43.鴨と梅



 歳三がそれとなく芹沢に探りを入れたところ、京屋での一件については「覚えていない」というのが芹沢の答えだった。

 結局「手籠め」自体は未遂だったこともあり、蒸し返して追及したところで何にもならないこと、何よりももう思い出したくない、ということでさくらは仕方なく何事もなかったかのように振舞っていた。ただ、以降、信頼ある試衛館の同志以外に対しては警戒心を持たざるを得なくなった。

 何しろ、芹沢や新見らだけでなく、新しく入ってきた隊士たちも町人上がりや浪人崩れの荒くれ者。もし大金が手に入ったら即刻島原で遊び惚けてやる、と豪語する者も多い。

 さくらの見目形に今や色気など皆無であったが、芹沢のような行動に走る者が出る可能性もなくはない。さくらはそういう状況に身を置いていたのである。


 大坂での一か月の任務を終え壬生へと戻ったさくら達は、八木邸の向かいにある前川邸も借り受け、屯所を拡大していた。

 もともと清川率いる浪士組の宿所として使われることになってからというもの、前川家の人々は別宅に移り住んでいたので広い邸宅が空き家となっていたのだ。

 これを機に、さくらの居室として前川邸の最も奥の小部屋が宛てがわれた。さらにその左右隣の部屋は局長室、副長室ということで勇と歳三の一人部屋となっていた。

 そして、「浪士組を抜けてはいけない」という規則の次にできたのが「隊士同士で争ってはいけない」という規則だった。これは明らかに試衛館派による、さくらを守るための牽制策だった。

「部屋の配置をこうしたからって油断するなよ。お前が女だということはもはや周知の事実だ。芹沢の女癖の悪さも侮るな」

 歳三は自室で手紙を書きながらさくらにそう言った。

「歳三」

「なんだよ」

「ありがとうな」

「なんだ、気色悪いな」

「こういう諸々の配慮をさ。本当はそんなものなくても対等にいられればそれに越したことはないのだが……」

「ふん、あの手の揉め事はなんの益にもならねえからな。できる限り未然に防ぐに限る」

 さくらは可笑しそうにクスッと笑うと、歳三の手紙を覗き込んだ。

「また彦五郎さんに金の無心か」

「人聞きの悪い言い方すんな」

「そっちの文はなんだ」

「あっ、それは!!」

 文机の隣に置いてあったとうのかごからは、あふれんばかりの手紙の束が入っていた。さくらがそれを取り上げると、いつも落ち着いてすかした態度の歳三が珍しく慌て始めた。何かある、と踏んださくらはニヤリと笑って文を取り上げた。

「おい!」

 さくらは手紙にざっと目を通した。

 すべて、遊女からの艶文だった。

「礼を言って損をした。お前も同じ穴のむじなだな」

「一緒にすんなっ!これは女たちが勝手に送ってきやがったんだ!」

「その割には大事にしまってあるではないか」

 さくらはふんっと鼻を鳴らすと、立ち上がって部屋を出ていった。

 残された歳三は、「ちっ」と頭を掻きながら、文机に向き直って手紙の続きを書き始めた。

 さくらに見られないうちに故郷へ一緒に送ってしまおうかと考えていたが、間に合わなかった。だからと言って中止するつもりもない。結果、日野の佐藤彦五郎邸には金の無心をする手紙と大量の艶文が届くこととなり、後の世において「土方歳三、故郷へモテ自慢」などとして語り草になってしまう。もちろん、そんなことになるとは生涯知り得ない歳三であった。


 さくらは少し散歩でもしようと前川邸を出た。すると、八木邸の前に女が立っているのが目に留まった。女は入ろうかどうしようか迷っている様子で中を覗いたりキョロキョロと辺りを見回している。

「もし。こちらは壬生浪士組の屯所ですが……」

 声をかけると、女はびくっとしたようにさくらを見た。

 美人だった。大坂の揚屋で見た化粧の濃い芸者たちよりも、何も塗らずとも透き通るような肌に紅を引いただけのその女の方が、気品に溢れているようだった。

「そないなことは看板見たらわかります」

「えっ」

 顔に似合わず、強気な第一声にさくらは面食らった。だが、明らかにさくらよりは年下の娘だ。負けるわけにはいかない、と謎の闘志が芽生え、気にしていない風に言葉を続けた。

「それで、ご用件は」

「芹沢鴨先生はおりますやろか。ちょおっとお話がありますのや」

「芹沢さんですか。暫しお待ちくださいね。そうだ、お名前は」

菱屋ひしやの梅、と申します」

 梅と名乗った女はふわり、と笑みを浮かべたが、さくらは背筋に何かが走るような感覚を覚えた。

 ひとまずさくらは梅をその場に残し、八木邸へ入っていった

 屯所を分けてからというもの、芹沢と顔を合わせる機会は減っていたのもあってなんとなく「嫌だなあ」と思いながらさくらは芹沢を探した。

 芹沢は奥の部屋の縁側に寝そべってぼんやり庭を眺めていた。

「いたいた。芹沢さん、表に菱屋のお梅さんって女の人が一人で来ていますよ。話があるって」

「知らねえな」芹沢はさくらの方は見向きもせず、面倒くさそうに言った。

「ですが、芹沢さんを名指しされてましたよ……?」

 沈黙が流れる。

「かなりの美人でしたよ」

 喜ぶべきか、悲しむべきか、芹沢はその一言に反応した。のっそりと体を起こし立ち上がると、さくらには目もくれずスタスタと門の方まで歩き出した。さくらも慌ててついていった。

