第6話:快楽の目覚め

「・・・言ってみよ。説明の間に伏兵なんぞ出そう者なら即座にお主の城にいる全ての人間を斬り殺す」

「まぁそうピリピリするな。まずは・・・私に挨拶が先だろう。小娘」

―――またこの威圧感。

正直なところ足が竦みそうになる。

「・・・零狂院れいきょういん家が当主。零狂院 刹夜せつや。巷では極めて不本意な事に、厄鬼姫やっきひめと呼ばれている。ま、私自身もしっくり来始めているから人間とは怖いものよ」

私は真面目に話しているというのにこの大男は何がそんなに可笑しいのか。

「いやいや、すまない。厄鬼姫とやら。その歳、その身なりにしては世の中を少しは知っておると思ってな。しかしそうさな、箱入り娘であれば単騎でここまで来るはずもない。・・・今晩どうだ。儂に抱かれてみぬか。男を知れば尚良い女になろう」

「男は獣か。ハッキリ分かった。私はそれなりに綺麗なのだろうな。それともお主は何か、不幸そうな女に立ち寄る類いの男か。男に現を抜かすくらいなら武を極める。それこそが武人としての・・・いや、零狂院家の当主たる私の使命」

私の言葉につくづく過剰な笑いを見せる男よ。

「・・・始めるか。厄鬼姫よ。これ以上の問答は私情が絡んでしまいそうだ。我らは刃を交える運命さだめにある。」

「・・・お前も好き勝手話したのだ。それに対する見返りがあってもよかろう」

目の前の男、百紅弓成ももべにゆみなりは一瞬目を丸くし、私の鼓膜が破けるほどの声量で笑い転げてしまった。











―――どれくらい待っただろうか。

こちらが呆れて戦意を失いそうになるほど笑ったところで百紅弓成は正気に戻った。

「・・・良い。話してみよ、厄鬼姫よ」

「城の人間全てを城の外へ待避させよ」

「敵であるおぬしが何故儂らを気遣う?」

何故だろうな。

理由は分かっている。

城に人を残して私と目の前のこやつがぶつかれば、恐らく戦いの場はここだけに留まらない。

ならば城の中を空にしたほうが良いと思った。

・・・本当、自分でも分からない発想だ。

「互いに、意図せぬ死に方なぞ武人として恥であろう。もしかすると・・・本気を出せるかもしれない男が相手なのだから楽しまねば損であろう」

「ふっ・・・出会い頭からここまで生意気な小娘よ。・・・しかしその考えを持っているのは何もおぬしだけではない。おぬしが経験した事のない死線を超えてきた儂がそのような事を考えぬとでも思ったか。・・・既に儂の兵たちはお前に斬り殺されておる。本陣の全勢力を以てしても殺せぬどころか、傷一つ付けることすら叶わぬとは。・・・厄鬼姫。おぬしはまるで妖であるかのような強さを持っておる。もちろん、おぬしの力がまやかしのソレとは思っておらん。恐らく儂ですら想像を絶する修行を積んできたのだろう。じゃが、儂から一つ言わせてもらうならば、今後おぬしの力は戦国大名の治める国々どころではなく朝廷すら滅ぼす。儂が断言してやろう」

・・・まさか。私一人の力で朝廷に何を成せるというのか。成せるわけがない。

朝廷だけではない。戦国大名の恐ろしさを私は今ひしひしと感じている。

それは実力どうこうの話ではなく、風格の差だ。

積み重ねた努力が、知識が、経験が、何より時間が。

圧倒的な差を生んでいる。

「そこまで言うか。私の力を過剰評価しすぎている。」

「お前が自分の力を過小評価し過ぎているのだ。ありったけの自信に満ちあふれながら朝廷という存在に対しては身なり相応にまで小さくなりおって。」

「ならば私の力が朝廷に及ぶかどうかその身を以て確かめるが良いッ!」

私は百紅弓成を斬り―――いない?消えたのか?

