42.壬生浪士組捕物帖(後編)


 夜になると、祝勝会なる名目で壬生浪士組の面々は揚屋に繰り出した。

 今回の大坂随行ではいくらかの軍資金が支給されていたものだから、芹沢を筆頭にここぞとばかりに皆羽目を外した。

 その中で、芸妓に注がれた酒をちびちび飲みながら、さくらは冷めた目で男たちを見回していた。

 まさかさくらが女だとは思っていない芸妓の「島崎せんせって男前やなあ」などという社交辞令がさくらの右耳から左耳へと抜けていく。

 江戸と違って上方のおんなは男を立てるのが上手い、などと何を比較しているのかは知らないが、男たちは皆鼻の下を伸ばしながら酒を酌み交わしていた。

 そんな宴席が一時間も続いた頃、ガシャンと大きな音がしたので何事かと皆そちらに注目した。

 芹沢が膳をひっくり返して芸妓に絡みついていた。「いいじゃねえか、減るもんじゃねえし」などとブツブツと言っている。

「いややわぁ、芹沢せんせ、粗相したらあきまへんえ」言葉使いこそ丁寧なものの、それは明らかにお断りの意思表示であり、芸妓の表情には嫌悪感が露わになっている。

「んだと?女のくせに俺に口答えしようってのか」

「堪忍え。うちはそないなつもりや……」

 完全に困っている様子の芸妓をそのままに、芹沢は別の芸妓に「おい、もっと酒持ってこい!」と叫んだ。

 頼まれた芸妓は恐れおののいたような顔で「へ、へえ」と返事をすると立ち上がって部屋を出ていった。

 その様子を見ていたさくらは立ち上がると芹沢の元へ歩み寄った。

「芹沢さん、それ以上飲んだらここで潰れてしまいますよ。一緒に京屋さんに帰りましょう」

 さくらが自ら「芹沢のお守り」を引き受けたのは他でもない、芸妓に囲まれる宴席にはこれ以上いるのが辛くなってきたからである。

 剣術の稽古も捕り物も、男たちと遜色なくこなせているという自負があったが、こういう飲みの席だけはやはり自分は女子なのだと思い知らされる。恐らく大多数の男らはこのままの流れで遊女と一夜を過ごすのだろうと思うと、どちらにせよ遅かれ早かれさくらは京屋に戻るしかない。

 ちなみに新見や平山たちは芹沢の様子などどこ吹く風といった様子で、さくらは「まるで役に立たぬな」と、人知れず溜息をついた。

「俺も行く」歳三が腰を上げようとした。

「大丈夫さ。駕籠を呼ぶ」さくらは申し出を断った。女遊びを誰よりも楽しみにしているのは歳三に他ならないことを知っていた。


 京屋までは店から歩けば小半時(三十分)程であった。

 急ぐわけではないので、駕籠かきもさくらものんびりと月夜の下を歩きながら京屋に向かう。

 さくらは籠の中から聞こえてくる微かないびきを聞きながら、ぼんやりと十八年前のことを思い出していた。

 ――あの時も、今日の捕り物も、芹沢さんの働きなくしてはこうしてここにいることはできなかった。酒癖が悪いのは玉にきずだが……

 私は、どうしたら芹沢さんに恩を返せるのだろう。

 やがて宿に到着すると、さくらは芹沢に肩を貸しつつ奥の客室まで連れていった。

 用意された布団の上に芹沢を寝かせると、その拍子にか芹沢はゆっくりと目を開けた。

「なんだ、ああ、島崎か」

「気がつきましたか。芹沢さん、飲み過ぎですよ。今日はもう寝てください」

 そう言って立ち上がろうとした瞬間、芹沢に強く腕を引っ張られ、さくらは体勢を崩した。

「女なら、ここにいるじゃねえか。なあ?」

 ほんの一瞬の後に、さくらは畳に仰向けにさせられ、芹沢が馬乗りになっていた。

「俺の遊びを邪魔しやがったんだ。お前が相手するってことだろう?なりはそんなだが、目を瞑っててやる」

 言うが早いか、芹沢はぐっとさくらの着物の衿を掴むと横に引っ張った。

 サラシを巻いたさくらの胸が露わになる。それを見て、芹沢は「色気がねえな」と呟いた。

「芹沢さん!やめてください!」

「お前、俺に借りがあるんじゃねえのか?」

 さくらはぐっと口をつぐんだ。

 これが恩返しなのか、という考えが一瞬脳裏をよぎる。

 ――ここで、芹沢さんの、夜伽の相手を務めることが?

