封印 13

 特殊な光があたりを包んだのは、ハリスが元の持ち場に戻ってきた瞬間だ。

 目を腕で覆い隠し、しっかりと目を伏せても、両目が受ける衝撃を防げない。ハリスはしばし視力を失い、その場に立ち尽くす。

 戦場の中で目が見えないとの状況にありながら、ハリスに不安はなかった。光は、アストとリタが儀式をはじめたばかりの時に溢れ、聖騎士たちを優位に導いた光と同じものだと、感覚で理解したからだ。おそらく封印の完成と共に放たれた光は、先ほどと同様に、地上の民を優しく守る事だろう。

 ただ一点、すぐにでも確認したい事を確認できない事実だけが、ハリスの心を駆り立てた。洞穴に落ちたカイがどうなったのだろう。もし落ちたままであれば、封印か完成する事によって、洞穴の中に閉じ込められてしまったのではないだろうか。

 ハリスは視力を取り戻すまでの時を、不安や苛立ちを抱きながら待った。やがて薄目を開けられるようになると、狭いハリスの視界に、洞穴の入り口に出来上がった扉と、扉の前に立つ男の背中が映った。

 あの立ち姿は見間違いようがない。紛れもなく、カイその人だ。

 封印の前に洞穴から出られたのだと、ハリスは一瞬安心しかけたが、一瞥し、けして安心できるものではないと知った。カイの状態は遠くから見ても判るほどに酷いものだったのだ。上半身の服は大半が焼け焦げており、壊れたのか自ら捨てたのか、鎧が一部失われている。それらに比べれば可愛いものかもしれないが、足元には血の染みが広がっていた。

「カイ様!」

 ハリスは名を叫びながら主に駆け寄った。

 しかしいざ近寄ってみると、カイの体にはまったく傷が見つからなかった。事態を瞬時に把握できなかったハリスは、延ばしかけた手の行き場を失い、立ち尽くす。

 身に付けた服や鎧をここまで痛めながら、身体には傷ひとつ残さない芸当が可能な人間がいるとは思えない。可能だとしても、戦場においてそのような事をする必要性がないだろう。ならば、一度は傷付いたが、すでに傷を癒したと考えるべきだろうか。

 瞬時に傷を治せる人物がこの場に存在するのだと思い出したハリスは、リタの姿を探す。だが、リタは封印をはじめた時から一歩も動いておらず、疲れきった様相で肩を落としていた。

 封印以外の事に力を割いた様子は見られなかった。それは勝手な思い込みかもしれないが、ハリスにとって確信だった。ではどうしてと疑問に思いながら、上手く言葉にできないままカイを見下ろすと、カイは深く息を吐いてからハリスに向き直る。

「望むだけで治るんだよ。俺の体の傷は」

 笑っているのか困っているかも判断しにくい複雑な表情が、正直に語る事は本位でないと物語っていた。だと言うのに、ハリスが訊ねるよりも前に真相を語りはじめたのは、晒してしまった明らかな不自然を、ごまかす言葉が見つからなかったのだろう。

「言っただろう。俺は死なないって」

「私は――」

 シェリアやリタやアストの力を目の当たりにしてきたハリスにとって、新たに明らかになったカイの力は、エイドルードが自らの血族に与えた奇跡のひとつと考えれば、驚くようなものではない。しかしハリスは確かに驚いて、しばらく言葉を失った。

「もっと違う形でと、思っておりました。そう、エイドルードは運命によって、貴方をお守りしているのだと」

 言葉の自由を取り戻したハリスは、正直な告白に応えようと、正直な言葉で返す。すると、カイは皮肉混じりの、どことなく幼い笑みを浮かべた。

「エイドルードがそこまで万能だったら、俺はジークの元で育たなかったし、リタだって魔物狩りにはならなかっただろうさ」

 冷たい言葉は、自身やリタの生い立ちを呪っているようにも聞こえたが、違うのだとハリスは理解していた。目の前の青年が、ジークと名乗った男と過ごした日々を、呪うわけがないと知っていたからだ。

「エイドルードは地上の民から見れば絶対的な力を持っていたが、それでも、本当の意味で運命を定めるほどの力は持っていなかった。ただ理想の運命を考えて、理想を叶えるのに必要な力を、理想を叶えるのに最も相応しいと思う者に押し付ける、それだけの存在だった」

 エイドルードを軽視するカイの発言に、色々と思うところはあったが、ハリスは何も言わなかった。

「俺はエイドルードが理想とする運命を辿るために必要な存在だから、簡単に死なれたら困るからと、こんな力をよこしたんだろう。最強の魔物狩りジークや、聖騎士たちに守られる中では、必要のない力だったがな。はっきり言って、役に立ったのは今日が初めてだ。意味のない、無駄な力にならなくてよかった」

「なぜ、今日まで隠されたのです」

 はぐらかされる事も覚悟していたハリスだが、答えは意外なほどあっさりと返ってきた。

「言いたくなかったからだ。エイドルードがわざわざ残した力が、自分ひとりだけしか助けられない、しょうもない力だった、なんてな」

 皮肉混じりの笑みに言葉通りの照れ臭さを付加しながら、カイはハリスから目を反らす。

 だが、ハリスはけしてカイから目を反らさなかった。どうしようもない力だと言うカイに反し、ハリスは別の、神の意図を感じとったからだ。

 カイはつい先程、自ら語ったではないか。エイドルードは、理想を叶えるのに必要な力を、理想を叶えるのに最も相応しいと思う者に押し付ける、と。

「エイドルードは、リタ様より、アスト様より、カイ様の生存を最優先している、という事でしょうか」

 思いついた事を率直に口にすると、カイは顔を反らしたままの状態で目を伏せた。

 返答はない。この沈黙を、肯定として受け取るべきだろうか?

