封印 6

 アストは森への道を進んでいた。

 洞穴の封印のために北へ向かうのは明日の早朝である。護衛隊長のハリスは、「本日は城でごゆっくりされたほうがよろしいのでは」と、アストの外出をやんわりとたしなめたが、アストはどうしても、明日の事をユーシスに報告したかった。

 城を出るだけでもたしなめようとするハリスが、森に行きたいと告げるアストに難色を示すのは当然であったが、幸いにもアストには、父親やリタといった強い味方がふたりもいる。父は「いいんじゃないか? 誰か護衛を連れていけば」と、リタは「いいんじゃないの。護衛に私が着いていってあげようか?」と、驚くほど軽く背中を押してくれたのだ。

 アストひとりだけのわがままならともかく、カイやリタにまで言われては抑えようがないと判断したのか、ハリスはしぶしぶアストが森に行く事を許してくれた。無表情ながらどことなく不機嫌そうな様相で、アストの背後にくっついて来ている。

 アストは少しだけ申し訳ない気になった。彼ら聖騎士は明日、封印の儀式のために魔物たちの中で無防備になるアストたちを守る役目があるのだ。今日のアストのわがままにつきあう暇があったら、明日のためにゆっくり体を休めたいだろう。

 口に出してしまうと、「ならば帰りましょう」と言われてしまいそうなので、心の中だけで「できるだけ早く帰るから、ごめん」と繰り返し謝りつつ、アストは先を急いだ。

 屋敷が見えはじめると、アストは駆け出し、はじめて会った日と同じ窓の前に立った。

 今日のユーシスは部屋の中に居た。寝台の上で上体を起こし、熱心に本を読み耽っている。どちらかと言えば勉強が好きではないアストにとって、誰に指示されずとも読書に精を出すユーシスの姿は信じがたいものだったが、こんなところでひとり――しかも体がさほど丈夫ではない――彼に許される時間の過ごしかたは、それしかないのだろう。

 邪魔になるかもしれないと一瞬考えたが、基本的にはためらわず、アストは窓を叩いた。

 ユーシスはすぐに音に気付き、本からアストへと視線を移す。わずかに目を見開いたのは、アストの登場に驚いたからだろうか。

 肩にかけていただけの上着に袖を通したユーシスは、本にしおりを挟んで閉じると、寝台を出て窓際に近付いた。鍵を開け、窓を開け、アストの居る空間と彼自身の空間を繋げる。

「またお母さんの所に来たの?」

 第一声がそれだった。どうやらユーシスには、誰かが自分に会いに来る、との発想がないらしい。

 アストは肩と共に眉尻を落としながらも、口からもれかけた呆れだけはなんとか抑えた。

「あれからどうだ? 魔物とか。出てるのか?」

「それなら大丈夫だよ。森のもう少し奥のほうに、小さな魔物が何体か出たらしいんだけど、そのくらいですんでる。この前みたいな大きな魔物は出てないし、小さい魔物はここまで近付けないみたいで」

「じゃ、お前には問題ないんだな」

「うん。屋敷の周りにいつもひとの気配があるのって、ちょっと慣れないけど……それ以外は今まで通り」

 アストは辺りを探し、少し離れて立つハリスの向こう、なんとか視認できる位置に立つ兵士の姿を見つけた。聖騎士たちはすべて明日の儀式のために動員されるので、ユーシスの警護は今日から兵士たちの仕事になっているのだ。

 もともとザールにいた彼らは、ユーシスの噂や過去の事件をよく知っているのだろう。あまり近付きたくないとの思いが遠くからでも丸見えで、アストとしては気分が良くなかったが、職務放棄しないだけましだと思うようにした。今日と明日を乗り越えれば、もう警護の者は必要なくなるのだから。

「あのさ、俺、明日ちょっと出かけるんだ。父さんとか、聖騎士のみんなとかと。難しい事はよく判らなかったけど、今ちょっと魔物が強くなってて、そのせいでこのへんまで魔物が出るようになっちゃったんだって。だから、魔物の力をちょっとだけ弱めに行くんだ」

「そんな事ができるんだ」

「うん。できるんだって」

 ユーシスは感嘆のため息を挟んで続ける。

「やっぱり君、凄い人なんだね」

 やっぱりと言われてしまうと、小さく胸が痛んだが、アストはその痛みに気付かないふりをした。

「それで? 弱まったらどうなるの?」

「ここまで魔物が出てこなくなるんじゃないかって」

 ユーシスはほとんど無表情のままだったが、口元が小さく動いた。もしかしたら誰にも判らないほど小さく微笑んでいるのかもしれないと疑ったアストは、彼の視線がアストから少しはずれるのを見逃さなかった。

 アストは振り返り、ユーシスの視線を追う。先にあったのは、薄い明かりを浴びて鈍く輝く聖十字――アストの乳母でありユーシスの母であるレイシェルの墓だ。

 そうだった。魔物の脅威に晒されているのは、ユーシスだけではない。ユーシスに寄り添うように眠る、レイシェルもなのだ。

「ちょっとした儀式をしなきゃいけないらしいんだけど、そんな難しい事じゃないって父さん言ってたし、俺、頑張るよ。頑張って成功させる。そしたら、レイシェルさんも、お前も、大丈夫になる」

 ユーシスは小さく肯いた。

「あのさ、お前やレイシェルさんの事を守ろうとした人たちはちゃんといてさ、でもその人たちはみんな、力があっても大人だから、お前たちを守る事はできても、できない事が沢山あったと思うんだ」

