきょうに意味をもたらした。

 

「も、もしかして俺が墓地で見たあのでっかいりゅうも……『レリック』となるのか?」


 信じられないほどきょだいな竜が動く死体を燃やしていたのを思い出し、ジタンは顔を青ざめさせる。

 わずかなちんもく。そして二人はおたがいに顔を見合わし、こうていの意味で苦々しく頷いた。

 コージは空笑いでそうと、かわいたのどふるわせる。


 ジタンが顔を青ざめるほどの竜を呼び出した者。

 それを知っているだけに、気まずい空気となってしまう。


「ま、まあ『破滅竜レリック』に関しては置いときましょう」


 わざとらしい明るい声を出し、ユーナは説明をえた。


「他にも緑魔法、黄魔法、白魔法があるのですわ。白魔法はコージさんなどが得意ですわね」

「姫さんは全部大得意なんだが……」

「が?」

「問題起こし過ぎて資格はくだつ寸前の紫魔導士落ちこぼれあつかいだぜ? 笑っちゃうよ、な……すんまんせん」


 大笑いしようとしたアルトだが、となりに座っているユーナが杖刀を彼に近づける。

 ジタンまでとは言わずとも、アルトも立ちくらみをかくしなくてはいけない。

 そくあやまる。一番の有効打であるが、アルトの言い方は誠意がこもっていなかった。

 

 しかしいつものことであるため、軽い謝罪だけで簡単に許してしまう。

 下手についきゅうするとめんどうくさい、という事情もみではあるが。


「医者とかで白魔法を使うには、資格しんせいが必要だな。だけど男前みたいに当人で済む場合はのがされる。これは白銀砂の貴婦人レディ・シャーロットの功績だ」

「また最高位魔導士の名前……でも女王様から一文字を与えられるってのは、それだけの価値を認められているからか?」

「そうだ。彼女は白魔法を習得することで、人間の老いと寿じゅみょうの問題をこくふくした。だから俺様達は、こう見えて全員三十さいえているぜ?」


 意地悪く笑うアルトの言葉に、少年は驚きを隠せなかった。

 コージは十七歳、アルトとユーナは十六歳の――少年少女のように若々しい。

 しかしコージが警察の外勤主任であることや、さきほどからアルトがジタンを坊主と呼ぶ理由になっとくができてしまう。

 どうようが消えないジタンの目に、げんなユーナの顔が映る。

 女性にねんれいの話は禁句だ。それをづかわなかったへの不満があふれていた。

 ――どう見ても怒り心頭の少女である。三十歳過ぎとは思えない。


「要は管理ギルド【魔導士協会】でも、いっぱんじんの白魔法あくは難しいとさじを投げられた結果だ。おかげで白魔法利用者は爆発的に増え、魔法のにんは高まった」

「レディ・シャーロットは、最初の最高位である黄金律のじょグランド・マリヤに次ぐだいかたですわ。容姿も見目うるわしく……せんさい超えているはずなんですが」

「千歳!? えっと……十の十倍が百で、さらに十倍? し、白魔法でそんなことができるのか!?」

「あの人は規格外の魔力を保有してますから。それにしても貴方……数の計算ができるのですね」


 指折りながらも十以上の計算をしたジタンに対し、意外そうにユーナがつぶやく。

 ひんみんがいの子供は生きることすら苦しいかんきょうの中にいる。明日の命があるかもわからないこくな生活。

 似た理由でメイドのナギサも数かんじょうが苦手で、よく買い物をちがえるくらいだ。


「昔働いていた工場の主任が、文字や数え方を少し教えてくれた。きっと役に立つからって……しばらくして川に浮いてたけど」


 そう呟いたジタンの緑色の目は、無力さをなげくようにくらかった。

 今は蒸気機関のおかげでじょうすいされたダムズ川、その以前の状態であるすいが流れる川よりも光が宿らないひとみ


「主任以外はくずろうばかりだったけど」


 アイリッシュ連合王国では子供も工場で働くことができるが、実態はごくと呼ぶにさわしい

 製糸工場で機械が止まると、せまい中に子供をもぐませるのだ。動き出したたんに歯車にひきつぶされるといううわさも、あながち間違いではない。


えんとつそうよりはましだよ」

 

