06 宣戦布告

 

 撮影が終わってすぐに坂戸が相崎に耳打ちしに行く。


「今から別撮りでお願いするわね」


 充分な撮れ高が撮れて満足していた相崎は水を差された格好になる。が、すぐに思い出した。


「ああ、電話で話したやつですね。わかりました」

「机とイスはこのままでいい。私だけ真ん中に座ってひとりで話すから」

「それで何を話すんですか?」

「宣戦布告よ」


 相崎は目を丸くした。


「宣戦布告……って物騒ですね。どこにですか」

「拝藤組」

「拝藤組って、あの大手ゼネコンの? どうしてまたそこなんです?」


 理解が追いつかない相崎は坂戸の真意を測りかねた。


「とどめを刺すのよ。2度と新後アイリスに――」

「監督、言い方がオーバー過ぎますよ。相崎さん、私から説明します」


 不穏な空気を肌で感じた由加里が割って入ってきた。坂戸の飛躍した思考についていけるはずもなく、面食らっていた相崎がうなずいた。

 心身ともに坂戸であれば何事に対しても穏やかな人物だった。少なくともここまで怖い眼をしたり、物騒な言葉を吐くような人間ではなかったはずだった。だが、今は外面以外が2013年からタイムリープした佐渡由加里である。当然、思想や思考はまったく異なるのだ。もちろん、内の部分が佐渡由加里であることを知る人物は、現時点でこの時代の22歳の佐渡由加里と、同じく内部が金谷(かなや)政(まさ)である仲正弥だけだ。ほかの人間は知りようがない。何かを言ったところで信じてもらえず、虚言癖の変人だと表や裏で言われるのがオチである。

 由加里の説明はこうだった。もう一度新後アイリスと拝藤組が対戦することがあれば、クラブチームと企業チームとの交流の契機になり、ほかにマネするチームが現れやすいだろう。次にお互い儲けられるんじゃないかという予想。とくに今年のクラブ優勝チームで日本選手権ベスト4の新後アイリスと、今年の日本選手権ではベスト8とは言え直近の都市対抗では優勝した拝藤組は、屈指の好カードとなり得ると考えられ、多くの観客を望める。それにメディアを巻き込めば、新後アイリスのディープな情報を全国区に発信できる。地元の新後県民や社会人野球を知る者、さらにプロ野球の関係者などは新後アイリスのどんな情報にも飢えているはず。2010年代ならいざ知らず、1990年代初頭ではインターネットは普及していない。ラジオや雑誌や新聞でも情報は発信できるが、名を大々的に売るにはテレビが一番効果的だ。視覚聴覚、何より映像は頭に残りやすい。


「ふむふむ、なるほどな。ついでに映像権利を持ってるウチや新後の各テレビ局は、取り上げられるたび権利使用料が入ってきてウハウハ、と」


 相崎は上機嫌であごひげを撫でている。由加里はさらに付け加える。


「監督は気負い気味なんですよ。せっかくのベスト4をなんとかして活かしたいと必死になってるんです」


 すっかり頭が冷えた坂戸が頭を下げた。


「言葉が足らずですみません」

「いやいや、そういうことなら喜んで協力しますよ! ささ、やりましょやりましょ!」


 相崎はふたりから離れ、周りのスタッフに指示をテキパキと差配(さはい)し始めた。


「ありがとね」

「頭まで熱くなっちゃダメじゃん。いくら恨みつらみがあってもさ、この世界の人たちにはわからないことなんだから」

「ごめん。拝藤組とは元の世界のこともあるから頭に血が上って……ダメだなぁ、私」

「仕方ないんじゃない? 私も同じ立場だったら、頭がどうにかなっちゃうだろうし。でも、直していこう。このままじゃ、今後どこかで揚げ足を取られるって」

「うん。気をつけるわね」




 モデルのような細身で、スタイルのいいスーツ姿の女――萩野(はぎの)一女(いちめ)が、社長室のドアをノックした。一重で切れ長の目に眼鏡をかけ、艶のある黒髪をポニーテールにし、前髪は左右に分け、額を出している。


「失礼いたします。新後アイリスから小包が届きました」

「小包だと? しかもあの新後アイリスだ? 中身はちゃんとあらためたのか?」


 窓から下界を見下ろしていた拝藤が、こちらを見向きもせず重厚な声を部屋に響かせた。


「あらためました。ビデオテープが一本が厳重に梱包(こんぽう)されていました」

「ビデオテープだァ? ……再生してみよ」


 一女がビデオデッキにテープを差し込み、再生ボタンを押す。パッと会議室のような部屋が映し出され、ひとりの女が長机の前に座っていた。こちらを真顔で見つめたまま何もアクションを起こそうとしない。


