森の神殿へ 3

 傾いた陽の明かりを背に浴びながら、町の入り口から伸びる道をしばらく進む。すれ違う者はひとりとして居なかったが、賑やかな笛や太鼓の音、人々の歌声や笑い声が、遠くから風に乗って届いた。

 先頭を進むルスターは、振り返りながら「なんでしょうね?」と問うてみたが、上司であるエアも、先輩であるジオールやハリスも、首を傾げるのみで明確な答えを返してはくれない。唯一エアだけが、「悪い様子ではなさそうだな」との、感想を返してくれた。

 どうやら現状を理解できないのは、知識不足のせいではないようだ。ルスターは安堵の息を吐きながら、歩みを進めた。

 やがて人の姿がまばらに見えはじめる。大陸の果てにほど近い宿場町において、明らかに毛色の違うルスターたちは浮いているのか、ほぼ全員がすれ違いざまに視線を投げかけてきた。

「あれが原因じゃないか?」

 居心地の悪さに肩を竦めるルスターの背中を、ハリスが優しく叩く。ルスターは顔を上げ、ハリスの笑顔を確認した後、彼が見つめる先に目を向ける。

 ルスターの視界に、町の中心と思わしき賑やかな広場が映った。

 人々は一様に明るい色の服を着ていた。ある者は歌い、ある者は笛を吹き、ある者は弦楽器を爪弾き、ある者は太鼓を叩いて、明るく騒がしい曲を奏でていた。残りの者たちは、少女たちは黄色の、少年たちは緑、夫婦と思わしき者たちは青の長いリボンを手首に結び、曲に合わせて軽快な足取りで楽しそうに踊っていた。

 よく見てみれば、黄や緑や青のリボンは、町のあちこちに結び付けられていた。広場の中心に立つ高い柱からも同色の布が伸び、複雑に絡みあい、広場中を鮮やかに飾っている。

「祭のようだな」

 エアは静かに呟いた。懐かしいものを見るように目を穏やかに細めて、楽しそうに時を過ごす若者たちを見守りながら。

「祭、ですか」

「おそらくはな。秋の終わりも近いから、収穫祭の名残だろう。青は空、黄色は太陽、緑は大地の実りを象徴しているのではないか」

「よくご存知ですね」

「私の育った村ではそうだった」

 なるほど、と頷きながら、ルスターは再び風に舞う三色を眺めた。

 鮮やかにゆらめく幻想的な光景は、ルスターの感情に優しく溶け込んでくる。不思議と楽しい気持ちになり、表情は自然と笑顔に変わってしまう。

 ルスターの記憶に最も濃く残る祭と言えば、昨年の夏に王都で行われた国王の生誕五十周年の祝いで、それと比べてしまえばさすがに、規模が小さく質素だ。しかし、これはこれで美しく、楽しく、尊いものだと思える。規模が小さいからこそ、心からの感謝や祈りとい言った、人の姿が垣間見える気がするのだ。

「ちょうど祭の日に当たるってのは、息抜きには良くても、運が悪かったかもしれませんね」

「そうですか?」

「外から人が集まってくるような祭だと、宿が埋まってしまうだろ? 俺たちが泊まる余地がないかもしれない」

「確かにそうだな。先に行って宿が開いているか確認して来よう」

 ハリスの予想に同意したエアは、荷台に乗せていた自身の荷物を担いだ。

「いや、隊長」

「っと、すまない」

 ハリスに呼ばれて気付いたエアは、荷物を肩から下ろし、中から小さな袋を取りだす。それから三人の部下たちの顔を順番に見た後、ルスターに向き直った。

「行ってくれるか、ルスター」

「はい!」

 ルスターはエアから受け取った財布を両手でしっかりと握り締めた後、懐に忍ばせ、満足げに肯くハリス――なかなか人を使う事に慣れないエアに、「何でもかんでも自分でやらないでください」と注意するのはいつもハリスの役目だった――や「頼んだ」と短く告げるジオールに目で合図してから、三人に背を向けた。