「考えすぎだ」

 しばし間をおいて紡がれた短い言葉の中に、否定の意味を見つけたハリスは、身を包む緊張をわずかにほぐした。

「みんなが果たすべき役割を果たさなきゃ、地上が辿る運命はひとつだ。俺だけ生き残ればいいって話じゃない――そうか、さっきは言い方を間違えたんだな。エイドルードは、死なれたら困る者すべてに、こんな力を与えたわけじゃないのだから。俺がこの力を持っているのは、おまけみたいなもんだ」

「おまけ?」

「さっきも言った通り、エイドルードは俺たちにそれぞれ役目と、役目を果たすために必要な力を押し付けた。力なんていくらあっても困らないが、残念な事に俺たちの体は、地上の民と変わらない。だから、限界ってものがある。アストは、必要な力だけで限界だった。リタとシェリアは、結構な余裕があったから、色々と便利な力を貰えた。でも俺は中途半端だったんだろう。少しだけ余裕があったから、意味があるのかないのか判らないような、しょうもない力がおまけについてるんだよ」

「意味はございます。エイドルードの、偉大なるお力です」

 ハリスが言うと、カイは鼻で笑った。

「誰ひとり救えない神の力に、意味を見出せと言われてもな」

 自嘲ぎみの冷たい瞳に見据えられ、ハリスは会話を切り上げた。会話ひとつ上手くできないものだなと、内心で自虐しながら、カイが咄嗟に目を向けた方向を見つめる。

 光の剣を手にしたアストが立っていた。空に向けていた目を閉じ、俯くと、儀式の間中少年の体を包み込んでいた淡い光が、急に輝きを失った。

 小さな体がよろめく。カイは咄嗟にアストに駆け寄り、土の上に倒れ込む前に体を受け止めた。

「アスト」

 カイは優しく息子の名を呼び、軽く体をゆすったが、アストの目は固く伏せられたままだった。

 外傷はどこにも見当たらないので、疲労によって気を失っただけだろう。小さな子供に倒れるほど重い使命を強制しておきながら、安堵する事はおかしいと思いながら、やはりハリスは安堵し、目を細めてアストを見下ろした。

「少しの間、アストを頼む」

 カイに乞われるまま、ハリスは腕を伸ばす。濃い疲労を浮かべるアストの寝顔は、とても安らかには見えないが、せめて存分に休んでもらおうと、優しく抱きとめた。

 アストのそばを離れたカイは、役目を終えた鞘へと歩み寄り、地面から引き抜いた。纏わりついた土を払う手付きは、相変わらず優しいものだった。

 風の流れが変わる。ハリスは顔を上げ、カイは振り返った。封印は完了したが、魔物たちが消えたわけではない。剣を喪失したカイは、迷う事なく鞘を構え、応戦の意志を見せた。

 しかし、カイと魔物が接触するよりも、聖なる雷が魔物の体を打ち抜くほうが早い。振り返ると、勝気な笑みを浮かべたリタが、魔物へ向けて白い腕を伸ばしていた。

「洞穴の封印は完成した。即座に撤退の準備を」

 アストの眠りを妨げないよう、落ち着いた声で周囲の聖騎士たちに指示すると、彼らはハリスの意志をすべての者に伝えるために散開した。残って魔物たちの足止めをする役の者たちは、勇猛に魔物たちに向かい、アストたちを護衛し真っ先に後退する役を追った者たちが、ハリスの周囲に集まりだす。

 人の輪を押しのけてカイの姿が現れた。カイはアストの腕を掴み、アストが握りしめている光の剣を、苦戦しながら鞘に納める。

 ひと息吐き、立ち上がったカイの手から、鞘を奪い取る手があった。

 伸ばされた手の主が誰か、ハリスの位置からは見えなかったが、アストが眠っている今、カイの手から平然と鞘をもぎ取れる存在は、ひとりしかいない。

「リタ」

 カイが名を呼びながら振り返ると、リタは鞘を肩に担ぐ。

「今は荷物持ちはいらないぞ」

「知ってるわよ」

「じゃあなんのつもりだ。当初の予定通り、おとなしく撤退しろ」

 首を振る動きに合わせて、金色の髪が細かく振るえ、輝いた。

「そうするつもりだったけど、今の様子を見たら、ちまちま戦いながら後退するより、相手を全滅させた方が手っ取りばやい気がするのよね。だから私、とりあえず残ろうかと思って」

「正気か」

「正気よ。思ってたより余力あるし。いざという時に身を守るために、シェリアを貸してもらえれば完璧かなって」

「駄目だ」

 カイは慎重な手付きで、鞘に手を伸ばす。

「人の妻を勝手に便利な道具扱いしないでくれ」

 優しい声だった。

 優しいからこそ震えるほどに冷たい言葉で、鞘を受け取る静かな動作は、奪い取るように乱暴に見えた。

 シェリアであったものを介して触れ合ったふたりの間に走る緊張。過去を知るがゆえにか、敏感ゆえにか、気付いてしまったハリスは、一瞬だけ固く目を閉じた。

「ごめんなさいねと言っておくわ。特別な道具扱いしている貴方に言われるのは癪に障るけど」

「それはもっともだな。俺も、すまんと言っておく」

 リタは勝気な微笑みを見せる。あたかも、謝らせた事に満足したかのように。

 だが、真実は別のところにあるのだと、気付いている者はいくらか居た。それはハリスや、同様に察したジオールであり、リタ本人や、笑みを投げかけられたカイでもあった。

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