封印 3

「貴方は、私たちが知らないような事を、沢山知っているんじゃないの? アストや、私たちや、この大陸が辿る運命――エイドルードが定めた事を」

 穏やかな口調ながら問い詰める意味合いを込めて言うと、先の話をするためハリスに向いていたカイの目が、リタを捉える。11年ぶりに見るその目は、以前と同じようでいて、他人のような白々しさがどこかにあった。

 失望したと言っては、身勝手がすぎるのだろう。過ぎた時間や、彼の人生に起こった数々の経験を思えば、変わる事は至極当然、変わらなければ生きていけなかったのだろうとさえ思える。

 だが、リタは見つけていたのだ。昨日出会ったアストの中に、かつてのカイにあったものを。だから、心のどこかで期待してしまったのだ。

 判ってはいる。カイが変わろうと、変わるまいと、今の自分には何の関係もないのだと。悔しいだの寂しいだのと思う事が、間違っているのだと。

「いいかげん、ひとりで抱え込まずに、全部白状したらどう?」

 叩き付けるように机に手を置くと、会議室には不似合いな大きさの音が響いたが、カイが身動きひとつせず黙ったままでいたので、リタは身を乗り出し、少しでもカイに近付こうとした。

「何から語っていいか判らないほど、貴方が得たものが多いと言うなら、ひとつずつ質問してもいい。たとえば、そうね。アストはなんのために生まれてきたのか、あの子の役割はなんなのか、まずはそれを教えて」

「役割、と言うと?」

「以前は、産まれてくる子はエイドルードの代わりに天に昇って、長く封印を守る者なんだろうって思ってた。けど、アストが産まれて違うって知った。アストの使命がそうだったのなら、あんなものと共に生まれる意味がないもの」

 語るうちに、語気は徐々に強くなっていく。質問のつもりで音にした言葉は、叫びに近いものとなっていた。

 だがやはりカイは、気を乱す事なく、悠然とした態度で座ったままだ。

「確かに俺は君たちより多少深く事情を知っているが、それは俺が果たすべき役割に必要だからだ。それが君の目に、自分勝手にひとりで抱え込んでいるように映っていたとしても、違うんだ。エイドルードが本当に考えて俺だけに託したかは判らないが、少なくとも俺は、俺だけが知っている事に意味があると思っている」

 リタは大きな目を細めた。

「そうね。意味はあるんでしょう。知っている人間が少ないほうがいい事はいくらでもある。多くの地上の民が、未だエイドルードの不在を知らないのも、私たちが今、できる限り人を閉め出しているのも、そういう事だもの。でもね、それと、貴方ひとりしか知ってはならない事とは、繋がらないでしょう?」

 リタはため息を吐き、髪をかきあげると、そのままこめかみを押さえて目を伏せる。

 うまい言葉が見つからない事に、これほど苛立つ自分がいるとは思っていなかったリタは、なんとか感情を押さえ込みながら脳内で模索し、新たな言葉を探りだした。

「言い方を変えるわ。今、貴方ひとりしか知らない事が、貴方以外の誰も知らなくていい事とは、どうしても思えないの。たとえば、あくまでたとえばよ。貴方が役目を果たす途中で死ぬような事になった時、あとを引き継ぐ人間がいなくていいの? 誰かが貴方の役目を引き継がなければならないとしたら――」

「それは無用な心配だ」

 カイの口調は穏やかだったが、他者を切り捨てるかのように冷たいものだった。心配される事が迷惑だとでも言いたげだ。

「ずいぶんな自信ね」

「大抵の事ならば、何があっても大丈夫なんだと、俺だけは判っているからな」

「それも、貴方しか知ってはいけない事なのかしら?」

 反射的に口に出してから、あまりに嫌味がすぎる言葉だと気付いたリタだったが、反省する気は微塵もなかった。今のカイの言葉や態度は、どうにも腹が立つ。嫌味のひとつやふたつ言ってやらなければ気がすまない。

 カイはふいに微笑んだ。想いを見透かされているような気がして、リタの苛立ちは更に増した。

「何も知らなかった時の俺と同じように、みんなも一度は疑問に思ったんじゃないか。同じエイドルードの子だと言うのに、なぜ俺だけが、目に見える特別な力――リタたちのように、守る力、癒す力、魔物を罰する力を、持っていないのか」

 言葉ではっきりと肯定する者はいなかった。しかし、全員が貫いた無言は、ほぼ肯定を示しているようなものだった。

 カイが指摘した通りだ。リタは疑問に思っていた。だが、カイがリタや地上の民が知らない何かを知っていると感じた時、疑問はどこかに吹き飛んでいった。知識こそが、エイドルードがカイだけに与えた力なのだろうと、勝手に納得していたのだ。

「本当は俺も、産まれた時から力を持っていたんだよ。誰ひとり、俺自身、気付かなかっただけで。だから俺は、役目を終える前に死ぬ事など絶対にない。最後までアストを導き続けるだろう」

「それを信じろって言うの?」

「信じてくれと言うしかない」

「納得いかないけど、納得するしかないわけね」

 カイは苦笑いを浮かべて肯いた。

「そうだな。確かに、君たちの不満を買ってまで、すべてを隠す必要はないのかもしれない。たとえば君がさっき訊いたアストの役割。まだ幼いアスト本人に伝えるのは酷だと思って黙っていたが、リタは知るべきだろうし、3人に教えても問題はないだろう」

