05 前に進む仲

 

 ふたりは昼食を食べ終え、新後駅に来ていた。

 階段を上がった先にあるコインロッカーに立ち寄り、トランクとリュックを引っ張り出す。


「それ私のリュック?」


 佐渡が見覚えのあるリュックを指差し、


「なんでアンタが持ってるの」

「気がついたらトランクといっしょあったんだ。法事が終わったら渡すつもりで、ロッカーに入れておいた」


 仲の後ろめたさが皆無な口調である。坂戸は疑いを持たなかった。気の置けない間柄だから、素直に受け取った。


「そうなの。ありがとう」


 仲は西口のみどりの窓口へ向かう。東京行きの新幹線の切符を買い求めに長蛇の列の最後尾についた。

 その間佐渡は周囲を軽く散策した。一緒に列に並んでいても寂しさが募るだけだ。それに、この世界の新後駅の内部が気になった。元の世界ではなくなってしまった立ち食いそば屋の新後庵(にいごあん)も健在で、サラリーマンで賑わっている。代わりに大型家電量販店の姿が消えており、西側自由通路が非常に広く見渡せた。


――利き酒できる店もコンビニもなくなってる……。一応コンビニは、反対側の千台(せんだい)口のほうに行けばあるけどさ。


 だだっ広くなった西側自由通路を歩く。ふたりが入ってきた南口の風景は、窓から見下ろせばガラリと変わっており、整然としたものから雑然としたものに回帰(かいき)していた。新後駅の看板の下は元の世界だと透明感のあるエスカレーターつきのテラスと、往来に便利で催し物もたびたび開かれる広場だった。だが、この世界では真下から駐輪スペースが横たわっていて、その後ろにタクシーの乗降場と有料駐車場、さらには一般車の送迎乗降場と続く。


――今にして思えばすごく使いづらかったわね。看板の真下の入り口から入ってすぐにエスカレーターあって、それに乗っちゃえばあとはもう改札まで目と鼻の先。この世界なんて南口側から来た場合、西側の自由通路を通ってこなきゃならない。出発ギリギリで乗降場に着いたら、走っても絶対に間に合わない自信があるわ。


 不便な世界にタイムスリップしてしまったな、と、佐渡は苦笑いし、軽くため息を吐いた。


――でも生きていくしかないのよね……。元の世界に戻ったって、今の私じゃ何もできない。この世界に来たのだって、神様がくれた試練でもあり、チャンスでもある……けど、まだ受け入れられない。


 プラス思考に努めようとするが、マイナス成分がまだまだ強い。悲観してばかりじゃ何も始まらないのだが、気持ちがついてこない。とにかく、あらゆるものを受け入れることに努める。あれがないこれがないと騒がない。ここは元の2013年と違って、不便な世界なのだから。

 ふと、リュックの中身を改め忘れていたことに気づいた。柱に寄りかかり、チャックを開ける。中に入っていたのは、坂戸名義の預金通帳、印鑑、元の世界で使っていたスマホ、化粧品などである。預金通帳を開く。偶然なのか残高が元の世界の佐渡とまったくいっしょであった。


――気味が悪いわね……まあ、この世界の坂戸がなかなか持っていたから助かった。これだけあれば当面は大丈夫ね。


 頭の中で雑多な思考を巡らせながらみどりの窓口に戻る。仲がすぐ横にある改札口の前にいた。


「なんとも言えない顔してどうしたんだ?」

「これからのことを考えてたのよ」

「なるほどな。考えすぎて悲観的になりすぎるなよ」


 そう言って仲は笑って見せる。佐渡は表情を動かさないまま切り出した。


「ねえ、こう言うのもなんだけどさ」


 仲の顔をこの目に焼きつけようと強い視線を送る。


――行かないでほしい、と言いたい。いっしょに新後アイリスを盛り立てよう、とも言いたい。


 だが、言ってしまえば仲の自由を奪ってしまうのではないか。


――寂しく心細いという自分勝手な理由で、仲が自分で選択した道を否定できるだろうか? いや、そこまで私は落ちてないつもりだ。私には新後アイリスがあるじゃない。


 精一杯表情筋を動かし、笑顔を作った。


「また、生きて会おうよ」


 仲は真剣な表情で首を縦に振った。

 生きていたはずの倉本が死んでいた世界である。いつ何が起こって、自分に災厄(さいやく)が降りかかるかわからない。大げさに言えば、明日の命の保障など確約されてないのだ。

 今生の別れになるかもしれない。ふたりはしばし見つめ合った。周りを人々が行き交う。カップルであれば抱擁(ハグ)やキスのひとつでもしているところだが、仲は既婚者であるし、佐渡もそんな想いはとうの昔に置き去っていた。

 やがて構内に新幹線の到着を告げるアナウンスが流れてきた。それが合図であるかのように、


「落ち着いたら連絡する」


 と言い残し、仲は改札口の向こうの人波に消えていった。

 自分でも知らないうちに涙ぐんでいたらしい。ポケットからハンカチを取り出してぬぐう。


――歳は取りたくないわね。このごろ涙腺が緩いったらありゃしないわ。


 心はまだざわついていた。言い知れぬ不安が一瞬だけ訪れる。完全にひとりになってしまったのだ。しかし佐渡は怖くはなかった。


――アイツが言ってたように、この世界には意味がある。動いてればきっといいことが起こるはずよ。


 元来た自由通路を通って駅から出ようと回れ右をする。すると、2~300メートル先に異様な人物が立っていた。黒のパンツスーツに白髪のロングヘアー。なぜか白い手袋をつけていた。おそらく女だろう。しかも射るような眼光で、佐渡を見据えている。


――何あれ? もう死神が鎌を持ってやって来たの? さすがにまだ死にたくないわ。


 佐渡は再度踵を返し、千台口を目指してヒールで懸命に走った。幸い、異様な女は追ってくることはなかった。タクシーを拾い、免許証の住所を告げた。

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