何かが背後から髪に触れる同時に髪の切れ端が宙に舞い、目の前の屏風に矢が刺さる。

これが百紅弓成・・・。

「その程度ではあるまいな!厄鬼姫ェッ!」

弓成の射の瞬間が全く見えない。

いや、見えないのではない。

周りの障害物を上手く利用して射る瞬間しか手元を見る事が叶わない。

だから私の心眼を以てしても射てからでは避けきれない。

一度受ければ即座に鏃によって私の体は針山になるだろう。

射て移動を繰り返す弓成の位置からおおよその射の軌道を読み取り、大きく避ける。

「良い舞いだッ!さぁここからどうする!厄鬼姫よ!」

ほぼ同時に四方から矢が放たれる。

こんなに早い射は初めてだ。

天守の狭い座敷部屋の中、私なら一足で詰められる距離にあるというのに攻めきれない。

それだけの技量の差がある。

しかしいつまでも私が舞っていると思ったら大間違いだ。

矢を避けると相手が移動する前に刀と鞘で首元を狙う。

弓成は動きを止め、直前で刀を止めた私を見る。

「・・・単調に動いているわけではなかったが・・・見事だ厄鬼姫よ。だが何故止めた。おぬしならばここで決める事など造作もなかったはずだ」

「・・・ぬしこそどういうつもりだ。このやり取りの中で私を育てているつもりか」

「ぬかせ。小娘は儂の動きについてくればいい。儂を討ち果たすためにここまで来たのだから詮索は不要!」

その状態から私は弓成の蹴りによって座敷を跳ね壁に背中をぶつける。

「おぬし・・・恐れを成しながらもその気迫。さては奥の手を隠しておるな?出さぬなら構わぬ。出さなければいけないほどまでに追い込んでやろう!出でよ我が神器じんき!【禍津日まがつひ】」

弓成が弓を天へ掲げると同時に私は戦慄する。

なんだ?この空間全てを震撼させるような力を溢れようは。

弓成の持つ弓が夕日色に輝く。


―――聞いたことがある。

この国々には強力無比の武具が存在する。それが神器じんき

朝廷によって認められし武人に与えられるらしい。


「それが神器・・・沈みゆく日の光に似ているな。・・・それでいて武器そのものが圧倒的な覇気を放っている。並のつわものでは瞬く間気を失うほどに。これが・・・神器・・・嗚呼、成程。ようやく分かった」

私の体が恐れていたのは目の前の男ではなく―――。

「儂の禍津日に見惚れておっていいのか厄鬼姫よ。朝廷より賜った神器に優る武具など存在しないッ!加えてそのなまくら刀では儂の肉体どころか、国の鍛冶屋が鍛えに鍛えたこの重鎧に砕かれるであろうな!そもそもおぬしは老いた儂の速さにすらついて来られぬ!さぁどうする厄鬼姫。奥の手を出さねば・・・勝て―――んぬゥッ!?」


誰が追いつけないと言った。

誰が鎧に刃が通らないと言った。

誰が―――お前を殺せないと言った・・・?


「ッ! 今の今まで・・・力を出していなかったと言うのか・・・儂が見込んだ以上の・・・いや、名の通りの鬼っぷりよなぁッ!」

言うだけの鎧なのだな。

刀はめげたが、右肩の鎧は剥げている。

「そのなまくらですら凶刃となるか・・・なんとも恐ろグゥッ!?」

もう一本もめげたか。抜刀術なら鎧ごと骨を断つ自信があったのだがやはり強いな。

おっと・・・?お相手様の左肩の肉が少し切れたようだな。

「その肩では弓は引けるまい。せっかく出した神器が無駄―――」

言葉を口にしている途中で悪寒が走る。

本能じみたそれに赴くまま私は体を半身にする。

すると目の前を橙の光が横切る。


・・・何が起きた?


左肩の肉が切れたはず。

浅かったのか。

「この程度の傷で弦が引けぬなど百紅の恥!あまり儂を舐めるなよ」

「なるほど・・・さすがは百紅の長。その弓にだけは戦慄を覚える」

先ほどは何とか避けられたが弓成の射は直前では避けられない。

しかしそれは手元が直前まで見えていなければの話。

考えをまとめている内から矢は放たれてくる。

私の意識はいつもになく集中していた。

それを以てしても信じられない話。信じられない話であるが相手が自分のどこを狙ってくるのかが分かった。

左目、右肩、両膝。

それら全てを紙一重で避ける。

着物は破け、着付師以外の誰にも見せた事のない腿が露わになり、右肩も露出され、いささか遊郭という場所を思わせるような格好になってしまった。

目の前で放った矢を全て避けられてしまったのだから弓成が心底驚くのも無理はない。

これが物語でよくある形勢逆転、というやつか。

そもそも形勢が有利だと勘違いさせてしまっていたのだから逆転というより真の形勢をやっと理解したと言うべきか。

確かに弓成の射は一級品のそれだ。

我が一家にもこれほどの腕を持つ者はいない。

されど、私が負ける理由にはならない。



―――が。禍津日と言ったか。

と同じ名を持つそれを使うには圧倒的に力量が足りない。

初代様と名が一緒ならば供え物として格別ではなかろうか。

しかし此奴を殺して持って帰る事が出来るかは分からない。

神器は朝廷によって認められし武人の持つ武具。

―――しかし何故、此奴らよりも遙かに強い零狂院に神器がない・・・?

