55.代償




 長州との繋がりまではわからないものの、浪士が悪さをしているらしい、という情報は新選組が出動するには十分な知らせだった。

 数日後、歳三、山南、他十数名の平隊士が大坂に入った。さくら達も京屋に戻り、歳三たちと合流した。

「ご苦労だったな。『諸士調役』初戦は上々といったところか」歳三がニヤリと笑った。

「当たり前だ。ここまで大掛かりに『女装』しておいて収穫なしじゃ労力に見合わぬ」さくらはぶっきらぼうに言った。

「ここからは通常通り巡察をする。地区は絞れた。あとは浪士がどこにどのくらいの頻度で出没するのかを特定しなけりゃなんねえ」


 いちいち髪型を変えるのが煩雑だからと、さくらは引き続き女の格好のまま市内の探索に当たることになった。

 ただ、ここからは旅籠ではなく買い物をする奥様のような体で米問屋や小間物屋、呉服商などを見て回ることにした。

 その中で、とある呉服商に入った時、さくらは違和感を覚えた。そこは岩木升屋いわきますやという大坂でも有数の呉服商なのであったが、活気がない。

「あれまあ、まいどおおきに」

 女将と思しき女性が出てきて、恭しく接客してくれた。一見の客に対するものにしては、やけに丁重である。

 上がり框のところではなく、その少し奥にある小部屋に案内された。

「奥様、何をお求めで」

「ええと、一着仕立てていただきたいの。反物を見せてくださる?」

「へえ、すぐにお持ちしますさかい」

 女将は一緒にいた女中に、奥の部屋から反物の見本を持ってくるように伝えた。

 それを待つ間、女将は「どちらから」などと世間話を振ってきた。さくらは適当に質問に答えると、これ以上詮索されないように、会話の主導権を握った。

「よかったんですか?私のような一見の客にこのようにご丁寧に……」

「構しまへん。うちはどんなお客様も丁寧におもてなしするのが信条ですさかい」

「そうですか……実は、風の噂で、このお店はいつも混んでいるから、と伺っていたもので」

 女将は、ああ、と表情を曇らせた。

「どうかされたのですか?」

「いえ……実は、お恥ずかしい話、最近、このあたりも物騒になりましてなぁ。お客さんもあんまり寄りつかんようになって」

「そうでしたのね……確かに、私も近くのお店で見たことがあります。あまり身なりのよくない人たちが商家に押し入ってお金をせびるような」

「まさにそれなんです。断ると乱暴されるような気ぃがして、強く断れんのです」

「えっ、ここにも来るのですか?」さくらは驚いてみせたが、演技くさくなりすぎてやいないかと、内心ヒヤヒヤとした。

 女将は「へえ、まあそうなんです」と小さい声で答えた。

 そういう輩は我ら新選組にお任せください!などと言えるはずもなく、さくらは女将に合わせて暗い顔を浮かべ、「それは大変でしたわね」と答えた。

「でも、それならゆっくり見させてもらおうかしらね」

 さくらがにこりと微笑むと、女将も接客用の笑顔に戻った。ちょうどその時反物をいくつか持って女中が戻ってきた。

 仕事とはいえこんなにいい着物をじっくり選ぶなんて初めてかもしれない、ということにさくらは気づき、なかば任務を忘れそうになりながら反物を選んでいった。中でも目に入ったのは、薄い桜色の反物だった。

 ――もう少し若ければ、こんな明るい色づかいも似合っただろうが……三十路女にはいささか……

 脳裏に、ぽんっと山南の顔が浮かんだ。それを、脳内で「いやいやいや」と言いながらさくらは打ち消した。


 その夜、さくらは岩木升屋で見聞きしたことを山南や歳三らに報告した。

「手がかりとしては十分ですね。早速そこを重点的に見ていきましょう」山南が即決とばかりに言った。

「島田、山崎。岩木升屋の周辺に、張り込めそうな店か家はあるか」歳三が二人に尋ねた。

「はい。向かい側には小料理屋、裏手には生糸問屋の太田屋があります。この太田屋は岩木升屋と得意先・仕入れ先の関係にあります」島田がスラスラと言ってのけた。

「うーん、どちらも長居して張り込むには無理があるな」さくらは首を捻った。すると、山崎が手を挙げた。

「ほんなら、私が乞食にでも扮してずっと店先にいますよ。まあ、それもそれで怪しいでしょうから、ときどき皆さんが交代で小料理屋で飯でも食ってもらって、その間は私はどこか別の場所に移ります」

