第21話 糾明
「では、窓は開いていたんですのね?」
箒ちゃんは、大広間の円卓にて、可愛らしい声で質問した。
「はい、開いていました。窓付近の濡れ具合から考えて、昨日の晩から開いていたものと思われます」
後ろに立つ葛さんが平坦で抑揚のない口調で告げた。
「それでは、密室殺人ということではないのですね」
箒ちゃんは落胆したように溜息をついた。私はそんな二人をただ見つめていた。円卓には理久くん以外の全員がいた。席は昨日と変わらず、そして目の前には美味しそうな昼食があった。
しかし、というかもちろん、食べる気にはなれなかった。
私はこれまで様々な死を、つまり色々な死体を見てきたけれど、それでもやっぱり死体を見た後はこうして食欲を無くしてしまう。
「鍵は?理久様がいた部屋の鍵は見つかりましたの?」
「はい。それでしたら、ベッドわきに落ちていました。血で汚れていましたが」
葛さんは再度落ち着いた口調で答えた。昨日の夜は感情的な、普通の人並みの言葉を彼女の口から聞いていただけに、機械のように話す彼女が怖かった。
「うーん、まあ単純に考えて、犯人は理久様を殺害してドアを内から施錠して、窓から逃げたということなのかしらね」
「普通に考えればそうですね」
二人は黙り込んでいる私たちを無視して、会話を続けていた。史郎さんも私と同じように食事に手をつけられないようだった。真理さんは変わった様子はなく、食事も摂っていたが、明らかに箸の進みは遅かった。
先生は、とっくに食事を終えて、円卓の上で手を組んで黙り込んでいた。
「そのくらいでいいんじゃないかな」
箒ちゃんと葛さんの会話を、先生が口を挟んで止めた。
「推理遊びはそのくらいにして、そろそろ警察を呼ぼう。おそらく来るのにも時間がかかるだろうし、現場保全の観点から見ても早く呼んだ方がいい」
人が殺された屋敷で昼食を開いている異常な光景に、先生が正常なことを言ってくれた。私はそれができないほど衰弱してしまっていたから、今日ほど先生に感謝した日は無かった。
「そうしたいのは山々なんですけれど、この屋敷にはまだ、電話線がひかれていませんの」
残念そうに箒ちゃんが言った。
「そうか。そういえば携帯も圏外だったね。じゃあ、ロープウェイを動かして下山しよう」
先生はそう提案した。しかし、葛さんは首を横に振った。
「そう思って先ほど調べてきたのですが、電力が通っていないのです」
「屋敷の電気は無事のようだが?」
「屋敷は裏の倉庫にある発電機から電力の供給を受けています。しかし、ロープウェイは麓からの電力で動いているのです」
「その電力をロープウェイに使えないのかい?」
先生はふんぞり返って、いつも通りふてぶてしく提案した。葛さんはまた首を横に振った。
「できるかもしれませんが、私はそういった技術や知識は持っていませんので分かりません。下手に弄って発電機を壊してしまい、屋敷を暗闇にするのは避けるべきかと。食料の備蓄も冷蔵庫の中の物だけですので、電気を失えば飢え死にの可能性もあります」
怖いことを、酷く冷静に語る葛さんは、やはり機械の様だった。
「では僕が歩いて呼んできます」
史郎さんは勢いよく立ち上がった。顔つきは真剣で、強い決意を感じた。
「それはやめたほうがいい」
そんな決意を、先生があっさりと否定してしまった。
「どうしてですか?」
「また降り始めた雨が、今更に強くなっている。雨雲の状態を見るに、明日までは続くだろう。この季節だ、足を滑らせて怪我をして動けなくなれば、寒さで野垂れ死ぬよ」
確かに窓を眺めると、雨は朝よりも強くなり、豪雨と呼べるものになっていた。素人目にも、この中を下山するのは危険だと分かった。
「下山するという選択肢は有効だが、とりあえずは天候の様子を探るべきだ」
先生と史郎さんがそんな結論に至ると、箒ちゃんが大きなため息をついた。
人生に落胆したような、夢を壊された子供のような顔をしていた。
「どうして皆様、そんなに夢のないことをおっしゃいますの?」
「え?」箒ちゃんの発言に驚いて、私は素っ頓狂な声を上げた。
「だって、こんなに素敵なことが起きているんですよ?警察を呼ぶとか、下山するとか、そんな無粋なこと……」
箒ちゃんはとても嬉しそうに、楽しそうに微笑んでいた。そこには無邪気な感情しかなく、純粋にこの状況を楽しんでいるのが伝わってきた。
「そうですよね?」
箒ちゃんはなぜか、私を見ながら言った。
「だってこれは、舞様のおかげなんですもの」
私は不意に目の前が真っ暗になった。自分が避けてきたものを、逃げてきたものを、突き出されて、目を瞑ることしかできなくなっていた。
「ありがとうございます」
感謝されたところで、私は救われたりはしなかった。
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