 カイの言葉の中にひっかかる点を見つけ、リタは正直に反応した。

「私が知るべきってのは、どういう意味? 私にもまだ何か役割があって、そのために必要な知識って事?」

「まさにその通りだ。今知る必要はないんだろうけどな」

「なんなのよ、私の役割って……」

 リタは問いかけながら、ずいぶん前から気にかけていた事を思い出し、答えが来る前に続けた。

「そういえば私、ひとつ気になっていた事があるの。アストが産まれた頃からずっと、北の方角に惹かれ続けていたって事。ザールとか洞穴とかに導かれているのかと思いつつ、放っておいたんだけど、今日、ザールに到着した頃から、私を惹きつける方向が急に変わったの。正体を探ろうと思って惹かれる方向へ進んだら、そこには森があって、アストが居た」

 カイの目の中に鋭い光が生まれる。まるで動揺を押し殺そうとするそれは、リタを見上げた。

「この力は、役割に関係するの?」

 閉じられたカイの唇が、戸惑いを示すようにわずかに歪んだ。悩んでいるのだろう。言うべきか、言わざるべきか。

「今はまだ言わないでおこう」

 やや長い沈黙を挟んで届いた返答がそれだったので、リタは乱暴に座り直し、腕を組んだ。心から不愉快な回答だったが、納得すると決めて宣言した以上、苛立ちに任せて口を挟む事はできなかった。

「話を戻そう。アストの役割は、リタの言った通りだ。エイドルードの後継者となり、魔獣の封印を保つ事じゃない。いずれ時と共に封印が消滅しても、人が生きていける大地をつくる事。それこそが、エイドルードがアストに押し付けた使命なんだ」

 アストの誕生を知った時から薄々考えていた事ではあったが、カイの口から語られる事によって予想が真実に変わると、リタの中に鈍く苦い痛みが湧き上がる。

 同情か、あるいは同調なのか、痛みの原因を探るため、リタは自身の胸に手を置いた。

「アストはやがて、神の剣を手に、ひとり洞穴を進む」

 リタは洞穴に足を踏み入れた事がない。近付いた事すらない。だが、地上を脅かす力の根源が、先にあるのだ。暗く、恐ろしく、辛い道のりである事を想像するのはたやすい。

 その道を、アストはひとり行くのだ。残された時間、5年以内に――15歳にもなれないうちに。

「神の剣で、魔獣を滅ぼすために、ね?」

 震える声でリタが言うと、祈るように目を伏せ、俯いた。まずはルスターが、続いてハリスが、最後にジオールが。偉大なる神の末裔とはいえ、まだ小さなアストに救済を求める自身を、恥じているようにも見えた。

「よかった」

 リタが素直な想いをこぼすと、カイがためらいながらリタを見つめる。

「よかった? 何がだ?」

「判らないわよ。貴方が教えてくれないんだから。でも、私はアストの使命を知るべきだ、と貴方は言ったでしょう? それは私が、いつかひとり重い使命に向かうアストを、なんらかの形で手伝えるって事じゃないの? なら、何もせずに見守ってろって言われるよりは、ずっといいと思ったの。神の娘として産まれてきた事に、意味を見出せるようになるかもしれない、ともね」

 カイは机の上に放り投げていた手を固く握り締めた。

「君は、意味が欲しかった、と言っているのか?」

 リタは慌てて首を振った。

「ごめんなさい。無神経な事を言ったわ」

 即座に自身の非を認め、リタは謝罪の言葉を口にしたが、けしてカイの目は見なかった。カイに対して謝ったのではないからだ。申し訳ないと思った相手は、神の娘としての運命に殉じた双子の姉であって、カイではないから。

 自業自得とはいえ、重くなった空気に耐え切れず、リタはジオールに目配せし、退室する意志を伝える。伊達に10年以上も付き合っていないジオールは、すぐに理解し、肯いてから立ち上がった。

「話は終わったし、やる事は決まった。あとの話に、私は必要ないわよね。儀式の日程については合わせるわ。私は今すぐにでもいけるけど、人を集める必要がある分、そっちは時間がかかるでしょう。細かい事が決まったら報告をちょうだい」

「承知いたしました」

 リタは立ち上がると、深呼吸する間に覚悟を決め、カイを見下ろした。

「それからカイ。最後に一応聞いておくわ。答えは期待できないと思ってるけど、貴方に遠慮なくものが言える立場にある人間の義務だと思うから」

「なんだ?」

「わざわざ洞穴の封印をする必要はあるの? 今すぐアストが洞穴に潜り、魔獣を征伐するという選択はない? たった10歳のあの子に酷だとは思うけれど、14、15になれば酷じゃないって話でもないし……」

「確かに、それが一番てっとり早いな」

 また「今はまだ言えない」などとてごまかされると覚悟していたリタは、カイが朗らかに笑ったので驚いた。

「残念だが、それはまだ無理だ。理由も言える。俺はさっき言っただろう?『アストはやがて、神の剣を手に、ひとり洞穴を進む』って。だから、まだ条件が揃っていないんだ。アストが持って産まれた剣は、神の剣ではないからな」

 場が騒然とした。ならばなぜ、アストは剣を持って産まれたのか、その剣にシェリアが引き裂かれてしまったのかと、誰もが疑問に思ったからだった。

「もちろんまったく無関係じゃない。あの光の剣は、やがて神の剣に生まれ変わる。だが、その時が来るまで、アストは使命を果たせない――ついでに言っておこう。俺の使命は、『その時』をアストに告げる事だ」

「『その時』はいつ来るの?」

 咄嗟に浮かんだ質問を声に出すと、カイは曖昧に笑う。

 やんわりと相手を拒絶する、柔らかくも冷たい笑み。それだけですべてを理解したリタは、カイに代わって答えを口にした。

「今はまだ言えない、って事ね」

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