ー8ー

 会社ではこの頑張りが評価されて翌月の給料に反映された。ちょうどその頃に感謝状が送られてきたのもあり、プチ上機嫌な波那は顔を自然とほころんでしまう。

「波那ちゃん、上機嫌だねぇ」

 彼の向かいのデスクを使用している同期入社の望月朱音モチヅキアカネが声を掛けてきた。彼女は入社してすぐのオリエンテーリングで同じグループになり、一番始めに仲良くなった戦友的存在の女性社員である。

「そう?」

「うん、思いっきり顔に出てるもん。でもあのクレーム処理は波那ちゃんじゃなかったらあそこまでうまくいかなかったと思うよ」

 同期の労いの言葉に、波那は素直にありがとうと言った。

 ところが畠中はその件で課長に厳重注意を受け、もう少し対話を大事にしろと叱られた。少しばかり不機嫌な表情を見せている彼は、尻拭いがうまく行って上機嫌な波那が気に入らない様子だった。

 実はこの二人、デスクが背中合わせにも関わらずほとんど言葉を交わしたことが無かった。波那以外全て女性という理由で毛嫌いし、こちらを向こうともしなかった。ところがこんな時だけくるっと後ろを向き、やぶからぼうに声を掛けてきた。

「あんたが小泉波那か?」

「はい、そうですけど……」

「俺は別に頼んじゃいねぇ、あんまいい気になるな」

 その言葉に波那は軽いショックを受け、仕事でやっただけなのに……と少し悲しくなる。これに波那よりも先にカチンときた望月があんたねぇと畠中に食って掛かる。

「何なのよその言い草は」

「こっちの話に入ってくんな、腰掛けのくせに」

「やかましい、自分の仕事の出来棚に上げて腰掛け呼ばわりされる筋合い無いわよ。そもそも誰が持ってきたクレームだ?」

 若さゆえなのか生意気な口の聞き方をする畠中に対し、かなりの強者で通っている望月も負けてはいない。

「クレーム処理一つうまく行った位でニタニタするようなことかよ? ガキじゃあるめぇし」

 波那は自身の頭上で繰り広げられているバトルに首を縮ませていると、畠中の隣のデスクを使用している主任の志摩寿之シマトシユキが立ち上がった。

「波那ちゃん、ちょっと早いけどブレイク付き合ってよ」

 彼は小さくなっている部下をオフィスから連れ出す選択をする。この会社では午後三時を過ぎてからならそれぞれのタイミングで二十分の小休憩を取ることができ、ビジネスパートナーの二人は時々この時間を一緒に過ごしている。

「まだ三時なってないじゃないですか」

「それ言う前に矛を収めてほしいよ。『ありがとう』で済む話をこじらせて」

 普段は温和で物静かな志摩も珍しく畠中の売り言葉に応戦する形となるが、必要以上の相手はせずにさっさとオフィスから波那を連れ出した。

 その後しばらく望月と畠中の言い争いは続いていたのだが、最古参の女性社員である奈良橋冬子ナラハシフユコに言い負かされ、この日を境に畠中は何かにつけて波那に辛く当たるようになる。

 波那から喧嘩を売ることはまず無いのですぐに治まるだろうと皆静観していたがこれが案外治まらず、事務仕事中心の彼に対して向上心が無いと謗り出した。

「ちょっと待て、全部の仕事ちゃんと見て評価してるか?」

 これに物申したのは沼口だった。彼は波那の事務処理能力の高さを誰よりも評価し、志摩のビジネスパートナーである波那に自身の事務処理を全て任せるほどの信頼振りだ。

「小泉、少し早いが上がって良いぞ」

 このままでは喧嘩になる。課長は波那を帰らせることでそれを回避しようとした。しかし時刻は三時四十分、定期検診の日なのだが、せめてきちんと四時までは仕事をしたかった。

「いえ、時間までは……」

 そう言いかけた波那だったが、ここで奈良橋が助け船を出して畠中を牽制する。

「そう言えば事故で電車遅れてるらしいよ、余裕持って出た方が良いと思う」

 彼女は上司の意図を察知して波那に帰るよう促し、ここは言う通りにして帰り支度を始める。

 何? 畠中は事情を知らないので訳の分からなさそうな顔で波那を見つめている。

「すみません、お先に失礼します」

 波那は皆に一礼してオフィスを出ると、事情を知っている一同はお大事にと言ってさっさと仕事に戻る。取り残された感のある畠中だったが、誰も何も言わないので仕方なく仕事に戻った。

 ところが喉元過ぎれば何とやらで、ほとぼりが冷めると懲りずに辛く当たる畠中がすっかり苦手になってしまい、波那の味方である女性社員たちが総スカンをして動向を睨み付けるようになっていた。

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