05 テレビ取材

 

 取材当日。

 坂戸は浮かない顔で恩愛寮の玄関に立っていた。そろそろテレビ新後のバンが到着する時間である。


「結局桐子の奴、来られなかったわね」

「私からも何回か言ったんだけど、家の仕事の手伝いで忙しいってさ」

「うーん……ま、仕方ないわね。基本的に仕事を優先するべきだから。……でもねぇ」


 さすがに主力メンバーにはいてほしかった。かといって日本選手権で活躍しただけのつぼみを、桐子の代わりに呼びたくない。鼻っ柱を叩き折ったものの個人的にいけ好かない奴だ。元の世界では裏切るし、調子に乗って変なことをベラベラ話されても困る。呼んでいいメリットは皆無と言えた。それなら、信頼のおける由加里と佳澄だけでいい。由加里は今はまだ緊張しいで喋りがあまりメディア向けではないが、佳澄は物怖じしないしユーモアを交えて話ができ、超えちゃいけない一線も理解していた。


「言っても仕方ないよ。佳澄ががんばって話すって」

「アンタもちっとは色を出しなさいよ」

「まだそういう年ごろじゃないから」

「なんなのよそれ」

「自分がよくわかってるくせに」

「そうやって未来の自分に投げないの」


 坂戸が由加里にデコピンを喰らわせたとき、新後テレビのバンが寮の前に停まり、ぞろぞろとスタッフたちが降りてくるのが見えた。


「坂戸さーんに由加里ちゃん、おはようございまーすっ!」


 坂戸の横を風のように走り去ったやや長身で肉付きいい女――贄(にえ)亜希奈(あきな)が、寮の玄関から何かを叫んでいる。坂戸はそれを一瞥しつつ、スタッフに指示を飛ばしている薄い色素のサングラスをかけたヒゲ面の男に近寄っていった。深緑のカーディガンを羽織(はお)り、両袖(りょうそで)を前に結んでいる。


「相崎さん。良い画と数字は欲しくないかしら?」


 この相崎という人間は新後テレビのディレクターである。新後アイリスとは何かと懇意(こんい)にしてくれている強い味方のひとりだ。


「なんですか、藪から棒に」


 ニヤニヤしているだけの坂戸に何かを感じ取った相崎は素直に答えた。目の奥がわずかに光った。元の世界では順調に出世街道を歩み、テクニカルディレクターとして現場で辣腕(らつわん)を振るっている。


「そりゃ、欲しいですよ。こちとらテレビマンですから」

「今回の取材、期待していいわよ。テーマは『団結』だからね」

「『団結』ですか。うーん、いいんじゃないですか」


 坂戸は含みを持たせた言い回しをしてきた。相崎はありきたりなことしか言えない。


「まあ、あとは対談が始まってからのお楽しみにしておいてちょうだい」


 自信満々に去っていく坂戸に、相崎はあごひげを撫でながら誰ともなく漏らした。


「本当に撮れ高(だか)は期待してもいいんだかな……」




 会議室の端のソファーで贄が伸びている。腹をさすって苦し気にしていた。


「うぅぅ……お腹いっぱいで仕事したくないです」

「アホ、だから言ったろうが。のっぺを食べるにしても八分にしとけって」

「美味しいものはお腹いっぱい食べろって、母の教え――」

「その言い訳何回目だコラ」

「すみません」


 撮影の準備が済んだ恩愛寮の会議室では、贄の胃袋の消化待ちの状態だった。ほかのスタッフも慣れたもので機材の手入れをしたり、新後アイリスの選手と雑談している者もいた。


「にーえ、ちゃんっ。あとで駅前の某高級デパートで買ってきたアイスをあげるから、やる気出して!」


 佳澄がアイスの箱をかがけている。贄の表情が明るくなった。


「アア、アイスですか!? やったー! やりますやります! 今消化液が一気に放出しましたから動けますっ!」

「坂戸さん、これ以上贄にエサを与えないほうがいいと思うんです。一応、奴は女子アナですし……」


 未来を知っている坂戸は諦めた口調で言った。


「相崎さん、言っちゃいますけど残念ながら贄ちゃんは太り続けますよ。だって、入社の動機を思い出してみてください」

「ああ『美味しいものをたくさんレポートしたい!』でしたね」

「次に特技を思い出して」

「『なんでも好き嫌いなく美味しそうに食べること』」

「嫌いなことは?」

「『激しい運動』」

「ね、しょうがないでしょ。ビジュアルのことをとやかく気にするのは本人だけで充分なんです。周りは明らかに健康診断で、糖尿病とかの病気に罹(かか)りそうだぞってときだけワーワー口を出せばいいんです」

「なるほど……そんな考え方もありですね。若干、手遅れ感はありますけど」

「ねえ、相崎さんまだですかー? 早く撮ってみんなでアイスを食べましょうよ!」

「ドアホ! 今までおまえを待ってたんじゃ!」


 周りのスタッフが声を上げて笑い出す。相崎は坂戸に向かって苦笑した。


「しばらくここに研修と称(しょう)して預けたいですわ」


 かくしてようやく撮影が始まった。

 桐子は家の手伝いが忙しくて欠席のため、席に着いたのは左から佳澄、由加里、坂戸の3人だった。


「今年のチームでの印象に残ったことを聞かせてください。最初は隠岐選手から」


 聴き手の贄が食欲を押し殺して真面目くさった顔で質問する。


「そうですねぇ、やっぱりみんなが一丸となって社会人の日本一を決める大会出たことですねー。倉本監督マジックって世間では言われてますけど、本当その通りでしたよー。倉本監督からはあたしたちもやれば企業チームに勝てるんだ! ということを教えてもらいました」


