半分世界ちゃったde 

伊留 すん

第1話 都会のオアシスより緊急のご連絡

 ここは昼前の穏やかな時間が流れる、喫茶店『マカレナ』。

 テーブルの上に置いてあるのは淹れたてのコーヒーと美味しそうなサンドイッチ、窓から差し込む陽の光に癒されつつ耳をすませば、程よい音量でクラシックが聞こえてくる。テーブルと椅子はアンティーク調の立派な造りで座り心地は素晴らしく、客席の間隔が広く取られた店内には落ち着いた雰囲気と高級感が漂っている。

 こんな最高の空間を提供してくれると言うのに、マカレナはチェーン店並みのお手頃価格な上、駅前立地なのになぜかいつも空いているという、都会のオアシスを地で行く奇跡の店だ。

 日々仕事に追われる生活の中で、マカレナで遅めの朝食を取りながら休日の予定を優雅に決める、そんなちょっとしたゆとり時間が、しがない会社員である俺の数少ない幸せの一つになっている。

 

 今日も、いつもと同じく玉子サンドとコーヒーのセットを注文、いつもと同じく窓際の席へ座り、いつもと同じく素晴らしき休日をこのマカレナで迎えようとした――のだけれど……。

 今現在、いつもと異なる事態が発生していて……ちょっと……、いや……かなり……。正直に言ってしまうと、泣きそうなほど困っている……。


 大の大人を泣くほど追い込んでいる、その事態とは何か――

 引っ張っても仕方がないので、とっとと言わせていただく。

 俺の真横に、顔の倍はあろうかという特大サングラスをかけた小柄なおっさんが突っ立ち、微動だにせず、トンボみたいなツラで俺の事を至近距離から延々見つめ続けてくるのである……。

 一体……何がしたいんでしょうか……? 怖い……。

 そのおっさんに面識は全く無い。俺が席へ着いた直後に出現、そのまま10分以上、この悪夢みたいな状況が続いている。

 どうして一言も喋らないの……?

 そんな巨大なサングラス、どこで買ったの……? 


 意味不明な上に、おっさんの鼻息にはスピー、スピーと笛ラムネみたいな音が混じっているから、恐怖感と不快感が尋常じゃない。

 

 店員さん!! おたくのフロアで、とんでもない事態が起きていますよッ!!

 お客さんでもいいです、助けてもらえませんか!?


 おっさんを刺激しないよう、さりげなく周囲を見回してみたけれど、俺の心のSOSは誰にも届いておらず、相変わらず店内には穏やかな時間が流れている。

 こんな非常事態すら受け止めてしまうなんて、快適空間にもほどがあるだろうが、マカレナッ!!

 もう我慢の限界だ……。コーヒーにもサンドイッチにも手を付けていないけれど、ここは一旦店を出よう。


 申し遅れたが、俺の名は梨園なしぞのじゅん。先程から横にいる不審者をおっさん呼ばわりしているけれど、俺だって三十路という人生の節目を先日迎えた、世間的にはおっさんへ分類される存在だ。

 おっさん同士のトラブルという、犬も食わないどころか、そもそも近寄ってすらこないであろう理由で店を出る訳だが、いい年こいた社会人なのに「何か用ですか?」の一言が出ない、コミュニケ―ション力不足とヘタレ根性が理由でこの場を去るんじゃない。これはトラブルを避ける為の戦略的撤退なのだ。と、自分自身に言い訳をしつつ、立ち上がろうとしたその瞬間。


「……ォマッサ! ヘンナカッ……テンジャネェノ――!!」


 おっさんが何か叫んだ――――!!


 突然の事だったから、よく聞き取れなかった!!

 何て言った!? そもそも今の日本語だった!? 