「なるほど、それなら四六時中誰かしらがあの店を見張っていられるな」歳三がニヤリと笑みを浮かべた。

「ならば、私も不自然になりすぎぬ頻度で引き続き客として岩木升屋に通おう」さくらが請け負った。

 作戦は決まった。かくして、大坂詰めの新選組は岩木升屋の注視に人員の半分を割き、浪士がやってくるのをじっと待つことにした。


 数日後、さくらは再び岩木升屋を訪れ、帯も追加で欲しいなどと言って半時ほど居座っていた。この日、山崎が掛け取りに出ていく下男を目撃したのである。すなわち、戻ってきた下男から金をゆすろうとする輩が現れる可能性が高い。半ば賭けではあったが、さくら達はこの時に狙いを定めた。

 すると、読みが当たった。

「主人はいるか!」

 どすの利いた声が店先から聞こえてきた。

 さくらの接客をしていた女将が、「すんまへんな」と声をかけ、入り口に向かおうとした。

「もしかして、例の……?」さくらが尋ねた。

「そうとも限らへんのですよ。主人は留守にしてますよって、私が」

 さくらは女将が部屋から出ていくのを確認すると、今いる部屋の出窓の格子をカラカラと開け、路地を見渡した。

「そこの者」

 呼び掛けると、乞食の姿をした山崎が近づいてきた。何も言わずに、出窓の下に腰を下ろす。

「来たぞ。皆に知らせろ」さくらは声を落として、山崎に指示した。

 山崎はこくりと頷くと、立ち去った。


 さくらは表に出ていった。

 女将はさくらの姿を目にすると、悲痛な表情を浮かべ、「来たらあかん」と言った。その向こうにはニタニタと嫌な笑みを浮かべる男たちが立っている。八人だ。明らかに、この高級店にそぐわない汚い身なり。

 店頭にいた客や店子たちは皆怯えたような目をしてなるべく奥に下がっている。そのうちの一人が、裏口に行こうとした。

「おおっと!一人でもこの場を離れて助けなんて呼んでみろ。女将さんの首が飛ぶぞ」主犯格と思しきがっしりとした男が、女将に近づいて顎をくいっと上げた。女将は怯えたように黙りこむしかなかった。

「とにかく、大人しく金を出せよ」もう一人のひげ面の男が言った。

「ですから、生憎お渡しするようなお金は……」

「なんべん言わせりゃ気が済むんじゃ!あるのはわかってるんだ」

 男は激高して女将の胸倉を掴もうとした。が、掴んだのは女将ではなかった。

「なんだ、お前?」

 胸倉を掴まれていたのは、間に割って入ったさくらだった。

「お客はん、なんて危ないことを……!」女将は框に尻餅をついてさくらを見上げた。

 さくらは男を見上げ、睨みつけた。

「ここは呉服屋。お金を借りるところではありませんよ?」さくらはにっこりと微笑んだ。

「なんだと……!?おい、こいつが先だ!」

 胸倉を掴んでいた男は背後の男に指示すると、さくらはあっと言う間に囲まれて後ろから羽交い絞めにされた。

「お前、ここの客ってことはそれなりに金持ってるんだろ?大人しく出せば放してやってもいいぜ」

「ふん、お生憎様……!」

 さくらは自分の首を抑えている腕にがぶりと噛みついた。「うわあ!」と怯んだ男が手を離した瞬間、さくらは懐から小刀を取り出すと、たった今自分を羽交い絞めにしていた男の背後に回って、首に小刀を沿わせた。

