第2話 荒野の国-②
「あ、あのっ!」
意を決して少女は青年・春秋に声を掛けた。
「なにか?」
春秋は少女が追いかけてきたことに気付いていた。
だからこそ、待ちわびたかのように微笑みながら少女へ向き直る。
少女は胸に手を当てながら、悲痛な声で春秋に懇願する。
「私を、私をあの塔に連れて行ってもらえませんか!」
「……道案内は門外漢なんだが?」
春秋は拍子抜けしたような表情で少女を見つめる。
少女はわかっているとばかりに、それでも、と追い詰められた表情で詰め寄った。
だが少女はそれ以上の言葉が出せないでいた。
声に出すべきか、出さないべきか、少女は悩んでいる。
それは春秋に掛かる迷惑を考えての躊躇いだ。
だが春秋は、少女の目尻に浮かんだ涙をそっと指で拭い、改めて優しげに微笑んだ。
「まあ、とにかく話を聞かせてくれ」
春秋は少女の手を引いた歩き出す。
いきなりの行動に戸惑いつつも、少女は春秋の手をしっかりと握り返した。
これまで誰かと手を繋いだことのない少女にとって、繋いだ手から感じる温もりに戸惑うところはある。
だが、当の春秋は何も意識していない。
春秋が向かったのは、細い路地を抜けた先のゴミ捨て場だった。
そこには先ほどの酒場で破壊されたテーブルや椅子が放り投げられており、春秋はまだ使えそうな椅子を見つけると、そこに腰掛ける。
「で、どうして塔に行きたいんだ?」
「あそこには、私の兄がいるはずなんです」
「兄?」
「はい。十年前ほど前に、塔の建設に駆り出されたんです」
「会いに行けばいいじゃないか」
正直なところ、春秋は少女の次の言葉を予測していた。
誰にでも出来る簡単な推察だ。
どうして見ず知らずの春秋に頼むのか。
理由は明白だ。
少女は「兄がいる"はず"」と言っていた。
それはつまり、今現在その兄とは連絡が取れない状況なのだ。
兄の安否を確認するために、少女は塔に行きたい、ということだ。
「塔は、大兵団が防衛していて、誰も近づけさせてくれません。何度か門番の人に兄の安否だけでもと懇願したのですが」
「理由も告げず『帰れ』の一点張り、ってところか?」
「……はい」
「ふーむ」
少女は悔しそうに唇を噛んだ。
少女にとってその兄はよほど大切な存在なのだろう。
この広い国で塔まで向かい、何も手掛かりを掴めず無駄足を踏む。
恐らく一度だけではないのだろう。
何度も繰り返し、その度に希望は手をすり抜けていった。
それがどんなに心労が重なることか。
「兄は、私たちを養うために出稼ぎに行きました。血の繋がっていない私をずっと気に掛けてくれた、優しいお兄ちゃんなんです」
「なるほどな」
少女の兄を探したい思いは、家族としての感情を越えているのだろう。
少なくとも、春秋は少女の言葉に恋慕の色を感じていた。
大切な人を想い、傍にいて欲しいが故に。
傍にいられないのなら、せめて無病息災でいるのかどうかだけでも知りたいのだろう。
「それで、どうして俺に頼もうとしたんだ?」
少女の事情は理解した。
けれど、だからこそ余計に春秋は少女が自らを頼る理由としては不十分だと感じた。
そこにはきっと、"春秋でなければならない"、明確な理由があるはずだ。
出会いは偶然だとしても。
偶然だからこそ、少女は春秋を追ってきた。
「お名前を聞きました。炎宮春秋、様と」
「ああ、そうだ」
「……別れる時に、兄が語ってくれたんです」
先ほどまで不安げだった少女の瞳に、強い決意が浮かび上がった。
それでも不安の全てを消すことは出来ない。片肘を抱き締めながら、少女は言葉を続ける。
「炎宮春秋と名乗る、神様との出会いを」
「――」
予想を超えた言葉に、春秋はすぐに思考を走らせる。
自分自身を知っている存在を頭の中で思い浮かべ、少女と関わりがありそうな人物を探し導き出す。
思い当たる人物が一人だけ浮かび上がった。
長身痩躯の眼鏡の青年だ。濡れたような黒髪の、優しげな印象の青年。
「お前の兄は、クロード。クロード・レギオンか」
「はい。私はサラーサ・レギオン。クロード兄さんに拾われました」
「俺との出会いを聞いているのなら、俺がどういう存在かも聞いてるな?」
「はい。兄さんが別の世界から来た人――異世界転移者、というのも知っています」
「はぁ」
こめかみあたりを抑えながら、春秋はため息を吐いた。
誰も春秋の素性を知らない。