 巨大なサングラスのせいでおっさんの目元は見えないが、口角はガッツリ上がっており、どうやら満面の笑みを浮かべている模様。

 機嫌を損ねたらまずいと思い、引きつった愛想笑いを返したところ、おっさんは満足げにうんうん頷いた後、テーブルから離れていった。

 よく分からないが……、解放してもらえたらしい……。

 心底ホッとしてコーヒーを飲み、戻って来るんじゃないかとその行方を目で追っていたら、おっさんはふらふらとフロアの隅へ移動、客席の後ろにあったドアを開けてその中に入った。

 ほぼ毎週この店に来ている俺だが、あんな場所にドアがある事を今初めて知った。幅が30センチほどしかない細長いドアで、どう見ても人が出入りするようなサイズじゃない。 

 掃除用具入れか何かだろうか……。 

 そうなるとあのおっさんは、あんな狭い場所に箒やモップと共に潜んでいる事になる……もはやホラーじゃないか……。


 不審者の存在を店員に報告すべきか迷っていたら、驚くべき事が起こった。別の客が二人、連れ添ってそのドアの中へ入っていったのである。

 人気スポットかよッ!! 

 どういう事――――!?

 驚きの余り反射的に立ち上がって、問題のドアへ吸い寄せられるように歩み寄っていた。俺の体形は中肉中背170cmだが、それでギリギリ通れるか通れないかぐらいの幅しかなく、こんなドアに三人も入っていくなんて、どう考えたっておかしい。

 店内を見回したところ俺の行動に誰も注目していなかったので、少し迷った後、思い切ってドアノブを回してみた。

 軽い手ごたえと共にドアが開き、その先にあったのは入り口こそ狭いものの、予想に反してバックヤードらしきごく普通の通路。蛍光灯があるだけの何もない殺風景な空間で、長く真っ直ぐな通路の先には入り口と同じ形状の細長いドアが見える。

 非常口なのか……?

 ここまできたら、この通路がどこに繋がっているのか確かめる他ないだろう。体を捻じ込むように入口をすり抜けて通路を数歩進んだら、背後でドアが盛大な音を立てて閉まった。急に辺りが静まり返り、なんだか後ろめたい気分になってきたので、通路を足早に進み、突き当たりの細長いドアを押し開ける。


 すると―――

 外に出るものだと思っていたのに、そこは再びマカレナの店内。

 店の反対側に出たのだろうか……? 

 周囲を見回して自分がどこにいるのか理解した瞬間、俺の思考は完全に停止してしまった。

 見覚えのある鞄、飲みかけのコーヒー、手付かずのサンドイッチ。

 あれは……、俺の席じゃないか……。

 どういう訳か、元の場所に戻ってきてしまったのである。

 何が起きたのか理解できず、今来た道に帰ろうと振り返ったら……。

 ドアがどこにも見当たらない―――


 目の前には壁があるだけ。ついさっき開けたはずのドアが消えてしまった。次々発生する異変により俺はパニック状態。顔がくっ付くほど念入りに壁を調べてみたけれどドアの痕跡は発見できず、一人でブツブツ呟きながら壁を触りまくっていたら、店内の客が不審な目を向けてきた。

 やむを得ず、何一つ納得いかぬまま自分の席へ戻る。

 

 一体何が起こったのだろうか……。

 俺は細長い妙なドアを開けて通路を進み、突き当りにあった、入口と同じ形状の細長いドアを開けて外に出た。すると真っ直ぐ歩いただけなのに、なぜか元の場所に戻ってきて、開けたドアが跡形もなく消えてしまった……。

 全くもって意味が分からない……。

 幻覚でも見ていたのか……? 幻覚って、一瞬だけ妙なモノが見えたり聞こえたりする現象なんじゃないの? 幻覚にしては長すぎやしないか……? 猛烈にリアルだったし……。


 勘違い、壮大なドッキリ、知らぬ間に居眠りして寝ぼけた、突然の精神疾患等々、小一時間ほど考察を続けたけれど、どれもこれも無理がある。答えが出ないばかりか、考え過ぎで頭が痛くなってきた。外出する気持ちはとっくに消し飛んでしまっていたので、謎は全て一旦保留して、とりあえず家に帰る事にした。


 せっかくの休日だってのに、なんて日だ……。

 ぼやきながら食器とトレイを返却口に置いてマカレナを出る。しかし、そこでもまた、訳の分からぬ現象が俺を待ち構えていたのである。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る