第3話:夜襲

―――昨夜家を発ち、小舟でゆらゆらと海を揺られて丸一日が経つ。

老いぼれが合戦の伝書を送ったのは百紅ももべに家。

百紅は弓を扱う兵が多い事で良く知られている。火の国南部に本拠を置き、その城の外郭に常駐している弓兵はおよそ三千。策も無しに城に近づけばたちまち矢の雨で死ぬ事は必至だろう。

「いやァ~…素晴らしいですねぇ…いつ何時でも次の合戦の事を考えているご様子…刹夜様は戦場いくさばに咲く大輪の華そのもの。私も軍師として鼻が高いですよォ…」

「…一度だけの御守りかと思ったが二度目まで…加えて増えるとは思いもせぬかった」

船に乗っているのは私と軍師の目代、そして漕ぎ手であり大太刀使いの零狂院 藤次郎とうじろう。日の照りで焼け焦げた肌に引き締まった肉体、甲冑を身に着けるとより大きく見える。

「…最強はこの私、藤次郎に決まっている。零狂院の分家だからとバカにした連中に、この戦で現当主おまえよりも強い事を証明してみせる。その暁には、刹夜。お前を妻に貰う」

「は…。言っておれ、幼者好きめ。だからお前の所には嫁が来んのだ」

どんな武力、どんな戦術を以ってしても私の右に出る者はこの世に存在しない。

もはやこの世の人間に私の刀を使う日が来るかどうかさえ危うい。

しかし我が愛刀、【忘刀ぼうとう骨喰ほねばみ】がただの置物になるのは私個人としても、刀としても不本意である。

この地にいないのであれば朝廷が私を恐れて島流しにでもすればいい。さすれば私の刀を使う機会もあるやもしれん。

火の国の方角が少々明るくなってきたようにも思える。今回は零狂院の屋敷のある島ではなく、一旦、南にある伊予ノ国を海岸沿いに下り、最も火の国に近い陸から舟を出している。休みながらのため、丸一日と半日になる計算だ。

「しかし今日は明るいな。伝書が届いて最期の宴というところ、か」

それが正しい判断だ。私が全土を侵略し、この地を統べる。その始まりをお前たちは目に焼きつけてあの世へ旅立てる。どうせ殺されるのなら天下人の殺されたほうがさぞ光栄のはずだ。

私はこうして考え事をしている間も、船はどんぶらこ、どんぶらこ、と前へ進んでいく。

例え、矢の雨が降って来ようと大将の私は動じない。

何故なら私が出る必要がないからだ。

―――現に我らを全滅にせしめんとする必殺の雨は私に届く事はなかった。

「さすがは御守りだな。老いぼれの教育がなっていて少しばかり関心した」

「勿体なきお言葉、感謝痛み入りまする…刹夜様」

軍師であり、私のという肩書きはこれで納得がいく。

目の前にいる零狂院 目代めじろは軍師であり、私の身を守る盾。

目代の両手に広げた鉄扇に、賊の放った矢の雨は全て防がれたのである。

「かすり傷一つありませんね?姫様」

「ふん。少しはお前の実力を認めねばならんな。…しかしあの矢の数と言えどこんな小舟の場所がよく分かったものだ」

「百紅家は代々名立たる弓兵が当主を務めるのですから…これだけの射は難なくこなせるでしょう。加えて、百紅家の本拠は海岸沿いにあるため、敵襲が来る範囲をある程度予想出来るとも考えられまする。それに…」

目代が言いかけたその時、くろがねの豪雨は降りしきる。

しかし、この矢の雨も私に届く事はなかった。

目代が弾いたのだろうか。いや、そうであれば金属同士が弾ける音が聞こえるはず。

代わりに聞こえてきたのは木材に矢が当たる音。船に穴が開いたという事ではなさそうだ。

「大翁様はこういう夜襲も予測していたという事だろう…。だからこそ、守りの戦を得意とするこの私、零狂院 藤次郎にお呼びがかかったわけだ。

櫂で弾いたのかこの男は…。

見事だが見事と素直に言いたくない。

「…これで私たちは3人で完全無欠と言えよう。…は、しょうがあるまい。こうも男くさい言動を見せつけられては認めざるを得ないだろう。この戦に紛れて二人とも首を撥ねてやろうと思ったのだが気が変わった。お前たちを私の軍に入れてやる。光栄に思え家臣共」