「そのくらいは、判ってるよ」

「でも俺は子供だから、ちょっとは違うと思う」

「そうかな」

「そうだって。だからこれからは、俺がお前たちを守るんだ」

 言ったアストは、自身が音にした言葉の中に違和感を覚え、戸惑いながらも正体を探ってみる。しかし答えはどこにも見つからず、気持ち悪さに胸元を抑えてみたが、何も解消されなかった。

 色々なものをごまかそうとしたアストがユーシスに笑いかけると、ユーシスの表情に変化が現れる。

 今度はアストでも確認できる、きちんとした微笑みだった。

「ごめん」

 しかしユーシスの口から出てきた言葉は、アストにとってあまり嬉しいものではなかった。

「なんで謝るんだ?」

「えっ、なんだろう。なんとなく出てきたんだけど……『迷惑かけてごめん』かな?」

「うーん、あんまり嬉しくないな」

 アストが素直な感想をもらすと、困惑したユーシスは、長い時間考え込んだ末に、新たに言葉を選び直した。

「えっと……ありがとう」

 恩を着せたかったわけではないので、やはり嬉しいと言えるほどではなかったが、謝られるよりはよっぽど良いため、アストは肯いて受け取った。

「で?」

「『で?』って?」

「だから、結局君は何しに来たの?」

「何しにって……」

 この期に及んでそんな質問を投げかけてくるユーシスに対し、アストは心底呆れたのち、めげそうになった。そして思った。今まで交わした会話が、ユーシスにとってなんの意味も持たないものだったとしたら、とても寂しい事ではなかろうか、と。

 負けるまい。アストは心の中で決意する。勝ち負けを競うものではないはずだが、アストの気分的には、すでに勝負となっていた。

「お前に会いに来たんじゃないか」

「どうして?」

「どうしてって、話をしに来たというか……えっと、あれ? こういうのって理由がないといけないんだっけ?」

 アストが腕を組んで考え込む。ほぼ同時に、ユーシスは軽く首を傾げた。

「でも、なかったらわざわざこないよね?」

「あー、そうか……そうかなあ?」

「だって、今このあたりは魔物が出るかもしれないんだよ? 護衛の人がいるからそんなに怖くはないかもしれないけど、一応、命がけじゃないか。あと、君は救世主様なんだから、わざわざ君から足を運ばなくてもいいんじゃないのかな?」

「そしたら、お前が城に来ないといけないじゃないか」

 アストはユーシスと同じ方向に首を傾げて目を合わせ、ユーシスの両の瞳が動揺に揺らめくのを見逃さなかった。

「あんなに嫌がってたのに」

 瞬きする事も忘れて凍りついていたユーシスが、ようやく答えたのは、木々をしならせるほど強く吹いた風がゆるまり、騒がしい音が静まった頃だった。

「それは絶対に嫌だけど」

「だけど?」

「僕と君は会わなきゃいけないわけじゃないんじゃないかな」

 今度はアストが凍りつく番だった。

 ユーシスの指摘は間違ってはいない。確かにアストとユーシスは、会わなければならないわけではなかった。会わなくともそれぞれの日常は続くし、会ったからといって地上が救われるわけでもないのだから。

 だからといってアストには、ユーシスの言った事が正しいと思えなかった。

「でも、会っちゃいけないわけでもないよな」

「どうかな。後ろの人たちとかに、あんまりいい顔されなさそうだよ? 救世主様が魔物の子と、なんて」

 ユーシスは一瞬ハリスの表情を確かめたが、ハリスは気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか、なんの反応もしなかった。

「関係ないって。いや、お前が本当に魔物なら、俺もちょっとは考えたと思うけど、実際は違うんだし。俺がお前に会いに来たって、俺やお前が死ぬわけでも、他の誰かが死ぬわけでもないんだから、会いたいと思った時に会いに来るよ」

 ユーシスの喉が鳴った。それとほぼ同時に、彼は激しく咳き込みはじめた。

 顔を反らして背中を丸め、連続で何度も咳をする様子が辛そうで、慌てたアストは混乱し、腕を伸ばす。背中をさすると、ユーシスは少し楽になった顔をした。

 触れる事で、肋骨が浮くほど細い体である事を知った。体があまり丈夫ではないと聞いているが、まともにものを食べているのか気になるほどだった。

「ごめっ……ちょっと、驚きすぎて、むせた」

 勢いが少し落ちつくと、ユーシスは咳の合間を縫って説明してくれた。どうやら悪い病気ではないようで、その点では安心だった。

「変な人だね、君は」

 咳が止まると、大きく深呼吸してからユーシスは言った。

「俺から見れば、お前のほうがよっぽど変な奴だけどな」

「そうかな」

「絶対そうだって」

「違うと思うけどなぁ」

 小さく声を上げて笑うユーシスの表情は、出会ってから今日までアストが見たものの中で、一番柔らかく、一番自然に笑えているものに見えた。

 少しは心を開いてくれているのかもしれない。アストはそう勝手に決めつけ、勝手に得意な気分になる。

「ごめん。僕、ちょっと疲れてしまったから、休むね」

「あ、そっか。ごめんな、話長くなって」

 上着を羽織っていたもまだ寒いのか、自身の肩を抱きながらユーシスは、ゆっくり、はっきりと首を振った。

「もし気が向いたら、また来て」

 照れ臭そうに呟かれた、消え入りそうなほど掠れた声を、アストは受け止める。

 言葉では何も返さなかった。肯きもしなかった。だが、勝手に笑いだす顔が、何よりも判りやすい答えのはずだった。

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