 恩は、体で返せって?

 違う。今じゃない。こんなのは、おかしい。

「芹沢さん、御免!」

 冷静さを取り戻したさくらは芹沢の股間を思い切り蹴り上げた。

 ぐあっとうめき声をあげてよろめいた芹沢の隙を縫ってさくらはがばっと立ち上がり、芹沢の手の届かないところまで逃げると吐き捨てるように言った。

「確かに芹沢さんには恩があります。ですがこんなことで返せる恩ではござらぬ故、いずれ必ず、別の方法で」

 そのまま部屋を出て、襖をピシャリと閉めた。


 宿を出、そのまま目の前の川原まで走り、息を整えようとした。が、できなかった。

 刀を向けられ殺されるかもしれない、という状況の方がいくらかマシだ、とさくらは思った。

 芹沢がそういう目で自分を見てきたこと。そして力づくで手籠めにしようとしたこと。

 落ち着いて改めて思い出してみれば、怖くて、気持ち悪くて、体の震えが止まらない。

 さくらはそのまま、川原の土手に寝転んだ。

 頬を撫でる夜風が心地よい。 

 なんだか自分の体が穢れてしまったような気がしていたから、夜風に吹き飛ばされて身を清められたらいいのに、と仕方のないことを考えていた。


 一方、少し時間を遡る。

 さくらに同行を断られた歳三は、先ほど芹沢に絡まれていた芸妓を捕まえて、「今夜、あんたを買わせてもらう」と耳打ちした。

 歳三の切れ長の目尻と、唇の薄い口角がきゅっと上がると、たいていの女は顔を赤らめつつ、「へえ。構しまへんえ」と同意を示す。この女も、例外ではなかった。

「おっと、買うのは俺じゃねえ。さっき出てった島崎ってのがいただろう。あいつに添ってやってくれ」

 女は明らかに不服そうな顔をした。さくら、もとい島崎朔太郎は好みではないらしい。

「安心しろ。あいつは女相手に無体なことはしない。ただ布団を並べて寝るだけだ」

「そないな殿方がおるんですか…?」

「まあ、厳密に言えば殿方じゃねえけどな」

 意味がわからない、というような芸妓をよそに、歳三は立ち上がった。

「どこ行かはるんですか?」

「野暮用だ。一時(二時間)のうちには戻る」

 部屋を出ようとすると、通りすがりにいた山南に声をかけられた。

「島崎さんを、追いかけるのですか?」

「悪いか」

「いえ。私も、島崎さん一人で芹沢さんのお供に行かせるのは大変だろうと思っていました。一緒に行きましょう」

「俺一人で十分だ」

 歳三は吐き捨てるように言うと、山南に有無を言わせる間もなく部屋を出て行った。

 ――芹沢の考えそうなことはだいたい想像がつく。酔っているから、なおさらだ。

 さくらがそうやすやすと屈するとは思えねえが、あいつは芹沢に借りがある。そこにつけ込まれて、万が一のことが起こる懸念も捨て切れねえ。

 間に合うか…?