 社会人野球の主要な全国大会は開催順から「都市対抗野球大会」(以下、都市対抗)、「全日本クラブ野球選手権大会」(以下、クラブ選手権)、「社会人野球日本選手権大会」(以下、日本選手権)がある。

 佳澄の言う大会は、10月中旬に行われた日本選手権のことである。坂戸のもといた世界の2013年では11月初旬に開催されていたのだが、2000年の初頭まではまだ2週間ほど早かった。


「佐渡選手はどうですか?」

「各大会での代表枠を賭けた決勝ですね。都市対抗の2次予選では負けてしまいましたけど、これが私に悔しさと執念を与えてくれました。その後のクラブ選手権、日本選手権と今では負けてよかったと思っています。でも、やっぱり倉本監督の下で来年の都市対抗も出たかったですね」


 大会の端緒(たんしょ)となる7月下旬に行われる都市対抗の本戦出場を目指した新後アイリス。前年まではなかなか芽が出ず、地元の企業チームに決勝で負けを喫していた。しかし、この年に一気に芽吹き、北信越地区大会の二次予選まで出場した。が、代表の一枠を賭けた決勝で惜しくも石川県の企業チームに敗北してしまった。

 ここで終わりではない。坂戸の所属する新後アイリスはクラブチームである。クラブチームの利点として、クラブ選手権に出場できる資格があり、つまり日本選手権に出れる可能性がひとつ増えるのだ。ただ、優勝したとしても確実に出れる保証はこの時点ではなかった。優勝したチームが無条件で出れるのはまだまだ先の話である。

 そのクラブ選手権の第1次新後大会、7月下旬の第2次予選北信越地区と勝ち抜き、クラブチーム代表としての代表の枠を獲得。8月の後半に行われたクラブ野球選手権の本戦に晴れて出場し、勝ちを重ね見事栄冠を勝ち取っていた。

 そこでの成績と7月の都市対抗、10月の日本選手権と、代表枠をかけた戦いで強豪の企業チームに善戦した成績を認められ、特例で日本選手権に推薦での出場を果たす。ここではほぼプロ同等の企業チーム相手に対し、苦戦するが辛勝。準々決勝では今年の都市対抗で優勝、前年――1992年――に同大会で優勝した拝藤組を倒すという大金星を取って見せた。しかし、続く準決勝では嘘のようにコールド負けしてしまった。張りつめていたものと拝藤組の熟練かつ老獪(ろうかい)な攻めが、ナインやエースの由加里の体力を必要以上に消耗(しょうもう)させたといってもよかった。

 それでも、栄(は)えある日本選手権でのベスト4入りは、地元の新後県勢では企業チームでも成し得なかった快挙だった。また、所属する北信越地区でも1993年時点では、長野県と石川県の企業チームがベスト8が最高であり、それを上回る戦績を挙げたのだ。それがクラブチームということもあって日本中をアッと驚かせた。弱小中の弱小である新後県の野球チームを、大躍進させた倉本の手腕が認められ、これから更なる高みを目指す――というときに急に逝ってしまった。


「坂戸監督はどうでしょうか?」

「高齢のコーチなのに、1年間由加里とフル回転したことですね。倉本監督の方針もあって、少しでも昔に投手をかじったことがある選手には投げてもらいましたが、まさか私が2番手になるとは思いもしませんでした。これも倉本マジックなのでしょうね。今は退団した仲も投げさせられて、ふたりして時々愚痴ってました」


 トキネからもらった資料と由加里の話を聞いてコメントを作り上げていた。実際体験していないから感情を込めようもないのだが、さも大変だったかのように語ってみせた。

 佳澄と由加里が顔を見合わせて笑った。


「いやいや、ホントホント。あたしもワンポイントで投げさせられるとは思いませんでしたよー。ピッチャーなんて小学校4年生以来だったんで、さすがに心臓が止まるかと思いましたっ」


 佳澄の軽口に現場のスタッフたちもつられて笑う。


「まさに全員野球で勝ち進んだというわけですね」


 贄がカンペを流し見る。表情を急いで引き締めた。


「さて、悲しい出来事もありました。11月14日に倉本監督の突然亡くなってしまいました。急遽(きゅうきょ)監督を任された坂戸監督は、どういったチーム作りを目指していきますか?」

「私や本職じゃない野手が投げないように、投手力の強化を最初に挙げます。次に打線の強化。どうしても一発は神津に頼ってしまうので、もうひとり大砲が欲しいところです」

「ありがとうございます。最後にファンや新後県のみなさまに向けて一言お願いします」

「応援してくださるみなさまの期待を裏切らないよう、一致団結し、精進してまいりますので今後ともよろしくお願いいたします」


 坂戸が佐渡の前に手を伸ばす。すかさず由加里も上に手を乗せる。佳澄はさらにその上に手を乗せた。


「新後アイリス、ファイトー!」


 由加里の掛け声に合わせ手を下げる。


「オー!」

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