 煙突掃除の仕事もえるが、息苦しい空間に十時間以上。いのちづながないこともつうで、重い掃除用具をかつぐ子供達はすすに肺をやられる。

 落ちて命を失う子供も多い。続けられても、いずれ病がおそう。


 働いても死ぬかもしれない。

 働かなくては死ぬだけ。

 みちばたていれば警察ヤードの手でかんごくに送られる。

 

 ジタンがぐうぜんにも警察で保護されたのは、「墓地で暴れていただれかのせい」と理由が肉付けされたから。

 それ以上の理由はない。小さな少年は、あわれみですら救ってもらえないのだ。


「なんでそっちが泣くんだよ」

「泣いていない……がんったんだな」

「別に。普通だろ、こんなの」

「うぐっ……」

 

 コージが同情してひそかになみだを流す中、そういうこともあるだろうと平然としているユーナ達。

 二人は視線だけ交差させ、照らし合わせるように会話する。


「子供に勉強を教えるゆうがあった工場……緑鉛玉のごうヴィクトリア・ビヨンドさんかんかつのところかしら?」

「だろうな。あのおばさんのモットーは『成り上がれ』だからな。しかし川に浮いた工場主任……やばいぞ、姫さん。今回はまじでれんしている」

「貴方のせいでしょうが、この野蛮猿! だから貴方が持ってくるらいを受けるのは嫌なんです。人助けのつもりが、墓場からカンドていこくまで繋がるんですもの」


 ジタンに聞かれないようにしつつも、小声で言い争う二人。しかし馬車が目的地に止まったため、急ぎ足で降車する。

 治安が悪い区画のせいか、馬車も慌てたように急発進する。通りかかる辻馬車も、グレイベルの近くは数は少ない。

 

 それでもだんに比べれば往来が多いように感じる。

 建物が複雑に乱立する場所を眺め、アルトはかいそうにみをこぼす。


「グレイベルと言えば、最も下のしょうかんが多数存在する場所だ。そこに姫さん……本気でその格好で行くのかよ?」

「当たり前でしょう。いちゃもんの制裁対応くらい軽いもんですわ」

「できれば問題は起こさないでほしいんだが……ジタン、すまないがなるべく安全な道をたのむ」

「そんな道なんて俺が聞きたいけどね。俺がいつも使う道で行く。ついて来なよ」


 そう言って、少年はまっすぐ目的地へ向かう。

 その小さい背中を、ユーナ達は追いかけることにした。




 工場から流れ出るはいすいや蒸気によってがったよごれ。

 息をするのも苦しい区画――グレイベル。

 

 しゅうごみばこからあふる可燃物のせいではない。

 に入る余裕もなく、だからといってえる服も売ってしまった住人達。

 水で体を流そうにも、工場からの廃水が用水路に混じる。それでも生活水として欠かせないと、にごりきった水をおけんでいる。

 

 密集した人間のにおい。警察も手が出しにくい場所であるため、路地で寝ている者もいる。

 しかし足音がすればおびえたように起き上がり、ねずみのように路地裏へと姿を消す。


 子供が不器用ながらいだねこの皮。血だらけのそれをかごめて、ドアをたたく。

 もうとしては、られて追い返されている。散らばった毛皮からは、しゅうが生々しく立ち上った。

 

 うすぐらい部屋からは女のかんだかい笑い声。男のた声が重なり、不協和音となって外まで届く。

 やくの煙がめる隣の部屋でねむる赤子。うすく開いた口から、白い液体があわのようにふくれていた。

 