 間に合えば、救い出す。間に合わなきゃ、慰める。どっちにしたって俺がやる。サンナンさんに譲ってたまるか。


 途中、駕篭かきとすれ違った。その軽やかな足取りから、中には誰も乗っていないと推測できた。歳三はちっと舌打ちすると、歩を早めた。

 京屋に着き、主人の忠兵衛にさくらの居所を聞く。

「なんや、一人でぴゅーっと走っていきよりましたで」

 指し示された方角を見て、歳三はその方向に向かった。

「さくら!」



 声がした方をさくらが振り返ると、土手の上に歳三が立っていた。こちらへ駆け下りてくる歳三を、ただ見つめる。

「歳三……どうして?」

「大丈夫か」

「な、何が…」 

 珍しく率直に人を心配する「大丈夫か」などという言葉を歳三からかけられたことに、さくらは戸惑った。

「芹沢の考えそうなことだろ。そんなナリでも、お前は女だ」

 さくらは黙りこくった。歳三は、知っている、とまでは行かずとも、察しているのだ。歳三の勘に「当たっている」と答えるべきか、迷った。体面や、気恥ずかしさ、そういうものが邪魔をする。

 それでも、誰かに話して楽になりたい気持ちが沸き起こり、それが勝った。

「本当に、どうしてお前のそういう勘の鋭さときたら……」明言は避けつつも、さくらは歳三の勘を肯定した。それでも伝わっているのは、素直にありがたかった。

 それにしても、同じ「女扱い」でも芹沢のそれと、歳三のそれではこんなにも違うものかと、さくらは驚いた。思わず、笑みがこぼれる。

 そして、想定外の「味方の登場」に安堵したのか、さくらは涙腺が緩んでくるのを感じた。

 あたりが暗いのをいいことに、いそいで背を向けて目を袖で拭うと、歳三に向き直った。

「だから俺はついてこうとしたんだ。二人きりサシにしたら何しでかすかわからねえからな」

「お前にそんな心配をされるようでは私もまだまだだな」

「わかってんじゃねえか。恩義があるんだか知らねえが、そこにつけ込まれるようなドジ踏んでんじゃねえ」

「な、そんな言い方…!」

 声を荒げかけた時、さくらはハタと提灯に照らされた歳三の顔に目を留めた。

 その表情は怒り、心配、悲しみ、そんなものが入り混じったようなものだった。

 それはいつものような、勝ち気で、獲物を狙う鷹のような目をした、鋭い表情とはまるで違った。

 歳三が本当に自分のことを心配して来てくれたのだと思うと、さくらは「お前の言うとおりだな」と小さく呟いた。

「俺があの場を抜けようとしたらよ、サンナンさんもついて来るなんて抜かしやがったが置いてきた」

「な、なぜ……!」

 山南に、会いたかった。こんな時こそ、あの柔和な笑顔に癒やされたい、あの優しさに飛び込みたい。

 だが、同時にもやもやとした感情もこみ上げてくる。

 ――芹沢さんに手籠めにされそうになったなんて、山南さんに知られたくない……

「来たのが、”俺だけ”でよかっただろ」

 認めざるを得なかった。こういう時、歳三にはまったく敵わない。ひしひしとそう感じていたが、口にするのはどうしても悔しくて、さくらは「知ったような口を利くな」と憎まれ口を叩いた。

「だが、礼を言う」

「ふん、一つ貸しだな」

「ったく、私は借りばかりで割に合わぬ」

「とにかく、いいから戻るぞ。話は含めてあるからお前も女と寝ろ。その方がむしろ安全だ」

 そう言って、歳三は歩き出した。

 あまりの切り替えの早さにさくらは一瞬戸惑ったが、ハッとして後を追った。

「そんなこと言って、早く戻りたいのはお前だろう。馴染みの女たちが歳三さまをお待ちだからな」

「うるせえっ。普段規格外の女の相手ばっかりしてんだ。たまには普通の女の酒くらい飲むさ」

「おい、規格外とは私のことか!?」

「わかってんじゃねえか」

 今のは聞き捨てならぬ!と言葉尻には怒りを滲ませていたが、事実、先ほどの一件で味わった嫌な気持ちがいくぶんは薄らいでいたのだから、さくらはくすりと顔を綻ばせて先を歩く歳三を追った。

 三日月の優しい光が、二人を照らしていた。




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