「こちらが芹沢です」さくらは梅に紹介した。すると、梅の表情は不満げなものに変わった。

「違います」

「え?」

「この人は芹沢はんやおへん。もっとひょろりとしたお人やった」

 さくらは芹沢を見た。芹沢は怒ったような、困ったような顔をしていた。もし芹沢が梅に掴みかかるようなことがあれば全力で止めねば、とさくらは身構えた。

「どういうことだ」芹沢が発言した。確かに、今の状況は何かがおかしい。

「あんさんやのうて、ひょろりとした”芹沢鴨”はんがうちでお着物誂えたのや。今日はその代金を受け取りに。なかなか払うてくださらへんもんやから、直接お伺いにきたんどす」

 そこまで言うと、梅はさくらに冷たい視線を浴びせた。

「こないな偽物のお方を連れてきてごまかそうとしても無駄。まあ、代わりに払うてくれるんやったら誰でも構しまへんけどな」

 梅は完全に目の前にいる男が芹沢の偽物だと思っているようだ。

 彼女の話が本当であるならば、誰かが芹沢の名を騙って買い物をしたことになる。

 本物の芹沢は、本当に何も知らないようで訝し気な表情で梅を見ていた。

「ちなみに、おいくらなんですか?」さくらが尋ねた。

「三十両どす」

「さんじゅっ……誰がそんな高級な着物を……」

 とにかく、今は誰が”芹沢鴨”なのかわからない。今日のところは引き取ってもらおうかとさくらが思った矢先、通りの向こうから新見がやってきた。

「新見さんっ!ちょうどよかった。最近誰か菱屋で買い物した人をご存知ありませんか?」

 新見はさくらと芹沢、梅を交互に見ると、その顔からみるみる血の気が失せていった。

「まあ芹沢はん、お出かけやったんどすか。菱屋の梅どす。ほら、この前いらした時ご挨拶させてもろた」

 梅の発言にさくらも芹沢もたいそう驚き、穴のあくほど新見を見つめた。

「新見さん、まさか……」

「人違いではないかな」新見は絞り出すように言った。

「そないなわけあらへん。うち、一度会うた殿方のお顔は忘れんのや」

 その瞬間、さくらが止める間もなく芹沢は新見に拳骨を食らわせた。

 ドサッと大きな音を立てて、新見はその場に尻餅をついた。赤く腫れあがった頬を抑え、茫然と芹沢を見ている。

「つまり、てめえは俺の名前を騙ってお高いおべべをお買い求めになったわけだ。なあ?」

「せ、芹沢さん!」

 再び動きそうになる芹沢の腕をさくらはむんずと掴み、二発目を入れられないように抑えた。

「し、仕方なかったんです!」

 と、ようやく認めた新見が語ったところによると、菱屋に入店した新見が「壬生浪士組の局長はん?ほな、芹沢はんいうお方やね」と梅に言われ、なんとなく首を縦に振ってしまい、そのまま梅の巧みな接客術に乗せられ三十両分の着物を買ってしまったらしい。

 ――何が仕方ないだ、情けない。

 さくらは内心新見を軽蔑したが、とにかくも代金を踏み倒しているのだからなんとかせねばならない。

「お梅さん、お金……」

「お梅といったな。見苦しいところを見せてすまない。俺が本当の芹沢鴨だ。金は必ず用意する。今日のところは引き取って、また出直してくれ」

 芹沢はキリリとした表情で淡々と梅に告げた。

 ――おい、美人の前だからって外面良すぎだろ!

 さくらがあんぐりと口を開けていると、梅は「へえ。本物の芹沢はんはお優しゅうて男前なんやなあ。ほな、また来ますよって」と言って立ち去ってしまった。

 目の前で人を殴った男のどこが「お優しゅうて男前」なんだか、とさくらは梅の神経を疑ったが、新見にもう一発お見舞いせんとする芹沢を止めるのに必死でそれ以上深く考えている場合ではなかった。


 芹沢の怒りに触れてしまった新見は、これ以上芹沢の機嫌を損ねたら命を取られかねない、と思ったのか、芹沢が下した処断に粛々と従った。

その処断というのが、平隊士への降格。しかも会津に知れたら外聞が悪いということもあり、「新見錦」は壬生浪士組を脱退し、「田中伊織」なる隊士が新たに入隊したていを取ったという徹底ぶりだ。そして、やはり局長が三人では船頭が多いということで、そのまま局長は一人減、平山が副長職に着いた。これにて、この騒動は一旦の幕引きとなった。