 宿への道を訊ねようと、近くを通り過ぎようとしていた町人に近付く。

「もうひと息ですかね、隊長」

「この程度の事も頼まないとならないか? わざわざ人にやって貰うような事でもないと思うのだが」

「だから、『この程度』で、『わざわざやってもらうような事でもない』からこそ、下っ端がやるんですよ。遠慮なんてしないでくださいね」

「遠慮しているつもりはないのだが」

「じゃあ、ご自分の立場を理解してください」

 宿の場所を聞いている間じゅう、エアとハリスのやりとりが背後から聞こえてくる。本人たちは真面目なのかもしれないが、傍で聞いている自分やジオールにとっては面白い会話で、いつも笑いを堪えるのが大変だった。

 忍び笑いを飲み込みながら、親切に道を教えてくれた町人に礼を言い、ルスターは人ごみに向けて突き進む。この宿場町は大きいとは言えず、人口はせいぜいが数百人といったところだろうが、その数百人が一箇所に集まれば、もはや壁だ。

 はじめは腰が引けたが、ルスターの使命は大げさに言ってしまえば隊長の命令である。先輩たちの期待を背負っていると言えなくもない。慣れない人ごみ程度で挫けるわけにはいかず、ルスターは突進した。

 動く余裕もないと言うほどではないのだが、すぐそこの広場で踊っている者たちが居る事も手伝って、人の流れが読めず、前後左右から前触れもなく圧力がかかってくる。体のあちこちをぶつけてしまい、周りの人々に何度も「すみません」と謝りながら歩いていたルスターは、ふと過ぎる悪寒に一瞬足を止めた。

 悪寒は、悪い予感とも言い変えられるもので、気のせいだと振り払う前に、ルスターは自身を確認した。あちこちぶつかってはいるが、怪我と言う怪我をしたわけではないし、服が汚れたり破損したりもしていない。荷物は馬車の荷台に置いてきた事を考えると、残りはひとつしかなかった。

 さりげなく懐をさぐると、やはりあるべきものがそこにはなかった。

 人が大勢集まり、かつ人々の懐具合が温かい祭において、他人の財布を狙う輩が出没する事は知識としてあったが、まさか自分が、しかも仲間たちと離れてすぐに獲物となるとは予想しておらず、ルスターは自身の運の悪さと情けなさに腹が立った。苛立ちに顔が歪んで行く様子が、鏡を見ずとも判る。

 慌てて振り返った。財布を失ってからさほど時は経っていない。この人ごみでは、相手もそれほど遠くには逃げられまい。そう考えながら視線を巡らせると、ルスターは自分とさほど年の変わらない少年と目が合った。

 少年があからさまに目を反らし、人ごみをかきわけようと慌てて動き出すのを見て、ルスターは彼を追う。人の波の越える術は少年の方が心得ているようで、じわじわと距離が開いていった。

 先に人ごみを抜けた少年が、地面を蹴って走りだす。続いてルスターの身が解放された時、少年の影はすでに遥か前方へと走り去り――隊長であるエアの横を通りすぎようとしていた。

「隊長!」

 叫ぶと、エアは即座にルスターに振り返った。ルスターが言葉を続ける前に、ルスターが指し示す方向へと視線を送り、察してくれたようだ。荷台に戻そうとした荷物をジオールに放り投げ、「それでルスターの代わりに頼む!」と簡素な指示を出し、ハリスの名を呼ぶ。

