第16話 苦悩
理久くんと私はベッドの上に腰かけた。そしてお互いを見つめながら話を始めた。
「落ち込んでいる原因はやっぱり、箒ちゃんに何か聞かれたから?」
「まあね、そんなところ。あの野郎、人が言いにくいこと聞かれたくないことをずかずか聞いてきやがって・・・・」
理久くんは冗談っぽく怒っていた。
「舞ちゃんも元気ねえな。なんか聞かれたのか?」
心配そうに理久くんは私に聞いた。私がそれが普通に嬉しくて、顔がほころびそうになるのを必死に堪えながら返答した。
「大丈夫だよ。心配しないで」
私が笑顔でそう言うと、理久くんも嬉しそうに穏やかに笑うのだった。
そのあと私たちは理久くんの持ってきたトランプで遊んだ。ポーカー、七並べ、大富豪、ババ抜きとあらゆる遊びをしたが一度たりとも勝つことは出来なかった。私はトランプというのが単純な運だけでなく、確率論や心理的駆け引きが必要であることを知った。
年下に勉強させて頂いた私は、最後の最後でなんとか彼に勝ちたいと子供みたいな駄々をこね、記憶力がものをいう神経衰弱をしようと提案した。理久くんは大人を意地をなんとしても押し通そうとした私に観念し、今にも閉じてしまいそうな瞼を無理矢理擦ってこじ開けて、深夜のトランプを承諾した。
しかし私はなんと愚かなのだろうか。記憶力がものをいうゲームで秀才の彼に勝てるわけがないだろう。それに気づくべきだった。でもそれを言うならそもそも眠そうな彼を無理矢理付き合わせている時点で私は愚か者であった。愚か者の二乗で私は顔が燃えるように熱くなった。
ベッド上に散らばったトランプは残り八枚となり勝負は佳境を迎えていた。私の元にあるカードは理久くんの半分にも満たない。惨敗は目に見えている。けれど理久くんは容赦なく淡々と残りのカードを捲って取ってしまった。
私はがっくりとうなだれてベッドに倒れこんだ。ぼふんと音を立てて埃が舞った。私は天井を見つめながら言った。
「凄いね、理久くんは。私なんて相手にさえならないや」
私は素直に感心し、自分に無い才能を持つ彼に素直に嫉妬した。
「凄くないよ。俺なんか」
「でも君は事件を解決したじゃない。それはとても凄いことでしょ?」
私には天井しか見えていない。なので彼がどんな表情をしているのかは分からない。しかし、明らかな悲しみを感じさせる声で彼は言った。
「目の前で友人が死ねば、その原因を知りたいと思うのは当然だろ」
「そうだろうね」
普通の人はそうなのだろう。しかし私は友人が死んだときも、そうは思わなかった。私は何も感じなかった。でもそれもしょうがないことだと思う。死の多い私の人生に、私自身が同情してしまう。
そんな私は滑稽で、やっぱり可哀想だ。けれど。
「俺はただ、我慢できなかっただけなんだ。分からないままでいることが我慢ならない」
それでも迷いながら、それでも真っすぐ自分の意志で進む理久くんの方が立派で――可哀想だと思った。
「なあ、舞ちゃん。俺はいつまでこうやって生きていかなきゃいけないんだ?」
理久くんがあんまりにも弱弱しい声で言うので、私は心配になって上体を起こし彼の顔を見つめた。皮肉めいた微笑みを浮かべ悲しそうに私を見ていた
「最近の俺はおかしい。いや、俺を取り巻く状況がおかしすぎる。俺の周りで殺人が起きすぎている。まるでミステリー小説の様だ」
理久くんの様子には覚えがあった。私にもかつて自分の人生のおかしさに戸惑い、必死になってその謎を解こうとしていた時期があったのだ。しかし、その時の私は幼く、彼の様にしっかりとした思案は出せなかった。それでもやっぱりその苦悩は私と同じだと思う。
だからこそ、彼がどれだけ苦しんでいるのかが私には分かった。
「俺はこれから一生、死を見続けるのかな」
その質問には答えられなかった。私にも分からないのだ。私もいつまであんなものを見なければいけないのだろうか。あんなことに何か意味があるのだろうか。無いと願いたい。あっては困る。意味なく死んで意味なく生きてもらわなければ、私は大変な罪を犯したことになるのだから。
「俺はもう限界なんだよ。でも逃げることはできない。そんなことをするくらいなら、死んだほうがマシだ」
高校生の男の子が、人生を達観したように言った。私はそれを否定すべきなのだろう。
年端もいかない子供がそんなことを言うべきではいと怒ってあげるべきだ。でもそれは私の手に余る行為だ。
人の死体を見て、これ以上見たくないと言う彼の心を、私はたぶんこの世で一番理解してしまっているから。そんな私には彼の自殺志願を止めることなんて出来やしない。
だから私がするべきことはそれではない。ありきたりな説教や優しい慰めではない。
私に何かできることがあるとすれば、教訓を教えてあげることだ。
私が幼い頃に実らせ、成長するとともに腐らせてきたその脆弱な言葉を、彼に飲み込ませてあげることだ。
私は枯れかけた木から赤黒く萎れた実を捥ぎ取った。それをそっと差し出した。
「だったら逃げてしまおう。目の前で人が死んだって関係ないよ。それでも君は死なないし傷ついたりはしないんだから」
この実は美味ではない。健康に良いということもない。しかし、この実さえあれば生きてはいける。
信念を曲げ、嘘をつき、弱者を見捨てる卑怯者になるが―――生きてはいける。そんな実だ。それを私は差し出した。
それが善意であったのか、彼を私と同じところまで陥れようという悪意だったのか、はたまた単純な悪戯だったのかは定かでない。でも、それを彼に受け取って欲しいという気持ちだけは本心だった。
「いや、それは無理だよ、舞ちゃん」
けれど理久くんは笑顔でそう言って、温かい瞳で私を見た。
「俺は目の前の死を見過ごすことはできない。自分が阻止できなかった死には、自分で責任をとる。それが出来る力があるのだからそうするべきだ。逃げることは出来ない。そんな真似をするのなら、死んだ方がマシだ」
私は何も言い返さず、黙って彼の言葉を聞いた。彼の言葉が聞き心地のいいものだったからだ。乾いた心を潤すような、勢いを持っていたのだ。
「でも、やっぱりか。舞ちゃんも俺と同じなんだね」
「同じって?」
私と理久くんに同じところなどあるのだろうか?
「箒から舞ちゃんの境遇を聞いたよ。舞ちゃんも俺と同じで――いやそれ以上の死と出会ってきたんだろ」
理久くんはそう言うと立ち上がった。
「今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかった」
唐突な幕引きだと思ったが、理久くんはおそらく眠いのだろう。無理に付き合ってもらったことに罪悪感を抱いた。
「うん、ありがとう。また明日ね」
理久くんはドアの前でスリッパから運動靴に履き替えて、こちらを向いた。
「じゃあね舞ちゃん。さよなら」
そう言って理久くんは部屋を出て行った。
残された私はいくら年をとっても、誰かに何かを教えるのは一生無理だなと思った。私は先生の様にはなれないらしい。
「まあ、なりたくもないけれど・・・・」
ベッドの上には、理久くんが残していったトランプが、奇麗に重ねられた姿で残っていた。ぽつんと残されたそれは、なぜか寂しそうに見えた。
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