 かんがない旅行者が迷いこめば、子供の集団が手にしたこんぼうによってめっち。

 とある部屋でははいした父親の足元で、ほそった少女が鳥の骨をかじり続けていた。


 せいさんたる光景を見下ろしながら、一歩ずつ確実にすユーナ達。


救貧院ワークハウスが信用されていないしょうですわね」

「ぶら下がり宿にまる余裕もないか。おえらいさんはが可愛すぎるってか」

「警察でも対策は行っているが……広まらないな。うつになりそうだ」

「慣れればある程度は生活できるよ。実際、俺達を見つけて襲いかかってくる奴は来ないだろう?」


 ジタンがかえらずに素っ気なく告げる。

 確かにユーナ達の身なりに目がくらんで、うばろうとする者は見当たらない。

 

 それは道を歩いていないからだ。


 屋根伝い、せんたくひも伝い、時には娼館の窓を使って動く羽目になっている。歩行するどころの話ではない。

 

 ユーナ達は白魔法で補っているが、中々つらい道のりである。

 少年は持ち前の身体能力だけで軽々と動き、わきも振らずに進んでいた。


「……坊主、妹ってのはそんなに安全な場所に隠しているのか?」

「いいや。危険てのは他人がいる場所だ。じゃあ誰もいないとこを選べばいい」

「なるほどな。こりゃ酒場パブってた奴らには、とうてい探し出せないわけだ」

「野蛮猿……道理でさけくさいと思っていたら、そんなところに。というか妹の話はしましたっけ?」


 あやしむような目でユーナがアルトを見つめるが、ジタンは「辿たどいた」と、かべまれた水道管を指さす。

 こうがついている水道管で、今は使われていないのかびたまま放置されている。


 少年の体でも難しい狭さだ。細身のユーナでも、肩がつかえてしまうとわかる。

 小さいつつがただが、おくが深い。のぞんでも暗いやみしか見えないほどだ。

 

 しかし耳をませばわずかにむ少女の声がはんきょうして聞こえた。

 ジタンは慣れた様子で格子を外し、もくもくと体を潜り込ませていく。


「というわけで、姫さん。坊主が妹をかかえて出てきたらダッシュだ。男前は二人を連れて行け。でないとげきれない」

「……みょうに乗合馬車とへいこうする辻馬車が多いと思えば、そういうことでしたのね。しかし医者がいる場所まで逃げる足はどうするんですの?」

「前に酒場でちょっとけしてな。上流階級の紳士ジェントルマンから巻き上げたものがあるぜ」

「ゆ、ユーナくん、一体なにを話しているんだ? わざわざ警察の前で犯罪を行う者が……いたな。そういえばさっきの件もそうか」


 おくれて理解したコージは溜め息をつく。カルト教団の前では権力も役に立たないと、あきらめるような仕草だ。


 足から先に出した少年は腰を抱えられ、勢いよく引っ張り出された。

 とつじょの事態に把握できず、驚いて声が出なかった。それでも布に包んだ妹は手放さない。

 

 地面がかげったように暗いのを感じて、ジタンは空を見上げた。

 くもぞらの下。黒衣を着た男達が、屋根の上から見下ろしている。黄色のスカーフ片手に襲いかかろうと、ちょうやくするしゅんかんを目にした。

 心臓が縮み上がり、詰まった悲鳴が喉をめつけようと狭まった矢先。


「――風はかみなりと共にあらしとなる、じんは雲を連れて降臨する――びなさい!!」


 少女のじゅもんと共に、黒雲から細長いらいこうが走った。

 激しい風が黒衣の男達にぶつかり、団子になったところでらいげき

 けるようないちげきに、悲鳴も出なかった。げずとも、しびれで指一本動かせない。


 男達の山をみつけ、ユーナ達は走り出す。

 先頭をアルトがにない、次に幼いきょうだいを抱えたコージ。さいこうに杖刀を手につかみ、けいかいして魔法の準備をするユーナ。

 