誰も春秋の目的を知らない。
だからこそ春秋は堂々と荒野の国を訪れた。
それがまさか、こんなところで見ず知らずの少女に露見してしまうとは。
幸いなことに素性を知られているだけで目的がバレているわけではないが、それでも予想外のアクシデントだ。
もう一度ため息を吐いて、炎宮春秋は、少女の言葉を一つだけ否定する。
「俺は神様じゃない。神様ほど都合の良い存在じゃない。神様ほど気まぐれな存在じゃない」
「え、でも――」
「まあ、クロードからすれば神様みたいなものだったかもしれんが」
春秋は少し昔の出会いを思い出す。
此処ではない世界。此処ではない場所。
もっともっと人の叡智が技術を盛り上げた世界で、クロード・レギオンは命を散らした。
不幸な事故だった。
一人の人間として、当たり前のように誰かを助けようとして、クロードは命を落とした。
それをたまたま知覚していた春秋が、クロードを世界の外に呼び出した。
その行いを賞賛し、終わってしまう彼の人生を悲観した。
だから春秋は、手を差し伸べた。
「俺はクロードがそのまま別の世界で生きられるように手配した。転移する世界などは部下に任せたが、まさか、この世界だったとはな」
春秋はコツコツと脇のテーブルを突きながら、見つめ続けてくる少女・サラーサを眺めた。
「……兄さんは、嬉しそうに語っていました。炎宮様への感謝の言葉を」
「偶然だ。あいつは運がよかった。それだけだよ」
「それでも、です」
瞳を閉じて語るサラーサはきっとその時の光景を思い出しているのだろう。
春秋としては、状況が変わった。
サラーサの頼みを聞くつもりではなかったが、そこにクロードが絡むのなら話は別だ。
クロードには、別の世界で生きていけるように通常の人間からかけ離れた力を渡していた。
「クロードは、炎を自由に操れただろう?」
「はい。神様からのプレゼントだって楽しそうに語っていました」
「……クロードに与えたのは、少し違うんだけどな」
それでも与えた力の性質に変わりはない。
クロード・レギオンは少なくともこの世界の人間では到底敵わないほどの力を手に入れた。
その力を用いて何をするかは、クロードの自由だ。
あの力はクロードが第二の生を謳歌するために必要になるかもしれないと判断して、授けたから。
「だが、そんなクロードが消えた」
「……はい」
そこには何か、隠さなければならない事情が絡んでいるのかもしれない。
高所からの落下で頭を強く打ち、死んでしまったかもしれない。
同僚とのいざこざに巻き込まれたかもしれない。
なにか大きなミスをして、サラーサたち家族に顔向けできないのかもしれない。
出稼ぎに向かった場所で誰かと恋をして、駆け落ち同然で行方を眩ませたのかもしれない。
あるいは。
「転生者が関わるなら、俺が動いた方が良さそうだな」
"最悪"を想定すれば、春秋は動かざるを得ない。
そしてそれは、春秋がこの世界を訪れた理由に繋がるからだ。
だがその真意を、サラーサは知らない。
「っ! それじゃ――」
「ああ、サラーサ。君をあの塔まで連れて行こう」
「ありがとうございますっ!」
空を見上げれば、否が応でも天を貫く塔が見えてしまう。
この世界を復活させたという希望の象徴。
だが春秋はなんとなく察しが付いていた。
あの塔は、希望の象徴などではないことを。
クロードの安否も気になるが、春秋にとってはそれは二の次である。
春秋の目的こそ、塔なのだ。
サラーサに真意を悟られないように、話を進める必要がある――春秋はそう判断し、話を終わらせた。
春秋の協力を取り付けたことに歓喜の感情を隠せないサラーサは、嬉しそうに路地裏から飛び出していく。
少女の背中を眺めながら、寂しげに、もったいなさげに椅子から立ち上がる。
直せばいくらでも使える程度の損傷でも、この国は平気で物を捨てる。
先ほどの食べかけのステーキもそうだ。
この世界は、物に頓着がなさ過ぎる。
……そしてそれは、物だけなのだろうか。
なるべく塔が視界に入らないように、もう一度空を見上げた。
空に広がる青い世界は、白い雲一つなく澄み渡っている。
「この世界は、間違えてしまったのだろう」
ぽつりと漏らした言葉は、サラーサの耳には届かない。
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