「誰だ、この気味の悪いババアは」


 拝藤は眉をしかめて吐き捨てた。どうやら、坂戸のことは憶えていないらしい。拝藤が鮮明に憶えているのはエースの佐渡の投げっぷりと、変幻自在の采配を繰り出していた倉本の余裕の表情である。


「新後アイリスの投手コーチの坂戸さんですね。たびたび選手としても試合で投げていました。日本選手権での拝藤組対新後アイリスでも――」

『どうも、日本選手権で序盤の3回を投げて、ひとりもヒットを出さずに悠々とマウンドを降りた現監督坂戸です。試合以来ご無沙汰しております』

「――っ!?」


 タイミングを計ったかのように、ブラウン管の向こうの坂戸が一女の話そうとした内容を偶然にもかっさらった。


『さて、こんな形で不躾(ぶしつけ)を承知でお話させていただきます。近々また、試合をしませんか? 今度は新後のグラウンドで。親善でも練習でも名目はなんとでもいいはずです』

「何ィッ!?」


 拝藤は、憤怒(ふんぬ)の形相で穴が空くほどの強烈の視線をテレビに送る。


『機会が――きっかけが欲しくはありませんか?』


 挑戦的で拝藤には耳障りな声がブラウン管から発せられる。


『拝藤組さんにとって私たち新後アイリスに負けた事実は、社史に残るほどの屈辱的な出来事として、残念ながら後世に残ってしまいます。その汚名に塗(まみ)れた出来事を、1秒でも早く雪(すす)ぎたくはありませんか?』


 坂戸の言葉は一気に核心をついていた。拝藤富士夫という男はプライドの塊のような人間である。ズタズタに傷ついたプライドを癒すには、時間をかける方法と、相手を叩きのめす方法がある。そんな人間に対して拝藤組側の者であれば、誰も思ったとしても言えなかった部分である。言ったところで虫の居所が悪ければ、何をされるかわからない。恐怖が先行して提言のひとつもできやしないのだ。


『拝藤社長の口癖だか持論だかどちらでもいいことですが、「象とアリとの戦いに象は負けるはずがない」とありますね。これは驕りと慢心が極まった愚者の言葉です。

 実はアリは象を倒せます。私の持論に「アリは一匹では象は倒せない。しかし、束になってかかれば象でもライオンでも倒せる」これが何を意味するのか。まさか、把握できないほどの連結企業の長(おさ)である拝藤さんなら知らないわけないですよねぇ』


 坂戸の口角が上がりっぱなしだが目が笑っていない。明らかに舐めた口調に、拝藤の堪忍袋は限界を迎えようとしていた。


『よろしければ再戦してもかまいません。まあ、何度やったところで拝藤組さんが勝つ可能性はなきにしもあらずですが。それでは失礼いたします――』

「ガアアアアアッ!!」


 映像が完全に途切れる前に拝藤が、猛獣のような猛り声とともに36型のブラウン管テレビ――約90キロ――を、力任せにひっくり返してしまい、配線が引きちぎってしまった。


「たかだかクラブチームごときの監督風情(ふぜい)に、俺の何がわかるッ!」


 頭から湯気を立たせ、隅にあった金属バットでテレビとビデオデッキに振り下ろし、一心不乱に滅多打ちにする。ポマードで固められた髪型がくずれ、上着を脱ぎ捨てた。こうなると拝藤は止まらない。気が鎮まるまで物に当たり、暴れ続けるのだ。幸いにも近づかない限りは、人に危害を加えないから巻き込まれることはない。遠巻きに終わるまで見ているのが最善の方法である。

 一女はその様子を止めもせず、醒(さ)めた目で眺めていた。拝藤の癇癪(かんしゃく)には慣れたものである。いや、慣れなければ秘書は務まらないのだ。

 しばらくしてベコベコになった金属バットを放り、息を切らせた拝藤がうめくようにして言った。


「今週の日曜に新後に行くぞ。見学と称して直接会ってババアの肝を潰してやる。土曜辺りに電話しておけ」

「承りました」


 一女が一礼して社長室を辞去していった。

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