先ほどまで私を挑発していた藤次郎も、私のお目付け役だけかと思った目代もその場に片膝をつき、頭を下げる。

「ま、今回は土下座でない事を許してやろう。体のデカいお前たちが座り込むと私が座る場所がなくなってしまうからな…それはそうと三射目はどう避けるか?長引けば私もただでは済まない」

二人はその場から立ち上がり、ニヤっと片端の口を釣り上げる。

「あー、そうか。そうであろうな順番的に。なんと生意気な家臣共よ…。」

矢が空を切る音が聞こえる。即座に小舟の船首に立つ。

仰向けで船尾へ向かって弧を描くように跳躍すると同時に矢が目の前に迫る。

動じる事なく、体を回転させながら船尾へと着地する。死体として。

本来であればそうだ。二人の盾になってしまうような位置に跳躍したのだから体に針山の如く、矢が刺さった事だろう。

だが私は生きている。つまりは矢は致命的な箇所には当たらなかったという事。

「―――ま、これが零狂院うちのやり方であるな」

「お見事です、姫様」

「これは恐れ入った。まさか物すら使わぬとは…」

乱雑に放たれた矢の中で私たちに当たる可能性のある矢は僅か数本。

いくら小舟と言えど矢が当たっても舟が沈むほどの穴が空くわけもない。

―――だから矢を手に取ったのだ。私たちに当たるであろう数本を。

「敵ながら見事だ。この数本は確実に脳天を狙って来ていた。この見えぬところでよく当ててくるものよ」

「あー…姫様。先ほどの言葉の続きを良いでしょうか………見えております」

…。

…………は?

「今なんと?」

「ですから敵は目の前に見えておりまする」

通りでハッキリと灯りが見えるはずだ。

そうして船は砂浜に乗り上げる。

私と家臣は上陸すると弓を引いて合図を待つ兵に顔を向ける。

「夜襲とは卑怯なり。零狂院を恐れての事か、はたまた、弓に固執するあまり己が剣技を疑うか!」

「ここは我らが城下!百紅家の領地であるぞ!たかが賊を討つのに何を恐れなどと片腹痛い」

弓を構える兵の間から一人の男が嘲笑しながら出てくる。

恐らくはこの防人たちの長であろう。

「賊…?零狂院を賊と称したか―――良かろう。夜明けまで待つ。その間にたらふく兵糧を胃に納めておくんだな」

「何を世迷い言を…!」

矢は直線状に放たれる。

しかし私を狙ったであろう矢は鉄扇によって阻まれる。

「我は軍師、零狂院 目代」

奇襲をかけたつもりの防人の長は生唾を呑む。

再び、矢を引かせると、半数を放物線を描くように放った。

僅かな時間差で私は恐らく死ぬだろう。

しかし私の目の前で櫂が揺らめく。―――否、我が家臣の大太刀である。

正面は鉄扇、頭上は大太刀に阻まれ、たじろぐ防人の長。

「我が名は零狂院 藤次郎」

「ふん。賊の男が守る姫君はさぞ弱々―――!?」

防人の長は何かを言いかけて口を止める。

戦慄。その表情はまさしくそれだ。

「我が名は厄鬼姫やっきひめ。貴様らが賊と称した武神貴族の長なり」

弓を構える兵の指が震えている。どうやら標的が定まらないほど頭が恐怖でいっぱいらしい。

「百紅家当主に伝えよ。―――朝まで待つ。死にたくなければ総力を決せよ。夜明けと共に厄鬼姫は行くとな」

私に驚きの表情を上げると、防人の長は慌てて城へ伝令を遣わせたのだった。












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