 ハリスは肯いて応え、ルスターに振り返った。

「こいつを頼んだ!」

 一ヶ月余の旅の間に愛着を抱いた馬の手綱を手放し、ハリスはエアの後を走り出した。

 少年との距離やふたりの足の速さを鑑みれば、すぐに追いつく事だろう。安堵したルスターは、馬に駆け寄って手綱を取るとしゃがみこみ、深く息を吐いた。

「何をしている」

 ジオールの口調はルスターを責め立てるものではなかったが、それが余計に辛く、ルスターは硬く目を伏せる。

「すみません。油断していたつもりは無かったんですが……もし捕まえられなかったら、帰りの路銀がなくなっちゃいますよね。どうしましょう」

「隊長とハリスに追われて逃げられる者がそう居るとは思えんが、仮にあの財布を失ったとしても、何とかなるだろう。それぞれ個人の財布は残っているのだし、先ほどの隊長の口ぶりから察するに、元々路銀を複数に分けておられたようだ」

「そうなんですか?」

「この荷物を投げてよこして『ルスターの代わりに頼む』とおっしゃったのは、そう言う事だろう」

 ジオールは「失礼します」と呟いてから、エアの荷物を開けた。本人が居ないのだから言ったところで意味はなさそうだが、それでも礼を尽くすところが彼らしい、とルスターは思う。

 あまり中を見たり漁ったりしては失礼だと思っているのだろう、慎重に探るジオールを見上げたルスターは、やがてジオールの表情に困惑が浮かび、探る手の動きが大きくなっていく事に気が付いた。

「どうしたんです?」

「それらしいものが見つからない」

 ジオールが渋い顔をして言った。

 ルスターは立ち上がり、ジオールの手の中にある荷物を探ってみる。着替え、剣の手入れをするための道具、羊皮紙などの筆記用具など、基本的な旅の道具が小さくまとめられているだけで、確かに財布のようなものは見つからない。

「もうひとつの財布も取られたとか、ですかね」

「まさか。隊長に限ってそれはないだろう」

「すみません」

「いや、そう言う意味では……こちらこそすまない」

 ジオールは気まずそうにルスターから目を反らし、エアの荷物の口を閉じると、荷台の上に戻した。

 ルスターはジオールに気付かれないよう、小さく笑った。ジオールに悪気がない事は判っていたし、悪気があったとしても、ルスターが間抜けだった事実は否定できない。だから彼が気にやむ必要などないのだが、やはり真面目なのだろう。

「エア隊長って、家族とか恋人とか居ないんでしょうか」

 話を反らそうと、ルスターは思い付いた事を口にした。

「突然どうした」

「いえ、エア隊長の荷物の中に入ってた羊皮紙、あれって宿舎の近くの雑貨屋で五枚まとめて売ってるやつですよね。それなのに一枚も減っていなかったので」

「何束か持ってきていて、きりのいい所まで使い切った、と言う事では?」

「でも、相部屋になった時とか、隊長が手紙を書いている所なんて一度も見た事ないんですよ。ジオールさんはあります?」

「言われてみれば確かに、ない」

 ジオールは納得した表情を見せた。

「私たちは故郷が王都やその周辺であるから、故郷に向かう商人などを見つけて手紙を託す事は容易いが、隊長の場合は簡単にはいかないのだろう。そう言う事情もあっての事かもしれんぞ」

「ああ、そうか。そうかもしれないですね」

 ジオールは肯いて、彼自身の荷物を手繰り寄せる。中から自分の財布を取り出すと、それをしっかりとしまい込み、服の上から確かめるように手をおいた。

「とりあえず自分の金で宿を取ってくる。隊長たちが先に帰ってきたら、そう伝えておいてくれ」

「はい、判りました。よろしくお願いします」

 去りゆく背中が人ごみの中に消えるまで見送ってから、ルスターはようやく気が付いた。気まずい空気をごまかすために選んだ話題が、間違っていた事に。

 ジオールは自分の事をあまり語りたがらない。そんな彼が、上司の事情を探るなど、好むわけがないのだ。

「失敗だらけだな……」

 共に残された中まである馬の顔を撫でた後、紅く染まりはじめた空を見上げ、ルスターはひとりごちた。上司が、同僚が戻ってきた時に紡ぐべき、謝罪の言葉を模索しながら。

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