 江戸以来の同志ですら容赦しないのだと、新入り隊士を中心に芹沢は内部から恐れられるようになった。まだ大した実績もあげていない壬生浪士組において、局長の機嫌を損ねたからという理由だけで命を取られるのは勘弁、と、皆芹沢の顔を伺いながら生活するようになった。新見を筆頭に、顔を伺うあまりに芹沢の言うことにはなんでも従ってしまう”忠実な芹沢派”の隊士も着々とその数を増やした。

 そうした中でもさくら達”近藤派”は派閥の溝が深まらぬようすべての隊士を平等に扱うよう努めた。壬生浪士組の隊務として定着しつつあった”巡察”でも、派閥関係なく隊列を組、市中の見回りに精を出した。

 隊士が増えたら、副長助勤――最近では局長・副長以外の幹部をそう呼んでいた――が小隊を率いて巡察を行う、という体制を取るのが理想的ではあった。が、なにぶんまだ副長助勤の人数と平隊士の人数がトントンであるので、役職関係なく徒党を組んで町を歩く。今日の面子はさくら、総司、左之助、平助、以下数人の平隊士である。

「おい、あれ芹沢さんじゃねえか?」

 しばらく歩いていると、左之助が少し遠くの方を指した。皆がそちらを見やると、確かにその人物は芹沢だった。とある店の前で立ち止まっており、こちらには気づいていない。

 さくら達はしばらく遠目に芹沢の姿を眺めていたが、やがて芹沢がその店に入っていったので、なるべく音を立てずに何の店に入ったのか確かめに行った。もっとも、全員例の浅葱色の羽織を着ていたから、周囲の町民は「壬生狼や壬生狼や」とざわつきだしたわけだが。

「菱屋だ。これがそうなのか……」さくらはポツリと呟いた。

「って、あの新見さん…田中さんが降格になったくだんの?」平助が尋ねた。

「そうだ…あ!お梅さんが出てくる!皆隠れろ!」

 さくらの指示で、一同は蜘蛛の子を散らしたように物陰や路地の死角に隠れた。

「島崎先生、なんでわざわざ隠れるんですか」総司がおかしそうに、くっくっと声を押し殺して笑った。

「なんとなくだ。私は顔が割れているし、勝手に尾けてたな、などと芹沢さんに難癖をつけられては面倒だ」

「まあ、それは言い得て妙ですわな」一緒に物陰に隠れていた隊士・河合耆三郎かわいきさぶろうが言った。 

 河合は剣術の腕前こそ十人並みであったが、実家が米問屋で算術に長けていたことから、平間と共に壬生浪士組の会計担当の職についていた。もっとも、未だ会津や幕府からはロクな資金も与えられていないので、「どこからいくら借金しているか」「返済期限はいつか」という自転車操業的会計を管理していたに過ぎない。物入りの時はまず河合ら会計担当に相談し、足りないとなれば借金をしてもよいが、借入額と返済期限を必ず報告し、借りた者の責任で返済する。これが最近形作られた壬生浪士組の会計規則だった。

 そんな河合に、さくらは例の騒動の発端となった菱屋への返済について聞いてみた。

「芹沢さんは、必ず三十両返すと言っていたが、もう返したのだろうか」

「三十両ですか?確かに三十両なら隊で蓄えがあったもんやさかいお渡ししましたけど、本当は七十両必要だとおっしゃってましてん、残りは宛てがあるからどこかで借りると」

 さくらはそれを聞いて顔を引きつらせた。どこにそんな宛てがあるのだろうか、となんとなく嫌な予感を覚えつつも、このまま菱屋を見張るわけにもいかず、さくら達はそのまま迂回路をとって巡察に戻った。そして、さすがに芹沢がもういないであろう時を見計らい、あくまで巡察の一環として菱屋を訪れると、呼んでもいないのに梅が現れ、聞いてもいないのにこう教えてくれた。

「芹沢せんせなあ、新しいお着物誂えてくれはったんえ。今度お届けに上がりますさかい」


 こうして、出来上がった着物を届けに来た梅と、芹沢が恋仲になるのにそう時間はかからなかった。

 もともと島原の遊女であった梅は菱屋の主人に身請けされたものの、妾として大事にされるどころか掛け取りや接客など女中のような生活を送らされることに嫌気がさしていたという。その結果、菱屋よりも壬生にいる時間の方が次第に長くなっていき、気がつけば芹沢の奥様然として振る舞っていたのであった。

 芹沢に傾倒し八木邸に寝泊まりしていた隊士らは、目の保養になる梅の出入りを歓迎したが、前川邸の隊士らは「こっちにも女はいるにはいるが……」と悔しそうな悲しそうな顔で状況を静観していた。

 そんな隊士らを、さくらが稽古でこてんぱんに負かしたことは言うまでもない。


 そしてこの頃から、芹沢の行動が壬生浪士組に影を落としていくのであった。

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