 残飯をあさる子供をし、ものいするろうしゃを無視。

 棍棒を手にぐるみをがそうと向かってくる者達は、アルトが顔面をたおす。


 とうそうを選んだ三人をしゅうげきしようとたくらひんみん達。だがおにのような形相で追いかける男達のはくりょくに負け、まれない位置へと身を引く。

 しょう達は「うるさい」と窓を閉めてしまい、痩せ細ったいぬねこけていく。

 廃水が零れた煉瓦はすべりやすく、転びそうになったことに悪態をつく。


 グレイベルの区画を出て、港に近い方へ向かっていく。

 しかし歩道は人通りが多く走りづらい。白魔法を使して屋根に飛び乗るも、黒衣の男達も負けじと後に続く。


「あら、嫌ですわ。苦もなく登っている……ということは魔法の心得がある者ですわね」

「しかし資格を保有しているようにも見えない。ならば黒魔導士だ。危険な相手だと思われるが」

元黒魔導士の刺客ヤシロさんの例がありますものね。だけど、わたくしに勝てるとは思えませんわ」

「さっすが姫さん! でもここで暴れたら男前の残業が増えちまう。ここは逃げの一手で行こうぜ!」


 めずらしいアルトの気遣いにコージが感謝している間も、少年はひたすら混乱していた。

 特に屋根に飛び乗った時のゆう感が忘れられず、未知の体感に体を震わせる。

 

 屋根から激しい音がすると住人が窓から顔を出す。だが一目見てやっかいなことだとわかり、すぐに閉めきってしまう。

 路地から見上げる者も怯え、そそくさとす始末だ。

 あっという間に住宅街をければ、船着き場の様子がかくにんできた。


 セント・キャリー・ドック――狭く大型船が入らないとう

 荷役人夫シティ・ポーターふくろを運んでいると、突如現れたユーナ達が視界をよぎった。

 ぶつかりそうなきょで走る彼女達に驚きながらも、荷物を落とさないように避けていく。


 小型ならも倉庫が建ち並び、大量の輸入品が船から降ろされていた。

 象牙アイボリー煙草たばこなどの貨物を保存する倉庫もあれば、個人で所有する倉庫まで。

 倉庫群を走るアルトは、二つのかぎにぎっていた。D5と書かれた倉庫をとらえ、にやりと笑う。

 

 魔力が足りず、普通に走る黒衣の男達。

 彼らは荷役人夫員達に下手な逢語で脅し、少年達のゆくを聞き出そうとした。

 しかし荷役人夫達はなまりの強い言語が通じず、いそがしいとっぱねる。


 その横を馬車よりも速い蒸気機関自動車が走り去っていく。

 てんじょうがないオープンカー形式で、男達は乗っている面子を指さした。

 

 はいかんから白い蒸気を出し、そうおんを立てながら走る蒸気機関自動車。

 運転しているのはアルトであり、助手席にはコージが座っていた。

 乗りごこが良くない後部座席には少女達。ジタンと共に妹の様子を確かめ、ユーナはまゆをひそめた。


 布で包まれた少女は苦しそうにうめいている。

 夢と現の境さえわからないのか、まぶたけいれんを起こしていた。


ばくは紳士のたしなみだが……どんな流れで相手はこれを賭けたんだ? 高級すぎるだろう」

「俺様が紫水晶宮の魔導士の正体を知っていると言ったら、ようようと相手がばくをしただけだ。なにせちまたではなぞ多き人物扱いだからな」

「最高位魔導士を賭けの対象に賭けないでほしいですわね。それよりジタン……妹さんのお名前は? そしてこれはなにかしら?」


 ユーナが少しだけ声をめてたずねる。

 布に包まれたジタンの妹。あせれたまえがみに隠れた額に、見慣れないマークがえがかれていた。

 黒く汚れているようだが、さわれば乾いた血であると判断できる。血でなぞった第三の目を、少女は強く睨んだ。

 ジタンはユーナのふんあっとうされながらも、こわごわと答える。


「妹はメル。額のはザキル団がりょうに必要だって。がみの加護が得られるから、にわとりの血で……」

「なるほど。ものの見事に泳がされましたわね。野蛮猿、貴方は全てわかっていながら、ジタンに案内をさせたのでしょう?」


 背中にさるきょうれつな視線も意にかいさず、アルトは口笛をくような軽さで答える。

 