少々不思議に思う。

そう思っている内に弓成の姿が視界から消えた。

何やら足下から息づかいが聞こえるため視線を落とした。

肩で息をして、腕も上がらず、ただ大の字に転がっていた。

何故、弓使いがこのような一刀の間合いにいるのか。

戦いを楽しむが故に夢中になってしまう事はある。

しかし相手の言動や、持つ武具について考えながら戦ったのは初めてだ。

ましてや目の前で起こっている出来事を覚えていないとは。

「なんの・・・これしき・・・最後の一矢・・・を・・・」

嗚呼。ぶつくさと呟いている声でそれとなく察した。

恐らく此奴はあまりに私が避けるものだから相打ち覚悟で一刀の間合いから仕留めようとしたが私に返り討ちに・・・ん?それにしては倒れるような血が出ていないどころか刀傷すらない。

「何も傷を受けていないというのに何故そうなっている?」

「・・・神器は強力無比であるが故に・・・その消耗は異常。・・・儂の鍛え上げた肉体を以てしても、刹那の刻しか扱う事は叶わぬ・・・誠情けない事よ」

―――拍子抜けだな、と言おうとしたところで口は止まる。

老骨に鞭打ってまで本気で挑み、それでいて私を認めてくれた敵が初陣でいただろうか。いやいない。

この手の武者震いはまさしくこの男との戦いがきっかけだ。

この男がもっと強くなれば死ぬか生きるかの瀬戸際で私を高ぶらせてくれるのではないか。

考え込んでいたところで我に返ると私を見上げる弓成へ手を差し伸べた。

「もしここで刀を突きつけながらこの願いを言えば、恐らくお前は自刃する。百紅藪雨山弓成ももべにやぶさめのやまゆみなりよ。我が下で武に励め。復讐でも快楽でもいい・・・今の活力を我が首を狙うためにとっておけ」

「厄鬼姫・・・貴様・・・儂を愚弄する気か」

「愚弄する気はない。ただ―――」

私はゆったりと弓成の腰の上に馬乗りになり、相手の体に自分の体を密着寸前まで近づけ、胸板から首元へと左指を這わせると爪を立てて首を掴み、耳元で囁いた。



―――御前は私を満たしてくれる器かもしれないと思うと殺すのが惜しくてな。



呟いてからは弓成は何も抵抗しようとしない。

背中の帯に隠していた短刀を右手で取り出し、弓成の胸板に浅く顔の方向に反り返るように弧を描く。

その間に苦悶の表情を上げながら声にならない悲痛の叫び声を上げる男を見て私は酷く胸が高ぶった。

弓成を見ながら私はそれとなく感じ取ったのだ。

兵を失った悲しみ、私への憎悪、何より小娘に武人として負け自害も出来ずに為すがままになっている自分への苛立ち。


その渦巻く感情を心底楽しんでいる自分がいる事に内心驚いている。

全力である相手を圧倒し、精神を押しつぶし、情けをかけ手中に収める。

初めこそこの男に恐れをなしたが今は憐れとしか言いようがない。


「零狂院刹夜よ。賭けはおぬしの勝ち・・・この身、好きにするが良い。しかし・・・零狂院家はおぬしの代で終わりじゃァ!」

弓成は右手に持っている禍津日を地面に立て、カツンと畳へ打ち付ける。

即座に離れようとするが弓成に抱きしめられ、離れられない。

両腕まで巻き込まれていては力を入れることすら叶わぬ。

禍津日まがつひ日照雨そばえ。この城全てを崩落させる鏃の雨じゃ。最期に落ち行く夕陽を見ながら共に逝こうぞ。厄をもたらす鬼の姫よ」

夕陽が真っ直ぐに落ちてくる。

天井を貫き迫る橙の光は、この世界の終末を表すように城を崩壊させていく。

それから逃げる術なく私は―――――





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