「な、お前、何者だ……!」

「初、と申します。ここの反物がいたく気に入りましてね。注文しているんですよ。今日は帯もお願いしようかと」

「そ、そんなことを聞いているのではない!ただの女子がなぜそんな飛び道具を……!」

「最近、このあたりも物騒だと聞きましてね。護身術を少々」さくらはにっこりと微笑んだ。

 さくらは、目の端で男たちの背後を見た。山南、歳三、島田、新入りの谷、松原、武田という隊士の計六名が到着した。

「その方の言う通りですよ」山南が言った。

「ここで金の無心をするなど言語同断。ゆっくり話を聞かせてもらいたいので、奉行所まで一緒に来てもらえますか」

「お前ら、何者だ」

「新選組。大人しく縄につくならそれで結構。ただし、手向かいすれば、斬り捨てます」

 山南は鋭い眼差しを向けた。

 男たちは、怯んだようにごくりと唾を飲んだ。しかし、「なんだと!」と言いながら、彼らは刀を抜いた。それならば、と新選組の側も刀を抜く。

 一瞬の間。それから、キン、キン、と刀がぶつかりあう音がし始めた。さくらは自分が押さえ込んでいた男を急所を外して斬りつけると、その場で突き飛ばし、奥へと駆けた。驚いて腰を抜かしている女将を助け起こす。

「裏口はありますか?お客さんたちを連れて逃げてください。それから、京屋か、奉行所、近い方に誰かを走らせて応援を呼んでいただけますか」

 女将はこくこくと頷いた。やっと絞り出したように出た言葉は、「あんさん、一体何者……?」

「ここの客ですよ。仕立て、楽しみにしていますからね」さくらはにっこりと微笑んだ。


 女将たちが奥の部屋へ逃げていくのを見届けながら、戦線に加わろうとさくらは周囲を見渡した。

「このアマ!」一人の浪士が飛び掛かってきた。さくらはさっと足を払って男を転ばせると、手の甲に小刀を突き刺した。ぐわあ!とうめき声を上げる男の背中を片足で踏みつけながら、「誰か!縄持ってるか!」と声をかけた。

 島田が、捕縛用の縄をさくらに投げた。さくらはそれを受け取ると男に縄をかけていった。

「くそっ!」

「島崎さんっ!」

 別の浪士がさくらに飛び掛からんと框を上がってくるところだった。それを追いかけるように、山南が男の背中を一刀斬り伏せた。

「山南さん、後ろ!」

 一人倒した安堵からか、ほんの一瞬だけ、山南に隙ができた。さくらが叫び、山南が振り返った時は、少し遅かった。

 キーン!と嫌な音がした。山南の刀は、刃先三分の一程が折られ、飛ばされた。なすすべもなく、浪士が振り下ろした刀が山南の腕を捉えた。

 刹那、時が止まったような気さえした。さくらは驚き、その光景を見つめることしかできなかった。が、「うっ!」という山南の呻き声で我に返った。ちょうど、浪士は体勢を崩し転びかけていた。さくらはすかさず浪士の前に躍り出て、小刀を自分の胸の前に構えた。浪士はそのままさくらの方へ倒れこみ、腹に小刀が刺さった。

 痛みに呻く男とのしかかられて身動きが取れないさくらは同時に「誰か!」と叫んだ。

「サク!サンナンさん!」自身も目の前の敵に集中していた歳三が、相手を倒しようやく状況を理解したようだ。駆けつけて、さくらの上に乗っかっている男を蹴ってどかすと縄をかけた。


 結局、この騒動で一人が死亡、五人を捕縛。残る二人はどさくさに紛れて逃亡した。ひとまずは、新選組が勝ち星を挙げた格好である。

 だが……


「山南さん!山南さん!」 

 左の二の腕を斬られた山南は、血を流し、意識が混濁している。

 さくらは手ぬぐいでその腕を縛りながら、必死に名前を呼び続けた。



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