「姫さんは俺様を過信してるな。酒場でぱらっているとこを話しかけ、嘆いていたのをなぐさめただけだって。坊主の妹はにえなんだとよ」

「に、贄!? ど、どういうことだよ……妹は、俺がザキル団に助けを求めただけで……」


 ジタンが震える声で話している最中、ユーナの腰に帯刀していた杖刀が勝手に動き出した。

 杖のように長い黒刀。それが自動車を守るようにがり、歯車のように空中で回り続ける。

 飛んできたほのおたまは、杖刀の動きではらわれた。散る火の粉からのがれようと、車体が大きく揺れた。


 ジタンは妹をかばうため、座席に身をかがめて力強くきしめる。ユーナはうでばし、回転する杖刀を自分の手にもどした。

 炎が当たったにも関わらず杖刀には傷一つない。新品同様に黒くかがやさやが、まだ動きたいと言わんばかりに揺れる。

 くるまいを我慢するコージが振り向けば、とうなん辻馬車で追いかけてくる黒衣の男達。


「ありがとう、杖刀。さすが『破滅竜レリック』がきたげたいっぴんですわ」

「それで『破滅竜レリック』と常に繋がっているのが、俺様には怖いけどな。っとと」


 アルトの言葉が気にさわった杖刀は手を離れ、彼の後頭部に鞘先をぶつけようとした。しかし首の動きだけであっさり避けられた。


「俺が事故ると、姫さんが危ないぜ」

 

 事故とユーナの単語が並列したことにより、杖刀はしぶしぶユーナの手中に戻る。

 まるで生き物のような武器に、ジタンは頭の中が恐怖でくされる。


「ありえねぇ……変だろ、それ」


 杖刀にさいしんどうが発生した。ショックを受けたらしい。

 

「……なんかすっかり怖がられてしまいましたわね。でも杖刀が動かなければ、だるですわよ」

「そうそう。姫さんの身に危険がせまれば守る、様気取りの刀だ。ただし姫さんの魔力も吸ってるけどな」

どう具とはちがうと聞いているが、本当にらしい刀だ」

「コージさんたら、め上手ですわね。ということで、始末をお願いしますわ」


 追いかけてくる辻馬車に向かって、少女は杖刀を放り投げた。

 飛来する謎の物体。黒衣の男達はきょうがくしたが、地面に落とせばいいと武器を構える。

 しかし杖刀は刀身をかして敵の武器を振り払う。止めようとれた男の魔力を吸収し、こんとうさせて無力化。

 

 そして馬車をぎょしていた男に杖刀がせっしょくした瞬間、馬車は暴走の末にダムズ川へと落ちていった。

 曇り空でも構わずに空中三回転を決め、少女の手に戻ってきた杖刀を。ジタンはほうけたまま妹を抱きしめ、眼前の出来事にぼうぜんとしていた。


「さ、お医者様のところに向かいましょう。いい人がロンダニアにはいますから」

「確か猫にーちゃんの店上だったよな? それともユルカワの下宿先だったか?」

「今は蒸気機関車がマイブームで、整備倉庫の放置車両をどこにしているはずですわ。一等車ならばしんだいも素晴らしいですから」

「ピンボケおっさんはめんどうな場所が好きだからな。ま、謝礼にこの車をわたしてやればいいか」


 のんな会話をしながら、ユーナ達は点在する駅の一つを目指す。

 フェンチェスト・ストリート駅――ロンダニアの名所へと、蒸気を吹き上げながら走るのであった。

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